その他
貴方のお名前は?
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鬱蒼と茂る森の中。木々の隙間から差し込む光を反射した宝石が巨大な木の根元に1つ鎮座していた。子どもの頭ほどのそれは角度によって赤から青、緑、桃色と様々に移り変わっている。野ざらしだったことを証明する無数の傷はゆっくりと長い年月をかけて、やがて奥深くまで亀裂が入ったところで鈍い音を立てて2つに割れた。
小鳥のさえずりも風の音さえ聞こえない空間で、じっとその様子を見ていた緑髪の少年が「気持ち悪い」と呟く。凛とした表情のまま蜜柑色の瞳は濡れ、そっと宝石の片割れを拾いあげた未就学児ほどしかない身体は小さく震えている。夏場らしいTシャツに半ズボンから伸びる細い腕と脚は少年のそれであるのに、年にそぐわない憂いを帯びた表情は少女のようにも見えた。
--宝石はいつの間にか鈍色に変色していた。
少年が覚束ない足取りで森を抜けると、ほぼ消えかかった文字で『はぎこうえん』と書かれた看板が視界に入り、一瞬の涼しい風が緑の匂いを乗せてきた。少し手狭だが未就学児が遊ぶには十分な大きさのそこでは、夏の太陽が先ほどより高い場所に昇り少年をじりじりと焦がす。煤けた遊具や広場では少年と同じくらいの子どもたちが5、6人ずつほどの群れを作って遊んでいる。その中でも複数の男の子は手入れの施されていない土を蹴って球蹴りに勤しんでいた。
「おーい、ゆき! なにやってんだ、こっちこいよ!」
少年--幸を見つけた1人の子どもが高い声で叫ぶ。ぼんやりと空を見つめていた幸はハッと我に返り、声の主に負けないくらい大声をあげた。
「うるさいな! そんなにどならなくてもきこえてるから!」
宝石をポケットにしまって膝小僧の絆創膏が剥がれそうになるのも構わず走り寄れば、子どもたちはきゃっきゃと笑顔で幸を仲間に入れる。土埃が目に入りそうな風をもろともせず駆け回る姿は年相応と言えるだろう。ただ仲間に入れてもらったはずの幸の顔には、慢性的な消化不良のようなやりきれない感情が浮かんでいた。
太陽が昇っていた空は灰色の雲が薄くかかり次第に光を覆い隠していき、湿っぽい空気が身体にまとわりつく。
雨が降るのをを心配してか次々に親に連れられ去っていく子どもたち。1人、また1人といなくなる様子を見つめ手を振ってもとうとう幸のお迎えは来なかった。上げていた腕を下ろし力強くポケットの中の宝石を握りしめて唇を噛む。
先ほど緑を乗せた風の姿も見当たらず泥にまみれた洋服を洗うように降ってきた雨は、嗚咽する声をあげる幸の身体をじっとりと濡らし足元の土を抉っていく。
「……大丈夫?」
消え入りそうな声で突如背中に投げかけられた言葉に腰から勢いよく振り向いた。立っていたのはツツジ色の傘をさし大きなスポーツバッグを下げおどおどとした表情を隠すことを知らない、幸より頭1つ高く明らかに年上であろう少年。幸を見つめる丸いアクアブルーの瞳は心配げに揺れていて、幸の赤くなった目尻に気がつくと壊れ物を扱うようにそこを撫でた。
「触んな!」
「ご、ごめん!」
威嚇するように睨み上げられ勢いよく叩き落とされた手を庇うことなく少年は眉尻を下げてもう1度「ごめんね」と呟く。だがいつまでもその場を動こうとしない幸に、しびれを切らしたのか下げていたスポーツバッグからタオルを取り出し傘と一緒に差し出した。
「風邪ひくからせめて土管入ろ?」
たっぷりと間をあけて頷いたことを確認してそっと腕を引く。今度は叩き落とされない手にホッと息を吐き、足早になるべく綺麗な土管に潜り込んだ。丁寧に水分を拭き取り重くなるタオル。子ども特有の体温が戻ってくるともう1枚新しいタオルで幸を包みそっと寄り添う。抵抗はない。それどころか頭を擦り付ける様は猫のようだと少年は微笑んだ。幸は顔を少しだけ上げて少年の目を見つめている。
「ねえ、あんた名前は」
「……太一」
「たいち」
