短編
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パチリ、とホッチキスでプリントを止める音が教室に響く。
遠くからは運動部の掛け声と、かすかなエンジン音、それから波の音。緩やかな午後は、そろそろ夕方へと変わろうとしている。
それでも、隣の男が動き出す気配はない。
「ほんと、ばかじゃないの」
「馬鹿とはなんだ!馬鹿とは!!」
「うるさい、つば飛んだ、暑苦しい」
「なっ、俺を愚弄しているのか!」
「だから声が大きいって、真田」
すまん、と気まずそうに語気を弱めた彼は、何を隠そう我が風紀員の委員長様である。きちんと制服を着こなし、とても同い年には見えない大人っぽい目鼻立ち、鋭く隙のない雰囲気と相待って、どうにも取っ付きにくい男なのだ。
が、今日は少し違う。
彼は今、大きな体を小さく縮めて、無為にプリントの乗った机を眺めている。委員会の仕事は今日中に終わらせなくちゃいけないのに、困ったものだ。
その原因は、幼い甥っ子に『嫌い』と言われたことらしい。そもそも、どうしてそんな言葉を言われるに至ったかと言えば、甥っ子にガールフレンドができたと聞いて真田がまだ早いと叱ったのだとか。そりゃ、嫌いと言われたって仕方ない。
「まだ小さいんでしょ? お気に入りの女の子とおてて繋いで遊んでたって可愛いもんだよ。早いも遅いもないでしょ」
「ばっ、馬鹿者、何か間違いがあったらどうする!」
「ばかはお前だ。どう間違いが起こんの。もういいよ、どーてーこじらして爆発したらいいよ」
「みょうじ!女がそう言う下品な言葉使うな!」
「真田は私のなんなの、お母さんなの?」
思わず突っ込めば、真田は少し首を傾げて考えるそぶりをした。かわいいはずの仕草も彼がすると非常に不愉快なのは何故なのだろう。
「どちらかと言えば兄ではないか」
「真田みたいなお兄ちゃんがいたら、生涯彼氏できなさそう。絶対いや。ていうか、タメじゃん」
「お前はどこか頼りないからな。世話のかかるやつだ」
ふ、と口の端を上げ、彼はくしゃりと乱暴に私の頭を撫でた。ああ、せっかく整えていた前髪が。文句の一つでも言ってやりたいけれど、言ったらこの無骨な手が私から離れていってしまう。だから、言えない。
「ばかなんじゃ、ないの」
思わず呟いた言葉は自分に向けたものだったけれど。
「そう、だな」
きっと、彼はそうは思わなかったに違いない。
「真田は」
「ん?」
「ばかでうるさくて暑苦しくて、ばかで」
それでいて、勉強だってできて、部活でだって活躍してて、大人っぽくて、たまにどこか遠く感じる存在で、私になんとも言いようのない感情を突きつける。なんてずるいやつなんだ。
「おい、馬鹿とはなんだ」
「なんだってそのままだよ。真田はばかなの」
「おい」
「でも、みんなから愛されてるよ。委員会のみんなだって、真田のこと信頼してるの知ってるよ。部活の子たちだってみんな真田のこと好きだし、甥っ子くんだって、本当は懐いてんでしょ」
私の言葉に、真田はみるみる赤くなっていった。面白いほどにわかりやすいその様子に、思わず私は吹き出す。
真田はやっぱりばか。馬鹿に素直で、ちょっと可愛い。本当は、ずっとそうして年相応の表情をしていてほしい。ずっとずっと、私の言葉に馬鹿みたいに一喜一憂してくれたらいいのに。
「な、何を、急に!」
「別にー?」
彼はきまり悪そうに視線を彷徨わせて、そして最後にはぴたりと私に視線を止めた。
「では、みょうじは」
「私?」
「お前の言う『みんな』の中に、みょうじは入っているのか」
まだ耳まで真っ赤に染めたまま。
それなのに、てらいもなく真っ直ぐにそんなことを問うてくる彼は。
「ばか、なんじゃないの」
そんな答えの決まりきったことを聞いて、私の顔を真っ赤にして何が楽しいのか。
ああ、本当に真田は馬鹿だ。
ばかとはつみでありひごうである
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