〔五〕良い所、悪い所
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貴方の事
まだ何も知らない
ねぇ、どんな物が好き‥?
好きな色は?
好きな花は?
好きな季節は?
どんな時に笑うの──‥?
貴方の事、
まだ何も知らない
だから知りたい
だから‥教えて───
《良い所、悪い所》
朝日が姿を現す前に私は夢から覚めた。その自然な目覚めは、何の不快感も覚えさせなかった。
ふと、再び少しだけ微睡みかけた頭で昨日の事を思い返す。
『生きる為、かな』
そう言ったあの人の顔が忘れられない。あんな真っ直ぐな瞳は、初めて見た。
ぼーっとした頭はその事でいっぱいだった。けれど、いつまでもそのままではいられない。
「──‥よしっ」
身仕度をしてから廊下に出ると、まだ隊士の大半は寝ているのか、静かだった。
皆の為にできること──
私は一呼吸置いてから、長い髪を纏め上げて まだ慣れぬ屯所の中をゆっくりと歩いていった。
───────
─────
──
「なぁススム。なんか良い匂いしねぇ?」
「あぁ‥まぁ、するわな」
「誰か作ってんのかな」
廊下を歩いていた鉄之助と山崎は、腹の音を誘われる匂いを嗅いだ。
「んーっ 飯ーーーー!!」
「は? ちょっ‥待てや!」
本能の赴くまま、台所ヘ向かって猪突猛進していく鉄之助を、山崎は仕方なく追った。
───────
─────
──
久しぶりの日本食。果たして味は確かだろうかと思い、恐る恐る味見をしようとした瞬間、突然鳴り響いてくる豪快な足音。そして誰かが台所に走り込んできた。
「飯ーーーーっ!!」
「てっ、鉄!?」
目を爛々と輝かせた鉄は、私の顔を見て急停止した。
「あ、春華だったんだな、おはよう!」
「お、おはよう」
「んーーっ 旨そうー!」
そう言って鉄がつまみ食いをしようとした瞬間、山崎君が目にも止まらぬ速さでその手を弾いた。
「痛い!」
「何やっとんのやワレ。」
「ススムのけちん坊!」
叩かれた手を大袈裟にさすりながら、鉄は唇を尖らせて抗議した。
そしてコロリと表情を変えたかと思うと、私の方に振り返った。
「春華って料理上手いんだなー」
「えぇ?」
仕上げの塩胡椒を振っていると、鉄は待ち遠しいのかその湯気を胸いっぱいに吸い込んで「いい匂い!」と満足そうに言った。
「この匂いといい、さっき台所入った時、あゆ姉が立ってるの‥か、と‥‥」
口調が尻窄まりになって、消えた。鉄は慌てて口を手で塞いで、ゆっくりと視線を山崎君の方へ向けた。
「‥‥なんやねん」
「や、ごめ‥」
そこまで言って、鉄が苦しげに口ごもると──山崎君は長い溜め息をつき、呆れたように頭を振った。
「阿呆。ガキが気ぃ遣うな」
「‥ガキって言うな」
まさに子どもらしく頬を膨らます。そんな様子を見ると、山崎君はもう一度 今度は短めに息を吐いた。
「もうえぇから、さっさと皆に飯伝えに行き。」
「はいはい分かりましたよーだ」
鉄は一瞬複雑そうな顔を見せたが、しずしずと台所を後にした。
気まずい沈黙が流れる。何か話さなければと思うと言葉が詰まって、口を噤む。
──初めて屯所を案内してくれた時に、台所で彼が見ていたのは、記憶の中のお姉さんの姿だったんだ
どんな言葉をかければいいのか分からなくて、目を泳がせる──けれど、その沈黙を破ったのは山崎君の方からだった。
「‥着物、着てくれたんやな」
「あ、う、うん‥」
言って、自分の着ている着物に視線を下ろす。それは預かった歩さんの遺品の中でも、一番控えめな普段服。
「‥‥ありがとうな」
そう言って笑った山崎君の顔が穏やかで、纏う空気が和らいで──あぁ、そうか、と思った。
返す言葉は必要ないのだと。ただ、頷いてそっと笑みを返すだけで、十分なのだと。
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