キッチン
トントントン、と規則正しい音が聴こえた。
軽快なリズムは、目を覚ましたばかりの頭にとても心地よく響いて、再び微睡みそうになってしまう。
いつまでもこうしていたいけれど、流石にそれはまずい。
起きる決意をしたかぐらは、シーツから脚を滑らせベッドを下りた。
昨夜脱ぎっ放しにした服は、シワにならないよう椅子の背にかけられていた。それに袖を通す。
身支度を終え、裸足でフローリングの廊下を歩いていくと、いい匂いがした。
朝食……と言うより、昼食の方が正解の時刻。お日様は、既に高い位置だ。
角を曲がり、柔らかい光を浴びるキッチンを覗くと、鼻歌を歌っている屍澄真がいた。
ウェーブのかかった長い髪は、後ろでひとつにまとめられている。
あの頃からは想像もできない姿に、かぐらは思わず肩を揺らした。
だってキャラクターが描かれているエプロンを、あの先輩が身にまとっているなんて。
「起きたのか。腹減っただろ? 座って待ってろ」
まな板の玉ねぎは、あっという間に細かく切り刻まれていく。それが終わると、手際の良いシェフは温めたフライパンに割った卵を入れ、ジュッっと炒め始めた。
背後でクスクスと笑うかぐらに、屍澄真は振り返る。
「何がおかしい?」
「いえ。その格好、似合ってるな、と思って」
「だろ?」
エプロンの裾を可愛らしく両手で広げた屍澄真を見て、かぐらは更に笑い転げた。
「屍澄真さん、料理出来るんですね。意外でした」
イスを引いて、かぐらは席に着く。テーブルの上には、焼きあがったパンケーキが皿の上に高く重ねられていた。先ほどの美味しそうな匂いの正体はこれか。
他にも、ジャガイモとベーコンのマスタード炒め、色鮮やかなトマトサラダ、クルトンが浮かぶコーンスープ……。これらすべてが屍澄真の手作り。かぐらは感心せずにはいられない。
先程刻んだ玉ねぎを加え、屍澄真は慣れた様子でフライパンを片手で振った。
「別に、これぐらいならお前だって作れるだろ?」
「無理ですよ。さっきの包丁だって。オレ、あんなに上手く使えないです」
「なんだお前、優れた剣さばきのクセに、包丁が扱えないのか?」
「えっ、それ関係あるんですか? だったら、忍刀七人衆はみんな料理上手って事になりますよ」
「ははっ、違いない」
話しながらも屍澄真の両手は、休むことなく器用に動いていた。
他愛のない会話。
かぐらには、それがとても嬉しかった。
屍澄真とこんな穏やかな日が送れるようになるなんて、数ヶ月前は考えられなかった。里に背き、捕らえられたあの時には……。
それが今、彼の家で一晩過ごし、食事を振る舞われている。
昔から屍澄真は面倒見が良かった。実際、アカデミーでも後輩達から慕われていた。兄貴肌。彼の元々の性分なのだろう。
出来上がったチャーハンを皿に盛り、屍澄真はかぐらの前に置いた。
「量……多すぎじゃないですか?」
パンケーキが主食かと思っていたのに、さらに主食が加わり、かぐらは困惑を隠せない。小食ではないが、大食でもない。
「朝と昼の分だ。育ち盛りなんだから食えるだろ?」
そう言いながら、屍澄真は冷蔵庫を覗き、奥から苺を取り出した。どうやらデザートまで用意してくれるらしい。
「それに、お前は、もう少し肉を付けろ」
屍澄真は空いた手で、かぐらの二の腕を掴む。服の上からでも、親指と中指がくっついてしまいそうなかぐらの腕。
「今のお前じゃ、あの刀に潰されそうだ」
「酷いなぁ。筋力はありますよ」
方頬を膨らませたかぐらは、ほら、と肘を曲げ屍澄真に握られたまま力こぶを作ってみせる。そんな努力も空しく、屍澄真の指は容赦なくかぐらの腕を締め付けた。
「イタタタッ」
「ふん。オレにしてみれば、まだまだだよ」
顔を歪めるかぐらに、屍澄真は口端を上げた。
「痛いですって、馬鹿力!」
薄い紅梅色の大きな瞳を揺らし抗議するかぐらを見て、屍澄真は力を緩めた。その変わりに今度は指先で、かぐらの腕を優しくそっと撫で上げる。
「まあ今のままでも、オレ個人としは、悪くはない……が、な」
