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- 貴方のそういうところが -
あの男が歩くたびに鳴る、ブーツの音が心地よい。足音というものはその人間の心情を色濃く表すものであり、存在そのものと言える。それが心地よいと感じるのであれば、相手の印象はそう悪くない筈なのに、どうしてか彼相手では一致しない。
決して悪い印象ではないのだ。ただ口を開くたび、相手に通じないとわかる皮肉が、悪態が、流水のように口から零れ落ちる。
そしてそれを、悪いことではないと錯覚する自分が、いるような気がした。
「喧嘩は良いことだよ」
そう笑って言うマスターの所為かもしれない、と気がついたのには、さほど時間はかからなかった。サーヴァントというものは、良くも悪くも主人たる人間の影響を受けやすい。それは思考の共存による内的なものと、行動の制限による外的なものがある。
カルデアのマスターは争いが好きだ。これだけ言うと誤解を受けそうだが、勿論流血沙汰であれば、人並みに顔を青くして止めに入る。しかしオレと赤い弓兵がよくやる皮肉の応酬や件の処刑人との衝突、他の仲の悪いサーヴァント同士の言い争いなどであれば、マスターは微笑ましいものを見る目で笑っている。
今日もそうだ。食堂の隅で煙草を燻らせながら、ぼんやりと考え事をしていれば、アマデウスに煽られた処刑人——サンソンが、顔を赤くしているのが見えた。傍にはマスターが立っていて、やはり読めない顔で笑っている。
彼らの諍いに拳が出る方が少ないからか、周りに気にされる様子もない。そんなことに気がついているのかいないのか、彼らの言い争いは勢いを増すばかり。いつもはボソボソとした声しか発さない口は大きく開かれ、眉を釣り上げている様子は顔立ちも相俟って少し幼い印象を覚える。アマデウスの表情は、いつもと変わらない人を小馬鹿にした笑みだ。
「見過ぎだよ、ロビン」
少し高めの声が背後からかけられる。振り向けばやはりと言うか、アウトロー仲間でもあるビリーが屈託の無い笑みを浮かべて立っていた。大して吸ってもいないのに短くなっていた煙草を灰皿に押し付け、こちらもへらりと笑ってやる。
「まあ、毎日よく飽きないもんだと思うんだがね」
「喧嘩かい? まあ、ここには色んな奴がいるから衝突も多いよね」
「マスターが言うには喧嘩は良いことらしいんだけどな」
そう言うマスターが誰かと言い争っている、というところは全く見ない。勿論突っかかるような奴がいないのも大きいが、いつも小さく口角を上げて、どこか遠くを見るように笑っている。
滅多なことで怒ることはなく、声を荒げている姿どころか嫌味の一つも言ってこない。精神的な疲弊から弱気になっても、部屋に一晩引きこもれば回復しているような人だ。
「その性格がサーヴァントを喧嘩っ早くさせているのか、喧嘩を容認してる所為で助長してるのか、どっちだと思う?」
「何それ、賭けにもならないよ」
「賭けじゃねーよ」
おちおち疑問も投げかけられない、と視線をまた火種へ向ける。瞬間、小さく乾いた音が食堂内に響いた。そして二桁はいるヒトの室内にも関わらず、奇妙な静寂が流れる。
渦中にいるアマデウスは目を丸くし、サンソンの顔色は青い。そして中途半端に上がったサンソンの手の近くには、ぽかんと口を開けたまま、頬を腫らしたマスターが立っていた。少しばかりマスターに過保護なサーヴァントが殺気立つ。
「あ……大丈夫大丈夫、そんなこの世の終わりみたいな顔しないでサンソン」
しかし当の本人が間抜けな顔を晒していたのは一瞬で、すぐに顔を崩してサンソンに笑いかけていた。その声で我に返ったサンソンは、慌てて食堂からマスターを連れ出した。大方手当てをするために、医務室にでも行ったのだろう。
「何があった?」
「アマデウスに掴みかかろうとしたサンソンの手が、近くをふらついてたマスターに当たったんでしょ。結構勢いよかったけど、音の割に大した怪我じゃなさそう」
