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『天鵞絨町での殺人事件、警察は先日の事件との関係性を——今日の天気は概ね晴れ、洗濯物が——ここで塩胡椒を』
——つまらない。
平日の昼間のテレビは、視聴者が専業主婦ばかりということを考慮してか、だいたいがお堅いニュースか料理番組、もしくは芸能人がおもしろおかしくニュースを語るバラエティくらいなもので、どれもこれも自分にとって面白いと思えるものではなかった。
何を見たいわけでもなく、ただカチカチとチャンネルを変えていても何の生産性もない。左京さんに怒られそうだなと自嘲してみても、DVDデッキの使い方もロクにわからない自分では好きな演劇も見ることもできないし、元々そういったものは全て過保護な幼馴染が管理していて、自分では持ち合わせていない。
早々に飽きて真っ暗になった画面をぼんやりと見つめれば、青白い自分の姿が反射されるのみ。眠りにつこうと思えるほど眠気は来ないし、かと言って外に出て運動をするほどアクティブでもない。主なバイトは家庭教師のため、まずは生徒が学校から帰る時間でなければならないから話にならないし、冬組の公演はまだずっと先のため、今すぐ読まなければならない台本も無い。つまりは暇を持て余していた。
いつもなら騒がしい寮も、学生組は学校、社会人組は仕事、もしくはバイトのためみんな外に出ているせいで嫌に静かだ。20人以上がごった返すのを想定したこの寮の作りは、一人でいるには些か広すぎる。普段ではできないソファに倒れ込むことをしてみても、古い台本を読み直してみても、いまいちしっくりこないのだ。
そんなこんなで約数時間、うだうだと談話室で無駄な時間を過ごしていると、不意にいささか乱暴に扉の開く音が耳に入る。急なことに驚いて首をそちらに向ければ、かなり着崩した学ランと、自前なのかわからないこげ茶の眉とは違うミルクティー色の長髪。
「……万里くん?」
「げ、紬さんいたんすか……」
制服姿で現れた彼ーー摂津万里は自分の姿を視界に捉えた瞬間、露骨に渋い顔をする。大方また学校をサボったのだろう。怠惰な時間を過ごすのにも飽きていたこちらとしては、正直話し相手ができて嬉しいが、比較的未成年の多い寮内の大人として叱らないといけないのも確かだ。いつまでも談話室に入ってこようとしない彼に手招きをして、隣に座るよう促す。
「またサボり?」
「あー、いや、いきなり授業が休講になって……」
「万里くんはいつから大学生になったの」
「アレっすよ。新しくできた山の日?」
「今4月だよ」
「持病のシャクが」
「ソレは前にも聞いたよ」
「じゃあ…………って、紬さん顔色悪くねえっすか?」
「え?」
スルリ、と彼の綺麗な指が頬を撫でる。自分でもペタペタと反対の頬を触ってみるが、特段不調らしいところは見つからない。伺うように見つめてくる彼の視線は真剣そのものだが、恥ずかしいことに長い睫毛が当たりそうなほど近い。
「あ、誤魔化そうったって駄目だよ」
「あ? ……ちげえっつーの!」
「でも特に体調が悪いとかはないよ?」
「んー、なんか、いつもより青っ白いんだよな……昼メシ食いました?」
「え、今何時?」
「はぁ……ビンゴか」
大きくため息を吐き、頭を抱える彼を尻目に壁にかかっている時計を見やれば、短針は2に近づいていた。あまり食欲旺盛なタイプではないとはいえ、お腹がすいてくる時間帯だろう。何やらスマホを取り出して操作を始める彼に何か食べに行こうかと誘いたいのだが、さすがにもう食べてしまっただろうか。
「……ねえ、万里く」
「あ、あった。紬さん、ご飯食べに行きましょ」
「え、万里くんも食べてないの?」
「購買で適当に買った菓子パンは食べましたけど、それじゃ足んないんで」
「さすが、男子高校生は食欲旺盛だね、いいよ一緒に行こうか」
「よっし、行きましょ」
「あ、でも制服だとマズイから、ちゃんと着替えてね」
「……へいへい」
割と顔面偏差値の高い寮内でもトップクラスの美人である彼は、同年代に比べると幾分背丈や身なりのせいか、初対面ではとても高校生には見えなかった。しかし、こうして仲良くなってみると、口を開けて笑い、自分とのお出かけを楽しみだと言わんばかりに小走りで部屋に戻る姿を見ると、年相応だと感じてしまう。それは、ヤンキーらしいオラついている喋り方の割には礼儀がなっているだとか、ほぼカード払いという金遣いではあるが成金的な金持ちではない滲み出る彼の育ちの良さだとか、そういったチグハグな印象が成せる技なのだろうか。
