《第九輪》





 あの時の絶望と、突如差し込んだ光、そして それすら覆い尽くした更なる絶望を、どうやって君に伝えられただろう。








「とー‥ど‥、さん‥?」


 何もかも、全ての事から逃げたかった。世界に独り、取り残されたような恐怖。孤独の淵に、立たされたような絶望。

 なのに、君は

 孤独の淵にいる俺の名を、呼んでくれた。


「藤堂、さん」





 ねぇ、名前が大切だっていう意味が、よく分かったよ。
 君が俺の名を呼ぶ度、幸せになれるんだ。

 此処に居て良いんだって、思えるんだ。






 いつかの記憶が頭の中に蘇って、涸れたはずの涙が溢れた。
(そして 蘇った幸せな記憶と“今”の落差に、息が苦しくなった。)



「藤堂さ‥‥っ!?」


 気付いたら、身を守るように縮めていた身体を力の限り伸ばして 君の事を抱き締めていた。
 懸命に伸ばした手は、君の元へと届いて、安堵して、また涙が流れた。


「‥っどう、したんですか、こんな、雨の中‥っ」


 震える手のひらが、優しく背中に回される。この温かさに、何度救われたことだろう。何度、幸せを‥──


「‥薫、ちゃん」


 微かに鼻腔を擽る“白百合”の香りが、まるで罌粟の実のように、俺の気持ちを揺らがせる。

(それは、幸せの方向へと、誘っていたのかもしれなかった)


「薫、ちゃん」


 ねぇ、君を攫ってもいいかな。君を攫って、争いとか戦いとか、そんな虚しいものの無い所で、二人、ただ 笑って‥──




 頭をよぎった 最も愚かで有り得ない(それでも最も愚かなまでに愛おしい)未来図を掻き消すように、腕の中の君を、一層強く抱き締めた。

 駄目なんだ。そんな、君の未来を奪うような方法じゃ──君を幸せにできない。


 この世の何よりも大切だったから。かけがえのない存在だったから。──ましてや“失う”、なんて‥──



「薫ちゃ‥‥───っ!?」






 それは、突然だった。



 頭の中で、何かが凍りつく“音”がして、急速に、霧が晴れるより更にはっきりと、血の引くような感覚で、“ソレ”は訪れた。
 さっき頭に浮かんだ未来図が───裏返しになった。そんな、感じ。

 幸せな未来図の裏を見れば───真っ黒、だった。







 あの時の絶望と、突如差し込んだ光、そして それすら覆い尽くした更なる絶望を、どうやって君に伝えられただろう。
 どうすれば良かったというのだろう。

 どうしようもなかった。

 どうしようもないくらい、君の事が好きだった。
 どうしようもないくらい、君の事が大切だった。


 そして、


 どうしようもないくらい───俺は弱かった。







「藤堂さん‥っ!!!」







 震える貴方の体を この手で感じて、しっかりと、抱き止めていようと決心した。貴方は今にも消えてしまいそうだったから。決心した、のに。



 如月、廿日余り三日。

 確かな温もりをこの胸に残して、貴方は私の前から姿を消した。






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どうしようもないくらい好きだったから。最も恐れたのは、失うことだった。
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