「うん、君は?」
「幸」
ポツリポツリと呟きながら子どもらしくない自己紹介を終えると顔を見合わすこともなく同時に手を繋ぐ。素肌に触れることで体温が共有され、心音が伝わっていく心地よさに2人はゆっくりと目を瞑った。
--スポーツバッグには森で砕けたはずの宝石が桃色のワンピースに包まれて入っていた。
目を開けると外からの光が幸を照らし、衣服も乾ききっている上タオルも太一の姿も幸の視界に映ってはくれなかった。全ては夢だったのかと思えるほど何も無く、土管の穴から胃の中へ風が吹き込んでくるような感覚に幸の身体がブルリと震える。
「たいち……!」
砂が入り込むのも構わず爪を立て土管から這い出ようとして目測を誤ったのか勢いよく頭を打ちつけた。痛みに悶え目線を下げたところで手足が伸びていることに気がついたのか幸は目を丸くする。そしてやっとの事で脱出した先の光景に首をかしげた。
幸が眠っていたのは確かに公園の一角にある土管であったはずなのに、目の前に広がるのは小学校のグラウンド。そこでは先ほどの子どもたちが少しばかり成長した姿で走り回っていた。
「おーい、幸! 何やってんだ、こっち来いよ!」
これまた先ほどと同じように1人の生徒が声高に幸の名を呼ぶ。
「う……っ」
幸も多少の困惑の色を顔に滲ませつつも返事をしようとしたのだろう。しかしそれは叶わず小さな口から漏れるのは母音のみ。膝が笑い自分というピースが彼らと噛み合わない。
このまま彼らに混ざって“らしく”生きることを、幸は選べなかったのだ。
「幸ー?」
「い、いい!」
ようやく絞り出したのは拒絶の言葉。瞬間あたりが暗くなり天辺まで昇った太陽のみが幸の頭から爪先をスポットライトのように照らした。周りが見えず子どもの騒ぐ声も聞こえず、ただただ独りぼっちになってしまった空間にうずくまる。手足がまた伸びていき目線もどんどん高くなっていくと、今度は服装すら変わっていくのが認識できた。
周りには何もないはずなのに、無数の視線と侮蔑の言葉が幸の身体を突き刺していく。
ーー震える手から滑り落ちた宝石が幸のスカート姿を映した。
「……幸チャン?」
もはや太陽なのかわからないものが西に少し傾いた頃、また幸の前に少年が現れた。しゃがみこんだ体制のまま頭を上げると、少年の姿はすっかり変わっていた。明らかに染めたのであろう赤い髪にチェーンの巻かれた衣服、加えてゴテゴテと耳に下げられたピアス。けれども変わっていないのは大きく人懐っこそうなアクアブルーの瞳。
「ちゃん……?」
「あ、ごめんっ……ね。馴れ馴れしく呼んじゃって」
「……いいよ、別に。そんなことより今までどこに居たの」
「……宝石を探してたん……すよ」
そう言って太一が懐から取り出したのはいつかの宝石。森では鈍色だったそれは少しだけ元の色に戻っている。
「幸チャンが持ってたんすね」
幸の手から落ち泥にまみれた宝石をそっと持ち上げ、自分の服が汚れるのも構わず拭き取っていく。途端にキラキラとした輝きを取り戻した宝石は太一の手の中で溶け合うようにして1つになった。
「幸チャン…………幸チャンは、これを手放しちゃダメっすよ」
「え……」
顔を綻ばせて宝石を差し出す太一。それを抱えるように幸が受け取ると桃色のワンピースを幸の前でかざした。
❇︎❇︎❇︎
けたたましく鳴り響く目覚まし時計。窓から差し込む陽の光に身じろぎながら腕を動かし音を止め、ゆっくりと目を開けると見慣れた天井が目に映った。どことなく重い身体を起こせば橙色の髪をした同居人は気持ちよさそうに眠っている。
重い息を吐き出してじっとりと肌に張り付く汗を拭う。鳴り止まぬ心臓を抑え何の気なしに壁を見やればかつて幼い自分が作った桃色のワンピースがかかっていた。そこには光を反射して色とりどりに輝くビーズが散りばめられている。昨夜幸の実家から送られてきた小包の中に入っていたワンピースに練習台にちょうどいいと太一に渡して飾りを付けさせたのだ。
「……手放しちゃ、ダメ」