「それはまた、お医者サマにしては珍しいポカを……」
とりあえず首が捥げなくてよかったね、なんて物騒な声も随所から聞こえてくる。静かだったのは一瞬だけで、先程のトラブルを肴にいつもの喧騒が戻っていた。
--
廊下が寒々しくなる消灯時間。夜目の効く自分は時折ふらりと散歩をする。機械的で機能的で息苦しい部屋にいるより、はめ殺しであろうと外の見える廊下の方が幾分気分がマシというもの。
顔のない王を目深に被り、ぼろぼろになったジッポを灯す。窓には自分と、黒い人影。
「何をしている、こんなところで」
「うおっ!? ……なんだ、坊ちゃんじゃねーの」
気配遮断スキルを持っているとはいえ高いわけでもなし、なぜ気がつかなかったのだろう。カツカツと床を叩くブーツの音を聞きながら、そのまま隣に立つ白い肌を見つめる。
火の消えた空間では、闇の中に溶けてしまいそうなコートを着ていても、近くに来れば窓の外にある景色のような髪や瞳の面積の方が、視界に占める割合が多い。彼の眉間にはシワが寄っていて、目線の先にはオレの咥えていた煙草がある。
「ここは喫煙所じゃないぞ」
「わあってるよ。空調効いてるんだから少しくらい良いじゃねーか」
「それでは喫煙所の意味が無いだろう、何故こんな場所で吸おうとする」
「閉鎖空間が嫌でこっち来たのに、わざわざ箱の中に行く趣味は無いんだよ」
それでも煙草を吸う意味は無い。大人しく箱の中に煙草を戻せば、彼は意外そうな顔をする。
「何か文句でも? いやまあ貴族……っと、先生サマには色々と思うところはあるんだろうが……」
「君、わざと言ってないか?」
眉間に寄ったシワはそのままに、けれどもいつもより落ち着いたトーンで返される言葉は、昼間のことが原因だろう。この場に自分たち以外の人影が見えないにしても、また知らぬ間に流れ弾が誰かに当たる可能性もある。
「マスターの様子は」
少しばかり意趣返しだと、昼間から顔を見ていない主人のことを訪ねる。すると彼はピクリと肩を震わせ、視線を逸らしてしまった。どうやらまだ気にしているらしい。
「頬が、少し腫れてしまった。本人は大丈夫だと笑っていたが……」
「サーヴァントがマスターに怪我を負わせちゃあな、って感じで落ち込んでるわけか」
「当たり前だ。いくらマスターが喧嘩を推奨しているとはいえ」
考えてみなくても奇妙な話だ。流血沙汰には滅法弱いというのに、ヒートアップする争いに口を挟むこともなくふらふらと周りを彷徨く。だからこそ手を上げそうになったサーヴァントの攻撃を食らってしまったのだが、特に咎める気はないらしい。
寧ろこの責任感の強いお坊ちゃんの方が、延々頭を悩ませて顔色だけで百面相をしているのが現実だ。月明かりだけでこれだけ表情の変化が見られるというのも珍しい。
「マスターの性格がサーヴァントを喧嘩っ早くさせているのか、喧嘩を容認してる所為で助長してるのか、どっちだと思う?」
今までの言い合いで真面目が過ぎるきらいにある彼の性格は熟知しているため、はぐらかされることはないだろうと昼間浮かんだ疑問を口にしてみる。
彼は少し面食らっていたが、すぐに顎に手を当てて熟考の体勢に入った。
「僕は、僕自身は自分の性格がそこまで変化しているようには感じないんだ」
「なるほど、正論で捩じ伏せようとするのは生前からってことか」
「捩じ伏せようとはしていない。君こそどうなんだ」
「オレの性格なんてそれこそ不確かすぎて参考にならねーよ。アンタら正規の英霊とはズレてんだから」
「……なるほど」
俄然納得がいったと頷く奴に、今度はオレがついていけなくなった。頭の回転が速い奴はこれだから……と悪態を吐きそうになって、そしてこれだけの口論を重ねても彼を面倒だとは思わないことに気がつく。
普段であればここで、適当に流して逃げることだってできる。それを目の前の坊ちゃんが許すかどうかは別として、躱すことは得意分野だ。
それでも、話を続ける理由はどこにあるのだろう。
