短編
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オサムちゃんは、よく私の頭をなでる。親が子供にするように。或は、犬や猫にするように。私はそれがすきだったし、それをされると安心した。甘えていいのサインみたいに思えたから。
とはいえ、それは私だけの特権ではない。オサムちゃんは、みんなにそうする。生徒たちはあまねく彼のいいこいいこを受け取る権利があるのだ。ついでにコケシももらえる。私はコケシよりいいこいいこがいいけど。
放課後、ゴミ捨ての帰りに駐車場を通りかかると、車の陰からゆっくりと立ち上る煙が見えた。青い空に消えていくそれの香りには覚えがあって、すぐにオサムちゃんだとピンときてしまう。来てしまったものはしょうがない。いたずらをしなくちゃ、いけない。
私は足音を忍ばせて車の影を進み、そっと後ろから彼に近づく。
背後からぎゅっと抱きつくと途端に、うわあ、と間抜けな声が上がった。いたずら大成功。
「みょうじか、あーびっくりした」
「へへ、びっくりさせました」
「へへ、やないで。タバコ吸ってる時はやめや、危ない」
「私より煙草が大事なの、オサムちゃんは! 浮気者!」
おどけていえば、頭上から大きなため息が降ってくる。
「灰が落ちたらどないすんねん。自分、やけどするで」
「しないよ、オサムちゃんが気をつけてくれるから」
「どっから来るんや、その自信は」
あきれたように息を吐き出して、それでも煙草の火を消してくれる彼はやっぱりやさしいひとだ。なんだか嬉しくなって、彼にしがみついたままニヤニヤしてしまう。
煙草から解放された彼の指は、ゆっくりと私の髪を滑って行った。いいこいいこ。ただ、生徒への慈しみだけが込められたその手つき。私の心の温度よりずっと落ち着いたそれに、熱がこもることはない。わかっている。そう言う人だからこそ、私は彼のことが好きでたまらない。
私は彼の胸に顔を押し付けて、目を閉じる。私は閉ざされた視界で、ゆっくりと息を吸った。煙草の香りはふんわりと頭の中に染み渡って行くみたいで、何だか、くらくら。喧噪が遠く聞こえる。煙草が止められなくなるのって、こう言う感覚なのかな。
オサムちゃんの指は変わらず私にたくさんを与えようとはしなかったけれど、私がいつより長くくっついていることを許容してくれていた。だから、ずっとずっとこのままでいられるなら、それでもいいと思う。生徒のままだって、それでもいいって。
でも、そんなことが永遠に許されるわけはなく。
オサムちゃんは柔らかく私の肩を押して、私の体を離した。
「みょうじ」
彼に名前を呼ばれるのは大好きだったけれど、今は少し悲しくて顔を上げたくなかった。もっとくっついていたかったのに、どうして分かってくれないんだろう。報う気がないのなら、せめて今だけでも甘えさせて欲しいのに。夢をみさせて欲しいのに。
なんて、彼からしたら迷惑でしかないか。あーあ。
「みょうじ」
二度目にも、返事はしなかった。そのことを彼がどう思ったかは知らない。
けれど。
「はよ、いい女になれよ」
そう言って笑ったオサムちゃんと来たら、びっくりするほどかっこよくて、びっくりするほど優しい目をしていたらから。ああ、きっと私のわがままはぜんぶ彼に伝わってしまっていたのだなと思った。
「待っててくれる?」
「少しならな。はよせんと、俺がおっさんになってまう」
「オサムちゃん、もうおっさんじゃん」
「やかましいわ」
軽くデコピンされて、私は笑う。
現金なものだ。少し前までこのままがいいと思っていた癖に、今はもう早く大人になりたくて仕様が無い。彼が待っていてくれると思うだけで、とびきりいい女になれる気がする。たとえ、それが私を大人にするためだけの優しい嘘で、私が大人になった時、隣に彼がいなかっとしても。
それでも、私はきっと、真っ赤なハイヒールの似合う大人になった時、何度も彼の言葉を思い出すのだろう。
真っ青な空の色と、タバコの香りと一緒に。
紫煙の足跡を追う
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