短編
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ぴりり。
首筋に痛みが走った。
覆い被さるようにして、こちらを見下ろすサエ。たぶん、首筋に跡をつけられたのだろう。独占欲なのか癖なのかよくわからないけれど、彼は存外それが好きだった。
「サエ」
「どうしたの?」
彼の声が、嫌に涼やかに響く。私を覗き込むその端正な顔だって涼しい、どころか初夏の海岸にでもいるかのような爽やかさをたたえていた。
しかし、その背後ではいかにもラブホですと言わんばかりに毒々しいネオンピンクのライトが忙しなく瞬いている。サエはこの空間から酷く浮いていた。このあほみたいなピンク色のせいでそれに拍車がかかっている。ライトがいじれることに気付いて悪乗りしたのはほかでもない私だけど。
そんな如何わしい空間で四肢を投げ出している私はきっと陳腐でありきたりで、サエとはまるで正反対の存在なのだろう。
少しの寂しさと苛立ちを感じて、私は思考を別の方へ飛ばした。
「海、行きたい、ね」
「どうしたの、突然」
「ん、サエはラブホより海が似合うなって、なんとなく」
「海でしたいの?」
「殴るよ」
「ははっ、冗談だよ」
楽しそうに目を細めたサエ。その笑い方がいつもより少しいじわるで癪にさわったから、私はぺしりと彼の頭をはたいた。痛いよ、なんてさして痛くなさそうな声が反ってきたから、もう一度はたいてやる。
ああ、何でこうも苛立つのか。
「なまえ、痛いって」
「サエがわるい」
「俺のせい?」
「ううん、半分八つ当たり」
「じゃあ、ごめん」
じゃあってなんだ。本当にサエのせいじゃないのに謝って、そうじゃないなら謝らないつもりなのか。サエの言葉が不可解で、だから私もごめんって謝るタイミングを見失ってしまう。
くすくす笑いながら、もう気は済んだ?なんて軽い調子で告げ、サエは私の心臓に口付けるものだから、なおさら。
「っ、」
本能的な悲鳴を無理やり喉の奥へ押し込め、彼の肩を押し返した。嫌だった。彼に触れられることが、じゃない。ただ、汚い欲を引きずり出されてしまうことが、俗悪な部分を彼の前にさらけ出すことが。だって、私に比べて、彼はあまりにも綺麗なのだ。綺麗すぎるくらいに。
「も、今日はしない」
「なんで?」
「気分じゃない、だけ」
適当にごまかして、もう寝てしまおうと横を向けば、彼が私の肩にキスを落とす。きっと、私の態度が気に入らなかったのだろう。
「なまえ」
何度も何度も、肩に、腕に、指に口付けは繰り返されて。長い指はお腹の下のあたりを核心には触れずに、焦らすようにいったりきたり。
「ね、サエ」
たまらなくなって名前を呼べば、思った以上に物欲しそうに響いた。甘ったるい自分の声に耳を塞ぎたくなる。ああ、それとも口を塞ぐべきだろうか。
けれど、私の手は私の口に届く前にサエに捕まってしまう。
「欲しいの?」
私は答えられない。答えたくない。
「俺はね、欲しいって言って欲しいな」
なまえ、とねだるように名前をささやかれて、私は彼を見上げた。彼は淡く微笑んだまま、私の言葉を待っている。ずるい。彼はその優しく綺麗な笑顔でもって、私のちっぽけな自尊心を丸めてポイと捨てようとしている。そして、それを許そうとしているのは他でもなくこの私なのだ。
「欲しい、ちょうだい」
言ってしまった。ああ、結局こうなってしまう。ごめんね、ごめんなさい。わがままで、欲張りで、はしたない私で、ごめんなさい。
「うん、あげる」
彼がまた、綺麗に笑った。どんな欲も込められていない、真っ白な笑い方。それなのに、私の体の芯はジワリと焼かれてしまう。
ねえ、サエ。私はあなたにふさわしいかな。
そう聞きたかったのに、サエがまた私の心臓に口付けたから言葉なんてふっ飛んでしまった。柔らかな体温は私の全部の感覚を溶かしていく。曖昧な苛立ちも、つまんない疑問も、色んな感情とごちゃ混ぜになってもう見つからない。
緩やかに拘束されたまま、私は目を閉じた。
足らなくなった酸素を求めて深く息をすると、安っぽい洗剤の香りが肺を満たす。
「好きだよ」
信じられないくらい甘い声。ピンク色のライトに染められたサエと白いシーツが、脳みその奥で瞬いた。
このまま窒息死するのも悪くないと、そんなことを考えている私はもう。
ネオンピンクの海に沈んだ
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