「一度、マスターに理由を聞いてみるといい」
心を読まれたかのようなタイミングの助言に、一瞬心臓が跳ねる。向こうがこちらを訝しげに見てくるのが、なんとも気恥ずかしい。
「マスターが何を知ってるって?」
「喧嘩を推奨する理由だ」
アイスブルーの瞳は、もう逸らされてはいなかった。彼が踵を返すことで、また床とブーツがぶつかって小気味の良い音が鳴る。
どこへ行くんだと聞けば、決まっているだろうと返される。この先は誰の部屋だったか考えるより、先ほどの会話を思い出す方が簡単だった。
--
着いたのはやはりというべきか、マスターのマイルーム。消灯時間はとっくに過ぎている時間だが、レイシフト先で不寝番をしたことのあるサーヴァントなら誰でも知っている、マスターはこの時間では寝付けていない。
控えめにブザーを鳴らされ、数十秒もしないうちにマスターが扉から顔を覗かせてきた。
「うわ……どうしたの? 珍しいね二人とも」
「夜分遅くに申し訳無い。少しばかり聞きたいことがありまして、無礼を承知でこの時間に」
「いや別に良いけどね。入って」
手招きをされて入ったマスターのマイルームは、閑散としたものだ。私物を持ち込むことはあまりなく、サーヴァントからの贈り物は消え物以外は断っている所為もあるだろう。
「それで話って?」
「マスターが喧嘩を推奨する理由です。先ほど廊下でロビンと会ったときにそんな話をしまして」
その質問を投げた途端、マスターの顔から表情が消えた。けれど悲観的ではなく、それでいて面食らったというには抜け落ちたと表現する方が正しいだろう。
投げかけた張本人であるサンソンは、慈愛に満ちた顔でマスターを見つめている。急かすことも、切り上げることもしなかった。
「……自分では、出来ないことだから」
ひと時の静寂ののちに、消え入りそうな声で返ってきた声は、今まで聞いたどの言葉より重みがあった。遠くを見ていた目はこちらの目を見据え、唇は情けないほどに震えている。
「喧嘩ってさ、互いに自分が悪くないって思ってるからこそできるじゃん?」
「……まあ、そうなのかね?」
「相手の意見に納得がいかないから、何か自分の意見をわかってほしいから喧嘩するんだよ。それすら面倒になって関係を切ることだって沢山あるのに」
関わることで、話をすることで精神的に疲弊をするなら、その相手とは離れたほうがいい。自分だって離れるだろう。けれどそうしないのは、何か感じるところがあるからだ。隣にいることで、得るものがあるからだ。
「喧嘩して喧嘩して、一瞬だけ分かり合える事象があったら、その時だけ笑えばいい。あとは怒ってたって、悩んだっていい」
それが概念的で不確かなものであっても、なんとなく隣にいて、なんとなく長年一緒で、沢山の時間をかけて寄り添ってくれるような間柄であってほしい。それこそが尊いものだと、目の前の人間は本気で信じているのだ。
「自分は臆病で、それができないから。みんなにはしてほしい、と、思ってる」
最後に吐露した心情は、臆病だと、卑怯だと笑われるような悲鳴。隣に立っていたはずの坊ちゃんは、いつの間にか屈んで、マスターと目を合わせている。
その表情は優しい父のようで、それでいて迷子の子どもの手を引く母のようにも見える。一体こいつはどれだけの顔を持っているのか。いつか自分が評した男の魔女、と言う表現がここまで当てはまるとは予想外だった。
「それでは、僕やロビンとやってみてはいかがでしょう」
「え、喧嘩を?」
しかし保護者のような顔立ちから発された言葉は、何よりも暴力的であった。この発言にはオレもマスターも目を丸くする。
「挑発されることで吐露する気持ちも、正論をぶつけられることで湧き出る内情も、それは人間として至極健康的なことですので」
つまりは挑発するのがオレで、正論はサンソンというわけだ。あまりにも突拍子も無い提案にマスターはしばし目を瞬かせ、そして花が咲くように笑った。
「できれば、いいなあ」
「言語化できなくても構いません、僕たちであれば大丈夫ですので」