なんて数分考え込んでいるうちに、ドタドタと大きな音を立てて声がかけられる。
「紬さん! 準備できたっすよ」
「あ、うん!」
❇︎❇︎❇︎
春とはいえ肌寒い外に出て、ゆっくりとした俺の歩幅に合わせて歩いてくれる彼との会話はない。居心地が悪いわけでもなく、緩やかに流れる空気が俺は好きだ。
いつの日か、彼との関係を問うたことがある。その時に出した答えは「芝居が好きな茶飲み友達」だったけれど、今では少し違う感情が芽生えているのに気がついた。それも、世間的にはまだ非難されることが多く、それなりに青春を謳歌しているであろう彼には思いつきもしないだろう感情。
その感情を伝えれば、きっとこんな風に隣に並んで話してくれることなんて無くなる。男女ですらぎこちなくなるのに、今までそんな素振りを見せなかった男から告白されても戸惑うだけだろう。
だからこの感情は殺して埋める。今までそうしてきたように。足元に溜まったソレが土に還るまで時間がかかるが、彼がいつか可愛らしい恋人を連れてきても、笑っておめでとうと言えるように。何度も何度も、同じ感情を殺し続けるのだ。
ふと、そもそも彼に恋人がいるかどうかすら知らないことに気がつく。いや、普段から稽古で忙しく、暇があっても至くんとゲーム三昧な上に、たまに自分をカフェに連れていってくれる彼のことだ。いないに決まっているが、言葉で聞いてみたくなった。
「……万里くんって、彼女いないの?」
「は? なんすかいきなり、いないっすよ」
答えは案の定。目を丸くしてこちらを向き、眉が歪んでいても顔はやはり整っている。
「へえ、かっこいいし頭いいし運動神経だってあるからモテそうなのに」
「そりゃまあ……それなりに」
「告白とかされない?」
「偶にありますけど……珍しいっすね、紬さんがそういう話始めんの」
「ちょっと気になって」
会話が普段から多いわけではない。カフェ巡りという趣味以外は特段好きになるものに共通点もなく、ゲームの話題は俺が、植物の話題は彼が付いていけない。そのため軽く相槌を打つことにとどまるのだが、やはり世間話程度なら続くらしい。
例えばかっこいいというより美人に近い顔立ちをしている彼は、背は高いが幼馴染ほど筋肉質ではないので女性らしい格好も似合うだろう。外行きの至くんと並べば、さぞ絵になるに違いない。
もし彼に恋人ができるとしたら、なんてぼんやり考えているとまた歩き出す彼。慌てて追いかければ、呟くように問いかけられた。
「紬さんは?」
「ん? いないよ」
「ふーん、モテそうなのに」
「まさか、丞の方がよっぽどモテるよ」
「あー……?」
決して謙遜ではない言葉だったが、納得のいってないような顔をされてしまった。しかし美人さんに睨まれると迫力あるなあ、と思ってしまう呑気な自分もそこにいる。なんだかんだで優しいのを知っているからだ。
「そりゃ、丞さんは顔はいいし優しいけど、紬さんの魅力はそこじゃないっしょ」
「魅力って……至くんみたいにスマートじゃないし、真澄くんみたいにクールじゃないよ」
「だから違うんだって、そういう外見だけでキャーキャー言われるようなとこじゃなくって……」
一旦、口を噤む。何かを思案するような、何かに気がついて狼狽えているような顔だ。眉が寄り、指先がこめかみより少し前の方をかく。その後長い髪をくるくると指に巻きつけて、頬から顎にかけてなぞる。
チラリとこちらを見つめる目も、不安気に揺れているのは、俺が何かに勘づくのを恐れているためだ。しかし残念なことに心理学というのは人の心が読めるわけではない。わかるのは、彼が何か言いたくても言えず、尚且つそれが彼にとって怖いことか、こちらに悟られるとやばいと自覚があるという事だけ。
「そんなに言いにくいこと?」
「いや、今のは言葉を間違ったっつーか……とにかく、紬さんは自覚無いだけで、水面下でモテるタイプってこと」
「ふふ、ありがとう。嬉しいなあ」
「お世辞じゃねーんだけど……あ、ここっすよ」
いつの間にか目的地に着いていたらしい。店は小洒落たイタリアンのようだ。外観はまあまあ綺麗で、それでいて少し古そうな、言い方を変えれば趣がある。
「ど?」
