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『胸にぽっかりと穴が空いたような』と、先人は言った。
最初はなんて安っぽい言葉だと一笑に付したものだが、なるほどどうして上手いことを言ったものだ。確かに僕の胸は、ぽっかりと穴が空いてしまったようだ。
赤く染まった自分の手を、うだるような暑さの中に落とす。なんて綺麗なのだろうか。
「兄さんの……色だね」
暑さか倦怠感か、おぼつかない足で赤い水たまりに飛び込んだ。
僕には愛する人がいた。
幼い頃からいつも一緒の僕ら六つ子は、子供ながらの可愛いものから、大人が頭を抱えるような荒気ない悪戯の数々をしでかしてきた。その中でも僕は、長男であるおそ松とニコイチだの相棒だの呼ばれつつ常に行動を共にした。
そんなことの時間を思春期に費やしたせいか、成長が身体だけであった自業自得なのか、ロクな大人にならなかった僕らは、一般に言う世間のカースト最下位となっていた。
それだけならばまだいい。現代の日本人の十数人に一人はニートだというし、兄弟揃ってというのが、無意識のうちに狭い世界での自分の価値を上げている気がした。
だのに何故だ。これは現実と捉えて良いものか。物音をたてないようにして現実を見る。そして首を捻る。僕はどうして、卒業したはずの学校の席で授業を受けているのだろうか。
おそるおそる斜め前の席を覗けば、多少あどけなさの残るかつての相棒。
背丈はあまり変わらないが、成人との運動量の違いからか筋肉質な腕が白い半袖シャツから伸びている。椅子にかかっている赤いパーカーを見るに、それぞれ個性を出し始めたばかりの高校生の時代か。
しかし生憎僕は大人だ。先ほどから教師が唱えている呪文の意味もわかりはしない。
注意深く前にいる兄を観察しつつ、すっかり意味をなさないノートに今後の僕の身の振る舞い方を走り書きする。これはチャンスだった。どうやら僕は、人生最大の汚点とも言える高校生活をやり直せるという幸運に恵まれたのだ。
ここで昔のような気の迷いさえ起こさなければ、少なくとも平穏な学生生活が待っている。
小説でありがちな、記憶そのままに過去に戻る主人公。彼らが状況を把握した後に取る行動は一つ、過去の黒歴史を払拭するために行動を起こす。しかし僕は何も行動しなくていい。実に簡単である。
と、ここまで書き留めてある異変に気がつく。こころなしか、肉付きが良くなった気がする。加えて制服が周囲の人間と違う。否、正確に言えば周囲の男子生徒と違うのだ。ゆっくりと自身の胸に手を当ててみれば、あるはずのない弾力。頭のてっぺんにはしっかりとお団子が作られていた。
さすがにここまでくれば、下を触る勇気はない。そうでなくとも視線を落とせば、ヒラヒラとした布が脚を覆っている。それらの情報から叩き出される推測に嫌な汗が流れ、背筋が冷えていくのを感じる。
にわかには信じがたい現実に、握っていたシャーペンが不規則に机を鳴らす。
いつの間にか、鳴っていた授業終了のチャイムと同時に教室を飛び出していた。
「……チョロ松?」
当てもなく走って辿り着いた先は、僕のもう一人の兄がいるはずの部室。
しかしそこには僕が思い描いていた兄の姿はなく、僅かに彼の面影を残した女子生徒だった。
膝下までかかる僕のプリーツスカートとは違い、程よい短さから伸びる少々筋肉質な脚。僕はおろしている暑そうな長袖のシャツを、肘までまくったことで見える柔らかな腕。中肉中背の僕と並べると際立つ、俗に言うスレンダーな彼女。
「……カラ松? からまつ……」
「ど、どうした!? またおそ松に虐められたのか?」
違う。けれどその声は軽く喉を鳴らすのみで、意味をなさない。次々に飛び込んでくるありえない情報に、脳みそがオーバーヒートを起こす。滲む視界でカラ松が、これはただ事ではないと僕を部室の中に入れ、震えが止まるまで背中をさすってくれた。
「……ありがと、カラ松」
「構わないさ、可愛い妹のためだ」
