夏が翻る
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翌朝は、雨だった。私は玄関にあったビニール傘を引っ掴んで、慌てて家を出る。
ぱしゃり、ぱしゃり。
水を蹴る度に、靴下が水分を含んで気持ち悪い。ああ、どんどん憂鬱な気分になっていく。
いや、私のこの気分は雨のせいだけじゃないのだ。昨日、丸井くんからスケッチブック作戦の失敗を知らせるメッセージが来た。『すきです』のつもりが『すきすで』になっていたと。友達に泣きついたら、問題点はそこじゃない、と怒られたけれど。
ちなみに幸村くんは、大笑いしていたらしい。やらかした。また、やらかしてしまった。
心臓は重くなっていくけれど、幸村くんに会いたいという気持ちが私を学校へと急がせた。
すると、彼はもうそこにいて。灰色の空の下の幸村くんは白い肌がいっそう白く映えて、今にも滲んで消えそうだった。とんとん、と傘の水気を切る彼の隣に並んで、上がる息を整えて。
「おはよう幸村くん、今日もすきです」
「おはようみょうじさん、今日もごめんね」
華麗なごめんねを頂きました。最後まで聞いてくれただけ、昨日よりはましだろうか。傘を持っていてマシュマロを取り出せなかっただけのような気もするけど。
あ。
彼の手元の傘を見れば、ビニール傘。
「幸村くん、お揃い!」
私が手にしていた傘を示して言えば、幸村くんは少し笑った。いつものふわふわした微笑みより、ちょっと毒の混ざったかんじの。ひらたくいえば、ばかにされてるかんじの笑い方。
「たくさんの人とお揃いだけどね」
「た、確かに何の変哲もないビニール傘だけど」
「でも、俺はビニール傘、好きだな」
「え、お揃いだから!?」
「雨粒越しに見える景色がきれいだから」
「……そんなことだとおもったけど」
幸村くんが私とお揃いを喜ぶはずがないことなど、私にだって分かっているが。ちょっとくらい夢を見たっていいじゃないか。
でも、雨粒越しの風景、か。手元のビニール傘を見やって、少し考えてみる。今朝はいつもより少し遅くなってしまったから急いで学校に来たし、風景を楽しもうなんて、考えたこともなかった。
「幸村くんは、雨の日すき?」
「うん、雨の日も好きだよ」
「そっか」
顧みると、幸村くんはもう上履きに履き替えていて。そういえばいつもより少し多くお話しできたのは、傘を仕舞わなければならなかったからか。そう思えば、少し雨に感謝したくなる。私も、少しは幸村君のすきな雨の日の風景というのを楽しんでみようか。
私は上履きに履き替えるのをやめて、再び傘を開いた。
「みょうじさん、どこいくの?」
「お散歩。私も雨粒越しに見える景色を見てみようかなって」
くるりと傘を回してみれば、そっか、と幸村くんは笑った。あ、今度はちょっと優しい笑い方。
「そういえば、昨日のスケッチブックの『すきすで』、面白かったよ」
「お、おもしろかったって……」
受けを狙ったわけではないのだけど。笑みを深くする幸村くんに、私はうなだれるしかない。ああ、やばい。恥ずかしくて死んでしまいそうだ。
「ありがとう」
「え?」
ありがとう、って。何に対するお礼なんだろう。聞き返したくても、すでに幸村くんは歩き出していて。
笑わせてくれて、ありがとう?
それとも、すきです、に対するありがとう?
だとしたら、ごめんね、以外の返事を初めてもらったことになる。どっちだろう。どっちなんだろう。いや、どっちでもいいか。例えどんな意味だったとしても、幸村くんにありがとうと言ってもらえるようなことが私にできたんだから。
ぱしゃり。
上機嫌で踏み出せば、水が勢いよく跳ねた。雨粒に滲む景色は鮮やかな緑をいつもより濃く写し、傘を回せばしぶきはきらきら光って飛んで行く。
雨が上がれば、虹が出るかもしれない。
ああ、今日はいい日だ。
09 レイニー・ハニー