サンソンは低い位置にあるマスターの頭を撫でて、それから呆然と立っていたオレの手を引いてマイルームから立ち去った。オレとしては何が何だかわからなかったが、遠くを見ていたマスターの目がこちらを捉えたことを、まずは喜ぶべきなのだろう。
--
カツカツと音を立てながら歩く廊下で、サンソンは名残惜しそうにオレの手を離す。先ほど出くわした場所まで戻ると、彼は緩慢な動きで月を見上げた。
「……で、あの提案はなんだよ」
周りに人の気配は無い。大きな窓から覗く月明かりはオレたちの影しか伸ばさず、重なることもまた無い。
きょとりと重そうな瞼を上げてこちらを見る瞳は、やはり西洋人にしては幼い。これでいてガタイは向こうの方が良いのだから、アンバランスさは否めない。
「例えば僕は、マリーと口喧嘩なんてしないだろう」
「それは、まあ」
「彼女自身の生涯では立場上対立が無かったわけではないが、やはり僕とでは最初の立ち位置からして違う……しかし君とならどうだろう」
問いかけるような口ぶりにも関わらず、彼の視線は月に戻っていた。平民以下の扱いを受けながら国王を愛し、国王を断頭したことで平民に持ち上げられるようになった彼は、それをどんな気持ちで語るのだろう。
「少しでも口喧嘩ができる僕たちは、対等だと思っているよ」
そう言って微笑む奴の顔を見て、なんとなく「嘘だ」と思ったのは、幾度となく口論を重ねてきたからだろうか。その言葉は思っていたよりもスルリと口から溢れ出し、目の前の彼は眉を下げた。
「嘘ではないよ」
「そもそも答えになってないだろ」
喧嘩というものは、こういった問答も含まれるのだろうか。これ以上踏み込むことは、オレにとってもこいつにとっても不利益にしかならないのではないか。そんな不安をよそに、サンソンは至極嬉しそうにオレの手を取るのだ。
少し前まではあれだけ忌避していた、手を触れ合わせるという行為を、今では簡単にしてみせる。いや、忌避ではなくあれは単純な疑問だったのだろうか「手を触れることに何の意味があるのか」と問われたことを思い出す。その意味を、見つけられたとでも言うのだろうか。
「マスターと僕たちは、本来であれば立場が違う。喧嘩なんてできない、そうマスターは敬意にしろ畏怖にしろ感じている」
重なった影が離れる気配はなく、寧ろブーツの音が鳴るたびに触れる面積が大きくなっている。覗き込まれる形で合わされた瞳は、春の花《ブルーベル》の色をしていた。
「まずはそれを壊したい。コミュニケーションの一部として会話を望むなら、君のように相手との距離が測りやすい人がいた方がいいだろう」
「……前置きがなげーんだよ、お坊ちゃんは」
「僕はお坊ちゃんじゃない」
何度言ったらわかるんだ、とは口にせず、サンソンは手をオレの背後に回した。血と薬品がないまぜになった匂いには一瞬たじろいだが、重苦しいコートごしに伝わる体温は何故か心地が良い。
「喧嘩っ早いんじゃないんだ。ただコミュニケーションの一部としての会話を優先すると、価値観の違いが露わになりやすいだけ」
「それが、なんだって」
「同じ言葉を繰り返して、同じ返答をしてもらいたがるのも一種の愛情表現なんだそうだよ、ロビン」
肩が跳ねる。それすら見透かしたように背中に回った腕の力が強まって、血の巡りが良くなった心臓の音が響く。そのまま数秒影が一つになって、離れた瞬間に目に入ったのは、暖かく笑うサンソンの表情で。ふい、と視線を逸らす。
「せっかくだから、少しだけ外に出てみようか」
子どものように手を繋いだまま、彼が歩くたびに鳴る、ブーツの音が心地よい。足音というものはその人間の心情を色濃く表すものであり、存在そのものと言える。それが心地よいと感じるのであれば、相手の印象はそう悪くない。
ただ口を開くたび、相手に通じないとわかる皮肉が、悪態が、流水のように口から零れ落ちる。
そしてそれを、悪いことではないと確信する自分がいる。
