恋
周囲にはいないタイプだな……とボルトは思った。
歳はそれほど変わらないのに、二年前には既に中忍となり、現水影の側近を務めている。あの忍刀七人衆の後継者、とも。
お遊び気分でここ水の国へアカデミーの修学旅行に来ている自分達とは、大違いだ。
クラスの女子達が、黄色い声を上げて騒いでいた。
背は高く、スラリとした肢体。優雅な立ち居振る舞い。黒のグローブで覆われていても分かる細く長い指先は、刀の柄を握る時もしなやかだった。
そして何よりも、柔らかな亜麻色の髪に薄い紅梅色の瞳が映える、白肌の端麗な顔立ち。男から見ても十分魅力のある少年だった。
なるほど、自然と視線が向いてしまうのは仕方がない、とボルトは大きく頷いた。
でも、それだけではない。
笑った顔の中に、時折見せる陰りのある表情。どこか思い詰めたような、何かを悲しんでいるような……。
そんな表情にも、ボルトは惹き付けられた。
枸橘かぐら。
出会ってまだ一日しか経っていないのに、ボルトの頭はかぐらの事で一杯になっていた。彼を思うと、何故か、胸が騒ぐ。
今までに味わった事のない、熱い疼き。
予定していた観光巡りを全て終え、アカデミー生は現地で解散となった。宿泊先のホテルへ向かい、各々歩き出す。
案内役だったかぐらに、お礼と別れの挨拶をする幾人の女生徒たち。周りを染めた夕焼けの淡い色と同じように、かぐらは柔らかな笑みを受かべ律儀に応えていた。
海沿いに長く張られた高い柵の上に腰かけていたボルトは、ぼんやりとその様子を眺めていた。
「まだ帰らないのかい?」
傍らに立っていたミツキは、ボルトを見上げながら訊ねた。
「……うん、もうちょっと。ミツキ、先に帰っていいぞ」
この旅の滞在は、たった数日。少しでも、かぐらと話がしたかった。
「ボクはボルトと一緒にいるよ」
分かりきっていた返事だったので、ボルトは敢えて何も言わなかった。
その時、手を振り最後の女の子を見送ったかぐらが、こちらを振り返る。
目が合った。
笑みを浮かべ、ボルト達に向かい歩いてきた。
それが嬉しくて、ボルトは自分の背丈程の高い柵から、勢いよく飛び降りた。少しでも早くかぐらの傍に行きたくて、空高く飛んだ。
だが、器用なボルトにしては珍しく、バランスを崩す。つま先で着地し、前のめりになった。咄嗟にボルトは大きく手を伸ばす。思わず掴んだのは、走り寄ったかぐらのインナーだった。
ハイネックの襟元が引っ張られ、隠されていたかぐらの首が除いた。
「大丈夫?」
倒れ込むボルトの身体を、かぐらは両手で支えた。
「悪ぃ、かぐら」
かぐらに抱き止められ、ボルトの鼓動が早くなる。ドキドキと早鐘のように鳴っている。
「へへ、カッコ悪いな」
鼻をこすり照れながら、ボルトはかぐらから離れた。
「なあ、かぐらはさ、この後どうすんだ?」
「長十郎様に、今日の報告をしに戻るよ」
「そっか……」
やらねばならない仕事がかぐらには沢山ある。やはり、お気楽な修学旅行生とは違うのだ、と改めて思い知る。それでも、もう少しだけ、かぐらと一緒にいたい。
