腐向け
貴方のお名前は?
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煌びやかな世界は、好きだった。
実家が医者の家系であったからか、それなりに裕福な暮らしをしていた幼少期。何もわからないまま連れてこられた格式高いパーティなどでは、そういった世界が広がっていたものだ。雨のように降ってくるシャンデリアの光の粒は丁寧に磨かれた床に反射され、この日のためにと着飾った紳士淑女を映し出す。大人の間にはたしかに下世話な話も存在するが、子どもであった自分や弟妹たちには関係ない話だった。
自分と弟は黒のタキシードを、妹は白いビーズが散りばめられた水色のドレスを着込んでいる。妹いつもよりめかしこんで気分が高揚しているのか、踊るように走り回っていた。それが十分ほど続いて気がおさまらないのを察し、流石に周りにぶつかっては申し訳ないと、妹をコテージに誘い出す。施設を取り囲むようにして植えられた木々の匂いが鼻をくすぐった。景色を楽しみながら、高いヒールで転ばないようにと手を繋いだ妹があっと声を上げた。
妹の目線の先に居たのは、妹と同じくらいの歳の少女。青いビーズが散りばめられた白いシフォンドレスを身にまとい、量の多そうなプラチナブロンドを高い位置で二つに纏めている。少女はこちらに気がつくと、花の咲くような笑顔を向けてくれた。とても、愛らしいと思った。ぼんやりと彼女に見惚れているうちにスルリと僕の手から抜け出した妹が、石造りの床に蹴つまずきながらも彼女に近寄る。社交性の高い妹の勢いに最初は呆気にとられていたものの、二人はすぐに顔を綻ばせて会話に興じていた。
ドレスの生地と装飾の色がそれぞれ反対なので、銀髪の妹が並ぶのを遠目で見るとまるで二卵性の双子のようだ。中々元気のありすぎる妹は、ああいったお淑やかな少女相手には持て余すと思っていたのだが、どうやら杞憂だったらしい。
「貴方の名前は何ておっしゃるの?」
「え……?」
完全に女性で盛り上がっているものだと視線を逸らしていたせいで、いつのまにか目の前まで来ていた少女に気がつかなかった。逃すまいと僕の腕にしがみついた妹は、意地の悪い顔で笑っている。
「私、マリアっていうの。マリア・アントーニアよ。ドイツからきたの」
「僕、僕は……シャルル=アンリ・サンソン」
ギクリと身体を強張らせた自分を心配した彼女のフランス語は、覚えたばかりなのか少しばかりたどたどしい。差し出された手は白雪のようで、けれどもとても暖かかった。
その後マリアと名乗った少女と妹は友人になり、自分も多少の交流を持ちながら二十年あまりの時が過ぎた。僕自身は妹の友人程度の距離感だったものの、稀にフランスに遊びに来た彼女と出かけたりもした。
最初の印象より随分とおてんばだった彼女は、周囲を自分に惹きつけるのが得意だ。やがて何人もの人が言い寄ってくるほど美しく成長した頃、彼女は結婚してフランス国籍となった。妹の交流の間に随分とフランスが気に入ったらしいマリアは、マリーと呼ばれることを好むようになった。
それと時を同じくして、妹も一緒に結婚式を挙げた。式場での妹とマリーは、とても幸せそうに笑い合っていた。
「どう、お兄ちゃん?」
「綺麗だよ。とても、綺麗だ」
くるくると回りながら、ドレスを見せに来る彼女の性格は幼い時から何一つ変わっていない。あまりの眩しさに目を閉じると、咎めるように白玉の手が頬を撫でた。もう一度目を開いた時に見えた、白いドレスが教会のステンドグラスで色鮮やかに染まっていく様を、僕はきっと忘れないだろう。
「そういえばお兄ちゃん、最近ちゃんとご飯食べてる?」
「え、いや……最近は季節の変わり目のせいか患者さんが多くて……」
「駄目だよ! そんなんだから医者の不養生って言われちゃうんだから。マリーも心配してるし」
グイグイと距離を詰められて服の生地が擦れ合う。身長差が無ければ鼻先が触れ合っていただろう、ドレス姿でも強気な彼女はひと睨みしてすぐに離れてくれた。そして指先で眉間を抑え、一つため息をついて佇まいを直した。それでも距離は一歩半というところで、非常に近い。
わざとらしい咳払いを一つして、ようやく見た目だけはお淑やかに見えた瞬間。
「お兄ちゃん、私ね、子どもがいるの」
「……え」
片目を閉じながら茶目っ気たっぷりに放たれたその言葉に、一瞬周囲の音が止まる。囁き声だったために、それが錯覚だとはわかっていたけれど心臓には悪い。彼女は笑いながら、戸惑う僕の手を引いて式場内の別室に案内してくれた。
花嫁用の控え室で出迎えたのは、美しい天鵞絨(ヴルール)の生地で作られたドレスを着た人形。
人間かと見まごうほど精巧に作られていたそれは、妹を視界に入れると僕には目もくれずに一目散に彼女に抱きついた。
「この子は……」
「観用少女っていうの」
「観用、少女? この子が?」