あの男が歩くたびに鳴る、ブーツの音が心地よい。足音というものはその人間の心情を色濃く表すものであり、存在そのものと言える。それが心地よいと感じるのであれば、相手の印象はそう悪くない筈なのに、どうしてか彼相手では一致しない。
決して悪い印象ではないのだ。ただ口を開くたび、相手に通じないとわかる皮肉が、悪態が、流水のように口から零れ落ちる。
そしてそれを、悪いことではないと錯覚する自分が、いるような気がした。
「喧嘩は良いことだよ」
そう笑って言うマスターの所為かもしれない、と気がついたのには、さほど時間はかからなかった。サーヴァントというものは、良くも悪くも主人たる人間の影響を受けやすい。それは思考の共存による内的なものと、行動の制限による外的なものがある。
カルデアのマスターは争いが好きだ。これだけ言うと誤解を受けそうだが、勿論流血沙汰であれば、人並みに顔を青くして止めに入る。しかしオレと赤い弓兵がよくやる皮肉の応酬や件の処刑人との衝突、他の仲の悪いサーヴァント同士の言い争いなどであれば、マスターは微笑ましいものを見る目で笑っている。
今日もそうだ。食堂の隅で煙草を燻らせながら、ぼんやりと考え事をしていれば、アマデウスに煽られた処刑人——サンソンが、顔を赤くしているのが見えた。傍にはマスターが立っていて、やはり読めない顔で笑っている。
彼らの諍いに拳が出る方が少ないからか、周りに気にされる様子もない。そんなことに気がついているのかいないのか、彼らの言い争いは勢いを増すばかり。いつもはボソボソとした声しか発さない口は大きく開かれ、眉を釣り上げている様子は顔立ちも相俟って少し幼い印象を覚える。アマデウスの表情は、いつもと変わらない人を小馬鹿にした笑みだ。
「見過ぎだよ、ロビン」
少し高めの声が背後からかけられる。振り向けばやはりと言うか、アウトロー仲間でもあるビリーが屈託の無い笑みを浮かべて立っていた。大して吸ってもいないのに短くなっていた煙草を灰皿に押し付け、こちらもへらりと笑ってやる。
「まあ、毎日よく飽きないもんだと思うんだがね」
「喧嘩かい? まあ、ここには色んな奴がいるから衝突も多いよね」
「マスターが言うには喧嘩は良いことらしいんだけどな」
そう言うマスターが誰かと言い争っている、というところは全く見ない。勿論突っかかるような奴がいないのも大きいが、いつも小さく口角を上げて、どこか遠くを見るように笑っている。
滅多なことで怒ることはなく、声を荒げている姿どころか嫌味の一つも言ってこない。精神的な疲弊から弱気になっても、部屋に一晩引きこもれば回復しているような人だ。
「その性格がサーヴァントを喧嘩っ早くさせているのか、喧嘩を容認してる所為で助長してるのか、どっちだと思う?」
「何それ、賭けにもならないよ」
「賭けじゃねーよ」
おちおち疑問も投げかけられない、と視線をまた火種へ向ける。瞬間、小さく乾いた音が食堂内に響いた。そして二桁はいるヒトの室内にも関わらず、奇妙な静寂が流れる。
渦中にいるアマデウスは目を丸くし、サンソンの顔色は青い。そして中途半端に上がったサンソンの手の近くには、ぽかんと口を開けたまま、頬を腫らしたマスターが立っていた。少しばかりマスターに過保護なサーヴァントが殺気立つ。
「あ……大丈夫大丈夫、そんなこの世の終わりみたいな顔しないでサンソン」
しかし当の本人が間抜けな顔を晒していたのは一瞬で、すぐに顔を崩してサンソンに笑いかけていた。その声で我に返ったサンソンは、慌てて食堂からマスターを連れ出した。大方手当てをするために、医務室にでも行ったのだろう。
「何があった?」
「アマデウスに掴みかかろうとしたサンソンの手が、近くをふらついてたマスターに当たったんでしょ。結構勢いよかったけど、音の割に大した怪我じゃなさそう」
「それはまた、お医者サマにしては珍しいポカを……」
とりあえず首が捥げなくてよかったね、なんて物騒な声も随所から聞こえてくる。静かだったのは一瞬だけで、先程のトラブルを肴にいつもの喧騒が戻っていた。