ふと、先程のかぐらの白い肌を思い出した。
「あのさ、首、どうしたんだ?」
「え?」
「赤くなってた。ほら、ここ」
ボルトはかぐらに触れようとした。だがその前に、かぐらは遮るようにして自分の首を抑え、後ずさりした。
ボルトの伸ばした腕が宙に浮く。
かぐらは頬を紅潮させ、ボルトから目を逸らす。
「さあ、何かな……」
そう言い、両手で緑のジャケットの襟元を正した。
「じゃあ、オレはここで失礼するよ。また、明日」
軽く会釈をし、二人に背を向け足早に歩いて行った。
「口付けの跡」
取り残され、かぐらの後ろ姿を見送っていたボルトは、今まで無言だったミツキの言葉に、目を少し大きくし振り返った。
そんなボルトに、ミツキは目を弓やりに細める。
「首の跡。強く吸うと、さっきみたいに肌に残るよね」
「キス……って、事か?」
脳裏に浮かぶ、白い肌に鮮やかに咲いた、赤い花の印。
ボルトの胸が、また騒ぎ出す。疼き出す。
ああそうか。
かぐらの傍にいて、胸が疼いたのは”艶”だ。大人びていて、自分達と何かが違うと感じたのは、その艶を、かぐらが既に経験しているからだ。
子供のような淡い恋なんかじゃない。あんな場所に跡を付けるほどの、深い関係の恋。
「別に、かぐらに彼女がいてもおかしくないだろ」
自分に納得させるように、ボルトは呟いていた。
それは普通の事だ。オレだって、いいな、と思った女の子ぐらいいた。だから、かぐらだって……。
「彼女とは限らないんじゃないかな」
「?」
「だって彼、水影の側近なんでしょ?」
「……なんだよ、それ」
ボルトは眉を寄せた。対照的に、両端の口角を上げてミツキは続ける。
「男性相手の可能性だってあるって事だよ」
男同士の関係……?
熱い疼きが、さらに熱くなる。
熱く。
熱く。
「本人の意思があるのか分からないけど。上から命じられたら断れないかもね。彼、真面目そうだし。まだキレイな赤い色だったから、案外ボク達と会う前に」
「やめろよっ!」
大きな声でボルトは叫んだ。ミツキは口を閉ざす。
「憶測でものを言うなってばさ」
空色の瞳に強い光りを宿し睨みつけた。
「そんなミツキは、嫌いだ」
嫌い、とミツキが傷つく言葉をあえて選んで吐き捨てた。
「……ごめん、ボルト」
感情を表さずに、静かにミツキは詫びる。
何を考えているか分からないミツキだが、自分に対して執着心が強いのは分かっていた。でもそれは、友情の延長だと思っていた。だって、男同士だ。
だけどもし、友情ではなく、愛情だったら……?
同性相手でも、深く愛する事が出来るとしたら……?
ボルトは戸惑った。
胸だけじゃない。違う身体の部位が、ドクドクと熱く疼き変化していくのが分かる。
「ミツキはオレと、そういうことがしたいのかよ?」
思いがけないボルトの言葉に、今度はミツキが眉を寄せる。
言ってしまってから、馬鹿な事を聞いた、とボルトは後悔した。
まるで、かぐらとそうしたいのか、と自分自身に問いかけているように思えた。
鮮明に浮かぶ、白い肌に赤の印。
誰が付けたのか?
愛し合っている相手なのか?
