夏が翻る
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重い。体が、呼吸が、まぶたが重い。
足音と水音が響いていた。聞き慣れた生活音に、誰かがいる、いてくれるんだと安心する。
そこで、ふと思い当たった。まぶたの隙間から差し込む光はまだ日が暮れてないことを意味している。両親はまだ仕事の時間のはずだ。 まさか、私のために早引きしてきてくれたのだろうか。だとしたら、なんて迷惑をかけてしまったのだろう。
こうしてはいられないと、無理やりにベッドから抜け出して、キッチンへと向かう。
しかし、そこにあった後ろ姿は父でも母でもなく、深い緑色の制服をまとった、彼。
「にお、くん?」
「なんじゃ、起きたんか」
いつもより少しだけ柔らかい声。 きっと、心配してくれてるんだろう。 聞いてみたって、彼ははぐらかすのだろうけれど。
「ごめん」
「反省して、二度と家まで付き添わせるようなことはせんでくれ」
言いながら、私の手を引いてリビングのソファまで連れて行く。私を座らせて、近くにあったブランケットまで膝にかけてくれる彼は、存外世話好きなのかもしれない。
「ごめ、」
「さっきも聞いたきに」
素っ気なくそう言われれば、私はただ黙って頷くしかできなかった。仁王くんも黙って、そっと私の前髪を避ける。触れた彼の指が、ひやりと冷たくて気持ちい。
「熱、下がらんな」
「心配ないよ。半分は、知恵熱、みたいなものだと思うから」
「子供か」
「いっぱい考えてる、だけだもん」
「子供じゃな」
いつもみたいに口の端っこだけで笑った仁王くんにどこか安心して、私も少し笑った。
「お水、欲しいなあ」
ちょっと甘えてみれば、仁王くんはやれやれと肩を落としてキッチンへと向かう。
「コップ、どれでもええか」
「うん」
少し遠くなった声に答えると、程なくして水の入ったコップを持って彼が戻ってきた。私にコップを渡して、それから、もう片方の手に持っていた冷えピタを私の額に貼り付ける。世話好き、と言うか、気が利く、とでも言うべきか。
「ありがとう」
「薬は、何か食べた後の方がええじゃろ」
言って、彼は私の隣に腰掛ける。まだ、ここにいてくれるつもりなのか。
「ご両親、まだ戻らんみたいじゃな」
「うん、忙しいみたい」
「そうか」
会話は、そこで一旦途切れる。なんとなく彼の顔を盗み見れば目があってプリ、と謎の擬音語を投げかけられたけれど、会話とはいえまい。
慣れたリビングに、慣れない沈黙と慣れない人。それなのに、不思議と安心する空間。
けれど、ふと気づく。もしかして気を使われているのかな。帰っていいよって言ってあげたほうがいいのかな。
当たり障りのない言葉を探しているうちに、仁王くんの声が沈黙を破った。
「おまんは、幸村のどこがいいんじゃ?」
随分、唐突な話題。ああ、でもあれだ。気を失う前の続きなのだろう。
「わかんない」
正直に答えれば、そうか、とまた味気ない返事が返ってきた。
「仁王くんは、好きな人いる? その人のどこが好きかわかる?」
「教えてやらん」
「ずる」
「詐欺師は本心を悟られた終わりぜよ」
「なんなの、仁王くんは犯罪者なの」
「そう見えるか?」
「……いい人そうに見える」
「やめんしゃい」
褒めたつもりだったのに、べしりと容赦無く頭を叩かれてしまった。難しいお年頃か。
「仁王くんはよくわかんないね」
「何でもかんでもわかる必要はないじゃろ。 わかってしまったら詰まらんことも、それこそ状況が悪化することだってある」
「そうかな」
「ちょっと試してみるか?」
首を傾げた私の手から、彼がコップをそっと奪う。まだ半分ほど水の残ったそれをテーブルへと置くと、ずい、と私を覗き込んでくる。
なんだか、パーソナルスペースの狭い人だな、なんて呑気に思っていると、ぐ、と肩を押された。ソファの上だから衝撃があるわけでもないが、言うことを聞かない体で誰かに押し倒されると言うのは、中々に危機感を煽られるものだ。逆光になった彼の表情はよく見えず、かと言ってこれ以上距離が近付くでもなく。
「俺がどうしてこんなことをするか、わかるか?」
「……わかんない」
「なら、お前さんはどうしたい?」
「お話の続きをね、したい」
「お話ねえ」
バカにしたように目を細めた彼に、あ、回答を間違えたかな、と思った。正直に言うと、私は今一人になりたくない。病人特有のさみしがり症候群だろうと思う。両親が帰ってくるまでとは言わないから、もう少しここにいてほしい。だから、彼の機嫌を損ねたくはない。とは言え、こんな場面で猫なで声でも出そうものなら、おかしな誤解を受けかねない。もちろん、彼が本気で私をどうこうすると思っているわけではないが。
ああ、もう、頭ふわふわするし、喉ヒリヒリするし。
「仁王くん」
「なんじゃ」
「考えるの、面倒になってきちゃったよ。もう寝ていい?」
正直に打ち明けて見上げていると、不意に彼が大きなため息をつく。
「今どういう状況か、俺がわからんくなりそうじゃ。抵抗するとか、照れるとか、もっとないんか」
「いや、しんどいし」
「そう言う問題じゃなか」
じゃあどう言う問題なんだと言いたいが、口論する気力もなく、なんとなくごめん、と言うに留めておいた。すると、仁王くんの表情はますます曇って、そのままのしかかってくる。
「おもい」
いや、照れるべき場面か。
違う、私に恥じらいがないんじゃない。ただ、何となく、抱きしめられているとかそう言う感じじゃなく、ただのしかかられていると言う感覚が先に立つ。つまり重い。
「おまんは熱いな」
「風邪うつるよ」
「知らん」
「仁王くんてまじでよくわかんない」
「それでええ、全部」
何で。
何が。
全部って何。
何もわからなくて、でも私を肯定してくれていることだけは理解できるから、だから、よく分からない安心感に目を閉じた。
仁王くんは見かけより重い。
でも、暖かかった。
***
みょうじは、すっかり安心した表情で眠りについている。腕の中の彼女に、ただただ呆れるしかできない。
信じられない話だ。この状況で普通眠るか。眠れるのか。よほど風邪に参っているのか、それともよほど人を信頼しやすいたちなのか。どちらでも構いやしないけれど。
一つため息をついてから 身を起こして、彼女を抱き上げてベッドへと連れて行く。横にして布団をかけてやって、これで自分の仕事は終わりだ。
「面倒な女じゃの」
どこまで自覚があるのかは知らないが、どうにも面倒な女だ。振り回してからかってやろうと思っても、いつの間にか振り回されてるのはこちらで。不用意に触れれば丸井のように火傷しかねない。あれもあれで、難儀な男ではあろうけれど。
それにしたって、幸村といい、丸井といい、みょうじといい、どうして周りにはこう面倒な奴らばかりが集まるのだろう。
面倒で手のかかる、放っておけない奴らばかり。
17 それこそが、美徳