そう言ってカゴに苺を移し替え、シンクへと歩き出した。蛇口をひねり洗う屍澄真の後ろ姿を、痛む腕を擦りながら、かぐらは不思議そうに目で追った。
「あっ……」
暫くしてから、かぐらは屍澄真の言わんとする事を理解した。白い頬がピンク色に染まる。
「……先輩、オヤジですね」
「バカ言え。こんな若いお兄さんを捕まえて、何がオヤジだ」
オヤジの言葉に過剰に反応する。
ボルトに“おっさん”と言われた時の屍澄真を思い出し、かぐらは吹き出した。
うずまきボルト。
彼と出会い、かぐらの運命は大きく変わった。
囚われ続け、暗闇でもがいていた自分を、光の場所へと導いてくれた。
過去は変えられないけれど、未来は自分たちで作っていく。
そうボルトは教えてくれた。
ボルトが自分を救ってくれた。
今度は、自分が屍澄真を救いたい。
彼の運命を変える存在になりたい。
血塗られた世界ではなく、屍澄真にも自分と同じ夢を見て欲しい。
過ちを犯した過去は変えられないけれど、自分が信じる未来を、屍澄真たちと作っていきたい。
かぐらはそう願う。
人はそう簡単に変われない。そうかもしれない。けれど……。
もし、もしもまた屍澄真が暴走するような事があれば、必ず自分が止めてみせる。
この身を挺して。
「かぐら、皿を出してくれ」
かぐらは立ち上がり、食器棚から小ぶりの皿を二枚手にした。
はい、と手渡す時、かぐらは背伸びをして軽く屍澄真に口付けた。
「なっ……」
屍澄真の目は驚いて丸くなった。顔はこれでもかと赤くなっていく。
昨夜はもっと凄いことを、平気でしてきたくせに。
幼い子のような屍澄真の表情に、かぐらは声を出して笑った。
与えることは出来るのに、与えられることに慣れていない、不器用な人。
この人を、もう二度と、堕ちさせない。
「屍澄真さん、好きです」
「バーカ」
洗いたての苺をかぐらの口に放り入れ、屍澄真は照れくさそうに笑った。
終わり
軽快なリズムは、目を覚ましたばかりの頭にとても心地よく響いて、再び微睡みそうになってしまう。
いつまでもこうしていたいけれど、流石にそれはまずい。
起きる決意をしたかぐらは、シーツから脚を滑らせベッドを下りた。
昨夜脱ぎっ放しにした服は、シワにならないよう椅子の背にかけられていた。それに袖を通す。
身支度を終え、裸足でフローリングの廊下を歩いていくと、いい匂いがした。
朝食……と言うより、昼食の方が正解の時刻。お日様は、既に高い位置だ。
角を曲がり、柔らかい光を浴びるキッチンを覗くと、鼻歌を歌っている屍澄真がいた。
ウェーブのかかった長い髪は、後ろでひとつにまとめられている。
あの頃からは想像もできない姿に、かぐらは思わず肩を揺らした。
だってキャラクターが描かれているエプロンを、あの先輩が身にまとっているなんて。
「起きたのか。腹減っただろ? 座って待ってろ」
まな板の玉ねぎは、あっという間に細かく切り刻まれていく。それが終わると、手際の良いシェフは温めたフライパンに割った卵を入れ、ジュッっと炒め始めた。
背後でクスクスと笑うかぐらに、屍澄真は振り返る。
「何がおかしい?」
「いえ。その格好、似合ってるな、と思って」
「だろ?」
エプロンの裾を可愛らしく両手で広げた屍澄真を見て、かぐらは更に笑い転げた。
「屍澄真さん、料理出来るんですね。意外でした」
イスを引いて、かぐらは席に着く。テーブルの上には、焼きあがったパンケーキが皿の上に高く重ねられていた。先ほどの美味しそうな匂いの正体はこれか。
他にも、ジャガイモとベーコンのマスタード炒め、色鮮やかなトマトサラダ、クルトンが浮かぶコーンスープ……。これらすべてが屍澄真の手作り。かぐらは感心せずにはいられない。
先程刻んだ玉ねぎを加え、屍澄真は慣れた様子でフライパンを片手で振った。
「別に、これぐらいならお前だって作れるだろ?」
「無理ですよ。さっきの包丁だって。オレ、あんなに上手く使えないです」
