《世界へ続く航路》




 意識がはっきりすればするほどズキズキと痛む背中。いっそ意識を手放してしまえば楽になるのかもしれない。
 けれど、今はこの痛みを手放したくない。死ぬほどの痛みは、生きているという証だから。


「‥薫ちゃん‥‥俺は、君に、謝らなきゃいけないことが 沢山ある‥」


 “薫ちゃん”

 再びこの口でその名を呼べたことに、無性に泣きたくなった。
 君は穏やかな笑顔を絶やさずに、そっと此方を見つめてくれる。


「‥何も言わずにいなくなってごめん。心配かけてごめん。独り善がりに突き放してごめん。弱くて、ごめん。傷つけてごめん‥」


 言っても言っても、尽きることのない懺悔。どれほどの罪を君に重ねていたのかを知らしめられて、情けなくて、悔しくて、歯を食いしばる。
 でも、この苦しみさえも今は抱え込んでいたい。


「それと‥」

「待って、藤堂さん」


 いつの間にか穏やかな笑顔が消え、眉根を下げた君は それでもやっぱり笑顔を作ろうとして すごく切なげに 笑った。


「藤堂さんばっかり狡いです」


 え?と聞き返すと、君は優しく両の手のひらで俺の手を包んだ。


「藤堂さん、私は、貴方に感謝しなきゃいけないことが沢山あります」


 “藤堂さん”

 再びこの耳でその声を聞けたことに、無性に泣きたくなった。
 そして君は、優しい涙を流した。


「出会ってくれてありがとう。優しさをいっぱいありがとう。愛おしさをくれてありがとう。温もりを伝え続けてくれてありがとう。沢山の花と笑顔をありがとう。そして‥」



 そこまで言うと 声を詰まらせて、君は俺の手を握る力を強めた。
 そして涙に濡れた瞳を細めて、不器用に 無理やり──それでも俺の中では一番綺麗に──笑った。





「生きていてくれて‥ありがとう」









 天高く掲げ、懸命に伸ばした手は、君の元へと届いて──その首筋に触れて 自分の胸へと引き寄せた。
 そっと息を吸う。


「──」

「──‥あの時、ああすればよかったとか、こうすればよかったとか」


 俺が口を開こうとした時、君の言葉がそれを阻んだ。俺は言おうとした言葉を飲み込んで、ゆっくり、ゆっくりと紡がれる言葉に そっと耳を傾ける。


「‥後悔することなんて、幾らでもある。後悔しないで生きていくことなんて、きっと‥出来ない」


 それは、酷く優しく、ゆっくりと。誰にともなく言い聞かせるように。
 途絶えそうな声を、力一杯振り絞って、君は言う。


「‥きっと、迫られる選択はあまりにも多くて、その度何かを失って、その代わりに得るモノは あまりにも少ない‥。──けれど」


 言う、言葉は次第に弱くなっていく。震えるその肩をそっと抱き寄せると、薫ちゃんの鼓動が伝わってくる。

 あぁ、そうか──


「──けれ‥ど‥」

「──それでも、一歩一歩、進んでいくんだ」


 声を詰まらせた君の代わりに、言葉を重ねる。君は埋めていた顔を少しだけ上げた。
 不意に重なった視線に笑うと、愛おしさが込み上げてきた。




「──わかったんだ。生きていく、覚悟」





 きっと、投げ出すことは余りにも簡単で。
 諦める事ほど 簡単なことは無い。──嫌だと抗い叫ぶ心を殺して。

 その傷を隠していけたら楽だろう。どんなにか楽だろう。

 けれど、


 けれど、

 それはなんて空虚だろう。



「迫られる選択肢を必死に選んで、傷ついても、得られるのは小さな何か。──でも、それを積み重ねていった先にあるのが、かけがえのない幸せなんだ‥って」


 それが生きていくっていうことなんだって──気付いたんだ。

 ──だから


「あの時、ああすれば良かったとか、こうすれば良かったとか、いつか後悔していくとしても──俺は‥」


 確かな温もりを抱き締めて、その存在を感じて──今、誓う。





「俺は、薫ちゃんと、生きていきたい」





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