夢の中での太一の言葉を口の中で反芻することでじわじわと胃の中を侵食する暖かさに目を細め談話室へと走り出していく。
窓には2つの虹が寄り添うようにかかっていた。
小鳥のさえずりも風の音さえ聞こえない空間で、じっとその様子を見ていた緑髪の少年が「気持ち悪い」と呟く。凛とした表情のまま蜜柑色の瞳は濡れ、そっと宝石の片割れを拾いあげた未就学児ほどしかない身体は小さく震えている。夏場らしいTシャツに半ズボンから伸びる細い腕と脚は少年のそれであるのに、年にそぐわない憂いを帯びた表情は少女のようにも見えた。
--宝石はいつの間にか鈍色に変色していた。
少年が覚束ない足取りで森を抜けると、ほぼ消えかかった文字で『はぎこうえん』と書かれた看板が視界に入り、一瞬の涼しい風が緑の匂いを乗せてきた。少し手狭だが未就学児が遊ぶには十分な大きさのそこでは、夏の太陽が先ほどより高い場所に昇り少年をじりじりと焦がす。煤けた遊具や広場では少年と同じくらいの子どもたちが5、6人ずつほどの群れを作って遊んでいる。その中でも複数の男の子は手入れの施されていない土を蹴って球蹴りに勤しんでいた。
「おーい、ゆき! なにやってんだ、こっちこいよ!」
少年--幸を見つけた1人の子どもが高い声で叫ぶ。ぼんやりと空を見つめていた幸はハッと我に返り、声の主に負けないくらい大声をあげた。
「うるさいな! そんなにどならなくてもきこえてるから!」
宝石をポケットにしまって膝小僧の絆創膏が剥がれそうになるのも構わず走り寄れば、子どもたちはきゃっきゃと笑顔で幸を仲間に入れる。土埃が目に入りそうな風をもろともせず駆け回る姿は年相応と言えるだろう。ただ仲間に入れてもらったはずの幸の顔には、慢性的な消化不良のようなやりきれない感情が浮かんでいた。
太陽が昇っていた空は灰色の雲が薄くかかり次第に光を覆い隠していき、湿っぽい空気が身体にまとわりつく。
雨が降るのをを心配してか次々に親に連れられ去っていく子どもたち。1人、また1人といなくなる様子を見つめ手を振ってもとうとう幸のお迎えは来なかった。上げていた腕を下ろし力強くポケットの中の宝石を握りしめて唇を噛む。
先ほど緑を乗せた風の姿も見当たらず泥にまみれた洋服を洗うように降ってきた雨は、嗚咽する声をあげる幸の身体をじっとりと濡らし足元の土を抉っていく。
「……大丈夫?」
消え入りそうな声で突如背中に投げかけられた言葉に腰から勢いよく振り向いた。立っていたのはツツジ色の傘をさし大きなスポーツバッグを下げおどおどとした表情を隠すことを知らない、幸より頭1つ高く明らかに年上であろう少年。幸を見つめる丸いアクアブルーの瞳は心配げに揺れていて、幸の赤くなった目尻に気がつくと壊れ物を扱うようにそこを撫でた。
「触んな!」
「ご、ごめん!」
威嚇するように睨み上げられ勢いよく叩き落とされた手を庇うことなく少年は眉尻を下げてもう1度「ごめんね」と呟く。だがいつまでもその場を動こうとしない幸に、しびれを切らしたのか下げていたスポーツバッグからタオルを取り出し傘と一緒に差し出した。
「風邪ひくからせめて土管入ろ?」
たっぷりと間をあけて頷いたことを確認してそっと腕を引く。今度は叩き落とされない手にホッと息を吐き、足早になるべく綺麗な土管に潜り込んだ。丁寧に水分を拭き取り重くなるタオル。子ども特有の体温が戻ってくるともう1枚新しいタオルで幸を包みそっと寄り添う。抵抗はない。それどころか頭を擦り付ける様は猫のようだと少年は微笑んだ。幸は顔を少しだけ上げて少年の目を見つめている。
「ねえ、あんた名前は」
「……太一」
「たいち」
「うん、君は?」
「幸」
ポツリポツリと呟きながら子どもらしくない自己紹介を終えると顔を見合わすこともなく同時に手を繋ぐ。素肌に触れることで体温が共有され、心音が伝わっていく心地よさに2人はゆっくりと目を瞑った。
--スポーツバッグには森で砕けたはずの宝石が桃色のワンピースに包まれて入っていた。
