夏が翻る
Name Setting
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
足早に去っていった夏の残り香と、随分と高くなった空。新学期が始まって間もない放課後の裏庭に、人気はない。
私と彼、二人だけ。
私の眼の前に立つ彼の名前を、幸村くん、という。すらりと伸びた手足に、繊細な空気をまとった彼は、私の思い人だ。優しげな口の端に小さく笑みを乗せて、私の言葉を待っている。
「すきです」
口にした途端、頬に熱が集まるのを感じた。緊張で少し声が震えていたかもしれない。顔を上げられなくなって、私は俯いたままスカートをぎゅっと握りしめる。
小さく、彼が息をついた。反射のように肩が跳ねて、思わず顔をあげる。見上げた幸村くんの顔にまだ笑みがあることに、少し安心した。
たとえそれが、貼り付けたような笑顔だったとしても。
「ごめんね。気持ちは嬉しいんだけど、今はテニスに集中したいんだ」
彼の薄い唇から、するりと言葉がこぼれ落ちる。まるで、用意されていた定型文みたいに、淀みなく、迷いなく。きっと、何人もの女の子に同じ言葉を告げてきたに違いない。私も、その中の一人。
私はぐっと口を引き結んだ。泣くつもりはない。両思いだなんて、自惚れたことなんか一度もなかった。それどころか、彼が私を知っているかどうかも怪しい。
だから、予想通りの結果、ただそれだけのこと。
「みょうじさん」
優しい声が、私の名前を呼んだ。
あ、名前。覚えててくれたのか。言葉を交わしたのなんて、きっと数えるくらいなのに。
幸村くんはこの学校に知らない人がいないほどの有名人である。
整った容姿、柔和な笑顔、優秀な成績。きわめつけは彼の率いるテニス部が昨年までは全国大会で二連続優勝を果たし、今年は準優勝と輝かしい成績を収めたとあれば、目立つなという方が無茶だ。
私も一年生の頃から彼のことを知っていたし、すごいなあ、などと感心していた。
それが変わったのは、去年の夏のこと。幸村くんと廊下ですれ違った時。彼がとても楽しそうに笑っていたのが偶然目に入ったのだ。
同じテニス部の子に向かって、年相応の屈託のない、ただただ楽しそうな笑み。
視界の端を掠めただけの、一瞬のそれがずっと頭から離れなくなって。気がつけば、あの笑顔がこっちを向く日が来ればいいのになどと図々しいこと思うようになってしまった。思い返せば、一目惚れだったのかもしれない。ずっと前から知っている人に一目惚れだなんて、おかしな話だけれど。
それから、遠くで眺めているうちに幸村くんが入院し、勝手に心配をしているうちに退院。テニス部の全国大会が終わって。
そして今、そろそろ進路だとか卒業を意識し始める時期。あの子のあの子も幸村くんに告白したらしい、なんて噂を聞いて、正直、焦ったのだ。私は、このまま何もせずに卒業を迎えるのか。そんなのは嫌だ。報われなくたって、伝えるくらいはしたいと思った。あなたが、あなたの笑顔が好きなのだと。
だから、この結果は、私を落胆させるものじゃない。私の名前と告白を、彼の記憶の端の方においておいてもらえるのなら、これ以上何を望むというのだ。
「幸村くん、ありがとう」
精一杯の笑顔を浮かべて、彼を見返す。彼は少し驚いたように笑みを崩して、やがて柔らかに目を閉じた。私は踵を返して、駆け出す。ひらりとスカートが翻る感覚も気にせず、走って、走って、校門を出て、そして校舎を振り返った。息が切れる。
肺が痛い。 痛い。
ああ、終わってしまった。
私の恋は、もう終わり。
01 恋を殺す日