「うん、いいお店だね、さすが万里くん」
選出するお店のジャンルは、カフェだけにとどまらないのか、内装も実に俺好みの場所だった。昼時を過ぎているせいもあるが、物静かで、椅子や机もシンプルで合っている。
キョロキョロと見渡しながら窓際の席に案内されると、よく磨かれた大きな窓から散っていく桜が見える。そして机の上に可愛らしく乗っている観葉植物——花の咲いたエアプランツだ。これまた趣味がいい。
「これ、観葉植物っすか? 花咲いてるけど」
「うん、エアプランツって言ってね、花は何年もかけて咲くから珍しいんだよ。カフェのインテリアとしてよく使われるから、花が咲いていないのなら万里くんも見たことあると思う」
「へえ……」
……会話が止まった。当たり前にスマホを取り出したということは、またゲームだろうか。もう少し話していたい気持ちもあったが、その辺りの話を振られてもわからないので大人しくメニュー表を見る。専門店だけあってよくわからない単語も多い。
「万里くん、ゲームも良いけど何にするの?」
「え? あーじゃあコレ」
「あ、美味しそう、俺もそれにしよう——すいません」
お冷を置きに来た店員さんに頼んだのは、定番のナポリピッツァ。長ったらしいカタカナが多く並んでいるものは、出てくる料理の想像がつかないという理由であまり頼まないのだ。
それからポツリポツリとなんてことない会話をしつつ、少しの間待てばワゴンのカタカタという音が美味しそうな匂いを引き連れて料理を運んでくる。
「美味しそう……! ね、万里くん」
「そーっすね……」
たまらず感嘆の息を吐けば、彼が慈しむように見つめてくる。この視線は知っている。幼馴染がよく自分に向けてくるモノだ。ただ不服なのは、彼が自分より七つも年下であること。
視線から逃げるように外を見れば、桜が地面を隠してカーペットのように見えた。木にはまだ沢山の花がついているが、これが最後まで散ってしまったら一体どんな景色になるだろうか。自分はいつまでこの感情を仕舞い続けるのだろうか。そう、忘れがちだが七つも年下で尚且つ未成年なのだ、と繰り返し心の中で反芻する。
考えすぎると悪い方向に向かうのは悪い癖で、先ほど寮で流していたニュースの内容が頭に浮かんだ。
——天鵞絨町での殺人事件、警察は先日の事件との関係性を——
「——さん、紬さん」
「え、あ、なに?」
「何って……食べないんすか」
彼のピッツァは既に三分の一が減っている。比べて一口も手をつけてない自分のピッツァは早く食べてしまわなければ冷めて固くなってしまうだろう。それは勿体無いと少し大きめに切って頬張れば、口元からトマトソースとチーズが溢れてしまった。
「ん、おいひい……」
「そーっすか」
「わ、チーズ……」
「あーもう、喋んなって……子供かよ」
ぶっきらぼうに紙ナプキンを差し出され、そのまま乱暴に口元を拭われる。擦れて痛いのに、顔の固定のために添えられた手は暖かく優しかった。
「万里くんは、お母さんみたい」
「オカンは一人でじゅーぶん、父親ポジもな」
「秋組は家族っぽいよね」
「え、うげえ……やめてくださいよ」
表情こそ苦々しい感じだが、頬が赤い。冬組も決して仲が悪いわけではないが、全員マイペースで特段ベタベタするわけでもない。春組のように自然とお互い助け合ったり、夏組のように未成年だけで元気に騒いだり、秋組のように役割分担がハッキリしていて、それがうまくハマっているのは羨ましいことだ。
「紬さん、なんか妙なこと考えてないっすか?」
「そんなことないよ、羨ましいって思っただけ」
「羨まし……ぃい?」
若い彼はまだわからないのだ、そうやって仲間とはしゃいでいられるのも今のうちということが。ジジくさい言い方だとは思うが、騒ごうにも身体と精神に体力がついていかない。かといって、至くんのような子どもとでも遊べるようなツールは持っていないし、左京さんのように場を締めるという役割もしっくりこない。
「……だから?」
「え?」
「さっきも言いかけたけど、別に誰かと一緒のことやる必要ねーだろ」
「……」
「なんか聞いてると、誰かみたいに云々できないが多過ぎなんだよ。紬さんには紬さんなりの役割あんだろ」
「でも、俺なんて……」
「あのなあ!」
ひときわ低い声が鼓膜を揺らした。発声練習の賜物か、よく通る声だ。おかげで周りのお客さんが数人こちらを向いている。彼もその視線に気がついたのか、居心地悪そうにうなじに手を当てて、深い、深いため息を吐いた。