--
廊下が寒々しくなる消灯時間。夜目の効く自分は時折ふらりと散歩をする。機械的で機能的で息苦しい部屋にいるより、はめ殺しであろうと外の見える廊下の方が幾分気分がマシというもの。
顔のない王を目深に被り、ぼろぼろになったジッポを灯す。窓には自分と、黒い人影。
「何をしている、こんなところで」
「うおっ!? ……なんだ、坊ちゃんじゃねーの」
気配遮断スキルを持っているとはいえ高いわけでもなし、なぜ気がつかなかったのだろう。カツカツと床を叩くブーツの音を聞きながら、そのまま隣に立つ白い肌を見つめる。
火の消えた空間では、闇の中に溶けてしまいそうなコートを着ていても、近くに来れば窓の外にある景色のような髪や瞳の面積の方が、視界に占める割合が多い。彼の眉間にはシワが寄っていて、目線の先にはオレの咥えていた煙草がある。
「ここは喫煙所じゃないぞ」
「わあってるよ。空調効いてるんだから少しくらい良いじゃねーか」
「それでは喫煙所の意味が無いだろう、何故こんな場所で吸おうとする」
「閉鎖空間が嫌でこっち来たのに、わざわざ箱の中に行く趣味は無いんだよ」
それでも煙草を吸う意味は無い。大人しく箱の中に煙草を戻せば、彼は意外そうな顔をする。
「何か文句でも? いやまあ貴族……っと、先生サマには色々と思うところはあるんだろうが……」
「君、わざと言ってないか?」
眉間に寄ったシワはそのままに、けれどもいつもより落ち着いたトーンで返される言葉は、昼間のことが原因だろう。この場に自分たち以外の人影が見えないにしても、また知らぬ間に流れ弾が誰かに当たる可能性もある。
「マスターの様子は」
少しばかり意趣返しだと、昼間から顔を見ていない主人のことを訪ねる。すると彼はピクリと肩を震わせ、視線を逸らしてしまった。どうやらまだ気にしているらしい。
「頬が、少し腫れてしまった。本人は大丈夫だと笑っていたが……」
「サーヴァントがマスターに怪我を負わせちゃあな、って感じで落ち込んでるわけか」
「当たり前だ。いくらマスターが喧嘩を推奨しているとはいえ」
考えてみなくても奇妙な話だ。流血沙汰には滅法弱いというのに、ヒートアップする争いに口を挟むこともなくふらふらと周りを彷徨く。だからこそ手を上げそうになったサーヴァントの攻撃を食らってしまったのだが、特に咎める気はないらしい。
寧ろこの責任感の強いお坊ちゃんの方が、延々頭を悩ませて顔色だけで百面相をしているのが現実だ。月明かりだけでこれだけ表情の変化が見られるというのも珍しい。
「マスターの性格がサーヴァントを喧嘩っ早くさせているのか、喧嘩を容認してる所為で助長してるのか、どっちだと思う?」
今までの言い合いで真面目が過ぎるきらいにある彼の性格は熟知しているため、はぐらかされることはないだろうと昼間浮かんだ疑問を口にしてみる。
彼は少し面食らっていたが、すぐに顎に手を当てて熟考の体勢に入った。
「僕は、僕自身は自分の性格がそこまで変化しているようには感じないんだ」
「なるほど、正論で捩じ伏せようとするのは生前からってことか」
「捩じ伏せようとはしていない。君こそどうなんだ」
「オレの性格なんてそれこそ不確かすぎて参考にならねーよ。アンタら正規の英霊とはズレてんだから」
「……なるほど」
俄然納得がいったと頷く奴に、今度はオレがついていけなくなった。頭の回転が速い奴はこれだから……と悪態を吐きそうになって、そしてこれだけの口論を重ねても彼を面倒だとは思わないことに気がつく。
普段であればここで、適当に流して逃げることだってできる。それを目の前の坊ちゃんが許すかどうかは別として、躱すことは得意分野だ。
それでも、話を続ける理由はどこにあるのだろう。
「一度、マスターに理由を聞いてみるといい」
心を読まれたかのようなタイミングの助言に、一瞬心臓が跳ねる。向こうがこちらを訝しげに見てくるのが、なんとも気恥ずかしい。
「マスターが何を知ってるって?」
