Chris Redfield
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シャンプー
今日のナマエの部屋には、一際穏やかな空気が流れていた。キッチンに立つクリスの背中を、ナマエはダイニングテーブル越しに眺めている。袖をまくった腕、包丁を握る大きな手。アルファチームの隊長としての姿とは違う、私生活の彼はどこか無防備で、胸の奥がキュンとなる。
「……そんなに見られると、やりにくいな」
視線に気づいたクリスが、振り返って苦笑した。
「だって、珍しいんだもん。クリスが料理してるところ」
「手伝ってくれるか?」
「はいは〜い」
並んで立ち、野菜を切り、フライパンを振る。何気ない時間なのに、秘密を共有しているというだけでひどく特別に感じられた。秘密とは、2人の関係性。職場ではただの同僚として振る舞っているけれど、この部屋では恋人同士だ。
食事を終え、片付けもそこそこにソファへ倒れ込む。窓から差し込む光が眩しくて、ナマエは目を細めた。
「このまま一生ダラダラしていられたらいいのにね」
「それはさすがに問題だな」
そう言いながらもクリスは否定しない。ナマエを引き寄せ、腕の中にすっぽりと収めた。心臓の音、体温、呼吸のリズム。すべてが心地よくて、思考が溶けていく。
いつの間にか、部屋の空気は甘さを帯びていた。重なった唇で伝わる想いに駆り立てられ、ベッドルームへ向かう。昼からこんなことしていいのかな、とナマエは思ったが、クリスから触れられるとそんなことはもうどうでも良くなった。互いの内側に抱える熱情を確かめ合うような時間があって——やがて2人には、幸せな疲労感だけが残った。
ナマエはクリスの腕の中で、うとうととまどろむ。
そのときだった。
不意に鳴り響いた着信音が、部屋の静寂を破った。クリスは一瞬だけ眉をひそめ、枕元に置いていた携帯を手に取る。
「ああ。俺だ」
クリスの相槌は次第に緊張を帯びていく。ナマエは目を閉じたまま、その変化を感じ取った。
「……分かった。すぐに行く」
通話を終えたクリスは、深く息を吐いて体を起こした。
「アルファに緊急招集だ。別チームでトラブルがあったらしい」
その言葉に、ナマエの眠気は一気に引いていった。
「……そっか」
「悪い。シャワー、借りてもいいか?」
「もちろん」
ベッドから離れるクリスの背中を見送りながら、ナマエは胸の奥に生まれた小さな寂しさを押し殺した。
シャワーの音が止まるまでの間、ナマエは無言でクリスの私物をまとめた。玄関に向かうクリスにそれらを手渡すと、クリスは険しい表情で言った。
「荷物、ありがとう。せっかくの時間だったのに……すまない」
名残惜しそうに、額へ、そして唇へとキスが落とされる。
「大丈夫。それより、気をつけて。終わったら連絡してね」
「ああ。必ず」
そうしてクリスは部屋を出て行った。
ドアが閉まる音を聞きながら、ナマエはひとり、深呼吸をする。
——どうか、無事で。
翌朝の北米支部は、いつも以上に騒がしかった。
ナマエが出勤すると、SOUのフロアは人の出入りが激しく、電話の呼び出し音と足音が絶え間なく響いていた。自分のPCを立ち上げながら、近くの同僚へ声をかけた。
「昨日、トラブルがあったみたいだね。何があったの?」
「ああ、私もさっき出勤してきたところで、詳しくは聞いてないのよ。でもブラボーもアルファも、もう戻ってきてるみたい。今はメディカルチェック中だってさ」
その言葉に、胸の奥に溜まっていた緊張がようやくほどけた。
(……帰ってきてる)
何度同じことを繰り返しても、こればかりは慣れるものではなかった。命懸けの任務に恋人を送り出すことも、帰還の報を待つ時間も。無事だと分かって初めて、ちゃんと息が吸える。
しばらくして、廊下の向こうから一際賑やかな声が聞こえてきた。複数の足音と笑い声。ナマエは思わず顔を上げる。
やがて、その声の一団がオフィスに雪崩れ込んできた。
「な!やっぱそうだったよな!!」
先頭で楽しそうに話しているのは、ブラボーチームのマルコだ。その後ろに続く、実働部隊の隊員たち。そしてその輪の中心にいるのは、クリスだった。
「俺も思ってたんだよ!」
「車に乗った瞬間、このいいにおい誰から?まさかクリス隊長?ってビビったよな」
「そうそう!女の子みたいな匂い!」
ナマエの指が、キーボードの上でぴたりと止まる。
(……え?)