「……早く食べ終わっちゃってください。外で話しましょ」
「う、うん」
申し訳ないと思いつつも、彼の剣幕に負けてしまった。あれだけ美味しかったはずのピッツァを味わう暇なく口に詰め込み、作業で水を流し込む。味覚どころか熱さえ感じず、ただ店を出るときに手首を握った彼の手がひどく冷たく感じた。
力なく引っ張られて辿り着いた先は、先ほどの店の窓から見えていた桜の木の下。風が出てきたからか、カーペットらしいとは既に言えなくなっていた。彼は張り付くように散る桜の花びらを鬱陶しそうに払うと、根元あたりの土を足で削り始めた。
「何してるの?」
「……いや、桜の樹の下には屍体が埋まっているって言うじゃないですか」
「梶井基次郎?」
「そ、檸檬の人」
頭が良い、というのは彼の場合、器用で回転が早いという意味で用いられることが多そうだったので、彼の口からそんな文豪の名前が出ることに驚いた。
一般常識を知らなければ答えが出てこない。国語の問題ではそういったものも多い。決して常識知らずではないだろうが、やはりここでも彼の育ちの良さが伺える。
彼は変わらず、ガリガリと土を抉っている。
「あれって、なんでそう言われてるか知ってます?」
「……万里くん俺のことなめてるでしょ、一応文系ーーそれも国語を主とした家庭教師なんだけど」
「……なら話が早いっすね」
彼は確かめるように小さくそう言うと、足を止め靴についた土を乱雑に振り払ってこちらに向き直る。流し目で、いつも尖らせている口元を引き上げて、チラリと白い歯を見せている、その表情に効果音をつけるならばーーニタリ。不気味というよりかは、妖艶な笑み。
一歩ずつ距離を詰めてくる彼の腕が、首に巻きついてくる。いつか十座くんが言っていた、彼は狐の様だと。なるほど妲己に唆された気分だ。
「紬さんはよく、俺をかっこいいだとか、美人だとか言いますよね」
「うん」
「それって“そういう”意味合いで言ってたりします?」
「……いや」
「じゃあ……紬さんは、誰の養分を吸ってこんなに綺麗になってるんですかね?」
その一言で、心臓が激しく波打った。そんな変化に気づいているのかいないのか、彼は変わらずベラベラと俺を責め立てる。
「ほんと、綺麗っすよね」
「綺麗なんかじゃ、ないよ……」
「まだまだ吸い足りないって?」
「ちが」
「自分の中で人を殺して、養分としてるって相当っすよね」
「……っ、殺してなんか」
「桜が美しいのは根元に醜いものが埋まっているからっていい例えっすよねー」
「聞いて万里くん」
「紬さんの足元には何人埋まってるんでしょうねぇ」
「万里くんっ」
「芝居のために、ひいては自分のために。人への感情を殺すことで自分の糧として昇華させる」
「ばん、りくん」
「恋してる人間は綺麗になるって言いますけど、紬さんの場合はちょっと違うのか」
「……」
息が、できない。
いつからだ。いつから悟られていた。俺は必死で手を伸ばし、それ以上言わせない様に口を塞ごうともがいたが、その手もあっけなく捕まって逆に一気に引き寄せられた。
葡萄色の瞳が細められ、そのまま流れる様な動作で耳に寄せられた唇が、こんにち最大の爆弾を投下する。
「……俺があんたのこと好きって言ったら、これ以上俺のことを殺さないでいてくれますか」
二の句が継げず、喉がヒュッと小さく鳴る。
この子は何と言った。そうだ、自分のことを好きだとのたまった。信じられないとパクパクさせる俺の口は、可愛らしいバードキスで塞がれてしまう。
「ぅ、ばん……ふぅ……」
「ん……?」
「や、まっ……」
抗議の声を聞き入れることなく、徐々に唇を舐められ、食まれ、角度を変えて繰り返されるリップ音が鼓膜を振動させ、脳がドロドロと溶かされていく。
「っ、ふ……うっ」
自分の鼻にかかった声が嫌で未だ握られたままの手を押し返すと、唾液の糸が生々しく引き、ぷつりと切れたところで二人の距離は空いた。
生理的な涙でうっすら滲む視界で彼を捕らえても、表情はよく見えない。だが挑発するように舌で唇をひと舐めしたのと、冷たい風とともに散りきった桜の花びらが頭から足先まで二人を覆い隠す様に張り付いていることだけはわかる。
相変わらず心臓はうるさいほど鳴っていて、ゆっくりと頬に添えられた手と、優しい声音で紡がれた言葉を拒むことなどできなかった。
