夏が翻る
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翌日の昼休み。
緩く温まった空気に、眠気を誘われるような午後だった。私が友人と昨日のドラマの再放送について話しながら、お弁当を食べていた時である。勢い良く教室のドアが開いて、切原くんが現れた。
「スケッチブック先輩!」
大きな声でそう言って、一直線にこちらへ歩いてくる。一気に教室中の視線が私たちに集まって、私は頭を抱えた。なんでそんなに元気がいいんだ。
と、言うか。
「私のあだ名それで定着させる気か、君は」
苦い思い出が由来であろうあだ名に、思わず眉をひそめれば。
「そういや、先輩、名前なんて言うんすか」
「みょうじなまえだよ」
「じゃあ、みょうじ先輩っすね!」
ひとなつっこい笑い方。犬にでも懐かれたような気分で、中々悪い気はしなかった。よく考えてみると、私は帰宅部だし教科係だし、後輩と関わる機会などそうそうなくて、先輩、と呼ばれるのは新鮮だ。
ぐりぐりと頭を撫でてやれば、彼はいやな顔もせずされるがままになっていた。もしかしたら、部活なんかでもよくこうされるのだろうか。切原くんなら、分かる気がするが。
「これ、誰?」
そう言ったのは私の隣に座っていた友人だった。そういえば、彼女は昨日、居合わせなかったのだったか。
「丸井くん達の部活の後輩の、切原くん。昨日、課題手伝って、それで」
「へえ、よろしく」
「よろしくお願いします!」
「うむ、素直でよろしい」
彼女も、満足そうな顔で切原くんを撫でる。やっぱり、そうしたくなるよね。ひとりで納得して頷いていると。
「あ、そうだ、みょうじ先輩、これどうぞ。昨日のお礼っす」
すっと差し出されたのは、明るいピンクのパッケージ。いちごミルクだ。
「わあ、可愛いものをありがとう」
いちごミルクなんて可愛すぎて、私には少し不釣り合いな気もしたけれど、せっかくくれるというのだから、ここはありがたく受け取っておくべきなのだろう。
「あの後、結局バレちまって、幸村部ちょ、じゃなくて先輩に全部吐かされて、そしたら、ちゃんと礼しとけってめちゃめちゃ怒られました」
何を思い出したのだろう。ううっ、とうめいた切原くん。なんだか闇が深そうだ。詳細は聞かないでおこう。
「それにしても、幸村がねえ。案外、義理堅いと言うか」
友人は私からいちごミルクを奪うと、手の中でくるりと遊ばせる。彼女の中で、幸村くんは義理堅くなさそう、と言うイメージなのだろうか。まあ、私も幸村くんと言えば義理堅いと言うより。
「幸村くん、優しいから」
「優しいって、それ本気で言ってんすか! 昨日の惨状、みょうじ先輩にも見せてやりたいくらいっすよ」
「ああ、通りで」
そういえば、今朝の幸村くんはご機嫌だったし、まあ、そういうことなんだろうなあと思う。
そして、少し向こうの机に突っ伏す丸井くんの方へ視線をやる。彼は今朝からあの調子だ。あとでザオリクかけてあげよう。
仁王くんはといえば、サボりのようだった。逃げたのか、もしかしたら体調不良かもしれない。仁王くん、何か不健康そうだから。
「察しておいてまだ優しいとか……。恋は盲目ってやつなんすかね」
はあ、と息をついた切原くん。まさか、後輩にまで呆れられるなんて。
そりゃあ確かに、幸村くんはたまに意地悪だ。だけど、やさしいひと、のはずだ。何でそう思うのか考えたことなんかなかったけど、ともかくそうだと私は思っていて。
あれ。
もしや私は幸村くんのことを何も知らないんじゃないか。
よくわからない不安に駆られて私は慌てて幸村くんを思い出した。私のだいすきな、やさしくて穏やかな幸村くん。大丈夫。ちゃんと彼を思い描ける。
彼なら、きっと。
「たぶん、今回は切原くんの成績を心配してのことなんじゃないかな」
そう、そんな感じ。
「そうっすかね」
