〔九〕共に生きる道
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近藤さんの賛同を得て、隊務の手が空いている人から健診を受けてもらうこととなった。
土方さんの指示で、隊士達は素早く動いてくれて、円滑に事は進められた。
「次の方、お願いします」
「──どうもー」
隊士の大半の健診が終わった頃、入ってきたのは、永倉さんだった。いつものように、笑顔で挨拶をくれる。
「よろしくお願いします。そこにお掛けください。まずは、喉を見せていただいて、次に胸の音を聞きますので着物を──」
「おぉ‥‥なんか照れるね」
わざとらしく衿元を掴んでふざけたように言う永倉さんに、私は目を細めて、聴診器を突き付ける。
「私は今、女ではありません。性別は“医者”ですので、遠慮なくどうぞ」
そう言うと、やや間があって、お互い笑って、ふっと空気が柔らかくなる。
「はははっ、まぁおふざけはこの辺にして、じゃあ、よろしくね」
「はい!」
喉を見て、聴診器を当て、脈を診る。気になる箇所を触診し、問診をする──一通りの健診を終えると、カルテに書き込む。
「──お体は健康そうですね」
「おぅよ、健康そのものさ」
カルテを閉じて、永倉さんと向き合う。
確かに、病気もなく体は健康だと思う。けれど──じっとその顔を見つめる。人はきっと“笑顔”と呼ぶであろうその表情を。
「‥不躾な質問をしても‥いいでしょうか」
「うん?何だろう」
人懐っこい笑顔で、優しい声で返してくれるものだから、私は少し尻込みする──それでも自分を奮い起たせて、告げた。
「──何か、心に溜めていることはありませんか」
「え?」
もう健診は終わりだと思って安心していたのか、永倉さんは衿元を直していた手を止めた。
自分でも不躾過ぎたと思っているけれど──ここで一歩踏み出して、訊いていかなければ、健診を申し出た意味がない。
私は意を決して口を開いた。
「私には、出会う以前の永倉さんを知る術はないですが‥──どこか、達観してらっしゃる、といいますか‥何かを溜め込んで、笑顔に力がない時があるような気がして、少し心配になることがあります」
永倉さんは、目を丸くしてこちらを見つめていた。
思い過ごしなら笑い飛ばしてくれればいい、でも、もしそうでないなら── 私にできることは何だろう。考えて、糸口を探す。
「隊のことなら、新参者の私には深いことは分かりません。だから、何を聞いてもそれは知らない話ばかり。──だからこそ、気楽に何でも話していただければと思うのです。そうして発散していただけると、私も医者として役割を果たせて、救われる思いです」
そう、真っ直ぐに見つめて告げる。すると、永倉さんは見開いていた瞳を次第に細めて、どこか自嘲気味に笑った。
細く長く息を吐きながら空を見つめて、何かを考えているようだった。そして、小さな声で“参ったな”と呟いて、頭を掻く。
「‥‥そうだなぁ‥──じゃあ、何から話せばいいのかな」
「! どんなことからでも‥!」
少し目を伏せて、それから暫くして──ポツリ、ポツリ、永倉さんは言葉を溢した。まずはとりとめのないこと。最近の稽古について、巡回の時の出来事について──そして、少しずつ話が遡っていく。
「──前は今ほどの規模も背負ってるものもなかったから‥、いや、勿論真剣ではあったけど、雰囲気が違ったよね。──春華ちゃんは会ったことないか、ウチのお馬鹿代表に」
「お馬鹿代表、さん ですか」
その言葉の通り復唱すれば、そうなんだよ、と言って、永倉さんは楽しそうに笑った。
「藤堂っていうヤツでさ、今はまぁ‥隊から離れてんだけど、コイツがまぁお調子者で。池田屋の時なんか、つい先走って突っ込んじゃって、大怪我してさぁ」
「大怪我‥?! 大丈夫だったんですか‥?」
「うんうん、まぁ今でも見事に額に一文字の傷痕が残っちゃってるけどね。」
「額に‥?!」
「はははっ、今じゃもう笑い話。あいつの中ではきっと武勇伝」
大丈夫大丈夫、と言って、永倉さんは屈託のない笑顔を見せてくれた。当時の事を思い出しているのか──本来の永倉さんは、こんな表情で笑うのだろうなと、頭の片隅で思った。
そんな永倉さんを見つめていると、ふと、遠くを見つめるような目をした。
「ほんとに‥馬鹿優しくて‥馬鹿正直で‥。正真正銘の、馬鹿だよ」
その表情を見て、理解した。
「──あんなヤツだったから、此処は息苦しかったのかな」
永倉さんにとって、原田さんと“藤堂さん”の三人でいること、家族のような新撰組で在ることが、心の支えになっていたのだということ。
「ははっ、時代の流れと、人の考えに手出し口出ししよーってのは無理な話だけどね」
現状を理解はしていても、心が事態を飲み込めていないこと。
何か言わなければ、そう思って、言葉を探す。想像でしか永倉さんの気持ちを知ることはできない私は、そうして想像の中を探している内に──何故か、永倉さんと原田さんと、未だ会ったことのない“藤堂さん”が剣を取っている情景が頭の中に浮かんだ。
「永倉‥さん」
「ん?」
今、頭の中に描かれたものを、どうすれば伝えられるだろうか。自分でも整理がつかない内に、私は口を開いていた。
「──私は、その、剣術に明るくはないのですけど‥」
並べた言葉が、果たして伝わるのかどうか。分からないけれど、
「共に戦う時って、その人達は同じ方向を向いていないですよね。背中を預けて、それぞれの方向を見ている。別のものを見ている。それでも一つになれていると感じるのは──そこに信頼関係があるから。」
少しでも、伝わればいい。
「一度見つめる先が違ってしまったとしても、──信じることを諦めなければ、きっと、いつかまた、同じ場所に立てるのではないでしょうか‥」
見つめる先が同じでなければ同じ場所にはいられないと言うならば、誰一人として同じ人間はいないのだから──人は皆、孤独だということになる。
それが真理なのかもしれない。それでも、人は一人では生きていけない。共に在りたいと思う、その気持ちを無視することはできない。
目に見えないものを宛にすることは、頼りなく、怖いことだ。それでも、信じることで道が繋がるのだとしたら。
「生きて生きて‥、生き尽くさないと。その機会を掴むためにも」
「──何があっても?」
「えぇ、何があっても」
「それって、場合によっては切腹ものじゃない?」
「違います。大違いです。隊の為を思うなればこそ──生きて、生きて、その力を発揮し続けなければ」
死と隣り合わせに戦っている皆だから。
だからこそ、生きることは、可能性を繋げること──希望だ。そう、思って欲しかった。
「組織は人です。人が生きれば、組織も生きる──」
どうしても想いが溢れてしまって、つい前のめりに語っていると、永倉さんは少し目を丸くして、それから──ゆったりと笑った。
そして先程と同じように空を見つめると、瞼を閉じて、息を吐く。
ありがとう、と短く告げたその表情は、どこか穏やかだった。
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