夏が翻る
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ベッドの上に寝そべって、携帯を見つめる。
私は今日、本当に幸村くんに振られてしまった。という表現が正しいかどうかはわからないけれど、幸村くんに拒まれたことだけは確かだ。そして、思ったのだ。もうやめよう。私じゃ無理なんだ。仕方ないんだ。
でも、そうするのなら、報告しなくてはならない人がいる。メッセージ画面を開いて、いくつか文字を入力して、消して、入力して、消して。
だめだ。どうにもうまく文字にできない。ああ、もう。乱暴に携帯をベッドへ放り投げて、私はため息をついた。別に、幸村くんのことを諦めるからと言って彼が私を責めるなんて思っていないけれど。分かっては、いるけれど。けれど、の続きは私自身でさえよくわからない。
見上げた天井のライトが明るすぎて、目を閉じた。
すると突然、頭のすぐそばで携帯が震える。驚いて携帯を手にすれば、着信画面には『丸井くん』の文字。あれ、なんでだ。今はあまり直接話したい気分ではないけれど、止まる気配のないバイブの感触に通話ボタンを押した。
「ま、丸井くん?」
『おう。なんかあった?』
いつも明るく弾むような彼の声が真剣味を帯びているのがわかって、びくりと体が震えた。私、怒られる子供みたい。
「べ、つに?」
『ごめんなさいってメッセージ一言送っといて、別にって言われても困るんだけど』
「え、うそ、私、送っちゃってた?」
『送っちゃってました』
さっき携帯を投げた時に指が当たっていたのだろうか。いつも何かやらかしてしまう自分に、もはや呆れるしかない。
『で、どうしたんだよぃ』
「あ、あのね」
ここまできたら、素直に報告するしかない。ぐるぐるする頭の中から、精一杯ふさわしい言葉を掬い上げようと深呼吸をした。
「私ね、あのね、押して押して押しまくる作戦、終わりにすることにした。いっぱい応援してくれたのに、ごめん」
『え、なんで?』
「振られた、から、かな」
『は? そんなの前から何度も振られてんじゃん』
「それは、そうなんだけどさ。なんていうか、こう、別のベクトルで振られた、みたいな感じ」
『なんだそれ』
丸井くんは納得していない、私の言葉が気に入らない、という感情を隠そうともしない。そりゃあ、そうなるだろうけれど。
「あのね、幸村くん、私に踏み込まれるの、迷惑みたい」
はっきりと声に出してみると、なんだか人事みたいに響いた。悲しいはずなのに、ちょっと遠く感じる。
「だからね、もうこれ以上はいいかなって。元々、私の自己満足だったし、これ以上迷惑かけるのも、あれだなって。 そう、思ったんだよ」
『幸村くんが、迷惑って言ったのかよ』
「迷惑って言葉は使わなかったけどね。幸村くん優しいよね」
『なんだ、それ……』
2回目の『なんだそれ』は苦しそうな、吐き捨てるような声だった。彼が私の代わりに泣いてしまうのではないかと思うほどに。
「ありがとう、丸井くん」
『なんだよ、やめろよ』
「なんで、いいじゃん。丸井くんにはお世話になったし、丸井くんとバカやったりして楽しかったし」
『今生の別れみたいなこと言うのやめろって』
「うん、そうだね。これからも友達でいてね」
『やだ』
「え!」
『うそ、いいよ』
「傷心の私に塩塗り込もうとすんのやめてくんない? まじで今は死んじゃう」
『あーあー、悪かったよ。でも、俺にだって色々あんの!』
ばあか、とまた小さく罵倒されて、私はなんだか笑ってしまった。
私と丸井くんは、いつも通り。少し、救われた気持ち。
それから、少し今日の練習試合の話をして、他愛ない冗談を交わして電話を切った。
眠る前に、親友のあの子にも例の作戦を諦める旨を送ったけれど、彼女は『それがいいと思うよ』と冷静な返事をくれた。それがいい。うん、そうだ。きっと、それでいいんだ。
***
そして翌日、私は晴れない気持ちでベッドにうずくまっていた。
と、いうわけではない。
私としては、そうしたい気持ちでいっぱいだったのだが、どうしたことか、朝早く丸井くんから電話があったかと思えば、曰く、四の五の言わず駅に集合しろと。一方的な電話は私の返事を待たずに切れてしまった。無視してもいいのかもしれないが、丸井くんにはたくさんの借りがあってどうにも気が引ける。私は大きめのパーカーとスキニージーンズに着替え、財布と携帯だけをポケットに突っ込んで家を後にした。
そうして駅前の広場で丸井くんを待っていると、真っ赤な頭を先頭にぞろぞろと歩いてくる集団。なんだ、あれ。団体様だなんて聞いてないぞ。これは面倒なことになりそうだな、今からでも帰っちゃダメかな、なんて考えが頭をよぎるけれど、たくさんの人の中に幸村くんの姿を見つけ頭が真っ白になる。
聞いてないぞ、聞いてないったら聞いてない!