「……紬さん、それで返事は?」
桜の花びらが落ちきった後の景色は、屍体を掘り返した後に堪能することにしよう。
——つまらない。
平日の昼間のテレビは、視聴者が専業主婦ばかりということを考慮してか、だいたいがお堅いニュースか料理番組、もしくは芸能人がおもしろおかしくニュースを語るバラエティくらいなもので、どれもこれも自分にとって面白いと思えるものではなかった。
何を見たいわけでもなく、ただカチカチとチャンネルを変えていても何の生産性もない。左京さんに怒られそうだなと自嘲してみても、DVDデッキの使い方もロクにわからない自分では好きな演劇も見ることもできないし、元々そういったものは全て過保護な幼馴染が管理していて、自分では持ち合わせていない。
早々に飽きて真っ暗になった画面をぼんやりと見つめれば、青白い自分の姿が反射されるのみ。眠りにつこうと思えるほど眠気は来ないし、かと言って外に出て運動をするほどアクティブでもない。主なバイトは家庭教師のため、まずは生徒が学校から帰る時間でなければならないから話にならないし、冬組の公演はまだずっと先のため、今すぐ読まなければならない台本も無い。つまりは暇を持て余していた。
いつもなら騒がしい寮も、学生組は学校、社会人組は仕事、もしくはバイトのためみんな外に出ているせいで嫌に静かだ。20人以上がごった返すのを想定したこの寮の作りは、一人でいるには些か広すぎる。普段ではできないソファに倒れ込むことをしてみても、古い台本を読み直してみても、いまいちしっくりこないのだ。
そんなこんなで約数時間、うだうだと談話室で無駄な時間を過ごしていると、不意にいささか乱暴に扉の開く音が耳に入る。急なことに驚いて首をそちらに向ければ、かなり着崩した学ランと、自前なのかわからないこげ茶の眉とは違うミルクティー色の長髪。
「……万里くん?」
「げ、紬さんいたんすか……」
制服姿で現れた彼ーー摂津万里は自分の姿を視界に捉えた瞬間、露骨に渋い顔をする。大方また学校をサボったのだろう。怠惰な時間を過ごすのにも飽きていたこちらとしては、正直話し相手ができて嬉しいが、比較的未成年の多い寮内の大人として叱らないといけないのも確かだ。いつまでも談話室に入ってこようとしない彼に手招きをして、隣に座るよう促す。
「またサボり?」
「あー、いや、いきなり授業が休講になって……」
「万里くんはいつから大学生になったの」
「アレっすよ。新しくできた山の日?」
「今4月だよ」
「持病のシャクが」
「ソレは前にも聞いたよ」
「じゃあ…………って、紬さん顔色悪くねえっすか?」
「え?」
スルリ、と彼の綺麗な指が頬を撫でる。自分でもペタペタと反対の頬を触ってみるが、特段不調らしいところは見つからない。伺うように見つめてくる彼の視線は真剣そのものだが、恥ずかしいことに長い睫毛が当たりそうなほど近い。
「あ、誤魔化そうったって駄目だよ」
「あ? ……ちげえっつーの!」
「でも特に体調が悪いとかはないよ?」
「んー、なんか、いつもより青っ白いんだよな……昼メシ食いました?」
「え、今何時?」
「はぁ……ビンゴか」
大きくため息を吐き、頭を抱える彼を尻目に壁にかかっている時計を見やれば、短針は2に近づいていた。あまり食欲旺盛なタイプではないとはいえ、お腹がすいてくる時間帯だろう。何やらスマホを取り出して操作を始める彼に何か食べに行こうかと誘いたいのだが、さすがにもう食べてしまっただろうか。
「……ねえ、万里く」
「あ、あった。紬さん、ご飯食べに行きましょ」
「え、万里くんも食べてないの?」
「購買で適当に買った菓子パンは食べましたけど、それじゃ足んないんで」
「さすが、男子高校生は食欲旺盛だね、いいよ一緒に行こうか」
「よっし、行きましょ」
「あ、でも制服だとマズイから、ちゃんと着替えてね」
「……へいへい」
割と顔面偏差値の高い寮内でもトップクラスの美人である彼は、同年代に比べると幾分背丈や身なりのせいか、初対面ではとても高校生には見えなかった。しかし、こうして仲良くなってみると、口を開けて笑い、自分とのお出かけを楽しみだと言わんばかりに小走りで部屋に戻る姿を見ると、年相応だと感じてしまう。それは、ヤンキーらしいオラついている喋り方の割には礼儀がなっているだとか、ほぼカード払いという金遣いではあるが成金的な金持ちではない滲み出る彼の育ちの良さだとか、そういったチグハグな印象が成せる技なのだろうか。
