短編
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ささめく右耳の続きです。
がらんとした、広くて綺麗なリビング。私と、名前も知らない観葉植物だけが言葉もなく呼吸だけを繰り返している。勉強を教えてやる、と言い出した張本人がなぜいないのか。
「謙也、あいつまじ……」
私は空になったマグカップをテーブルに戻して息をついた。ソファの座り心地はとても良くて、空調もちょうど良くて、文句はない。
ないけれど、意味が分からない。
謙也はコンビニ行くと言って出て行ったきり、戻ってこない。『白石から連絡来た』と言うメッセージを一通よこしたものの、1時間も帰って来ないのだ。もしかして、謙也は白石君のところに行ってしまったのだろうか。勉強を教わりに来た友達を放置して? いやいや、いくら謙也と白石くんの仲がいいからって、それはさすがにないと思いたい。
テストまでは、あと5日だ。
正直、私は謙也をあてにしていたし、甘えたことを言うようだが一人ではなかなか捗らない。苦手科目なら、なおさら。
と、廊下に響く足音。やっと帰って来たかと思いきや。
ガチャリと無遠慮に開いたドアの向こうにいたのは、なぜか財前くんで。
「あ、財前くん。あ、ええと、お邪魔してます?」
「なまえさん。ここ、俺のうちと違いますけど」
「あ、そっか。じゃあ、いらっしゃい」
「なまえさんのうちとも違いますやん。ま、ええですけど」
「財前くんも謙也に勉強教わりに来たの? 謙也なら、コンビニ行くって言って1時間も戻ってこないんだけど」
「さっき、道端で会いましたわ。なんや、すぐ戻る言うてました」
彼は興味もなさそうにそれだけ告げると、無造作に鞄を置いてブレザーを脱いだ。自分の家ではないと言いつつ、我が物顔である。
「あと、この間はキャンディーありがと。レモン味おいしかった」
「あー、よう覚えてましたね、そんなこと」
「うん、えっと……好きな味だった」
「あれ貰い物だったんで俺は詳しく知らないんすけど、気に入ったんなら今度聞いときますわ」
「えっ、いいよ、自分で探すよ!」
「じゃあ機会があればってことで」
そこで話を切った彼は、テーブルの上のマグを回収して台所へ向かった。
「あ、ごめん」
洗ってくれるのかと思ってソファを立とうとすると、手で制されたのでここは甘えておこうと座り直す。
それから少しして、戻って来た財前くんはマグカップを二つ持っていた。まさに勝手知ったる何とやらだ。財前くんと謙也は、私が思っているよりも仲がいいのかもしれない。
「どうぞ」
「ありがとう」
受け取ると、カフェオレのいい香りが鼻をくすぐる。
「勝手なイメージで甘めにしましたけど、大丈夫でした?」
「うん、甘いの好き」
「そすか」
一口飲んで、ちらりと横を見やる。両手で包むようにしてマグカップを持つ彼は、ちょっとかわいい。普段クールだから、なおさらそう思える。
「何、笑ってるんすか」
「手、冷たい?」
かわいい、とはさすがに言い難くて、考えていた事とは違う言葉を選んだ。
「まだ、ちょっとだけ。今日寒かったし」
「だよねえ」
「なまえさんは、寒くないんすか? ブランケットありますよ」
「大丈夫、この部屋はちょうどいいくらい」
ありがとう、と告げれば、財前くんはちょっと笑ったようだった。
「今日は緊張しないんすね」
「私もちょっとは財前くんに慣れたってことかな」
独特のテンションも、2回目となると何となく掴めて来たような気がする。前回よりも、圧倒的に会話が続いているのがその証拠だ。
「ほんまに?」
すう、と財前くんの目が、面白がるように細められたと思ったら。唐突に伸ばされた手が、私の頬をかすめる。思った以上の冷たさに、びくりと体が震えた。するりと滑らされた指は、くいと私のあごを持ち上げて。
あれ、これじゃあまるでキスされるみたい。いやいや、そんなこと。そんな、こと。
あ。
ダメだ。
触れた部分からじわりと体温が混じって行く。いたたまれない。
「つ、冷たいね」
誤魔化すように零れたのは、馬鹿みたいにそのままの感想だった。
「……この雰囲気でそれ言います? 小学生でももっとマシなセリフ言いますわ」
「一応、私、年上なんだけど」
「知っとります」
ため息をついた財前くんが、手を下して。だから今度は私が手を伸ばして、彼の手を取った。驚いたような表情を向けられて、少しの優越感。ふふん、と上機嫌な笑い声が溢れてしまう。
すると、財前くんは、拗ねたように眉を寄せて、小さく呟いた。
「手、熱い」
「財前くんも、私と感想変わんないじゃん。小学生じゃん」
「何なんすか、そのドヤ顔」
「私たち、案外気があうかもよ」
「ありえませんわ」
「いじわる」
「この程度で拗ねんの、やめてもらえます? めんどくさいんで」
面倒、と言いつつ、私をまっすぐに捉える目は楽しそうで、少し優しい。だからだろうか。指がからむように組み直された手を、振りほどこうと言う気にはならなかった。それに、混じってぬるくなって行く体温は心地よくて。
せめてカフェオレが温かいうちはこのままでもいいかな、なんて。
指先の行き先
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