短編
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窓の外では、雪が降っている。明け方から降り始めたそれは、すでに校庭を真っ白に塗り替えていた。まだ降り続いているから、雪遊びができるくらいには積もるだろう。
教室に入ると、私の席にはすでに誰かが座っていた。遠くからでも、太陽みたいな色の髪の毛で誰だかわかってしまう。千石くんだ。彼はこちらに気付くと、へにゃりと相好を崩し大きく手を振る。
「おはよう、なまえちゃん! 今日も可愛いね、放課後、デートしない?」
「おはよ、千石くん。今日もテンション高いね。ちょっと黙ろうか」
「黙ったらデートしてくれる?」
「まずは黙ってみて?」
いつものやり取りは、打てば響くようなテンポ。彼の冗談には慣れきってしまって、もう愛想笑いさえ出てこない。
「相変わらずクールだなあ。そこがいいんだけど」
そんな馬鹿みたいな言葉が本気だったら良いのにって。そう思うことも、なくなってしまった。
「クールな性格じゃなくても、毎日見境なく誰でもデートに誘う人を目の前にしたら、みんなこうなるの」
「ええ、見境なくってわけじゃないのに」
「じゃあ、どういう基準?」
「可愛い子」
「可愛いの基準は?」
「女の子であること」
だめだ、こいつ。こういうやつなんだ。まだ冷たい教室の空気に息をにじませて、私はこめかみを抑える。
「それを見境ないっていうんだよ。ところで、一限の数学の課題、どうした?」
「もっちろん写してきたよ!」
「いや、課題って写すものじゃないよ?」
彼が私の椅子から退く気配は一向になかったので、私は彼の正面に立ったまま鞄を置いた。コートのポケットから携帯を取り出して、マフラーをほどいて、コートを脱ぐ。鞄から必要なものを取り出して、教科書は。それは、机の中に入れられないから千石くんがここからいなくなったらにしよう。退いてって言って教科書を用意するより、今は彼と話していたい。
「小さいことは気にしない、気にしない! 俺たちはまだ若い、明日は希望に溢れてるんだぞ!」
「へえ、そうなんだ。良かったね」
「なまえちゃんだって青春謳歌したいでしょ? 今日、放課後デートしようよ、ね! 受験も終わったんだしさ」
「寒いからやめとく。帰ってこたつデートならいいけど」
本当は素直に頷きたいけれど、きっと頷いたら後悔するんだろうと思う。だって、私は本当に千石くんがだいすきで、だいすきで。でも、千石くんの言葉は全ての女の子に平等にかけられる挨拶のようなものだ。彼の中で、私は確かに『女の子』ではあろうけれど、友達の枠を超える存在ではなく、特別だなんてことは小指の先ほどもありえないのだろう。
それなのに、デート、なんて。
勘違いしたくなるに決まってる。
私の適当な返事に、彼はそんなのデートじゃない、とか喚きながら泣きまねをしていた。私はそうかもね、とやっぱり適当に返して、近くの椅子を引く。椅子の主のクラスメイトはだましばらく登校してこないから、私がここに陣取っていたって文句を言う人もいないはずだ。
「中学最後の思い出作りをしたいんだよ、俺は! こたつじゃだめなんだって!」
「こたつでぬくぬく、良い思い出じゃん」
「違う!! 何か違う!!」
「じゃあ、どういうのがいいわけ」
「そうだなあ、遊園地とかどう?」
「寒いよ」
「なまえちゃん! 君はうら若き乙女なんだよ! 4月から女子高生だよ!? 華の女子高生なの、わかってる!?」
「はいはい、わかってるってば」
身を乗り出して力説する千石くん。高校生になることがそんなに大事なのか。きっと、今とそれほど変わらないと思うけれど。
変わることと言えば、千石くんともう同じ教室には居られないってことくらい。
「てか、なまえちゃんの受けた学校、都内じゃないって聞いたけど」
「って言っても、埼玉だかんね。すぐ近くだよ。家から通える距離だし」
「でも、俺とは離ればなれじゃん。泣かない?」
「泣いてほしいなら、目薬用意して」
嘘じゃない。
きっと、私は千石くんの前では泣かないよ。きっと、千石くんの背中が見えなくなったら、泣くの。ひとりで、こんな風に教室で話したどうでもいい会話を思い出しながら。
何度も、何度も、思い出しながら。
「ちぇ、少しは寂しがってくれてもいいのに」