そう言いながら微笑む彼女の言葉に、針で心臓を突かれたような痛みが襲う。元々兄弟思いのカラ松であれば、過呼吸まがいまでになった僕を、何ともないの一言で離してくれるはずがない。それをできるだけ押し殺すように、考えあぐねること数秒、意を決して僕は切り出した。
「カラ松、実はね、僕、さっき頭を打ってしまったみたいなんだ」
「何? では早く保健室に」
「待って、聞いて。それで、今若干記憶が混乱してるんだ。君はカラ松……なんだよね?」
突拍子もない僕の質問に、数回彼女は瞬きしたのち、肯定の意を示した。
「僕は、チョロ松なんだよね?」
「ああ、松野チョロ松。私の可愛い妹だ」
再びチクリと心臓が痛む。
「僕の、兄弟は……六人?」
頼むから肯定してくれ。そんな願いも虚しく、彼女はかぶりを振った。
「私とチョロ松、そして十四松の三つ子の姉妹だ」
駄目だ。これ以上はとわかっていても、口がその名を紡ぐ。
「おそ松は……」
「おそ松? あいつは従兄弟だろう」
ーー従兄弟。イトコ。つまり親の兄弟の子供。四親等の傍系親族の一つ。
「じゃあ、一松は!? トド松は!? あいつらは何なの!? 僕は……何なの?」
「落ち着けチョロ松。大丈夫だ。悪い夢でも見たんだろう? おそ松兄弟の次男と三男もちゃんといるぞ。すまない言葉が足りなかったようだな……」
なんということだろうか。これでは、これでは当初の予定が狂ってしまう。何もしなければ、僕は平穏な学生生活が送れるはずだった。しかし性別も変わり、直接的な血の繋がりまで無くしてしまったら、その決心は大きく揺らいでしまう。
罪が罪で無くなった。喜ばしいと普通の人間は思うだろうか。
僕にとってはそうではない。
これが、罰か。
ならば罪を重ねるまでだ。
「……カラ松」
そっと白い首筋に手を伸ばし、抱きしめる。
驚きに身を凍らせた彼女の頸動脈を軽く絞め、ゆっくりと落ちるのを待つ。
やがて腕全体に彼女の体重がかかったのを確認し、引きずるようにして窓のそばへ連れて行く。
「姉さんの……色だね」
目を瞑ったままの彼女を背負い、勢いよく窓から飛び出した。
最初はなんて安っぽい言葉だと一笑に付したものだが、なるほどどうして上手いことを言ったものだ。確かに僕の胸は、ぽっかりと穴が空いてしまったようだ。
赤く染まった自分の手を、うだるような暑さの中に落とす。なんて綺麗なのだろうか。
「兄さんの……色だね」
暑さか倦怠感か、おぼつかない足で赤い水たまりに飛び込んだ。
僕には愛する人がいた。
幼い頃からいつも一緒の僕ら六つ子は、子供ながらの可愛いものから、大人が頭を抱えるような荒気ない悪戯の数々をしでかしてきた。その中でも僕は、長男であるおそ松とニコイチだの相棒だの呼ばれつつ常に行動を共にした。
そんなことの時間を思春期に費やしたせいか、成長が身体だけであった自業自得なのか、ロクな大人にならなかった僕らは、一般に言う世間のカースト最下位となっていた。
それだけならばまだいい。現代の日本人の十数人に一人はニートだというし、兄弟揃ってというのが、無意識のうちに狭い世界での自分の価値を上げている気がした。
だのに何故だ。これは現実と捉えて良いものか。物音をたてないようにして現実を見る。そして首を捻る。僕はどうして、卒業したはずの学校の席で授業を受けているのだろうか。
おそるおそる斜め前の席を覗けば、多少あどけなさの残るかつての相棒。
背丈はあまり変わらないが、成人との運動量の違いからか筋肉質な腕が白い半袖シャツから伸びている。椅子にかかっている赤いパーカーを見るに、それぞれ個性を出し始めたばかりの高校生の時代か。
しかし生憎僕は大人だ。先ほどから教師が唱えている呪文の意味もわかりはしない。
注意深く前にいる兄を観察しつつ、すっかり意味をなさないノートに今後の僕の身の振る舞い方を走り書きする。これはチャンスだった。どうやら僕は、人生最大の汚点とも言える高校生活をやり直せるという幸運に恵まれたのだ。
ここで昔のような気の迷いさえ起こさなければ、少なくとも平穏な学生生活が待っている。