腑に落ちない様子で唇を尖らせた切原くんに、私はそうだよ、と頷いてみせる。
「正直、私も心配になるくらいだったし」
「う、そ、それは」
言葉に詰まった切原くんに、私は笑いかけた。
「テスト前になったら、みんなで勉強しよっか。幸村くん達に心配かけないように」
「教えてくれるんすか!?」
「うん、分かんないことあったらおいでよ」
上手く教えられるかは分かんないけど、と言ったら、あんたも大概優しいね、と苦笑いの我が親友。それから、明るい笑顔を見せた切原くん。彼は丸井くんにコーヒー牛乳を投げつけ、仁王くんの席におしるこをそっと設置すると、意気揚々と自分の教室へ帰って行ったのだった。
仁王くんがおしるこ好きかどうか、微妙な線だと思うけど。
***
その後、国語の先生に捕まってしまった私はひとり重い資料達を引きずっていた。なぜ、これを私ひとりで運べると思ったんだ、先生よ。私のこの細腕が目に入らなかったとでも言うのか。太く見えたのだとしても、それは脂肪であって筋肉ではないぞ。
「あ、悲しくなってきた」
「独り言か、たるんどるぞ」
「おわっ」
資料の向こう、私の視界に入らないところから声をかけてきたのは。
「真田、くん?」
たぶん、真田くん。大きな声とハキハキした喋り方で、すぐにわかる。昨日話題に上がったばかりだから、タイムリーだなあと笑ってしまった。
「手伝ってやろう、貸せ」
私の返事を待たずに、真田くんは資料の大半を私の腕から奪う。
「ごめん、ありがとう」
資料の向こうからは現れたのは、大きな体に引き結んだ口元。いつもと変わらない真田くんの姿だ。彼は私の顔を認めると、ああ、みょうじだったのか、と頷いた。どうやら、私の名前は認識してくれていたらしい。
「昨日はうちの部員が世話になったようだな。すまなかった」
「ううん、謝ってもらうようなことじゃないよ。みんなで勉強とか普段あんまりしないから、楽しかったし」
「そうか、みょうじは真面目なのだな」
さっきの台詞のどこをどう切り取ったら、真面目になるのか。
よくわからないけれど、良い意味の言葉のような気がしたので、そのままにしておく。
「あ、そういえば」
真田くんは、正面からやってきたので、今は来た道を戻っていることになるのだが。
「真田くん、どこか行く途中だったんじゃないの?」
「いや、大丈夫だ。特に、向こうに用事があったわけではない」
「そうなんだ、お散歩、とか?」
お散歩。真田くんがお散歩。似合わないな。
「そうではない。ただ、幸村が」
「え? 幸村くん?」
「ああ、困っている女生徒が居るから助けてやったらどうだと。目端のきく男だからな」
「そうなんだ?」
それで、真田くんが? なんだか、不思議な話のような。幸村くん自身がどうこうではなくて、真田くんに頼むっていうのは。
「どうした?」
「もしかして、私避けられてるかな」
その可能性は、否定できない。もしかして、毎朝のすきです、が鬱陶しいのか。そう思われていても仕方ないのだけれど、いざ、そうなのかな、と思うと、結構ずしりとくるものだ。
「みょうじ、幸村はもし相手に短所があれば、それを堂々と目の前で伝える男だ」
真田くんの揺るぎない声が、耳に重く響く。
「むやみに相手を避けたり、影で悪口を叩くようなことはせん。むしろ、それはあいつが一番嫌う行動だ」
「真田くん、私、」
「後ろめたいことがないのなら、堂々としていろ」
見上げた横顔は、しっかりと前を見据えていて。ああ、きっと真田くんは、私なんかよりもずっと幸村くんを知っていて、信じていて。
「私、真田くんみたいになりたいなあ」
思わず、こぼれ落ちた呟き。真田くんはこちらを顧みて、少し眉根を下げた。
「想像はできんが、その、頑張れ」
「ありがとう」
私はお礼を言って、精一杯笑った。今できることはそれだけだった。
でも、これからできることはいっぱいある。
あるはずだと、信じたい。
12 サイコロは1を指す