「喧嘩を推奨する理由だ」
アイスブルーの瞳は、もう逸らされてはいなかった。彼が踵を返すことで、また床とブーツがぶつかって小気味の良い音が鳴る。
どこへ行くんだと聞けば、決まっているだろうと返される。この先は誰の部屋だったか考えるより、先ほどの会話を思い出す方が簡単だった。
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着いたのはやはりというべきか、マスターのマイルーム。消灯時間はとっくに過ぎている時間だが、レイシフト先で不寝番をしたことのあるサーヴァントなら誰でも知っている、マスターはこの時間では寝付けていない。
控えめにブザーを鳴らされ、数十秒もしないうちにマスターが扉から顔を覗かせてきた。
「うわ……どうしたの? 珍しいね二人とも」
「夜分遅くに申し訳無い。少しばかり聞きたいことがありまして、無礼を承知でこの時間に」
「いや別に良いけどね。入って」
手招きをされて入ったマスターのマイルームは、閑散としたものだ。私物を持ち込むことはあまりなく、サーヴァントからの贈り物は消え物以外は断っている所為もあるだろう。
「それで話って?」
「マスターが喧嘩を推奨する理由です。先ほど廊下でロビンと会ったときにそんな話をしまして」
その質問を投げた途端、マスターの顔から表情が消えた。けれど悲観的ではなく、それでいて面食らったというには抜け落ちたと表現する方が正しいだろう。
投げかけた張本人であるサンソンは、慈愛に満ちた顔でマスターを見つめている。急かすことも、切り上げることもしなかった。
「……自分では、出来ないことだから」
ひと時の静寂ののちに、消え入りそうな声で返ってきた声は、今まで聞いたどの言葉より重みがあった。遠くを見ていた目はこちらの目を見据え、唇は情けないほどに震えている。
「喧嘩ってさ、互いに自分が悪くないって思ってるからこそできるじゃん?」
「……まあ、そうなのかね?」
「相手の意見に納得がいかないから、何か自分の意見をわかってほしいから喧嘩するんだよ。それすら面倒になって関係を切ることだって沢山あるのに」
関わることで、話をすることで精神的に疲弊をするなら、その相手とは離れたほうがいい。自分だって離れるだろう。けれどそうしないのは、何か感じるところがあるからだ。隣にいることで、得るものがあるからだ。
「喧嘩して喧嘩して、一瞬だけ分かり合える事象があったら、その時だけ笑えばいい。あとは怒ってたって、悩んだっていい」
それが概念的で不確かなものであっても、なんとなく隣にいて、なんとなく長年一緒で、沢山の時間をかけて寄り添ってくれるような間柄であってほしい。それこそが尊いものだと、目の前の人間は本気で信じているのだ。
「自分は臆病で、それができないから。みんなにはしてほしい、と、思ってる」
最後に吐露した心情は、臆病だと、卑怯だと笑われるような悲鳴。隣に立っていたはずの坊ちゃんは、いつの間にか屈んで、マスターと目を合わせている。
その表情は優しい父のようで、それでいて迷子の子どもの手を引く母のようにも見える。一体こいつはどれだけの顔を持っているのか。いつか自分が評した男の魔女、と言う表現がここまで当てはまるとは予想外だった。
「それでは、僕やロビンとやってみてはいかがでしょう」
「え、喧嘩を?」
しかし保護者のような顔立ちから発された言葉は、何よりも暴力的であった。この発言にはオレもマスターも目を丸くする。
「挑発されることで吐露する気持ちも、正論をぶつけられることで湧き出る内情も、それは人間として至極健康的なことですので」
つまりは挑発するのがオレで、正論はサンソンというわけだ。あまりにも突拍子も無い提案にマスターはしばし目を瞬かせ、そして花が咲くように笑った。
「できれば、いいなあ」
「言語化できなくても構いません、僕たちであれば大丈夫ですので」
