1.Trigger on.
貴方のお名前は?
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その日は自分より小さな子どもが公園で遊んでいるのを、ただぼんやりと眺めていた。
濡羽色の緩いくせ毛を揺らしながら、遊具の中に置き去りにされていたボールを両手に抱え、その子どもは走る。周りに人の気配はなく、植え込みの多く視界の悪いこの公園は不審者もよく出るという噂で、学校の先生からは決して一人では行かないように言いつけられていた。それでも家から近い公園なんてここしかなく、人気が無いのは人混みが嫌いな自分にとって好都合でしかなかったわけだが。
最初はただの偶然で、通学路にあるこの公園にふと目をやっただけ。それでもここにいる理由は単純で、やはり一人きりでボールを追いかけている小学生の男の子が気になったからだ。友達は、親は何をしているのだろうと思い声をかけようと思ったものの、人見知りの激しい私はただぼんやりと眺めることしかできていない。
毎日毎日同じ時間にやって来ては、緩い軌道を描くボールを壁に向かって蹴り続けている。真面目なのだろう、その瞳は一点をただ見つめていて、次第に同じ場所に当てられるようになっている。はたしてサッカー部である弟も、同じことができるだろうか。
ここに長くいては危ないのは、私もあの子も同じこと。けれども中学に上がったばかりの私は、少しだけ大人になった気でいた。背も男の子より高く、喧嘩だって対等にできる。そんな思い上がりもあって、私はこの公園に通い続けている。
そうして早二週間。最初はこちらのことを気にも留めなかった子どもが、ちらちらとこちらを見てくるようになった。中学生とはいえ年上の自分は、不審者と間違われないように本を持ち込んでベンチで読むだけ。遊具にも触れず、走り回りもせず、家でもできることを黙々とこなす私にあの子は何を思っているのだろう。
今日もそうだ。髪に比べて色素の薄い茶の瞳が、じいとこちらを見据えてくる。かといってこちらが見つめ返せばふいと顔をそらし、またボールを蹴り始めてしまった。
それでも動揺が抜けきっていないのか、いつもより力を込めたボールは、遊具とぶつかりこちらに転がる。ちょんと足先に当たったボールは煤けていて、そっと持ち上げただけでぺこんとへこんでしまう。これはいけない。一向にボール使いが上手くならないどころか、下手をすれば怪我をしてしまうだろう。
そんなことを考えながらフニフニと柔らかいそれを手で弄んでいれば、茶色の瞳が思ったよりも近くにあった。自分の物ではないボールだからか、返してほしいとも言いづらいのだろう。年相応の小さくやわい手は宙をかき、それでも低い目線はこちらに向いている。
私はなるべく怖がらせないように、なるべく口角を上げて笑って見せた。しかし元々笑顔を作るのが下手だという自覚があるため、ピクピクと動く口元にすぐ脱力してしまう。子どもはそんな様子を見て、少しだけ目を細めて笑ってくれた。側から見れば怪しさ満点のこの変化も、少年にとっては警戒心を溶かす働きくらいにはなってくれたらしい。つられてこちらも自然と笑みがこぼれる。
「ああごめんね、でもこのボールちょっと危ないよ。空気入れなきゃ」
未だ私の手にあったボールは、力を少し入れただけで大きくへこむ。これでは綺麗に転がすことすら難しいだろう。彼はしばし目を瞬かせた後、眉を下げた。
「……空気入れ、持ってない」
「私も持ってないなあ……家にあるわけでもないけど。ボール遊び、好きなの?」
「違うけど、遊ぶもの、他に無いから」
そう言って俯いた子どもは、顔立ちこそ整っているものの服の生地は重そうで、ところどころ解れている。汚れも落ち切っていないのか、色が変わっている部分も見える。古着屋で買ってきたものを使っているのか、はたまた誰かのお下がりでも貰ったのだろう。一瞬虐待の線も疑ってしまったが、怪我らしきものは見当たらない。風呂にも入っていないというのは無さそうだと、すぐにその思いを消した。
しかしこういった子どもは、想像でしかないが本を買ってもらうことがない。絵本だって小説だって、安くはないのだ。視線をベンチに置いていた本に移し、これが児童書であることを再確認する。この子が何歳かは不明だが、少なくともそう理解に難しい内容でもないだろう。なんせ自分が小学校一年生の時に読破した本だ。
「私と本でも読む?」
「いいの?」
「うん、おいで」
ペタペタとベンチの横を叩いて、彼を呼ぶ。足元に転がしたボールを見ることなく、ちょこんと腰を下ろした子どもの頭は、私の肩と同じくらいの高さだった。
もしかすると、見た目よりも年は上かもしれない。
「君、名前は?」
「烏丸京介」
「そう、私は維織、中学一年生」
「……俺は、小学三年生」
舌足らずはとうに卒業して、あとは声変わりを待つだけの声音。耳に残る心地よさに心を揺らしながら、ぺらりと児童書を捲った。