かぐらはその時、どんな表情だったのか……。
熱い疼きは止まらない。
「ボルト?」
「何でもないってばさ」
ボルトは握った両手を空に向け、大きく深呼吸をする。
「あーー腹減った! 晩飯バイキングだっけ? ミツキ、ホテルに戻ろうぜ」
何事もなかったかのような明るい声。両手をポケットに突っ込み、ボルトは歩き出した。
ミツキは確信する。
里に帰っても、いや、これからずっと、ボルトの心の中から、かぐらの存在が消える事はきっとない。
今はまだ憧れに似た恋だけど、いつかは、熱くてたまらない欲望の恋に変わるだろう。
「でもね、ボルト。ボクもキミを失う気はないんだ」
ミツキはいつもの余裕の表情に戻っていた。
いつものように目を弓なりに細め、長い袖をなびかせながら、宵の色の中に浮かぶ金色を目指し後を追った。
終わり
歳はそれほど変わらないのに、二年前には既に中忍となり、現水影の側近を務めている。あの忍刀七人衆の後継者、とも。
お遊び気分でここ水の国へアカデミーの修学旅行に来ている自分達とは、大違いだ。
クラスの女子達が、黄色い声を上げて騒いでいた。
背は高く、スラリとした肢体。優雅な立ち居振る舞い。黒のグローブで覆われていても分かる細く長い指先は、刀の柄を握る時もしなやかだった。
そして何よりも、柔らかな亜麻色の髪に薄い紅梅色の瞳が映える、白肌の端麗な顔立ち。男から見ても十分魅力のある少年だった。
なるほど、自然と視線が向いてしまうのは仕方がない、とボルトは大きく頷いた。
でも、それだけではない。
笑った顔の中に、時折見せる陰りのある表情。どこか思い詰めたような、何かを悲しんでいるような……。
そんな表情にも、ボルトは惹き付けられた。
枸橘かぐら。
出会ってまだ一日しか経っていないのに、ボルトの頭はかぐらの事で一杯になっていた。彼を思うと、何故か、胸が騒ぐ。
今までに味わった事のない、熱い疼き。
予定していた観光巡りを全て終え、アカデミー生は現地で解散となった。宿泊先のホテルへ向かい、各々歩き出す。
案内役だったかぐらに、お礼と別れの挨拶をする幾人の女生徒たち。周りを染めた夕焼けの淡い色と同じように、かぐらは柔らかな笑みを受かべ律儀に応えていた。
海沿いに長く張られた高い柵の上に腰かけていたボルトは、ぼんやりとその様子を眺めていた。
「まだ帰らないのかい?」
傍らに立っていたミツキは、ボルトを見上げながら訊ねた。
「……うん、もうちょっと。ミツキ、先に帰っていいぞ」
この旅の滞在は、たった数日。少しでも、かぐらと話がしたかった。
「ボクはボルトと一緒にいるよ」
分かりきっていた返事だったので、ボルトは敢えて何も言わなかった。
その時、手を振り最後の女の子を見送ったかぐらが、こちらを振り返る。
目が合った。
笑みを浮かべ、ボルト達に向かい歩いてきた。
それが嬉しくて、ボルトは自分の背丈程の高い柵から、勢いよく飛び降りた。少しでも早くかぐらの傍に行きたくて、空高く飛んだ。
だが、器用なボルトにしては珍しく、バランスを崩す。つま先で着地し、前のめりになった。咄嗟にボルトは大きく手を伸ばす。思わず掴んだのは、走り寄ったかぐらのインナーだった。
ハイネックの襟元が引っ張られ、隠されていたかぐらの首が除いた。
「大丈夫?」
倒れ込むボルトの身体を、かぐらは両手で支えた。
「悪ぃ、かぐら」
かぐらに抱き止められ、ボルトの鼓動が早くなる。ドキドキと早鐘のように鳴っている。
「へへ、カッコ悪いな」
鼻をこすり照れながら、ボルトはかぐらから離れた。
「なあ、かぐらはさ、この後どうすんだ?」
「長十郎様に、今日の報告をしに戻るよ」
「そっか……」
やらねばならない仕事がかぐらには沢山ある。やはり、お気楽な修学旅行生とは違うのだ、と改めて思い知る。それでも、もう少しだけ、かぐらと一緒にいたい。
ふと、先程のかぐらの白い肌を思い出した。
「あのさ、首、どうしたんだ?」
「え?」