目を開けると外からの光が幸を照らし、衣服も乾ききっている上タオルも太一の姿も幸の視界に映ってはくれなかった。全ては夢だったのかと思えるほど何も無く、土管の穴から胃の中へ風が吹き込んでくるような感覚に幸の身体がブルリと震える。
「たいち……!」
砂が入り込むのも構わず爪を立て土管から這い出ようとして目測を誤ったのか勢いよく頭を打ちつけた。痛みに悶え目線を下げたところで手足が伸びていることに気がついたのか幸は目を丸くする。そしてやっとの事で脱出した先の光景に首をかしげた。
幸が眠っていたのは確かに公園の一角にある土管であったはずなのに、目の前に広がるのは小学校のグラウンド。そこでは先ほどの子どもたちが少しばかり成長した姿で走り回っていた。
「おーい、幸! 何やってんだ、こっち来いよ!」
これまた先ほどと同じように1人の生徒が声高に幸の名を呼ぶ。
「う……っ」
幸も多少の困惑の色を顔に滲ませつつも返事をしようとしたのだろう。しかしそれは叶わず小さな口から漏れるのは母音のみ。膝が笑い自分というピースが彼らと噛み合わない。
このまま彼らに混ざって“らしく”生きることを、幸は選べなかったのだ。
「幸ー?」
「い、いい!」
ようやく絞り出したのは拒絶の言葉。瞬間あたりが暗くなり天辺まで昇った太陽のみが幸の頭から爪先をスポットライトのように照らした。周りが見えず子どもの騒ぐ声も聞こえず、ただただ独りぼっちになってしまった空間にうずくまる。手足がまた伸びていき目線もどんどん高くなっていくと、今度は服装すら変わっていくのが認識できた。
周りには何もないはずなのに、無数の視線と侮蔑の言葉が幸の身体を突き刺していく。
ーー震える手から滑り落ちた宝石が幸のスカート姿を映した。
「……幸チャン?」
もはや太陽なのかわからないものが西に少し傾いた頃、また幸の前に少年が現れた。しゃがみこんだ体制のまま頭を上げると、少年の姿はすっかり変わっていた。明らかに染めたのであろう赤い髪にチェーンの巻かれた衣服、加えてゴテゴテと耳に下げられたピアス。けれども変わっていないのは大きく人懐っこそうなアクアブルーの瞳。
「ちゃん……?」
「あ、ごめんっ……ね。馴れ馴れしく呼んじゃって」
「……いいよ、別に。そんなことより今までどこに居たの」
「……宝石を探してたん……すよ」
そう言って太一が懐から取り出したのはいつかの宝石。森では鈍色だったそれは少しだけ元の色に戻っている。
「幸チャンが持ってたんすね」
幸の手から落ち泥にまみれた宝石をそっと持ち上げ、自分の服が汚れるのも構わず拭き取っていく。途端にキラキラとした輝きを取り戻した宝石は太一の手の中で溶け合うようにして1つになった。
「幸チャン…………幸チャンは、これを手放しちゃダメっすよ」
「え……」
顔を綻ばせて宝石を差し出す太一。それを抱えるように幸が受け取ると桃色のワンピースを幸の前でかざした。
❇︎❇︎❇︎
けたたましく鳴り響く目覚まし時計。窓から差し込む陽の光に身じろぎながら腕を動かし音を止め、ゆっくりと目を開けると見慣れた天井が目に映った。どことなく重い身体を起こせば橙色の髪をした同居人は気持ちよさそうに眠っている。
重い息を吐き出してじっとりと肌に張り付く汗を拭う。鳴り止まぬ心臓を抑え何の気なしに壁を見やればかつて幼い自分が作った桃色のワンピースがかかっていた。そこには光を反射して色とりどりに輝くビーズが散りばめられている。昨夜幸の実家から送られてきた小包の中に入っていたワンピースに練習台にちょうどいいと太一に渡して飾りを付けさせたのだ。
「……手放しちゃ、ダメ」
夢の中での太一の言葉を口の中で反芻することでじわじわと胃の中を侵食する暖かさに目を細め談話室へと走り出していく。
窓には2つの虹が寄り添うようにかかっていた。
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