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特別

 木の葉の里を一望できる火影室の大きな窓を背に、ミナトは浅く椅子に腰掛けていた。
 大きく重厚な机には、書類や巻物が山のように積まれている。

 目の前の小さな身体を見つめ、ミナトは小さくため息をつく。

 狐の面を被っているので表情は見えない。だが機嫌が良くない事は、穴から覗いている瞳で明らかだった。
 微動だにせず起立している。
 凄い威圧感。

 沈黙に耐えられず、ミナトは口を開いた。

「面を外して顔を見せて欲しいな」
「嫌です」

 ……即答だった。

 この里で頂点に立つはずのミナトがタジタジになってしまう。
 しかし、自身に非があるので弁明の余地がない。

「だってこうでもしなきゃ、カカシ戻って来なかったでしょ?」

 そう、呼び戻したのだ。
 任務に出ている忍びを。
 しかも、普通の忍びではない、暗部を。
 正式名”暗殺戦術特殊部隊”を。


 カカシが国境へ向かったのは七日前。部隊を組んでの少々大掛かりな任務であった。それでも五日を有すれば完遂できるとミナトは踏んでいた。
 だからカカシを任務に行かせた。正確には、自ら赴くと言い張るカカシに根負けし、渋々承諾したのだった。
 しかし、予定通り行かないのがこの稼業。
 今回は天候が邪魔をした。長雨により、無駄に時間を費やしてしまう。
 まあ、そんな事も想定して日数の計画を立てているのだが、ミナトはそれを許す訳にはいかなかった。

「おい、チビ。指令が出た。すぐに里へ戻れ」
 雨に打たれながら見張りをしていたカカシに、鳥面を被った隊長が現れそう告げた。
「オレだけ? 出たって事は隊長の貴方ではなく、さらに上からの指示ですか?」
 上官でも臆することなく、見上げて物を言う。
「あ? まあ、そうだな」
 この場合、さらに上は火影という事になる。
「元々オレは今回の任務に必要なく、役立たずだから帰れという事ですか?」
「えっ、いや、そうではない。お前は良くやってくれている」
「ならば、ここに残ります。雨が上がれば作戦決行ですよね」
「いや、でも、こうやって伝令が……」
 鳥面の手には伝令書というより、紙切れが握られていた。悲しいかな、間違いなくミナトの筆跡。
「そのメモ書きに、効力があるとは思えません」
 冷たく言い放ち、カカシは頑として戻らなかった。

 そんなやり取りが数度あり、そして、小雨になろうとしていた明け方。
「チビ……ほ、火影が、病気? だから、すぐに里にだな……」
 仮眠をしていたところを、肩を揺すられ起こされた。
「……何で疑問形なんですか。ウソ下手過ぎです」
 寝起きで更に不機嫌度が増していたカカシに、うっ、と一瞬怯んだ鳥面だったが、彼も既に限界だった。
「チビ、いや、カカシ! いい加減戻れ。いや、頼むから帰ってくれ! ミナトのヤツからこうも催促されちゃ、気が散って職務に集中できんっ」
 丸めたでかい図体に泣き付かれたのだった。


「四代目自ら隊の指揮を乱してどうするんですか」
「そうだね……申し訳ありません」
 ミナトはショボンと肩を窄めて項垂れた。里長の威厳は何処へやら。
「火影としてあるまじき行為だったね。反省するよ。だから今度からは……」
 顔を上げたミナトは、あろうことか満面の笑みで断言した。
「火影の権限で、キミを任務に行かせないよ」
 カカシは面食らう。
「な、何言ってるんですか! それじゃ、同じ事でしょっ」

「ダメだよ。この日だけは」

 先程までと違い、低く落ち着いた声のトーン。
 光りの宿る強い青色の瞳で真っ直ぐに見つめられ、カカシは息を呑んだ。

「カカシ、誕生日おめでとう」

 直ぐにいつも通りの柔らかい表情に戻ったミナトは、机に手を添え椅子から立ち上がる。静まり返った部屋にコツコツと靴音が響いた。そしてカカシの前で立ち止まった。
 カカシは自分の足元に目を落とす。

