夏が翻る
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放課後、私はいつもの非常階段に向かうべく、荷物をまとめていた。今日は数学の課題をしながら、練習を見学しようか。それならノートと教科書さえあれば何とかなるだろう。
必要なものを詰め込んで、ドアを潜ろうとした瞬間だった。
がしり。
片手を拘束される。
「丸井くん?」
「もう俺たちを助けられるのは、お前しかいねえんだよ、みょうじ」
私を引き止めたのは、絶望とも言える表情の丸井くんだ。
「何、魔王でも襲来したの?」
「似たようなもん」
ずるずると引きずられ、丸井くんの席に座らせられると、正面にはふわふわの髪の毛の、見知らぬ男の子が机に突っ伏していた。あれ、彼、見たことがあるような気がする、けど誰だっけ。
そして、その横では仁王くんが数枚のプリントを広げている。
「おう、みょうじ」
仁王くんはこちらに気付くと、けだる気に挨拶をよこしてきた。
「おう、仁王くん。これ何、どういうこと?」
「あ、スケッチブックの人」
私の声に反応して正面に座っていた男の子が顔をあげて。少しつり上がった猫目が私を捉えた。
「あ、思い出した」
確か、テニス部の切原くん。
「ていうか、スケッチブックの人って何」
「時間ないから、細かいことは気にするな! 実は、赤也が英語の小テストで赤点取って課題を出されたんだけど、その期限が今日までなんだと」
早口に説明する丸井くんを横目に、ばつが悪そうに切原くんは俯く。
「確かに、それはピンチだね」
「しかも、赤点がバレたら真田の鉄拳制裁が待っとる」
仁王くんの補足に、私を記憶の中を探る。さなだって、あれだ、真田くんだ。もちろん、私も知っている。テニス部の有名人の一人でもあり、私にとっては風紀委員の怖い人でもある。抜き打ちの服装チェックの時など、校則違反はないとわかっていても威圧感にビクビクしながら彼の前を通り過ぎていた。『真田の鉄拳制裁』など、聞くだに恐ろしい。
「つまり、この課題を部活が始まる時間までに終わらせるってことだよね?」
時計を見上げて、もう、時間まで15分もないことを悟る。広げられたプリントは3枚。どう考えても終わらない。無理に決まっている。
「ねえ、真田くんに素直に謝っちゃった方がいいんじゃないの?」
「む、無理っす! 先週も遅刻で殴られたばっかりなんすよ! 助けて下さい、スケッチブック先輩!」
「そりゃ、助けになるなら手伝うけど」
私とて、英語が大の得意というわけではないのだ。どれだけ戦力になれるかわからない。
「ぐだぐだ言っとる間にも、時間は過ぎるぜよ。とにかく、俺とみょうじは1枚づつプリントを、ブンちゃんはそのプリントを赤也と終わらせるんじゃ。ええな」
そう言った仁王くんは、さっとプリントとルーズリーフを配った。同じクラスになってからも話す機会がなかったせいか、それともよく授業をサボっているせいか、ぐだっとしたイメージしかなかった彼だが、今はものすごく頼りがいのある男に見えた。
「みょうじは答えをそこに書きんしゃい。筆跡でバレたら全部水の泡じゃ」
私が書いた答えを、後で切原くんが書き写すということか。
「うん、わかった」
雰囲気にのまれ、焦る気持ちで頷いてプリントと向き合う。内容はわりと簡単なものが多くて、一年生で習うようなことが大半だ。よかった。これなら、そう時間もかからないかもしれない。
見えかけた希望だったが。
「馬鹿、そこはdoesだろぃ」
「だずってなんすか」
「doのさんにんしょー」
「さんにんしょーってなんすか」
「説明してる時間ねえから、とりあえずdoesって書いとけ」
そんな、頼りなさ過ぎる会話が聞こえる。大丈夫なのか。私たちは今、レベル1で魔王に挑んでいるようなものなのではないか。
ものすごい不安に駆られるが。横の仁王くんは、安定したスピードでルーズリーフに答えを綴っていた。きっと仁王くんはレベル20くらいはあるに違いない。今、私の中で仁王くんの株は急上昇中である。レベル20の安心感といったらないのだもの。
そう思った矢先。現実はそうそう甘くはなかった。
「やべえ、そろそろ部活始まるぞ」
丸井くんの声に時計を見れば、もう2分もすれば部活の始まる時間。一瞬だけ手元も止まって、完全な沈黙が教室を支配する。
ここは、最後の手段を使うしかないか。
「……丸井くん、ここは私たちに任せて、先に行って」
「みょうじ、それ死亡フラグ……」
「いや、実は丸井くんの死亡フラグだよ。先に行って、何とか真田くん達を誤摩化して時間稼いでほしいなって意味だから」
「はっ、その手があったか! スケッチブック先輩、ナイス!」
「赤也、ナイス、じゃねえよ!ぜってーむり! 真田はともかく、幸村くんにはバレんだろ」
うわあああ、と頭を抱える丸井くんを、仁王くんは遠い目をして見た。
「ブンちゃんは犠牲になったんじゃ……」
「やめろ、冗談にならねえええええ」
でも、今はそれしか手がないのだ。問題を解くのは仁王くんが一番早いのだし、私がテニス部行くわけにも行かないし、もちろん切原くんが抜ければ本末転倒だ。
「丸井くんしかいないんだよ……」
「分かったよ、俺が死んだら骨は拾えよぃ」
死んだ目で席を立った丸井くんを見送る暇もなく、私達は再び問題に取りかかる。ここからは、今まで解いた問題を切原くんが書き写している間に他の問題を解ことにした。どうせ、切原くんは問題を解く意味では戦力にならないのだし、これが一番早い。
それから、10分後。やっと最後の問題に辿り着き。
「canの後だから原型だよ」
「げんけー……?」
「beじゃ、ビーイー」
「で、できたあああああああ!」
がしり。
私たちは達成感に三人で抱き合った。やっとの思いで魔王を倒すことができたのだ。これで、世界の平和は保たれたはずだ。そう、レベル1の勇者キリハラが勝利を勝ち取ったのだから。
結局、都合30分弱。目標の倍の時間かかったことになるが、贅沢は言うまい。
「それじゃあ、これ提出してきます! ほんとにありがとうございました!」
言って駆け出す切原くん。やれやれ、と私と仁王くんは息をついた。
「みょうじ、お疲れ。巻き込んですまんかったな」
「ううん、楽しかったよ」
「そうか」
「仁王くんも、お疲れさま」
「ま、可愛い後輩のためじゃき。しかし、俺らはようやりきったな、相棒」
「そうだね、頑張ったよね、相棒」
す、と仁王くんが手を上げたので、ハイタッチに応じれば、彼はにやりとシニカルな笑みを浮かべた。
「さて、俺はブンちゃんの骨でも拾ってくるかの」
「いってらっしゃい。丸井くんに君の犠牲は忘れないって伝えといて」
「任せんしゃい」
頼れる男、仁王くんが教室を出て行くのを、勝利の余韻に浸りながら見送る。今度、テニス部の練習を見学する時は、仁王くんのことも応援しよう。
なにせ、相棒の称号まで頂いたのだから。
11 三十分冒険の顛末