「いつもはスモーキーな匂いなのによ!」
「隊長、どんなシャンプー買ったんですか?それか香水?」
「あ!!わかった!女ですか!?」
「もしかしてカノジョ!?どんな人っすか?」
「……お前ら、いい加減にしろ」
クリスは疲れたように言いながらも、完全には振り切れないようだ。やいのやいのと騒がれ、居心地が悪そうにしている。
「俺からいい匂いがしたら、そんなにおかしいか?」
「おかしいっていうか、隊長らしくないっていうか。可愛いにおいだったので!」
隊員たちがワハハ!と笑う。その瞬間、ナマエの中で点と点が繋がった。
(……あ、そうだ。シャンプー!)
昨日。シャワーを浴びる前、クリスが言っていた言葉を思い出す。
『俺のシャンプー、そういえばもうほとんど空なのを忘れてたよ』
確かに、彼がいつ来ても良いようにと置いていた男性用シャンプーは、空に近かった。だから昨日、急いでいたクリスは——
(私のを使ったんだ……)
フローラル系の、少し甘い香り。自分では嗅ぎ慣れてしまって気づかないけれど、彼が纏えば、確かに「隊長らしくない」だろう。
そのとき、ふとクリスと目が合った。
クリスは、ほんのわずかに眉を下げて、困ったように笑う。そしてナマエにだけ分かるように、小さく首を振った。
(この状況、どうしたらいい)
そんな声が聞こえた気がして、ナマエは思わず吹き出しそうになるのを堪えて俯いた。
追及をかわしきれないまま、クリスは隊員たちに囲まれて、オフィスの奥へと連れて行かれてしまう。最後まであれこれと言われながら。
残されたナマエは、そっと息を吐いた。
(……ばれるかな)
BSAAでは、隊員同士の恋愛が禁じられているわけではない。ただ、クリスが実働部隊の隊長であるという点を考えれば、面倒なことになるのは目に見えている。だからこそ、ここまで慎重に隠してきた。
(もしこのままバレても……まあ、それはそれでいっか)
胸の奥に小さな高揚が生まれる。
クリスが、自分の部屋で、自分の匂いを纏って出動した。その事実が、どうしようもなく愛おしい。
数時間後、業務が一段落したころ、端末に短いメッセージが届いた。
『連絡が遅くなった。ただいま』
差出人はもちろんクリスだ。ナマエは画面を見つめながら、口元を緩める。
『お疲れさま!無事でよかった!』
秘密は、まだ秘密のままかもしれないし、すぐにでも明るみに出るかもしれない。どうなるかは分からない。どんな運命でも嬉しいと、ナマエは思った。
fin.
今日のナマエの部屋には、一際穏やかな空気が流れていた。キッチンに立つクリスの背中を、ナマエはダイニングテーブル越しに眺めている。袖をまくった腕、包丁を握る大きな手。アルファチームの隊長としての姿とは違う、私生活の彼はどこか無防備で、胸の奥がキュンとなる。
「……そんなに見られると、やりにくいな」
視線に気づいたクリスが、振り返って苦笑した。
「だって、珍しいんだもん。クリスが料理してるところ」
「手伝ってくれるか?」
「はいは〜い」
並んで立ち、野菜を切り、フライパンを振る。何気ない時間なのに、秘密を共有しているというだけでひどく特別に感じられた。秘密とは、2人の関係性。職場ではただの同僚として振る舞っているけれど、この部屋では恋人同士だ。
食事を終え、片付けもそこそこにソファへ倒れ込む。窓から差し込む光が眩しくて、ナマエは目を細めた。
「このまま一生ダラダラしていられたらいいのにね」
「それはさすがに問題だな」
そう言いながらもクリスは否定しない。ナマエを引き寄せ、腕の中にすっぽりと収めた。心臓の音、体温、呼吸のリズム。すべてが心地よくて、思考が溶けていく。
いつの間にか、部屋の空気は甘さを帯びていた。重なった唇で伝わる想いに駆り立てられ、ベッドルームへ向かう。昼からこんなことしていいのかな、とナマエは思ったが、クリスから触れられるとそんなことはもうどうでも良くなった。互いの内側に抱える熱情を確かめ合うような時間があって——やがて2人には、幸せな疲労感だけが残った。
ナマエはクリスの腕の中で、うとうととまどろむ。
そのときだった。
不意に鳴り響いた着信音が、部屋の静寂を破った。クリスは一瞬だけ眉をひそめ、枕元に置いていた携帯を手に取る。
「ああ。俺だ」
クリスの相槌は次第に緊張を帯びていく。ナマエは目を閉じたまま、その変化を感じ取った。
「……分かった。すぐに行く」
通話を終えたクリスは、深く息を吐いて体を起こした。
「アルファに緊急招集だ。別チームでトラブルがあったらしい」
その言葉に、ナマエの眠気は一気に引いていった。
「……そっか」
