夏が翻る
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中華街をふらりとして、お昼ご飯は肉まんを食べ歩きしてすませた。
終始テンションの高い彼らといると余計なことを考える暇はなくて、とても楽しい。楽しいのだけれど、謙也くんは先々好きな方向へ行ってしまうし、遠山くんは私の手を引いて引っ張り回すし、いつの間にか姿を消して好き勝手に歩き回る千歳くんを追いかけていれば、私の元々少ない体力はすぐにそこを尽きた。
「も、もうだめ……」
レンガ街までたどり着いたものの、休日のレンガ街の人の多さといったらない。人並みに逆らって歩くのはなかなか大変なものだ。ああ、今すぐ座りたい。
「あの、あの、休憩しませんかー……」
精一杯の声を張り上げたつもりだったけど、気付いてくれたのは捕獲したばかりの遠山くんと、私の少し後ろに居たユウくんだけ。
「お前、なんやボロボロになってんな。体力ないやっちゃ」
私を見て盛大に顔をしかめたユウくんは、ふう、と一つため息をついた。その後ろのみんなの影はもう遠くなりつつある。
「あ、みんなとはぐれちゃうね、とりあえず追いかけて……」
「姉ちゃん、無理はしたらあかんねんで!」
歩き出そうとした私のパーカーの裾を引っ張って引き止めたのは、遠山くんだった。今日会ったばかりの私をこんなに気遣ってくれるなんて、めちゃくちゃいい子だ。
ユウくんは少し考えてから、それから近くのベンチを指差した。
「とりあえず、座りや。 倒れられでもしたら、そっちのが迷惑や」
「え、でも」
「座り言うてるやろ、なんべんも言わせんなや。金ちゃん、先行ってみんなにベンチで休んどるって伝言頼むわ」
「おん、わかったで!」
素直に頷いた遠山くんは、またあとでなーと大きく手をふりながら駆けていった。
「遠山くん、元気だなあ」
というか、一人にして大丈夫だろうか。 またどこかへふらふら行って、怖そうなお兄さんに喧嘩を売ったりしないだろうか。 そんな私の思考を読んでいたかのように、ユウくんはそんな顔せんでも大丈夫やろ、と言った。
それから何を言うでもなく私を置いて人波に姿を消した彼は、すぐに二つ紙コップを持って帰ってくる。
「紅茶とオレンジジュース、どっちや」
「どっちって」
差し出したコップを受け取っていいものか戸惑って見上げていると、彼はイライラした表情を隠そうともせず、片方のコップを私に押し付けた。
「もうええ、お前はオレンジジュースな」
「あ、ありがと、いくらだった?」
「こう言う時は素直に受けとんのが礼儀やろ。可愛いないな」
彼は私の隣に座り、こちらを睨みつけてくる。しかも、舌打ちのおまけつきだ。
とはいえ、こうして気遣ってジュースを買ってきてくれる優しさはとってもありがたい。ユウくんは、なんと言うか、素直になれないタイプなんだろうか。
「わかった。ありがとう、ユウくん」
「どういたしまして!」
当てつけのように大きな声で言われて思わず苦笑すれば、それも気に入らなかったのか、ぷい、とそっぽを向かれてしまった。良いフォローも思いつかず、とりあえずオレンジジュースを喉へ流し込んで、喉を潤す。
会話のないまま、私たちはしばらく行き交う人たちの忙しない様子を眺めていた。 潮の香りがふわりと駆け抜け、とりとめない喧噪が耳を通り抜けていく。傾き始めた日は、長い影をレンガへと写していた。
「ユウくん、付き合ってくれてありがとうね」
「変な気い遣うなや、気色悪い」
「でも、せっかくの横浜観光なのに」
「せやな、神奈川なんて中々来れへんのに、こんなとこでぼさっとしてなあかんし、せっかく小春と一緒だったのに離れ離れになるし最悪や」
「でしょ」
「でしょって、他に言うことないんか」
「他にって?」
「もうええわ」
一つ、深いため息が聞こえてくる。彼の言う『他のこと』については、一つも思い当たる節がなかった。もしかして、関西人はこんな時も何か面白いことを言って欲しいものなのだろうか。 面白いこと、と頭の中を探っても何も出てこなくて、やっぱり、ただ目の前の風景を眺めるともなく眺めていたけれど。