なんて数分考え込んでいるうちに、ドタドタと大きな音を立てて声がかけられる。
「紬さん! 準備できたっすよ」
「あ、うん!」
❇︎❇︎❇︎
春とはいえ肌寒い外に出て、ゆっくりとした俺の歩幅に合わせて歩いてくれる彼との会話はない。居心地が悪いわけでもなく、緩やかに流れる空気が俺は好きだ。
いつの日か、彼との関係を問うたことがある。その時に出した答えは「芝居が好きな茶飲み友達」だったけれど、今では少し違う感情が芽生えているのに気がついた。それも、世間的にはまだ非難されることが多く、それなりに青春を謳歌しているであろう彼には思いつきもしないだろう感情。
その感情を伝えれば、きっとこんな風に隣に並んで話してくれることなんて無くなる。男女ですらぎこちなくなるのに、今までそんな素振りを見せなかった男から告白されても戸惑うだけだろう。
だからこの感情は殺して埋める。今までそうしてきたように。足元に溜まったソレが土に還るまで時間がかかるが、彼がいつか可愛らしい恋人を連れてきても、笑っておめでとうと言えるように。何度も何度も、同じ感情を殺し続けるのだ。
ふと、そもそも彼に恋人がいるかどうかすら知らないことに気がつく。いや、普段から稽古で忙しく、暇があっても至くんとゲーム三昧な上に、たまに自分をカフェに連れていってくれる彼のことだ。いないに決まっているが、言葉で聞いてみたくなった。
「……万里くんって、彼女いないの?」
「は? なんすかいきなり、いないっすよ」
答えは案の定。目を丸くしてこちらを向き、眉が歪んでいても顔はやはり整っている。
「へえ、かっこいいし頭いいし運動神経だってあるからモテそうなのに」
「そりゃまあ……それなりに」
「告白とかされない?」
「偶にありますけど……珍しいっすね、紬さんがそういう話始めんの」
「ちょっと気になって」
会話が普段から多いわけではない。カフェ巡りという趣味以外は特段好きになるものに共通点もなく、ゲームの話題は俺が、植物の話題は彼が付いていけない。そのため軽く相槌を打つことにとどまるのだが、やはり世間話程度なら続くらしい。
例えばかっこいいというより美人に近い顔立ちをしている彼は、背は高いが幼馴染ほど筋肉質ではないので女性らしい格好も似合うだろう。外行きの至くんと並べば、さぞ絵になるに違いない。
もし彼に恋人ができるとしたら、なんてぼんやり考えているとまた歩き出す彼。慌てて追いかければ、呟くように問いかけられた。
「紬さんは?」
「ん? いないよ」
「ふーん、モテそうなのに」
「まさか、丞の方がよっぽどモテるよ」
「あー……?」
決して謙遜ではない言葉だったが、納得のいってないような顔をされてしまった。しかし美人さんに睨まれると迫力あるなあ、と思ってしまう呑気な自分もそこにいる。なんだかんだで優しいのを知っているからだ。
「そりゃ、丞さんは顔はいいし優しいけど、紬さんの魅力はそこじゃないっしょ」
「魅力って……至くんみたいにスマートじゃないし、真澄くんみたいにクールじゃないよ」
「だから違うんだって、そういう外見だけでキャーキャー言われるようなとこじゃなくって……」
一旦、口を噤む。何かを思案するような、何かに気がついて狼狽えているような顔だ。眉が寄り、指先がこめかみより少し前の方をかく。その後長い髪をくるくると指に巻きつけて、頬から顎にかけてなぞる。
チラリとこちらを見つめる目も、不安気に揺れているのは、俺が何かに勘づくのを恐れているためだ。しかし残念なことに心理学というのは人の心が読めるわけではない。わかるのは、彼が何か言いたくても言えず、尚且つそれが彼にとって怖いことか、こちらに悟られるとやばいと自覚があるという事だけ。
「そんなに言いにくいこと?」
「いや、今のは言葉を間違ったっつーか……とにかく、紬さんは自覚無いだけで、水面下でモテるタイプってこと」
「ふふ、ありがとう。嬉しいなあ」
「お世辞じゃねーんだけど……あ、ここっすよ」
いつの間にか目的地に着いていたらしい。店は小洒落たイタリアンのようだ。外観はまあまあ綺麗で、それでいて少し古そうな、言い方を変えれば趣がある。
「ど?」
「うん、いいお店だね、さすが万里くん」
選出するお店のジャンルは、カフェだけにとどまらないのか、内装も実に俺好みの場所だった。昼時を過ぎているせいもあるが、物静かで、椅子や机もシンプルで合っている。