「静かになるなとは思ってるよ」
「し、辛辣だなあ、もう」
とほほ、なんて昭和じみた呟きで肩を落とす彼。思わず笑えば、あ、やっと笑った、って言って彼も笑った。
こんな毎日がなくなれば、きっと静かすぎて寂しいけれど、しにたくなるくらい寂しいけれど。それでも、私はきっと笑って千石くんに手を振るんだろう。さよなら、元気でねって。
「春になんて、ならなければいいのに」
ぽつりとひとりでに滑り落ちてしまった言葉は、千石くんには届かずに静かな教室に滲んで溶けた。
この雪がもっともっとこの街を覆い尽くせば良いのにと、そんなことを願うしかできない私はきっと臆病者なのだろう。
***
習慣というものは恐ろしいもので、部活を引退してからは必要もなくなったのに、毎日、朝練の時間に起きてしまう。家でダラダラしていたっていいけれど、それももったいない気がしてしまって、俺は学校へと向かう。
もったいない。うん、そう、もったいないっていうのも、本心。でも、あの子に会えるかもって、そんな期待もちょっとだけ。気まぐれのように朝早くに登校してくることのあるあの子に、必ず会える保証はない。だから、会えたらラッキーってな具合だ。俺は、彼女と二人の空間が、存外気に入っている。
体が芯から冷えるような雪の日に、わざわざ早起きする物好きはどうやら俺一人だったらしい。真っ先に空調のスイッチを入れて、鞄を置いて、それから、何とは無しにあの子の席に座ってみた。俺は少し遠くの、斜め前。ここからなら、ちらっとくらい後ろ姿が見えるかもしれない。そうか、授業中、彼女の視界に入っているかもしれないのか、俺は。
取り留めなくそんなことを考えていると、がらり、と扉を引く音。
なまえちゃんだった。俺はやっぱりラッキー千石なのだ。
彼女と他愛ない話をして、いつも通りデートを断られ、辛辣に応じながらも笑ってくれる彼女に俺も笑って。
いつも通りだった、はずなのに。
「春になんて、ならなければいいのに」
小さく呟いた、彼女の声。寂しそうな、消え入りそうな、けれど紛れもなく、彼女の声だった。
初めて彼女の本心を聞いたようで、どきりとする。聞いてはいけない言葉だったのかもしれない。そのまま、忘れてあげるのが正解なのだろう。そう思う。思うのだけれど、どうにも気になってしまう。だって、春になってほしくないって、つまり離れたくない人がいるってことじゃないか。もちろん、それは友達かもしれないし、単にこの教室に思い入れがあるのかもしれない。でも、俺が真っ先に想像してしまったのは『好きな人』だ。
「あ、あのさ、寒いね」
咄嗟に出たのは、そんな言葉。死ぬほどどうでもいい話。多分、俺は彼女の好きな人の話を、聞きたくなかった。ただ、それだけ。
「そうだね。暖房、ついてるのに」
「外、めちゃくちゃ寒いから、なかなか効かないのかな」
だね、と頷いて、彼女は小さく唇に笑みをのせる。別に、何かがおかしかったわけじゃないだろう。きっと、俺と同じ。考えていた別のことから目をそらす行為。好きな人、からなのかな。誰なんだろう。そいつにデートに誘われたら、君は頷くのかな。俺の誘いは頑なに断るけどさ。
「ねえ、なまえちゃん。やっぱり、デートしない? もう、この際こたつデートでもいいから」
「いいの? 他の子誘ってみなよ、遊園地一緒に行ってくれるかもよ?」
「いいの、こたつの気分だから」
「じゃあ、今度ね」
困ったように、いや、実際困っているのだろうけれど、眉を下げて、彼女は渋々と頷いた。彼女の言う『今度』なんて日は、もしかしたらやってこないのかもしれない。ため息をつきたくなって、けれども飲み込んで、できるだけ明るく見えるように笑みを作って見せた。
「うん、今度ね! 約束したからね!」
「はいはい」
俺の心境を知るよしもない彼女は、やれやれと苦笑して窓の外に視線をやった。
温度差で汗をかいた窓の外は、ぼやけてよく見えない。ただなんとなく、漠然と白いだけ。そんなものを眺めて、何が楽しいのだろうか。俺は彼女の淡々とした横顔を見つめながら、早く雪が解ければいいのにと思った。そうしたらきっと、俺と彼女の目が合うだろう。そうしたらきっと、俺は。
春が、待ち遠しかった。
白い殻
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