脱兎のごとく逃げ出そうとすると、ばっと手を掴まれてしまった。
「逃げんなよぃ」
私の手を掴んだ丸井くんは、にっこりとアイドル顔負けに笑みを浮かべた。なんだ、その顔。
「丸井くん、昨日電話したよね?」
「おう」
「作戦中止をお話したよね?」
「聞いた」
「じゃあなんでこういうことするかな!」
「俺は納得したなんて言ってねえし」
そういえば、わかった、とは言われなかった気がする。するけれども。
「いやいや、もう決めたからね、全軍撤退!」
「いいから、もっかい話してこいって。一回死んでこい」
「怖いこと言わないで」
にこりとまた笑みを深くする丸井くん。数え切れないくらい玉砕してきた私に、これ以上どうやって死ねというんだ。昨日友情に感謝した私を殴ってやりたい。
「丸井くん、みょうじさんが困っていますよ」
遠慮がちに声をかけてきた彼は、柳生くんだ。接点がほとんどないので、お話するのは初めてだろう。
彼もテニス部で、昨日の練習試合にも出ていた。光を過分に反射するメガネの奥はよくわからないけれど、顔には心配がにじんでいる、ように見える。ジェントルマンを自称する彼を少し変な人だと思っていたが、考えを改めよう。ジェントルマンまじジェントルマン。
「とりあえず、手を離してあげなさい」
柳生くんの言葉に、丸井くんは渋々手を緩めた。しかし、目線で逃げるなよ、と訴えられる。
「さあ、時間がありませんから、とりあえず電車に乗りましょう。みんなは先に行ってしまいましたよ」
「え?」
「みょうじさんも、こちらへどうぞ」
「え、待って柳生くん」
さあさあ、と彼に背中を押されて、あれよあれよと改札の向こうへと追いやられてしまった。柳生くんは完璧に整った笑みを持って、私に反論を許さない。
やっぱり考えを改めるの、やめようかな。
***
電車の中で改めて見回すと、まさに団体と言える人数だった。うちのテニス部だけではなくて、昨日の練習試合の相手校だったトイレ迷子さんたちもいる。
彼らは四天宝寺中学校、と言う学校のテニス部らしい。 なんでも大阪の学校だと言うから驚きだ。 まさか、練習試合だけをするために大阪から神奈川へやってくる部活があるだろうか。私が驚いていると、引退した3年へのお疲れ様旅行のようなものらしいと丸井くんが説明してくれた。 今日は、横浜を観光案内してあげるのだとも。
「そう言う話は最初にしてよ。すっぴん普段着の私は一体どうすればいいんだ」
丸井くんと少し喋るだけの気持ちで家から出てきたので、ひどい格好だ。 幸村くんがいるのに、知らない人だっているのに。
「いいんじゃねえ、いつもと変わんないって」
「丸井くん、今度ケーキ奢ってくれないとまじで許さない」
「はいはい、ケーキな。奢ってやるよ、ジャッカルが」
「俺かよ!」
いつもの桑原くんが不憫な漫才に思わず笑ってしまったところで、ぽん、と横から肩を叩かれた。
「みょうじさん、で合うてるよな?」
彼は確か、しらいしくん、だっけ。トイレ迷子さんの友達の、彼だ。
「う、うん、 みょうじなまえです。えっと、しらいしくん?」
「覚えててくれとったんやな。俺は四天宝寺の部長、あ、元部長の白石蔵ノ介や。よろしゅう」
「よろしくね」
爽やかな笑顔を浮かべた白石くんに笑い返してみせる。
と、白石くんの隣にいた男の子が、にこりと人好きのする笑みを浮かべて手を差し出してきた。
「俺は忍足謙也言うねん。謙也でええで」
「ありがとう、ええと、謙也くん?」
「おう!」
差し出された手を握ると、ブンブンと勢いよく振り回される。それから、難波のスピードスターと呼ばれているのだと教えてくれたが、スピードスターってなんだ。
「なまえちゃん、ウチのことはおぼえとる?」
ひょいと覗き込んできた彼は、確か。
「こはるさん、で合ってるかな?」
「あら、知っててくれたん? 嬉しいわあ」
頬に手を当てて嬉しそうに微笑む彼は、そこらの女子より女の子らしい。なんだか少しうらやましかった。
「ウチのことは小春ちゃんでええで。で、こっちはユウくん」
「よろしく、小春ちゃん、ユウくん」
握手を求めて手を出せば、べしり、とたたき落された。ユウくん、ことトイレ迷子さんは私を睨みつける。
「何でお前にユウくん呼ばれなあかんのや。ちょっと小春に優しいされたかて、調子乗んなや」
「おい一氏、なまえちゃんに何ガン付けとんのや」
「小春浮気か! この女に浮気か! 死なすど!」
「お、おう、ユウくんは愛妻家だな」
私が素直な感想を漏らせば、ユウくんは自慢げに小春は可愛いからな、と胸を張った。仲良きことはうつくしきかな。私が拍手すれば、2人はよくわからないポーズをとって応えてくれた。なんてサービス精神旺盛なのだ。
「2人とも、話が進まんからもうええか? みょうじさん、俺は四天宝寺の元副部長小石川健二郎や」
「小石川くん、うん、覚えたよ。よろしく」
「んで、右から石田銀、遠山金太郎、財前光。あそこでふらふらしとるでかいのが千歳千里や」
小石川くんの紹介に私はよろしく、と頭を下げると、おう、とかよろしゅうとか、それぞれに挨拶を返してくれた。一気に紹介されて、正直覚え切れた気はしないけれど、所詮私の頭などこの程度なので許してほしい。
「ほんまは顧問のオサムちゃんもおってんけど今日は別行動やから、これで全員やな」
あたりを見回して白石くんが頷く。
私もつられてなんとなくあたりを見回すと、柳くんと真田くんの肩の間から、幸村くんの姿がちらりとだけのぞいていた。目まぐるしい展開に話しかけるタイミングさえないけれど、それに安心してしまう私は卑怯だろうか。
車窓の向こう景色は、どんどん流れていくようだった。
20 それが、いいよ