キョロキョロと見渡しながら窓際の席に案内されると、よく磨かれた大きな窓から散っていく桜が見える。そして机の上に可愛らしく乗っている観葉植物——花の咲いたエアプランツだ。これまた趣味がいい。
「これ、観葉植物っすか? 花咲いてるけど」
「うん、エアプランツって言ってね、花は何年もかけて咲くから珍しいんだよ。カフェのインテリアとしてよく使われるから、花が咲いていないのなら万里くんも見たことあると思う」
「へえ……」
……会話が止まった。当たり前にスマホを取り出したということは、またゲームだろうか。もう少し話していたい気持ちもあったが、その辺りの話を振られてもわからないので大人しくメニュー表を見る。専門店だけあってよくわからない単語も多い。
「万里くん、ゲームも良いけど何にするの?」
「え? あーじゃあコレ」
「あ、美味しそう、俺もそれにしよう——すいません」
お冷を置きに来た店員さんに頼んだのは、定番のナポリピッツァ。長ったらしいカタカナが多く並んでいるものは、出てくる料理の想像がつかないという理由であまり頼まないのだ。
それからポツリポツリとなんてことない会話をしつつ、少しの間待てばワゴンのカタカタという音が美味しそうな匂いを引き連れて料理を運んでくる。
「美味しそう……! ね、万里くん」
「そーっすね……」
たまらず感嘆の息を吐けば、彼が慈しむように見つめてくる。この視線は知っている。幼馴染がよく自分に向けてくるモノだ。ただ不服なのは、彼が自分より七つも年下であること。
視線から逃げるように外を見れば、桜が地面を隠してカーペットのように見えた。木にはまだ沢山の花がついているが、これが最後まで散ってしまったら一体どんな景色になるだろうか。自分はいつまでこの感情を仕舞い続けるのだろうか。そう、忘れがちだが七つも年下で尚且つ未成年なのだ、と繰り返し心の中で反芻する。
考えすぎると悪い方向に向かうのは悪い癖で、先ほど寮で流していたニュースの内容が頭に浮かんだ。
——天鵞絨町での殺人事件、警察は先日の事件との関係性を——
「——さん、紬さん」
「え、あ、なに?」
「何って……食べないんすか」
彼のピッツァは既に三分の一が減っている。比べて一口も手をつけてない自分のピッツァは早く食べてしまわなければ冷めて固くなってしまうだろう。それは勿体無いと少し大きめに切って頬張れば、口元からトマトソースとチーズが溢れてしまった。
「ん、おいひい……」
「そーっすか」
「わ、チーズ……」
「あーもう、喋んなって……子供かよ」
ぶっきらぼうに紙ナプキンを差し出され、そのまま乱暴に口元を拭われる。擦れて痛いのに、顔の固定のために添えられた手は暖かく優しかった。
「万里くんは、お母さんみたい」
「オカンは一人でじゅーぶん、父親ポジもな」
「秋組は家族っぽいよね」
「え、うげえ……やめてくださいよ」
表情こそ苦々しい感じだが、頬が赤い。冬組も決して仲が悪いわけではないが、全員マイペースで特段ベタベタするわけでもない。春組のように自然とお互い助け合ったり、夏組のように未成年だけで元気に騒いだり、秋組のように役割分担がハッキリしていて、それがうまくハマっているのは羨ましいことだ。
「紬さん、なんか妙なこと考えてないっすか?」
「そんなことないよ、羨ましいって思っただけ」
「羨まし……ぃい?」
若い彼はまだわからないのだ、そうやって仲間とはしゃいでいられるのも今のうちということが。ジジくさい言い方だとは思うが、騒ごうにも身体と精神に体力がついていかない。かといって、至くんのような子どもとでも遊べるようなツールは持っていないし、左京さんのように場を締めるという役割もしっくりこない。
「……だから?」
「え?」
「さっきも言いかけたけど、別に誰かと一緒のことやる必要ねーだろ」
「……」
「なんか聞いてると、誰かみたいに云々できないが多過ぎなんだよ。紬さんには紬さんなりの役割あんだろ」
「でも、俺なんて……」
「あのなあ!」
ひときわ低い声が鼓膜を揺らした。発声練習の賜物か、よく通る声だ。おかげで周りのお客さんが数人こちらを向いている。彼もその視線に気がついたのか、居心地悪そうにうなじに手を当てて、深い、深いため息を吐いた。
「……早く食べ終わっちゃってください。外で話しましょ」