小説でありがちな、記憶そのままに過去に戻る主人公。彼らが状況を把握した後に取る行動は一つ、過去の黒歴史を払拭するために行動を起こす。しかし僕は何も行動しなくていい。実に簡単である。
と、ここまで書き留めてある異変に気がつく。こころなしか、肉付きが良くなった気がする。加えて制服が周囲の人間と違う。否、正確に言えば周囲の男子生徒と違うのだ。ゆっくりと自身の胸に手を当ててみれば、あるはずのない弾力。頭のてっぺんにはしっかりとお団子が作られていた。
さすがにここまでくれば、下を触る勇気はない。そうでなくとも視線を落とせば、ヒラヒラとした布が脚を覆っている。それらの情報から叩き出される推測に嫌な汗が流れ、背筋が冷えていくのを感じる。
にわかには信じがたい現実に、握っていたシャーペンが不規則に机を鳴らす。
いつの間にか、鳴っていた授業終了のチャイムと同時に教室を飛び出していた。
「……チョロ松?」
当てもなく走って辿り着いた先は、僕のもう一人の兄がいるはずの部室。
しかしそこには僕が思い描いていた兄の姿はなく、僅かに彼の面影を残した女子生徒だった。
膝下までかかる僕のプリーツスカートとは違い、程よい短さから伸びる少々筋肉質な脚。僕はおろしている暑そうな長袖のシャツを、肘までまくったことで見える柔らかな腕。中肉中背の僕と並べると際立つ、俗に言うスレンダーな彼女。
「……カラ松? からまつ……」
「ど、どうした!? またおそ松に虐められたのか?」
違う。けれどその声は軽く喉を鳴らすのみで、意味をなさない。次々に飛び込んでくるありえない情報に、脳みそがオーバーヒートを起こす。滲む視界でカラ松が、これはただ事ではないと僕を部室の中に入れ、震えが止まるまで背中をさすってくれた。
「……ありがと、カラ松」
「構わないさ、可愛い妹のためだ」
そう言いながら微笑む彼女の言葉に、針で心臓を突かれたような痛みが襲う。元々兄弟思いのカラ松であれば、過呼吸まがいまでになった僕を、何ともないの一言で離してくれるはずがない。それをできるだけ押し殺すように、考えあぐねること数秒、意を決して僕は切り出した。
「カラ松、実はね、僕、さっき頭を打ってしまったみたいなんだ」
「何? では早く保健室に」
「待って、聞いて。それで、今若干記憶が混乱してるんだ。君はカラ松……なんだよね?」
突拍子もない僕の質問に、数回彼女は瞬きしたのち、肯定の意を示した。
「僕は、チョロ松なんだよね?」
「ああ、松野チョロ松。私の可愛い妹だ」
再びチクリと心臓が痛む。
「僕の、兄弟は……六人?」
頼むから肯定してくれ。そんな願いも虚しく、彼女はかぶりを振った。
「私とチョロ松、そして十四松の三つ子の姉妹だ」
駄目だ。これ以上はとわかっていても、口がその名を紡ぐ。
「おそ松は……」
「おそ松? あいつは従兄弟だろう」
ーー従兄弟。イトコ。つまり親の兄弟の子供。四親等の傍系親族の一つ。
「じゃあ、一松は!? トド松は!? あいつらは何なの!? 僕は……何なの?」
「落ち着けチョロ松。大丈夫だ。悪い夢でも見たんだろう? おそ松兄弟の次男と三男もちゃんといるぞ。すまない言葉が足りなかったようだな……」
なんということだろうか。これでは、これでは当初の予定が狂ってしまう。何もしなければ、僕は平穏な学生生活が送れるはずだった。しかし性別も変わり、直接的な血の繋がりまで無くしてしまったら、その決心は大きく揺らいでしまう。
罪が罪で無くなった。喜ばしいと普通の人間は思うだろうか。
僕にとってはそうではない。
これが、罰か。
ならば罪を重ねるまでだ。
「……カラ松」
そっと白い首筋に手を伸ばし、抱きしめる。
驚きに身を凍らせた彼女の頸動脈を軽く絞め、ゆっくりと落ちるのを待つ。
やがて腕全体に彼女の体重がかかったのを確認し、引きずるようにして窓のそばへ連れて行く。
「姉さんの……色だね」
目を瞑ったままの彼女を背負い、勢いよく窓から飛び出した。
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