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もうりさんが利己的って言われてるのな〜んで
2025/09/25 23:11(「武士道」とは何ぞやという講義を受けた直後に書いているのでバチくそ影響されています、影響されているというかそれを前提として考えています。そして私は全ての媒体のナリちゃんを見たわけではないです。ぜ〜んぶ仮定まみれの妄想与太話だよ⊂( ᴖ ̫ᴖ)⊃)
英雄外伝とか宴で松永さんは
「卿から貰う物は何も無い。なぜなら卿は、何も持っていないからね」
だとか
「卿の無を貫くのは…私の役目ではないな」
だとか言っている。
それに対して宴の毛利さんは
「伽藍堂の我だからこそ全てを見知れたのだ。そう、この世にこびりつく夜の忌々しさを!」
と言っている。
貰うものが無い、何も持っていない、伽藍堂。
→つまり、毛利元就は何も持っておらず、本人もそれを自覚している。
ならば本当は何に執着しているのか。
毛利元就が守りたかったのは
①父祖から受け継いだ「毛利家」と「安芸」
②これまでそれらを守るために貫いてきた「道」
①②のどちらかという訳ではなくて両方あるとは思うが、②の比率が思いのほか高いのかもしれない。
①があるのは武士なら当然のことなので一旦置いておく。
②について、毛利は、みんな大好き3の元親緑ルートで「どんな策を使っても、あんたはそれしか手に入れられなかった。それがあんたの生き方だ!孤独の魂だ!」
と言われて珍しくブチギレている。
(ここから先、講義の時に取ったメモをそのまま貼り付けました。多分読みづらい)
家康が堀田正盛にいたずらをしかけた話
正盛がまだ小姓だった頃、たいそう強情な者だったので、いつも正盛が持つ火箸を熱して囲炉裏に立てておいた。
正盛は家康の向かい側で火箸を手に取って挨拶するのが通例だったからだ。
しかし正盛は動じることなく、手が焼け付いているのに火箸を持ったままいつも通り家康に挨拶をする。それを見た家康は慌てて座を立って手を離させた。
普段から、予想外な不幸が起きてもパニックを起こさないような訓練をする(火災訓練もそう)
困った時にうまくやるにはどうしたらいいのか、それが分からないとパニックになる。
→考えずに体が動くようにしておけばいい、というのが武士の思想。
『葉隠』
「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」
朝起きたら(寝る前も)まず一時間、自分の様々な死に方を細かくシミュレーションする(山から落ちて死ぬとか、虎と相討ちになるとか、痛みも苦しみも詳細に)→すると心が冷えてきて幽霊のように(冷静に?)なる。冷えた心で体がスっと動くようになる。
小姓も同様。
突然主君に向かって矢が飛んできた時、向こうの小姓の方が近いだとか、そういうことを考えていると手遅れになることがある。心が冷えきっていれば無意識に体が動く。
遅れることは武士の恥。自分のことを思う気持ちが残っていると遅れを取ってしまう。
堀田正盛もおそらくそのような心構えを持っていた。
武士ならば片手を切り落とされても、もう片手で反撃しなくてはならない(そういうことを考えておく必要がある)
だから火箸で手が焼けても動じなかった。
堀田正盛にとっては普段の自分を崩さないことが手よりも何よりも大事だった。家康のためではなく自分のための事。
自分の体より大事なものが無いから自分を守る。自分の体より大事なものがあるから自分を傷つけられる。
(これは現代の一般人でもそうで、例えば火事の時、自分一人なら迷わず逃げ出すが、焼け落ちる建物の中に自分の家族が残っていたら、とりわけ幼い子供だったりしたら自分のことは顧みずに火の中に戻ってしまう)
井原西鶴の『武士義理物語』には、豊臣の四国征伐で主を亡くし、留守役を任されていた武士の話が載っている。
七十過ぎの武士は主君の奥方と姫君を連れて都に行く。やがて奥方は病気で亡くなり、幼い姫君だけが残される。武士は姫を都の男から守るために偽装結婚のような暮らしをし、嵐に脅えた姫が布団に入ってきて抱きついても手を出さなかった。
姫に宮仕えの話が上がった時、家来と関係を持っているという噂が出たせいで話が流れそうになった。
そこで武士は、話が流れるのは縁が無かったということ、仕方がないことだが、その理由が「家来と関係を持っている」という誤解に納得いかず、公家に弁明する。もちろん身内の話は信じてもらえないので、目の前で腕を切り落とした。それを見た公家は感心して疑いを晴らし、姫は都の社交界で安泰な暮らしをした。
この話で武士が姫君に手を出さなかったのも、腕を切り落としたのも、全て姫のためではなく自分のため。自分がこれまで六十年以上貫いてきた臣としての、武士としての「道」を一時の欲望で台無しにしないため。
なぜ腕を切ったことが嘘ではないことの証拠になったのか?
→損得で動いていないから信じてもらえた。この時代に七十過ぎの老爺がその場で腕を切り落とした場合、年齢と出血量的にまず助からない。それでも迷わず切るという、損得を考えない(つまり善人悪人問わず一般人にはできないような、本物の武士の)行動をしたから疑いが晴れた。
(ここからまた本文に戻る)
2、英雄外伝、BH、CHの紹介文には「勝つために利己的な策を練る」という趣旨の文が入っている。
これを見てからずっと毛利さんの何が利己的?私利私欲の私の字もないじゃん、と思ってたけど自分のこれまでの生き方を貫き守るためだったとしたらまさに利己的で合っている。
もし優しさになびいたり絆されたりしてしまったらそれまで積み上げてきた冷徹な自分が台無しになってしまう。
本当に家と国のためを思うのなら、演技でもずっとにこやかにしてあちこちと友誼を結んだ方が利になるのに、それをしないのは生き方を今更変えたくないから。
幸村伝で、ついたことのない膝をつき、垂れたことの無い頭を垂れよう。と言っているので今まで一度もそんなことはしたことが無いということになる。膝をついて頭を垂れた方が円滑に事が進む場面もあっただろうにそれをしたことが無い。
安芸毛利家を守りたいというのが直接の目的ではなく、そのような自分の生き方を変えずにありたい、その生き方を変えない結果、安芸毛利家が守られている。
どこの媒体のセリフだったかは忘れたけど「貴様ごときが我が歩んだ道を覆せはせぬ」とか「我は何一つ間違っておらぬ! 我が策も我が道行きも、全て!」というのがまさにそう。
長曾我部はしばしば毛利の生き方を否定するようなことを言うので激昂する。
「なるほど……それがあんたの面か。冷たい顔で取り繕えばそのうち心も凍りつくぜ」
「下衆が…….そのような目で我を見るな!!」
「あんたもできるじゃねえか、そんな顔がよ」
↑氷の面、面ということは意図的にそういう振る舞いをしている。これは葉隠のところにメモしてある「冷えた心」とも通ずるところがあると思う。
そして長曾我部はこういう、毛利の考えを否定するようなことをよく言うので毛利を怒らせがち。
結論 毛利さんが本当に利己的なんだとしたら、それは私利私欲の方ではなく、己の今まで歩いてきた道を頑なに貫こうとする、そのためには自他ともに犠牲にする、その姿勢が利己的。