「お前、幸村と付き合うてるん?」
「へ?」
ユウくんのセリフに、思わずコップを取り落としそうになって、慌てて握り直した。
「何それ」
「ちゃうんか。お前と少し話しただけでめっちゃ睨まれたから、幸村妬いてんのかと思ったわ」
「いや、それはユウくんがなんかやらかしたんじゃないの?」
「ああ? いてこまされたいんか」
ぎろり、と今までにない眼光で睨まれて、私はごめんなさい失礼を、と背筋を伸ばす。 すると、ユウくんはアホくさ、と私の頭を軽く叩いた。 小さく笑っていたから、彼と少し仲良くなれた気がして、私はふと聞いてみたかったことを口にしてみる。
「答えたくなかったら無視して欲しいんだけど、その、ユウくんと小春ちゃんは、付き合ってるの?」
すると、彼は驚いたように笑みを引っ込めて、それから少しだけ眉を寄せた。
「ちゃう」
「そうか、ユウくんの片思いか」
「何言うてんねん、両思いに決まっとるやろ」
「付き合ってないのに?」
「好き言うても、いろんな形があるやろ。分かれ、アホ女」
「アホ女って」
しかし、ユウくんは少し詩人である。好きにいろんな形がある、だなんて、普通の中学生男子からするりと出てくる言葉ではない。同い年のはずの彼が、私よりずっと大人に思えた。きっと、彼に愛される小春ちゃんは幸せだろう。私は、仲の良さそうなユウくんと小春ちゃんの姿を思い出した。昨日のテニスコート前のユウくんの健気な、あるいは必死な姿を。先ほどの私を気遣ってくれる彼の優しさを。無愛想なくせにすぐに打ち解ける気さくさを。思い出して、私は呟く。
「私も、ユウくんみたいにできればよかったのに」
私も、幸村くんに対してもっと必死になれていたら。もっと優しくできていたら。もっと打ち解けられていたら。 そうしたら、幸村くんを少しは幸せにできていただろうか。
「何やそれ」
怪訝そうな、面倒そうなユウくんに、私は無理やり笑ってみせた。
「ユウくんみたいに、上手に好きになれてたらよかったなって。私、片思いしてたんだけど、その、迷惑だったみたいだから」
「なんかやらかしたん?」
「まあ、思い当たる節がないとは言えない」
しつこかっただろうし、馬鹿だっただろう。かっこ悪いところもいっぱい見せてしまった。思い当たる節だらけだ。
「アホやな」
ユウくんの呆れた声。私も、から笑いをするしかない。
「ほんまアホやんな。まあ、あんまウジウジすんなや」
「う、ウジウジって」
「しとるやん、現在進行形で」
「ご、ごめん」
厳しいお言葉に条件反射のように謝ると、また一つため息をつかれてしまった。言い訳も思いつかなくて、私はただ誤魔化すようにオレンジジュースを一口飲み込む。
「あんな、みょうじ。好きに上手も下手もないやろ。お前の気持ちやねんから、お前がええならそれでええやん。あれこれ難しいこと気にすんのやめや。見てて気分悪いねん」
「だ、だって」
「うっさいボケ、好きなんやろ!」
「いや、あの」
「好きちゃうんか!」
「す、好き!」
「それ以上なんかあんのか!」
「ないです先生!」
「よろしい!」
私の答えに満足したらしいユウくんは、威厳のある表情を作って、いや、作る努力をして、一つ頷いた。
馬鹿みたいな会話だった、と思う。 でも、嬉しかった。 『好き』はただ『好き』でいいのだと言ってもらったことが。
結局、私は自分自身でさえ、この『好き』を疑っていたのかもしれない。 だから、理由や理解を求めて、ジタバタしていたのだ。 馬鹿だ。ただ、好きだって、それだけでよかったのに。
ほろりと、涙がこぼれた。 どうして、もっと早く気づけなかったのか。 こんなに、単純なことだったのに。
「お、おま、どうしたん?」
ユウくんの慌てた声にハッとして、慌てて涙を拭うけれど、一度壊れてしまった涙腺はなかなか言うことを聞いてくれない。 ごめんも言えずにボロボロ涙をこぼし続けるしかできなかった。
戸惑うようにさまよったユウくんの手が、遠慮がちに私の頭を撫でる。その手が優しいから、私はますます涙が止まらなくなってしまうのだけれど。
そして、ふと気づく。 ああ、私。
幸村くんにふられて初めて、泣いた。
21 これを終わりと呼ぶのでしょう