〔七〕世界で一番綺麗な言葉
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当初の目的通り本の山を病床の人々に届けると、満足げに沖田さんは部屋から出てきた。
「──ところで春華さん、もしかして疲れてたりします?」
「えっ、どうしてですか?」
表には出していないつもりだったのに突然言い当てられて、内心ドキリとする。まさか、そこまで疲れの滲み出た酷い顔をしていたのだろうか。
「さっきぶつかった時に“作り笑顔”をしていたでしょう。気になってしまって、もしかしてそうかなぁと」
ぶつかった相手が作り笑顔をしていたら、それは確かに気になることだろう。でも、そこで身を案じてくれるところが沖田さんらしいところだと思う。
「新しい環境はやはり気を張るでしょうし」
その気遣いにやっぱり感心して、惚けてしまった。その観察眼を分けて欲しいと本気で思ってしまう。
そんな風に思っていたら、沖田さんはにっこりと笑った。
「そんな気疲れをしている人に効く治療法を知ってますか?」
「? なんでしょう?」
漢方薬だろうか、それとも鍼灸治療‥‥大真面目に考えていたら、視界の外で沖田さんが笑ったのを感じた。
「では、教えてあげましょう。まずは目を閉じて」
これは私の知らない療法のようだ、と好奇心が疼いて、言われたまま目を閉じてみる。
「それから、口を開けます」
「? はい」
暗示療法か顔の運動か‥‥と、まだ懲りずに大真面目に考えていたら、瞼の向こうで沖田さんの顔が近付くのを感じて───
「!」
気が付いたら、ソレは降ってきた。
「──どうです? ちょっと元気になるでしょう」
沖田さんは悪戯が成功した子どものような笑みを浮かべる。私は驚きながら口にそっと手を当てる。
ソレは口の中に甘く広がり、脳まで蕩けてしまいそうな気持ちになる。
「金平糖‥!」
「正解です」
にっこりと笑って、沖田さんは小さな巾着を顔の横で振った。
「頑張っている貴女に差し上げますので、あまり根を詰めすぎないように」
そう言って、沖田さんは私の手を取ると、巾着を乗せた。その屈託のない笑みと温かい気遣いに、私は笑みを返して心からのお礼を言った。
──────
────
────
「それで、明らかに食べすぎなのに『鉄が盲腸かもしれないー』って泣きそうな顔して辰之助さんが診察室に駆け込んできて」
それから金平糖を摘まみながら少し世間話をしていた時のこと。
「それを見て呆れた烝が、“メス”と薬を前に差し出して、『どっちか選べ』って──」
「‥えっ?」
話が佳境になったところで、沖田さんの短い疑問が挟まれる。もしかして聞き馴れない言葉が分からなかっただろうか、と思ってもう一度繰り返す。
「えっと、“メス”っていうのは医術で使う小刀のようなもので‥」
「あ、いいえ、そこではなく‥」
どうやら気になったのはそこではなかったらしく、他に思い当たるところもなくて私は首を傾げてしまった。
「あー‥えっと‥」
「?」
それなら何に対する反応だったのだろうか。問うように沖田さんの目を覗けば、沖田さんは困ったように曖昧に笑った。何かを言いかけて口を開き、それから閉じて、言葉を飲み込むのを繰り返している。
沖田さんには珍しく、歯切れの悪い感じで言い淀んでいるのが不思議だった。
「あー‥やっぱり‥‥その、なんでもな‥」
「なんでもなくはないですよね?」
誤魔化そうとした沖田さんにすかさず突っ込みを入れれば、更に困ったように笑った。
そうして、観念したのか、沖田さんは苦笑を浮かべながら、決心したように、口を開いた。
「敢えて口に出すのもどうだろうとは思うんですが‥‥」
「? えぇ」
「──その、さっき山崎サンのこと‥」
「烝のこと?」
「そう、それです」
意外な人物の名前が出て来て目を丸くしていると、沖田さんはちょっと拗ねたような顔をした。
「‥‥いつの間にか名前で呼ぶようになっていたから、その──驚いて」
それだけです、と言い加えて、沖田さんは恥ずかしさを誤魔化すかのように、手にした金平糖を口に放り込んだ。
予想外の反応に、私は瞬時にその意味を捉えきれなくて瞬きを繰り返す。
これはつまり、少し──妬いてくれているということだろうか。自惚れではなければ、少なくともある程度の関心と好意を自分に向けてくれているということだろうか。
推測から弾き出された答えに、少し、心が躍って、私はそれを噛み締める。
そっぽを向いてしまった沖田さんに、笑みが零れてしまう。──それと同時に、機嫌を直して此方を向いて欲しいとも感じて、言い様のない感情が胸の中を支配する。
「‥‥あの、特別な意味はなくて──山崎君が、仕事場では先輩だけど、医術では後輩っていうこんがらがった関係がどうも煩わしかったらしくて──歳も近いし、敬語とか止めよう、という話になったんです。それで呼び方も変わって」
ありのままを話すと、それでも何かに納得していないのか、沖田さんは拗ねた顔のままだった。どうすれば機嫌を直してくれるのか、分からなくて慌ててしまう。
「ええっと‥沖田さん──」
「私も歳は離れてないんですけどね」
窺う言葉を遮るように言われ、その意味がすぐに汲めなくて、私はまた目を丸くして瞬きを繰り返し、咄嗟に言葉が出てこなかった。
──それは、つまり
言外に名前で呼んでみてと言われていることに気付いて、一気に顔が熱くなる。
「え‥えっ!?」
「あ、もしかして下の名前忘れちゃいましたか? 私の名前は総‥」
「それは勿論存じ上げてます‥!」
問題はそこじゃない、と心の中で思いきり突っ込みを入れるけれど、そんなことお構いなしに少し意地悪な笑顔で見つめてくる沖田さんの視線が刺さる。
どうにも言わなければ解放してくれない様子は見て取れるのだけど、如何せん、頬が火を噴くように熱いものだから‥‥って──
──何故私は、烝の名前は簡単に呼べたのに、沖田さんの名前だとこうまで反応してしまうのだろう
ふと疑問に打ち当たって、自分の胸の内に問い掛けるけれど、どうもこの状態を上手く表象する言葉が見付からない。──“コレ”に名付ける言葉を、私はまだ知らない。
そんな思考を脳内総動員して巡らせている間にも沖田さんの視線が刺さってきて、いよいよ私の頭は大混乱を来した。
──ええい、儘よ‥!
そうして窒息しそうな喉を震わせて、絞り出した言葉‥
「──総司‥さん」
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