☆口紅遊戯☆
可愛い顔して、
足を投げ出すようにして座る少女に、
女が訊ねる。
「あなた、名前は?」
「こ─────」
「あ、待って。偽名でいいわ」
「ギメイ?」
「そ、嘘の名前」
「じゃあ、─────康琳」
「ふ~ん。アタシはね、愛純<アイチュン>」
「偽名?」
「本名」
「………」
「たまには、本名を名乗らないと、忘れちゃうのよ」
煙管を咥えて言う愛純。
「康琳、いくつ?」
「─────12」
ひとつ、年齢のサバを読む。
「じゃ、アタシも12歳♡」
「………」
「歳はいーのよ!女はいくらでも、偽ってッ」
愛純が、葉を燻した煙を深く吸い込む。
「12なら、もうわかるわよね。アタシが、どーゆーオンナか」
深く紫煙を吐く。
「そんなの気にしない」
「ふーん」
「世の中、いろんな女がいるからねェ」
ふう、と、見えない紫煙を、宙に吐き出すようにして、言う康琳。
「達観してるわね」
言って、本当の紫煙を宙に吐き出す、愛純。
「いつか、いーこと、あるよ。
愛純、いい人そうだし。悪い人ではなさそうだし。美人だし」
「どーかしら。世の中ってね、オンナに生きるには、辛くできてるのよ」
愛純が、実感のこもったことを言ってすぐ、
じっと、康琳の顔を見た。
「キス、したことある?」
「ない」
「キスしてあげる。大人のキス」
「高いんだろ」
康琳が言う。
「そーだったわ。あはは」
愛純が、笑う。
「忘れんなよ。あはは」
康琳も、笑う。
愛純が、閉まらず壊れた鞄から、さっきの口紅を取り出す。
「この口紅、あげる」
「え、いいよ」
驚いて、断る康琳。
「いーのよ。お喋りに付き合ってくれたお礼」
「いいよ。楽しかったし、アタシも」
首を横に振る、愛純。
「長らく女で生きてるとね、
無償で、なにかをすることも、
されることも出来なくなるの。貰って」
そう言って、強引に、細い指の小さな手にそれを握らせる。
「ありがとう」
康琳は、まだ少し砂ぼこりの付いた、その口紅を握りしめる。
「2、3回、使っちゃってるから、─────間接キスになっちゃうね」
その言葉の後半は、図らずも、かき消される。
散り散りに逃げていった少年のうちの一人が、
いつ戻ってきていたのか、
物陰から姿を現し、康琳に声をかけたのだ。
「柳娟」
「康琳よ」
「恋人?」
愛純が、いつの間にか火の消えた、煙管を咥えたまま訊く。
「違う」
「愛人?」
「違う」
「友達?」
「そう」
愛純は、石造りの階段から腰を上げた。
そして、
「パパによろしくね♡」
と、康琳に手を振った。
「愛純もね」
と、康琳も、口紅を握りしめていない方の手を、振り返した。
お決まりの、もう二度と出会えない、
別れの言葉を口にして、女が去ってゆくと、
少年は、康琳に駆け寄った。
「お前、あのオンナに、なんか、されたか?」
「別に」
「別に!?別にって、なんだ!?」
「12歳には、まだ、わかんないわよ」
「お前も、12歳だろ!早生まれで!」
「謝音瑠の444番」
「ブラックジャック先生の患者の待ち人数!」
「不正解。じゃ、胡宇知の鞄<クラッチ>」
「幻のスーパーカーか!?」
「不正解。じゃ、婆亜婆李伊は?」
「レアポケモン!!」
「不正解。ほらッ、なーんもわかってない!」
少年は、ある日まで、自分たちと同じように、
男の格好をしていたのに、
ある日から、女の格好になった、
この、なにがなんだかわからない、友達の顔を見た。
タレ目がちの大きな瞳。
通った鼻筋。品のいい小鼻。
形の良い唇。白い肌。
左目下には、泣きボクロ。
女性物の赤い衣装に身を包み、
肩まである伸ばしかけの髪を、
上半分はお団子にし、
下半分はおろし
右耳の上に花の髪飾りを挿し、
可愛い顔して、
足を投げ出すようにして、
石造りの階段に座っている。
その姿は、本当は、まだ、自分のことすら、
なにがなんだかわからない、少年の目と心をも惹いた。
少年は、康琳の顔から目をそらし、宙を見上げた。
「なんかよくわかんねーけど、柳娟」
「康琳よ」
『ずっと、友達でいような』
その声を、なにかが、かき消した。
そして、それは、口に出しても、出さなくても、変わらない、
「運命的」なことなのだと、なぜか、わかった。
康琳は衣装の階段から立ち上がり、
ぱんぱん、と、衣装のお尻の部分をはたいた。
「なによ?」
続きを言わない友達の顔を、康琳が見る。
「うまい棒が、うまいことは、俺にもわかる」
「よかったわね」
トコトコと、歩き出す康琳。その隣を、少年が歩く。
「お前、ピータンって、どーやって出来たか知ってるか?!」
「知らない」
「俺も」
トコトコと、街をゆく、少年と少女。
奇異な目を向ける者も、同情の目を向ける者も、
好奇な目を向ける者も、好色の目を向ける者もいた。
それでも、貫くその姿は、
宿命と運命に定められたその渦の、
その外にいる者たちの、目を惹いた。
短くなった日の光が、
少年と少女の、あどけなさも、危うさも、たくましさも、宿す顔と、
いつか思いだすこともなくなってしまう思い出を、
最後の輝きとばかりに照らす。
終
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