穏やかな空気だけが肌をなぞっている。夕暮れ時の七つの子が、まるでこの子を表しているようだとも思った。
濡羽色の緩いくせ毛を揺らしながら、遊具の中に置き去りにされていたボールを両手に抱え、その子どもは走る。周りに人の気配はなく、植え込みの多く視界の悪いこの公園は不審者もよく出るという噂で、学校の先生からは決して一人では行かないように言いつけられていた。それでも家から近い公園なんてここしかなく、人気が無いのは人混みが嫌いな自分にとって好都合でしかなかったわけだが。
最初はただの偶然で、通学路にあるこの公園にふと目をやっただけ。それでもここにいる理由は単純で、やはり一人きりでボールを追いかけている小学生の男の子が気になったからだ。友達は、親は何をしているのだろうと思い声をかけようと思ったものの、人見知りの激しい私はただぼんやりと眺めることしかできていない。
毎日毎日同じ時間にやって来ては、緩い軌道を描くボールを壁に向かって蹴り続けている。真面目なのだろう、その瞳は一点をただ見つめていて、次第に同じ場所に当てられるようになっている。はたしてサッカー部である弟も、同じことができるだろうか。
ここに長くいては危ないのは、私もあの子も同じこと。けれども中学に上がったばかりの私は、少しだけ大人になった気でいた。背も男の子より高く、喧嘩だって対等にできる。そんな思い上がりもあって、私はこの公園に通い続けている。
そうして早二週間。最初はこちらのことを気にも留めなかった子どもが、ちらちらとこちらを見てくるようになった。中学生とはいえ年上の自分は、不審者と間違われないように本を持ち込んでベンチで読むだけ。遊具にも触れず、走り回りもせず、家でもできることを黙々とこなす私にあの子は何を思っているのだろう。
今日もそうだ。髪に比べて色素の薄い茶の瞳が、じいとこちらを見据えてくる。かといってこちらが見つめ返せばふいと顔をそらし、またボールを蹴り始めてしまった。
それでも動揺が抜けきっていないのか、いつもより力を込めたボールは、遊具とぶつかりこちらに転がる。ちょんと足先に当たったボールは煤けていて、そっと持ち上げただけでぺこんとへこんでしまう。これはいけない。一向にボール使いが上手くならないどころか、下手をすれば怪我をしてしまうだろう。
そんなことを考えながらフニフニと柔らかいそれを手で弄んでいれば、茶色の瞳が思ったよりも近くにあった。自分の物ではないボールだからか、返してほしいとも言いづらいのだろう。年相応の小さくやわい手は宙をかき、それでも低い目線はこちらに向いている。
私はなるべく怖がらせないように、なるべく口角を上げて笑って見せた。しかし元々笑顔を作るのが下手だという自覚があるため、ピクピクと動く口元にすぐ脱力してしまう。子どもはそんな様子を見て、少しだけ目を細めて笑ってくれた。側から見れば怪しさ満点のこの変化も、少年にとっては警戒心を溶かす働きくらいにはなってくれたらしい。つられてこちらも自然と笑みがこぼれる。
「ああごめんね、でもこのボールちょっと危ないよ。空気入れなきゃ」
未だ私の手にあったボールは、力を少し入れただけで大きくへこむ。これでは綺麗に転がすことすら難しいだろう。彼はしばし目を瞬かせた後、眉を下げた。
「……空気入れ、持ってない」
「私も持ってないなあ……家にあるわけでもないけど。ボール遊び、好きなの?」
「違うけど、遊ぶもの、他に無いから」
そう言って俯いた子どもは、顔立ちこそ整っているものの服の生地は重そうで、ところどころ解れている。汚れも落ち切っていないのか、色が変わっている部分も見える。古着屋で買ってきたものを使っているのか、はたまた誰かのお下がりでも貰ったのだろう。一瞬虐待の線も疑ってしまったが、怪我らしきものは見当たらない。風呂にも入っていないというのは無さそうだと、すぐにその思いを消した。
しかしこういった子どもは、想像でしかないが本を買ってもらうことがない。絵本だって小説だって、安くはないのだ。視線をベンチに置いていた本に移し、これが児童書であることを再確認する。この子が何歳かは不明だが、少なくともそう理解に難しい内容でもないだろう。なんせ自分が小学校一年生の時に読破した本だ。
「私と本でも読む?」
「いいの?」
「うん、おいで」
ペタペタとベンチの横を叩いて、彼を呼ぶ。足元に転がしたボールを見ることなく、ちょこんと腰を下ろした子どもの頭は、私の肩と同じくらいの高さだった。
もしかすると、見た目よりも年は上かもしれない。
「君、名前は?」
「烏丸京介」
「そう、私は維織、中学一年生」
「……俺は、小学三年生」
舌足らずはとうに卒業して、あとは声変わりを待つだけの声音。耳に残る心地よさに心を揺らしながら、ぺらりと児童書を捲った。
穏やかな空気だけが肌をなぞっている。夕暮れ時の七つの子が、まるでこの子を表しているようだとも思った。