夏が翻る
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今日のみょうじは上機嫌だ。
昨日のスケッチブック作戦は失敗したのにどういうことかと聞けば、幸村くんにありがとうと言われたのだという。お前、それバカにされてんじゃねーのと思ったが、本人がいいと言うんだからいいんだろう。たぶん。きっと。そのはず。
なのに、なぜずっきりしないのか。
「あー、あー、あああああ」
「なんじゃ、燃料切れか」
ほれ、と仁王から差し出されたソーダキャンディを受け取って、口に放り込む。パチパチと口の中で弾けるそれを舌の上で転がしながら、俺は机に肘をついた。
「ちげーよ」
「そういう割にキャンディは受け取るんか」
「うまい」
そうか、というさして興味のなさそうな返事。興味ないなら広げんな、と心の中で毒づく。今日の俺は、相当機嫌が悪いらしい。
「雨だし、やる気おきねーし、もやもやするし、ばっかじゃねーの」
俺のとりとめのない愚痴に、仁王はやっぱり興味なさそうにそうじゃな、と相槌を打った。ジャッカルだったらもっと愚痴の言い甲斐のある返事が返ってくるところだろうが、残念ながらあいつはクラスが違う。
わあ、と色気のない歓声が上がって視線をやれば、みょうじが友人とじゃれているのが目に入った。昨日はこれでもかというほど落ち込んでいたみょうじなのに、幸村くんの一言でもう復活している。俺がこんなにもやもやしているというのに、現金な話だ。そう思うのが自分勝手だということもわかるけれど。
「あーもー! なんだよあいつ!」
「そうじゃな」
また、その興味なさそうな返事か、と思いきや。
「みょうじもブンちゃんに乗り換えたらいいのにな?」
「は?」
「最近、ブンちゃんはみょうじ贔屓じゃろ」
ニヤニヤと目を細めながら、仁王は挑発するような視線をこちらに向けていた。
「ねーよ、それはねーだろぃ。友達、だし」
友達だ、とあいつも言っていた。だから、友達なのだろう、と思う。友達だから、簡単に幸村くんに振り回されている彼女が心配なのだ。
「そんだけだし、多分」
言えば、そうか、とまた興味のなさそうな返事が返ってきた。仁王は『お前の返事など聞かなくても真実はわかっている』とでも言いたげだ。腹立たしいが、余計なことを言ってからかいのネタを増やしたくもなくて、結局俺は口をつぐむことしかできない。
口の中のソーダキャンディがぱちりと弾ける音がした。
***
雨のせいで、部活はほとんど筋トレ。つまらないことこの上ない。赤也にカラオケでもと誘われたが、今日はそんな気分でもなかったから断ってしまった。いっそ、大声でも出せばスッキリしたのだろうか。
いや、やっぱり今日はまっすぐ家に帰ろう。
さっさと支度をして、校庭を早足にすり抜けようとした時だった。傘をささないまま、のんびりと歩くみょうじが目に入る。
何やってんだ、あいつ。
「みょうじ!」
「お、丸井くん。部活終わったとこ? お疲れ様」
「何のんきなこと言ってんだ! 傘、持ってきてなかったのかよぃ?」
「いや、持ってきてたんだけど、フツーのビニール傘だったから誰かが持ってちゃったみたい」
失敗したなあ、なんてのんきに笑うみょうじ。ばっかじゃねーの。軽く叩けば、痛い痛い、とオーバーリアクションが返ってきた。
傘に入れてやろうと近づくと、濡れたせいでぴったりと肌に張り付いたみょうじのシャツが目に入る。思わず、うっすらと透ける下着に目がいってしまった。視線でたどれば、みょうじの黒い髪が鎖骨にしっとりと張り付いていて。
こういうの、なんと言うんだったか。生々しい、いや、なまめかしいか。
いや、違う、みょうじ相手に何を考えてるんだ。透けてると指摘するべきか迷って、けれど言えず。
「あーもーお前ほんと馬鹿だな! 持ってろよ!」
みょうじに傘を押し付けて、自由になった手でスポーツバックからジャージを取り出してかけてやる。
「あ、ありがとう。でもジャージ濡れちゃうから」
「もう濡れただろぃ。ちゃんと洗って返せよ」
「了解、イロつけて返すね」
楽しみにしててね、などと宣って、みょうじは俺のジャージを肩からかけたまま胸辺りでかき合わせる。視界から濡れたシャツが遠ざけられたことに、安心と残念が半分ずつ。いや、だから何考えてんだ、俺は。
髪を避けてやろうと伸ばした指は、結局、彼女にたどり着くことなく重力に負けてしまった。俺に、どうしろって言うんだよ。俺は、どうしたいっていうんだよ。
「ほんと馬鹿だよな」
俺も、お前も。
翌日、チョコレートと一緒に戻ってきたジャージからは、彼女に似た柔軟剤の香りがした。
10 ぬかるみの中の君