《世界へ続く航路》
失ったものがある。
それは、今まで掲げてきた信念や誇りだとか、居場所だとか、此処まで歩んできた俺を俺成らしめていたもの。
それはもう、取り戻すことは出来ないものだ。
けれど
「──永倉さんが、貴方を運んできて下さったんですよ」
「新八っつぁんが‥?」
「えぇ。──新しい時代が来たら、会おう、と。最後まで強く貴方の手を握っていました」
失わなかったものがある。
それはこの命だとか、友との絆だとか、これからもきっと在り続けるものだ。
そして
「──この舟は何処へ向かってるの‥?」
そして
「──江戸へ」
得たものがある。
それは、未来。この手のひら。この温もり。
それは小さくて微かな光。
けれどそれは、選択の先に 確かに俺が得たものだ。
これが生きるということ。
迫られる選択はあまりにも多くて、その度俺達は何かを失って、傷つくけど──微かに残った希望を頼りに、前へと進むんだ。
幸せへと辿り着く為に。
それが生きるということ。
「藤堂さん見て下さい、これ」
「‥あっ‥!」
薫ちゃんが差し出したのは、真っ白な百合の花。大輪の、純白な花。
名前と違わず見事に咲き誇るその花に、鼻孔を掠める力強い芳香に、思わず胸が熱くなった。
「全てはこの花から始まったから、新たな始まりも、この花と共に──」
ね、と微笑む君。
腫れた瞼が、とてもとても 愛おしかった。
「江戸‥か。結局戻ってきちゃったな‥」
自嘲気味に、笑う。
そこは、嘗て同胞・仲間と 眩しい程の志と憧憬を抱き、不可能など何もないと信じていた地。
戻れぬ過去を、内在する地。
けれど、薫ちゃんは黙る俺を見て ゆっくりと笑った。
「藤堂さん、知らないんですか?」
「え‥?」
「日は、東から昇るんですよ」
満面の笑みで言う。事も無げに、言う。
面食らって──それから、思わず零れた笑顔。
だから何だ、とか、聞き返す事は無粋。──それに、凄く凄く 嬉しかったんだ。救われたんだ。
こんなにも俺に生きる勇気と喜びと、幸せと温もり、愛情を与えてくれる君。
そんな君を、幸せにすることは出来るのかな──って、ずっと考えてた。
けど、今は 違う
「あ‥っ」
「──夜が、明けますね」
光が差し込む。色を取り戻す、世界。
そっと、瞼を閉じる。眩しい光を受けて、瞼の裏に 感じる命のイロ。
──今は、思うんだ
君のことを、この命ある限り、幸せにする努力をし続けようと。
いつかこの命を使い切るその日まで、全身全霊で──
「──薫ちゃん」
何度その名を呼んだだろう──何度心の中で叫んだだろう──。
そして、これからも 何度も呼び続けることのできる未来を 手に入れた。
薫ちゃん──消え入るような声で、確かめるようにもう一度、その名を呼ぶ。優しく返ってきた返事が、胸を貫き 響いた。
空を仰いでいた体を、一転させる。君を包み込む。背中の傷が悲鳴をあげた。──痛みと共に、生を叫んでいる。
「藤堂さ‥っ」
制止する君の言葉が紡がれる前に、その唇を塞いだ。
それは一瞬。けれど、夢にまで見た──夢ですら見られなかった──瞬間。
真っ赤になった君は、目を見開いたまま呼吸することすら忘れたように動きを止めている。その隙にもう一度──今度は長く──唇を重ねれば、君は慌ててやんわりと俺の胸を押し返した。
潤んだ瞳と視線が重なる。それは拒絶じゃないって分かってるから、すごくすごく、幸せな気持ちが心を満たしていく。
収まりきらない程の幸せな気持ちが飽和して、溢れて、笑顔が零れる。
幸せが、溢れる。
「好きだよ」
君は綺麗な朝日を浴びて、俺の一番大好きな笑顔をくれた。
【END】