「悪い。シャワー、借りてもいいか?」
「もちろん」
ベッドから離れるクリスの背中を見送りながら、ナマエは胸の奥に生まれた小さな寂しさを押し殺した。
シャワーの音が止まるまでの間、ナマエは無言でクリスの私物をまとめた。玄関に向かうクリスにそれらを手渡すと、クリスは険しい表情で言った。
「荷物、ありがとう。せっかくの時間だったのに……すまない」
名残惜しそうに、額へ、そして唇へとキスが落とされる。
「大丈夫。それより、気をつけて。終わったら連絡してね」
「ああ。必ず」
そうしてクリスは部屋を出て行った。
ドアが閉まる音を聞きながら、ナマエはひとり、深呼吸をする。
——どうか、無事で。
翌朝の北米支部は、いつも以上に騒がしかった。
ナマエが出勤すると、SOUのフロアは人の出入りが激しく、電話の呼び出し音と足音が絶え間なく響いていた。自分のPCを立ち上げながら、近くの同僚へ声をかけた。
「昨日、トラブルがあったみたいだね。何があったの?」
「ああ、私もさっき出勤してきたところで、詳しくは聞いてないのよ。でもブラボーもアルファも、もう戻ってきてるみたい。今はメディカルチェック中だってさ」
その言葉に、胸の奥に溜まっていた緊張がようやくほどけた。
(……帰ってきてる)
何度同じことを繰り返しても、こればかりは慣れるものではなかった。命懸けの任務に恋人を送り出すことも、帰還の報を待つ時間も。無事だと分かって初めて、ちゃんと息が吸える。
しばらくして、廊下の向こうから一際賑やかな声が聞こえてきた。複数の足音と笑い声。ナマエは思わず顔を上げる。
やがて、その声の一団がオフィスに雪崩れ込んできた。
「な!やっぱそうだったよな!!」
先頭で楽しそうに話しているのは、ブラボーチームのマルコだ。その後ろに続く、実働部隊の隊員たち。そしてその輪の中心にいるのは、クリスだった。
「俺も思ってたんだよ!」
「車に乗った瞬間、このいいにおい誰から?まさかクリス隊長?ってビビったよな」
「そうそう!女の子みたいな匂い!」
ナマエの指が、キーボードの上でぴたりと止まる。
(……え?)
「いつもはスモーキーな匂いなのによ!」
「隊長、どんなシャンプー買ったんですか?それか香水?」
「あ!!わかった!女ですか!?」
「もしかしてカノジョ!?どんな人っすか?」
「……お前ら、いい加減にしろ」
クリスは疲れたように言いながらも、完全には振り切れないようだ。やいのやいのと騒がれ、居心地が悪そうにしている。
「俺からいい匂いがしたら、そんなにおかしいか?」
「おかしいっていうか、隊長らしくないっていうか。可愛いにおいだったので!」
隊員たちがワハハ!と笑う。その瞬間、ナマエの中で点と点が繋がった。
(……あ、そうだ。シャンプー!)
昨日。シャワーを浴びる前、クリスが言っていた言葉を思い出す。
『俺のシャンプー、そういえばもうほとんど空なのを忘れてたよ』
確かに、彼がいつ来ても良いようにと置いていた男性用シャンプーは、空に近かった。だから昨日、急いでいたクリスは——
(私のを使ったんだ……)
フローラル系の、少し甘い香り。自分では嗅ぎ慣れてしまって気づかないけれど、彼が纏えば、確かに「隊長らしくない」だろう。
そのとき、ふとクリスと目が合った。
クリスは、ほんのわずかに眉を下げて、困ったように笑う。そしてナマエにだけ分かるように、小さく首を振った。
(この状況、どうしたらいい)
そんな声が聞こえた気がして、ナマエは思わず吹き出しそうになるのを堪えて俯いた。
追及をかわしきれないまま、クリスは隊員たちに囲まれて、オフィスの奥へと連れて行かれてしまう。最後まであれこれと言われながら。
残されたナマエは、そっと息を吐いた。
(……ばれるかな)
BSAAでは、隊員同士の恋愛が禁じられているわけではない。ただ、クリスが実働部隊の隊長であるという点を考えれば、面倒なことになるのは目に見えている。だからこそ、ここまで慎重に隠してきた。
(もしこのままバレても……まあ、それはそれでいっか)
胸の奥に小さな高揚が生まれる。
クリスが、自分の部屋で、自分の匂いを纏って出動した。その事実が、どうしようもなく愛おしい。
数時間後、業務が一段落したころ、端末に短いメッセージが届いた。
『連絡が遅くなった。ただいま』
差出人はもちろんクリスだ。ナマエは画面を見つめながら、口元を緩める。
『お疲れさま!無事でよかった!』
秘密は、まだ秘密のままかもしれないし、すぐにでも明るみに出るかもしれない。どうなるかは分からない。どんな運命でも嬉しいと、ナマエは思った。
fin.
