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願い

甘かった。自分の力量を過信した。
そうカカシが思い知った時には遅かった。

面白いほど簡単に誘いにのる大人。
だらしなく鼻の下を伸ばした男のツラほど、情けないものはない。
その気にさせた後に、肩透かしを食らわせる。
単なる憂さ晴らし。

大きな図体の男であったが、自分と同じ階級の忍び。
いつものように、軽くあしらえるハズだった。

「ガキ、図に乗るな」

深夜のひと気の無い、薄暗い路地裏。
冷たい壁に押し付けられ、頭上で両手を一つにされる。
手首をギリリと締め付けられ、苦痛にカカシは顔を歪ませた。

「てめえみたいに、少しばかり腕が立つガキは勘違いしちまうんだ。揶揄う相手を間違えたな。今まではトンズラできたかもしれねえが、オレは逃がさねぇ」

口布を剥ぐ様に下げられ、片手で強く両頬を掴まれた。そして上に向かされる。カラリと音を立て、額当てが落ちた。
あらわになったカカシの顔を舐めるような視線で品定めした男は、片方の口端をあげた。
「たっぷり愉しませてくれよ」
男の太い指がアウターの裾から入り込み、脇腹をなぞった。蠢く感触にゾッとする。


「そこまでにして」

辺りが静まった中、足音を響かせ人影が近付いてきた。
助かったと思うよりも、聞き覚えのあるその声にカカシは顔を曇らせる。

「おいたをしたガキはどうなるか、ちゃんと教えてやらなきゃダメだろ? それが大人の役目ってもんだ」
「そうだね。だったらその役目はオレがするよ。その子はオレの教え子だからね」

男はしばらく、殺伐なこの状況でも涼しい顔でいられる金髪の男を、無言でじっと見続けた。
が、やがて掴んでいた腕を放り出す。小柄な身体が地面を転がった。

「ちゃんと躾ておけ」
「ああ。ありがとう」

男は繁華街の明かりの中へ消えていった。


「カカシ、立てるかい?」

落ちた額当てを拾い上げ、返事をしないカカシの傍にミナトはしゃがんだ。
カカシはそれを受け取るが、俯いたままだった。

「最近、夜の街を出歩いているそうだね。こんな事をして、何がしたいんだい?」
「別に。隙がある忍び相手に、ちょっとふざけているだけです」
「ふざけただけ? 自分の身を犠牲にしてまで?」
「それは……今日はたまたまヘマをしただけで」
「ふざけていただけ、ヘマをしただけ、か。オレが来なければ、キミはどうなってた?」
ミナトの続く問いかけに、カカシは顔を上げる事が出来ない。  

「カカシ。こちらを見なさい」
語尾を強めたミナトに、カカシは両肩を掴まれた。

意味のない事をしていると、自分でも分かっている。
本当は、憂さ晴らしにさえならない事も。
それでも、何かをしていないと耐えられなかった。
狂いそうだった。

「どうって、たかがセックスでしょ?! そりゃあ、男とするのなんて御免だけど」

その時、ミナトの放つ気が一瞬にして変わる。驚いたカカシは、はじめてミナトと顔を合わせた。
ミナトの青い瞳が、まるで赤い炎の様に揺らめいている。

穏やかなミナトであったが、戦場では圧倒的な強さを誇る。その敵に向ける気が、今、自分に向けられている。
背筋が凍った。
殺気だけではない。含まれているのは、雄の気迫……。

怖い。

後ずさりをしてカカシは逃げ出そうとした。
それを許さず、ミナトは勢いよく足首を掴んだ。体勢を崩し地に倒れ込んだカカシは馬乗りにされる。
ミナトに表情は無い。カカシの両手首を顔の左右に押さえつけ、鋭い眼差しで見下ろしていた。

「どうした、怖い? 身体が震えてる。たかがセックスなんだろ?」

嫌悪感だけだった先程の男とは、比べようのない恐怖が全身を襲う。

「怖い、です」
わなわなと怯えた声で、それでもカカシは吐露する。

「けれど、大した事ない」

ミナトは目を細める。

「こんな事は、死んでしまうより……全然大した事じゃない!!」


消えてしまった二つの命……。

カカシ自身の、右側の瞳からだけ、涙が零れ落ちた。



カカシの上からミナトは退いた。蹲る身体を、腕を引いてゆっくりと起こしてやる。

「カカシ、キミは生きている」

低音の、包み込むような優しい声。
カカシを覗き込むミナトの瞳は、いつもの静かな色に戻っていた。

「今を、生きている。生きていかなければならない。分かるね?」

守ってくれた友の命。
守れなかった友の命。

「責めを負うんじゃない。二人と共に生きるんだ」

二人から託された命なのだから。


「もっと自分を大切にしなさい。じゃないと二人に怒られる」
「……先生」
ミナトは、涙を流し続ける銀の髪を胸元に引き寄せた。

「キミになにかあったらと考えると、オレも怖いよ。とても」
そう言って、小柄な身体を強く抱き締める。
カカシの頬に、金の髪が揺れた。

怯える身体にミナトの温もりが、トクトクとゆっくり浸透していく。


「さっきはごめん。驚かせてしまったね」

震えはいつしか止まっていた。
ミナトがしているように、カカシも師の背中に両手を回す。

触れる事ができる背中。
縋る事が出来る唯一の背中。

この背を離したくない。

ミナトのベストを掴んだ指に力がこもる。

「……ミナト先生」
「ん?」

先生は、オレを一人にしないで。オレをおいていかないで。

そう言ってしまいたかった。
でも、喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。

それを約束させることなんてできない。
それが叶うと信じてはいけない。


「せめて今だけ、傍にいて下さい」


多くを望まない。

失いすぎたカカシには、その願いだけで十分だった。




終わり
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