 ……だから、任務行きを志願したのに。



 物心ついた時から、父は立派な忍びだった。母の温もりは知らない。
 そんな環境だったから、家に一人で過ごすのは当たり前だった。
 それは誕生日だって同じ事。

「やあ、カカシくん。はじめまして」

 突然目の前に現れた、父親と同じ忍びの服を着た金色の髪の人。

「今日、誕生日なんだよね。おめでとう」

 そう言って春の陽だまりのように笑う人は、翌年も、その次の年も、毎年忘れずにカカシの元へやって来た。

 きっと、寂しい思いをさせないよう、父に頼まれて来ているんだろうな、とカカシは幼いながらに考えていた。

 けれど、もう来ないだろうと思った。
 あの日、みんな手のひらを返したように、去っていったから。

 それなのに……。

 本当に一人ぼっちになってしまった、広い家。

「カカシくん、誕生日おめでとう」

 もう、来てくれないと思っていた。

 それなのに……。

 変わらぬ笑顔で、優しく抱きしめにきてくれた。

 嬉しかった。温もりが、ただただ嬉しかった。

 ああ、一人じゃない。

 今まで涙を流さなかったカカシは、この日抱かれた胸で声を上げて泣いた。


 それから、その人はカカシの師となり、そして今では、里の長。
 そう、四代目火影なのだ。



「先生はもう火影なんです。家族でもないオレに、特別な事はしないでください」
 ミナトは不満気に片方の頬を膨らませた。
「どうしてそんな事を言うの?」
「どうしてって、それはそうでしょ」
 何を言っているんだと言わんばかりに、カカシは声を荒らげた。
 この人は自分の立場を分かっているのだろうか?

「誕生日だからって、火影が私的感情で動いていいはずがない」
「火影になったら、キミの誕生日を祝ってはダメなのかい?」
「個々を特別扱いしてしまっては、他の者に示しがつきません」
「おや、カカシは子供なのに随分小難しい事を言うね」
 ミナトはやれやれと大袈裟に両肩を上げ首を振った。
 カカシはミナトの態度にムッとする。
 こっちは真剣なのに!

「茶化さないでください! オレは真面目に言ってるんです!」
「オレも真面目だよ」
 カカシの言葉をミナトは静かに遮った。

「特別がダメ? カカシはオレにとって特別だよ。今迄も、これからも、ずっと。どうして今更変わらなければいけない?」

 さも当たり前の事のようにミナトは言ってのける。
 カカシは言葉を失った。
 先程と同じ真っ直ぐな瞳に見つめられ、カカシは耐えられずに目を逸らす。

 火影になっても、変わらない。
 自然体のミナト。

 みんなが変わったあの時も、ミナトだけは変わらなかった。
 変わらず今でも、父親との約束を守り続けてくれている……。


「それともオレのしている事は、カカシにとって迷惑だった?」
 今度は寂しそうな目で見つめられた。

 カカシは分からなくなる。

 今までとは明らかに立場が違うのに。
 変わらなくても、いいのだろうか?

 カカシは特別。
 そう言ってくれた。


 火影のこの人の特別でいいのだろうか?


「カカシ、いま凄く困った顔をしている?」
「……先生が困らせているんです。自覚してください」
「え、そうなの?」
 腕を組み、うーんとミナトは頭を捻る。

 ずっと特別。
 そう言ってくれた。


 ミナトの言う通り、カカシは見えない面の中で困った顔をしていた。
 困ってしまうぐらい、嬉しくて、嬉し過ぎて。

 どんなに世間に対する体裁を口にしても、心は素直に喜んでいる。


 カカシにとってもミナトは特別。
 はじめて出会ったあの日から、ずっと。

 この気持ちは変わらない。


「カカシ、もう顔を見せてくれるよね」
 ミナトはしゃがんでカカシを下から覗き込んだ。


 カカシは躊躇いがちに、後ろで結ばれた紐を解く。

「うん。今年もキミを祝えてよかった」


 俯いて頬を染めるカカシを、ミナトはにっこり笑って抱きしめた。





 ぐーーーーーー。


 その時、盛大にミナトの腹の虫が鳴る。

「……先生」
「あははは、ホッとしたら、お腹空いたね」

 カカシがいつ帰ってくるのか気になって、昨日から食事が碌に喉を通らずにいた、とミナトはカラカラ笑う。
「外へ食べに行こう。カカシが好きそうな店を見つけたんだ」
「この格好でですか?!」
「火影直属なんだから、問題ないよ」
 いや、そういう事じゃなくて……と言いかけてカカシは止めた。
 相変わらずマイペースなミナトに、こんな素行で火影が務まるのかと今更ながら不安になる。

 急いで机を片付け支度をするミナトの背を見て、カカシはふと思い出した。
「そういえば、隊長がストレスで胃に穴が開いたから、里に戻ったら長期休暇が欲しいと叫んでいましたよ。先生に絶対伝えてくれって」
「ん? ああ、アレもよくやってくれるからね、勿論そのつもりでいたよ」

 今回の任務で、隊長にはかなり気苦労をかけてしまった。その報酬は貰えるようなので、カカシもほっとする。
 ミナトと暗部隊長。この二人は長い付き合いで、だからこそカカシの隊加入という無理なミナトの願いも融通してくれたのだ。

「そうですか。良かったです」
「次の”長期任務”が終わったら、ね。さあ、行こうか」
「……」
 笑顔でサラッと酷な事を言ったミナトに、カカシは畏怖の念を抱いた。
 普段はのほほ~んとしているのに。
 やはりこうでなければ、火影にはなれないのだろう。
 カカシは妙に納得した。


 そして不憫な鳥面の隊長に、頑張ってください、と心からエールを送った。




終わり
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