「赤くなってた。ほら、ここ」
ボルトはかぐらに触れようとした。だがその前に、かぐらは遮るようにして自分の首を抑え、後ずさりした。
ボルトの伸ばした腕が宙に浮く。
かぐらは頬を紅潮させ、ボルトから目を逸らす。
「さあ、何かな……」
そう言い、両手で緑のジャケットの襟元を正した。
「じゃあ、オレはここで失礼するよ。また、明日」
軽く会釈をし、二人に背を向け足早に歩いて行った。
「口付けの跡」
取り残され、かぐらの後ろ姿を見送っていたボルトは、今まで無言だったミツキの言葉に、目を少し大きくし振り返った。
そんなボルトに、ミツキは目を弓やりに細める。
「首の跡。強く吸うと、さっきみたいに肌に残るよね」
「キス……って、事か?」
脳裏に浮かぶ、白い肌に鮮やかに咲いた、赤い花の印。
ボルトの胸が、また騒ぎ出す。疼き出す。
ああそうか。
かぐらの傍にいて、胸が疼いたのは”艶”だ。大人びていて、自分達と何かが違うと感じたのは、その艶を、かぐらが既に経験しているからだ。
子供のような淡い恋なんかじゃない。あんな場所に跡を付けるほどの、深い関係の恋。
「別に、かぐらに彼女がいてもおかしくないだろ」
自分に納得させるように、ボルトは呟いていた。
それは普通の事だ。オレだって、いいな、と思った女の子ぐらいいた。だから、かぐらだって……。
「彼女とは限らないんじゃないかな」
「?」
「だって彼、水影の側近なんでしょ?」
「……なんだよ、それ」
ボルトは眉を寄せた。対照的に、両端の口角を上げてミツキは続ける。
「男性相手の可能性だってあるって事だよ」
男同士の関係……?
熱い疼きが、さらに熱くなる。
熱く。
熱く。
「本人の意思があるのか分からないけど。上から命じられたら断れないかもね。彼、真面目そうだし。まだキレイな赤い色だったから、案外ボク達と会う前に」
「やめろよっ!」
大きな声でボルトは叫んだ。ミツキは口を閉ざす。
「憶測でものを言うなってばさ」
空色の瞳に強い光りを宿し睨みつけた。
「そんなミツキは、嫌いだ」
嫌い、とミツキが傷つく言葉をあえて選んで吐き捨てた。
「……ごめん、ボルト」
感情を表さずに、静かにミツキは詫びる。
何を考えているか分からないミツキだが、自分に対して執着心が強いのは分かっていた。でもそれは、友情の延長だと思っていた。だって、男同士だ。
だけどもし、友情ではなく、愛情だったら……?
同性相手でも、深く愛する事が出来るとしたら……?
ボルトは戸惑った。
胸だけじゃない。違う身体の部位が、ドクドクと熱く疼き変化していくのが分かる。
「ミツキはオレと、そういうことがしたいのかよ?」
思いがけないボルトの言葉に、今度はミツキが眉を寄せる。
言ってしまってから、馬鹿な事を聞いた、とボルトは後悔した。
まるで、かぐらとそうしたいのか、と自分自身に問いかけているように思えた。
鮮明に浮かぶ、白い肌に赤の印。
誰が付けたのか?
愛し合っている相手なのか?
かぐらはその時、どんな表情だったのか……。
熱い疼きは止まらない。
「ボルト?」
「何でもないってばさ」
ボルトは握った両手を空に向け、大きく深呼吸をする。
「あーー腹減った! 晩飯バイキングだっけ? ミツキ、ホテルに戻ろうぜ」
何事もなかったかのような明るい声。両手をポケットに突っ込み、ボルトは歩き出した。
ミツキは確信する。
里に帰っても、いや、これからずっと、ボルトの心の中から、かぐらの存在が消える事はきっとない。
今はまだ憧れに似た恋だけど、いつかは、熱くてたまらない欲望の恋に変わるだろう。
「でもね、ボルト。ボクもキミを失う気はないんだ」
ミツキはいつもの余裕の表情に戻っていた。
いつものように目を弓なりに細め、長い袖をなびかせながら、宵の色の中に浮かぶ金色を目指し後を追った。
終わり
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