「なんだお前、優れた剣さばきのクセに、包丁が扱えないのか?」
「えっ、それ関係あるんですか? だったら、忍刀七人衆はみんな料理上手って事になりますよ」
「ははっ、違いない」
話しながらも屍澄真の両手は、休むことなく器用に動いていた。
他愛のない会話。
かぐらには、それがとても嬉しかった。
屍澄真とこんな穏やかな日が送れるようになるなんて、数ヶ月前は考えられなかった。里に背き、捕らえられたあの時には……。
それが今、彼の家で一晩過ごし、食事を振る舞われている。
昔から屍澄真は面倒見が良かった。実際、アカデミーでも後輩達から慕われていた。兄貴肌。彼の元々の性分なのだろう。
出来上がったチャーハンを皿に盛り、屍澄真はかぐらの前に置いた。
「量……多すぎじゃないですか?」
パンケーキが主食かと思っていたのに、さらに主食が加わり、かぐらは困惑を隠せない。小食ではないが、大食でもない。
「朝と昼の分だ。育ち盛りなんだから食えるだろ?」
そう言いながら、屍澄真は冷蔵庫を覗き、奥から苺を取り出した。どうやらデザートまで用意してくれるらしい。
「それに、お前は、もう少し肉を付けろ」
屍澄真は空いた手で、かぐらの二の腕を掴む。服の上からでも、親指と中指がくっついてしまいそうなかぐらの腕。
「今のお前じゃ、あの刀に潰されそうだ」
「酷いなぁ。筋力はありますよ」
方頬を膨らませたかぐらは、ほら、と肘を曲げ屍澄真に握られたまま力こぶを作ってみせる。そんな努力も空しく、屍澄真の指は容赦なくかぐらの腕を締め付けた。
「イタタタッ」
「ふん。オレにしてみれば、まだまだだよ」
顔を歪めるかぐらに、屍澄真は口端を上げた。
「痛いですって、馬鹿力!」
薄い紅梅色の大きな瞳を揺らし抗議するかぐらを見て、屍澄真は力を緩めた。その変わりに今度は指先で、かぐらの腕を優しくそっと撫で上げる。
「まあ今のままでも、オレ個人としは、悪くはない……が、な」
そう言ってカゴに苺を移し替え、シンクへと歩き出した。蛇口をひねり洗う屍澄真の後ろ姿を、痛む腕を擦りながら、かぐらは不思議そうに目で追った。
「あっ……」
暫くしてから、かぐらは屍澄真の言わんとする事を理解した。白い頬がピンク色に染まる。
「……先輩、オヤジですね」
「バカ言え。こんな若いお兄さんを捕まえて、何がオヤジだ」
オヤジの言葉に過剰に反応する。
ボルトに“おっさん”と言われた時の屍澄真を思い出し、かぐらは吹き出した。
うずまきボルト。
彼と出会い、かぐらの運命は大きく変わった。
囚われ続け、暗闇でもがいていた自分を、光の場所へと導いてくれた。
過去は変えられないけれど、未来は自分たちで作っていく。
そうボルトは教えてくれた。
ボルトが自分を救ってくれた。
今度は、自分が屍澄真を救いたい。
彼の運命を変える存在になりたい。
血塗られた世界ではなく、屍澄真にも自分と同じ夢を見て欲しい。
過ちを犯した過去は変えられないけれど、自分が信じる未来を、屍澄真たちと作っていきたい。
かぐらはそう願う。
人はそう簡単に変われない。そうかもしれない。けれど……。
もし、もしもまた屍澄真が暴走するような事があれば、必ず自分が止めてみせる。
この身を挺して。
「かぐら、皿を出してくれ」
かぐらは立ち上がり、食器棚から小ぶりの皿を二枚手にした。
はい、と手渡す時、かぐらは背伸びをして軽く屍澄真に口付けた。
「なっ……」
屍澄真の目は驚いて丸くなった。顔はこれでもかと赤くなっていく。
昨夜はもっと凄いことを、平気でしてきたくせに。
幼い子のような屍澄真の表情に、かぐらは声を出して笑った。
与えることは出来るのに、与えられることに慣れていない、不器用な人。
この人を、もう二度と、堕ちさせない。
「屍澄真さん、好きです」
「バーカ」
洗いたての苺をかぐらの口に放り入れ、屍澄真は照れくさそうに笑った。
終わり
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