短編
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『もんじゃ・お好み焼き』と書かれた赤い暖簾をくぐると、途端に香ばしい匂いが広がる。
少し煙たくて狭い店内には、簡素なテーブルと鉄板がいくつか置かれている他、雑に書かれた古いメニューが並んでいるばかりだ。それでも、それなりに席は埋まっていて、私は座るべき場所を探して視線を巡らせた。
と、大きく手を振る男。私は湧き上がる笑みを噛み殺して、彼の元へと向かった。
***
「豚玉、追加で」
「ちょっとちょっと、流石に食べ過ぎだよ」
太っても知らないからね、なんて口を尖らせながらも、店員さんからボウルを受け取って、生地を鉄板に広げて行く彼の手元をじっと見る。学ランを脱いで、シャツの袖をまくりあげたその腕には、さあどうだと言わんばかりに筋肉の筋が浮き上がっていた。教室で見る後ろ姿からは想像できないな、なんて思う。
そう、千石清純と言う名の彼は、クラスメイトだ。
この店で会うたびに、決まって相席しようと誘ってくるだけで、私たちの間に特別何かがあると言うわけではない。ただ、彼は『女の子』と言う生き物が大好きで、私は彼が率先してお好み焼きを作ってくれるので、楽ができると言う寸法だ。寸法だった、と言うべきか。
実のところ私は、こんな距離が、こんな関係が、もう少し前に進めばいいのにと思っている。
「なまえちゃん、いつも豚玉だよね」
「やっぱ王道がさいこーなんだよ」
「めちゃくちゃわかるよ、その気持ち。でも、少しは気を使ったらいいのに。なまえちゃん、可愛いから、すぐモテモテになっちゃうよ?」
指から顔に視線を動かせば、憎たらしい笑顔の千石がいた。なんでそんなドヤ顔なんだ。
作り物みたいなオレンジ色の髪の毛が、安っぽいライトを透かしてきらきら光っている。
「うっさい、余計なお世話。気なんか使わなくてもなまえちゃんは可愛いでしょ」
「はいはい、可愛いね」
「やだ、千石くんたら! そんなこと言ってるとおたふくソースぶっかけちゃうぞ!」
「なんで! 可愛いって褒めたじゃん!」
「適当だってでしょ、ばあか」
かわいくないのも、素直じゃないのも、口が悪いのも、あいにく生まれた時からだ。
「ね、早く。お腹減った」
「はいはい、俺が綺麗に裏返してあげるからね」
「失敗したら笑ってやる」
「えええ、応援してよ! 俺の優しさをドブに捨てないで!」
「うそうそ、ありがと。嬉しくて涙が出て来た」
「よしよし、もっと感謝しなさい」
おいしそうな香りが立ちこめて来たので、調子のいい千石の台詞は聞かなかった事にして私はお皿とソースを引き寄せてスタンバイ。
くるり、と綺麗な弧を描いてお好み焼きがひっくり返る。
「俺、目瞑っててもひっくり返せる自信あるよ」
ふふん、と得意げに笑う彼に、私も口の端をあげた見せた。
「その話、前回も聞いた」
「なまえちゃん、いつも返事してくれないから、何度も言わないと」
「千石にいちいち返事してたら面倒な事になるじゃん」
「どういう意味」
「千石は面倒くさいって意味」
面倒くさいとこも、なんだか可愛いって意味。なんて、言えないけど。
「だからなまえちゃんはさー、あ、皿貸して。今がベストタイミングだよ」
「わ、おいしそ! お願いしまーす」
ふわふわに焼けたお好み焼きにソースとマヨネーズと青のりが綺麗にトッピングされて行く。うん、たまらない。本人はもんじゃ派だと聞いたことがあるが、お好み焼きを焼くのだってこんなに上手いんだから大したものだ。
「はい、どーぞ!」
「ありがとう、いただきまーす」
待ってましたとばかりに箸で割って口いっぱいに頬張る。
「うま、千石のお好み焼きさいこー。結婚しよ」
「やめて、俺の価値がお好み焼きだけみたいに聞こえるから! 求婚されてんのに傷つく! って、何の話してたんだっけ?」
「千石が面倒くさいって話?」
「ああ、そうそう。だからさ、君って本っ当に天の邪鬼だよねえ」
「そうかな。本能のままに生きて食べてるよ」
「うん、食べてるのは見ればわかるけどさ」
「ねえ、言葉に棘がありませんか、千石さんや」
「俺が言いたいのは、そういうことじゃなくて。なまえちゃん、俺に会うためにこの店来てるでしょ?」
何気ない語調で発された一言に、私の箸はぴたりと止まる。
そうだ。
彼の言う通り。
私は、千石との下らないやりとりが好きだ。千石の口元で三日月の形に弧を描くみたいな笑い方が好きだ。無駄に器用な指先が好きだ。薄情そうな薄い唇が好きだ。大げさなリアクションだって、ちょっとお節介なとこだって、全部。
好き、だ。
なんで、いつ、ばれたのか。
恐る恐る顔を上げれば、不安そうに眉を寄せて私を覗き見るようにしている千石がいた。
「え」
何それ。何で私じゃなくて千石がそんな顔するの。嘘でしょ、さっきさらっと言ったくせに。ねえ、ちょっと耳赤いじゃん。
「あ、あのさ」
私ちょっと期待しちゃっていい感じ? こんなによく会うの、偶然じゃない? いつも相手してくれるの、私だから? そんなにわかりやすく緊張するの、なんで?
「もしかして、千石も私の事好き?」
「へ? なまえちゃん、いや、え? 『も』って?」
「あっ」
やらかした。思わず逃げようと腰を浮かせば、千石の手が私の手を掴む。触れた手が熱い。ジリジリするくらい。いや、下が鉄板だからか。なんだこれ、馬鹿みたいだ。
「ごめん、いや、絶対否定されるって、思ってた。秒で笑い飛ばされるって、思ってたんだ」
「だって、」
「待って待って、なんも言わないで! 俺、ちゃんと言うから、やり直しさせて!」
馬鹿みたいなのに、心臓の脈打つ音が嫌に大きく聞こえる。耳元でどくどく言って、落ち着かない。どうしよう、そんなに、真剣な目で見ないでってば。もう、私にできることなんて小さく頷くことだけ。
それでも彼には満足な返事だったらしく、ラッキー、などと的外れな言葉を嬉しそうに呟いていた。
「俺は、なまえちゃんが世界で一番すき」
隣の席で、じゅわりとお好み焼きの焼ける音。いや、今のは私の心臓が焦げた音。安っぽい店で、安っぽい世界一に、私の安い心臓はもうダメにされてしまった。
「私も、すき、ばか」
「ほら、天邪鬼」
千石がクスクス笑うから、繋いだ手から振動が伝わってくる。ああ、もう、ねえ、もうだめなんだって。
じゅわじゅわ、これ以上焦がさないでってば。
心臓が焦げる音
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