サンソンは低い位置にあるマスターの頭を撫でて、それから呆然と立っていたオレの手を引いてマイルームから立ち去った。オレとしては何が何だかわからなかったが、遠くを見ていたマスターの目がこちらを捉えたことを、まずは喜ぶべきなのだろう。
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カツカツと音を立てながら歩く廊下で、サンソンは名残惜しそうにオレの手を離す。先ほど出くわした場所まで戻ると、彼は緩慢な動きで月を見上げた。
「……で、あの提案はなんだよ」
周りに人の気配は無い。大きな窓から覗く月明かりはオレたちの影しか伸ばさず、重なることもまた無い。
きょとりと重そうな瞼を上げてこちらを見る瞳は、やはり西洋人にしては幼い。これでいてガタイは向こうの方が良いのだから、アンバランスさは否めない。
「例えば僕は、マリーと口喧嘩なんてしないだろう」
「それは、まあ」
「彼女自身の生涯では立場上対立が無かったわけではないが、やはり僕とでは最初の立ち位置からして違う……しかし君とならどうだろう」
問いかけるような口ぶりにも関わらず、彼の視線は月に戻っていた。平民以下の扱いを受けながら国王を愛し、国王を断頭したことで平民に持ち上げられるようになった彼は、それをどんな気持ちで語るのだろう。
「少しでも口喧嘩ができる僕たちは、対等だと思っているよ」
そう言って微笑む奴の顔を見て、なんとなく「嘘だ」と思ったのは、幾度となく口論を重ねてきたからだろうか。その言葉は思っていたよりもスルリと口から溢れ出し、目の前の彼は眉を下げた。
「嘘ではないよ」
「そもそも答えになってないだろ」
喧嘩というものは、こういった問答も含まれるのだろうか。これ以上踏み込むことは、オレにとってもこいつにとっても不利益にしかならないのではないか。そんな不安をよそに、サンソンは至極嬉しそうにオレの手を取るのだ。
少し前まではあれだけ忌避していた、手を触れ合わせるという行為を、今では簡単にしてみせる。いや、忌避ではなくあれは単純な疑問だったのだろうか「手を触れることに何の意味があるのか」と問われたことを思い出す。その意味を、見つけられたとでも言うのだろうか。
「マスターと僕たちは、本来であれば立場が違う。喧嘩なんてできない、そうマスターは敬意にしろ畏怖にしろ感じている」
重なった影が離れる気配はなく、寧ろブーツの音が鳴るたびに触れる面積が大きくなっている。覗き込まれる形で合わされた瞳は、春の花《ブルーベル》の色をしていた。
「まずはそれを壊したい。コミュニケーションの一部として会話を望むなら、君のように相手との距離が測りやすい人がいた方がいいだろう」
「……前置きがなげーんだよ、お坊ちゃんは」
「僕はお坊ちゃんじゃない」
何度言ったらわかるんだ、とは口にせず、サンソンは手をオレの背後に回した。血と薬品がないまぜになった匂いには一瞬たじろいだが、重苦しいコートごしに伝わる体温は何故か心地が良い。
「喧嘩っ早いんじゃないんだ。ただコミュニケーションの一部としての会話を優先すると、価値観の違いが露わになりやすいだけ」
「それが、なんだって」
「同じ言葉を繰り返して、同じ返答をしてもらいたがるのも一種の愛情表現なんだそうだよ、ロビン」
肩が跳ねる。それすら見透かしたように背中に回った腕の力が強まって、血の巡りが良くなった心臓の音が響く。そのまま数秒影が一つになって、離れた瞬間に目に入ったのは、暖かく笑うサンソンの表情で。ふい、と視線を逸らす。
「せっかくだから、少しだけ外に出てみようか」
子どものように手を繋いだまま、彼が歩くたびに鳴る、ブーツの音が心地よい。足音というものはその人間の心情を色濃く表すものであり、存在そのものと言える。それが心地よいと感じるのであれば、相手の印象はそう悪くない。
ただ口を開くたび、相手に通じないとわかる皮肉が、悪態が、流水のように口から零れ落ちる。
そしてそれを、悪いことではないと確信する自分がいる。