「う、うん」
申し訳ないと思いつつも、彼の剣幕に負けてしまった。あれだけ美味しかったはずのピッツァを味わう暇なく口に詰め込み、作業で水を流し込む。味覚どころか熱さえ感じず、ただ店を出るときに手首を握った彼の手がひどく冷たく感じた。
力なく引っ張られて辿り着いた先は、先ほどの店の窓から見えていた桜の木の下。風が出てきたからか、カーペットらしいとは既に言えなくなっていた。彼は張り付くように散る桜の花びらを鬱陶しそうに払うと、根元あたりの土を足で削り始めた。
「何してるの?」
「……いや、桜の樹の下には屍体が埋まっているって言うじゃないですか」
「梶井基次郎?」
「そ、檸檬の人」
頭が良い、というのは彼の場合、器用で回転が早いという意味で用いられることが多そうだったので、彼の口からそんな文豪の名前が出ることに驚いた。
一般常識を知らなければ答えが出てこない。国語の問題ではそういったものも多い。決して常識知らずではないだろうが、やはりここでも彼の育ちの良さが伺える。
彼は変わらず、ガリガリと土を抉っている。
「あれって、なんでそう言われてるか知ってます?」
「……万里くん俺のことなめてるでしょ、一応文系ーーそれも国語を主とした家庭教師なんだけど」
「……なら話が早いっすね」
彼は確かめるように小さくそう言うと、足を止め靴についた土を乱雑に振り払ってこちらに向き直る。流し目で、いつも尖らせている口元を引き上げて、チラリと白い歯を見せている、その表情に効果音をつけるならばーーニタリ。不気味というよりかは、妖艶な笑み。
一歩ずつ距離を詰めてくる彼の腕が、首に巻きついてくる。いつか十座くんが言っていた、彼は狐の様だと。なるほど妲己に唆された気分だ。
「紬さんはよく、俺をかっこいいだとか、美人だとか言いますよね」
「うん」
「それって“そういう”意味合いで言ってたりします?」
「……いや」
「じゃあ……紬さんは、誰の養分を吸ってこんなに綺麗になってるんですかね?」
その一言で、心臓が激しく波打った。そんな変化に気づいているのかいないのか、彼は変わらずベラベラと俺を責め立てる。
「ほんと、綺麗っすよね」
「綺麗なんかじゃ、ないよ……」
「まだまだ吸い足りないって?」
「ちが」
「自分の中で人を殺して、養分としてるって相当っすよね」
「……っ、殺してなんか」
「桜が美しいのは根元に醜いものが埋まっているからっていい例えっすよねー」
「聞いて万里くん」
「紬さんの足元には何人埋まってるんでしょうねぇ」
「万里くんっ」
「芝居のために、ひいては自分のために。人への感情を殺すことで自分の糧として昇華させる」
「ばん、りくん」
「恋してる人間は綺麗になるって言いますけど、紬さんの場合はちょっと違うのか」
「……」
息が、できない。
いつからだ。いつから悟られていた。俺は必死で手を伸ばし、それ以上言わせない様に口を塞ごうともがいたが、その手もあっけなく捕まって逆に一気に引き寄せられた。
葡萄色の瞳が細められ、そのまま流れる様な動作で耳に寄せられた唇が、こんにち最大の爆弾を投下する。
「……俺があんたのこと好きって言ったら、これ以上俺のことを殺さないでいてくれますか」
二の句が継げず、喉がヒュッと小さく鳴る。
この子は何と言った。そうだ、自分のことを好きだとのたまった。信じられないとパクパクさせる俺の口は、可愛らしいバードキスで塞がれてしまう。
「ぅ、ばん……ふぅ……」
「ん……?」
「や、まっ……」
抗議の声を聞き入れることなく、徐々に唇を舐められ、食まれ、角度を変えて繰り返されるリップ音が鼓膜を振動させ、脳がドロドロと溶かされていく。
「っ、ふ……うっ」
自分の鼻にかかった声が嫌で未だ握られたままの手を押し返すと、唾液の糸が生々しく引き、ぷつりと切れたところで二人の距離は空いた。
生理的な涙でうっすら滲む視界で彼を捕らえても、表情はよく見えない。だが挑発するように舌で唇をひと舐めしたのと、冷たい風とともに散りきった桜の花びらが頭から足先まで二人を覆い隠す様に張り付いていることだけはわかる。
相変わらず心臓はうるさいほど鳴っていて、ゆっくりと頬に添えられた手と、優しい声音で紡がれた言葉を拒むことなどできなかった。
「……紬さん、それで返事は?」
桜の花びらが落ちきった後の景色は、屍体を掘り返した後に堪能することにしよう。