観用少女とは、貴族の中で流行っているという生きた人形のこと。持ち主を選び、気に入った人間の前でしか目覚めず、ミルクと砂糖菓子で育つ高級な人形。しかし実際に目にしたものはほんの僅かで、眉唾物の品物だったはずだ。
訝しげな僕の視線に気がついたのか、彼女は眉を下げる。それから二秒ほど経ってから口を開いた。
「ほら、私って子どもを産めないでしょう? 人形屋さんはマリーの知り合いで、今回の祝いの品にって気を利かせてくれたの」
「それを、どうして僕に?」
「だって貴方は私の兄だもん。知る権利があるよ」
決して俯くことはせず、彼女は僕を見る。人形は未だ彼女にしがみついたままだったが、髪の毛も肌もとても手入れが行き届いていることがわかった。
何より、彼女の目がとても慈しみを持っている。それだけでこの子がどれだけ愛されているのかがわかるだろう。
「あぁ……美しいな。この子が僕の姪になるのか」
「そう。だからお兄ちゃん、ものは相談なのだけれど」
人形を抱きながら不敵な笑みを浮かべて、彼女はもう一度くるりと回った。
--
結婚式から一週間後。妹とマリーに連行された先は、ブティックにも見える人形店だった。
香水と煙草の匂いが充満するこのネオン街は、確かに煌びやかではあるが自分の趣向には合っていない。加えて女性二人を連れていることもあって、妙な人間に絡まれないか気が気でなかった。過去にここで人形を買った際には、完全に二人だったというのだから更に頭が痛い。
どうして僕がここにいるかと聞かれれば、僕の不摂生を心配した二人が「同居人がいれば無茶な生活は送らないだろう」と結託したためである。その発言からとうの昔に口頭での注意は頭から抜いていることがわかってしまい、彼女たちの行為を無碍にしたことの罪悪感を覚えた。
慣れた手つきでマリーが扉を開ける。外とは違う、それこそサロンのような空間がそこにはあった。ガラス細工の調度品に、美しく磨かれたシャンデリア。ズラリと並んだ生き人形たちの白の中に、たった一つ黒いピアノが置かれている。傍らの椅子には、長身の男が一人座っていた。
「やあ、マリア。どうしたんだい?」
「アマデウス!」
男の第一印象を述べるならば、“派手“の一言に尽きるだろう。痩躯を隠すようにして纏った布は金糸で刺繍され、アクセサリー類は多くはないものの全て光に反射している。しかしその派手なものを完璧に着こなすだけのセンスが、この男にはあった。
「お客かい?」
「そうなの、見て回ってもいいかしら?」
「マリアの頼みなら断らないさ。まあ……彼女たちが気にいるとは限らないけどね」
男はこちらを見ながら不敵な笑みを浮かべると「どうぞごゆっくり、彼女たちの目が覚めたら呼んでよ」と、店員とは思えない態度でピアノの椅子へと戻っていった。
「マリー、彼は大丈夫なのか?」
「ええ、少し下品ではあるけれど、ピアノがとっても上手なのよ!」
高級な人形屋の店員が下品でピアノ好きとはまた、脈略があるようで無いような人格評価だ。けれど彼女の知己だというのなら、おそらくそう悪い人間では無いのだろう。
背後から聴こえるクラシックの音色をBGMに、東洋の香が煙る店内を歩き回る。人形は皆一様に瞳を閉じた少女の形をしていたが、自分の足は自然と奥へと向かっていた。薄い紫色のカーテンを捲って、捲って、奥に居たのは一人の男の子。癖のある赤毛は肩につくことなく切り揃えられ、草色の瞳を片側だけ隠している。重そうな目蓋から覗く小さな瞳は、それはそれは綺麗だった。瞳と同じ色を基調とした衣装は周りの人形に比べればとても質素で、フリルの付いていない白シャツはカフスがしっかりと首元まで留められ腕は見えず、キュロットからは色白の膝がのぞいていた。
少年はしっかりとした足取りでこちらに向かって歩き、やがておずおずと僕の上着の裾を握ってきた。ここまで近づかれて初めて青白いとも言える頬に薄っすらとそばかすが見える。身長は自分の腰より下の高さで、試しに指を通してみた髪の毛は案外柔らかかった。
「君は……?」
問いかけてみるも返事は無い。この子も観用少女の一人なのだろうか。確かに人間離れした容姿をしているが、骨格からして彼はまごうことなき少年である。
お互い言葉を発することなく半歩という距離で見つめ合っていれば、衣摺れの音とともに店員の男がやってきた。後ろには女性二人も付いてきている。いつの間にか、BGMは止んでいた。
「ああ、なんだ。妙な音がすると思ったら起きたのか」
「あ、あの。彼は……」
「そいつは中古だよ、使い古しの人形……まあ、年寄り夫婦が亡くなったんで戻ってきたってだけで、特に貞操は問題ないんだけどね!」
「もう、アマデウス!」
あまりにも明け透けな物言いに、僕は一瞬言葉を失った。マリーが止めていなければ掴みかかっていたかもしれない。
何故こんな男とマリーが友人関係にあるのかは謎だったが、今問うべきはそこではない。未だ僕の上着を掴んで離さない少年について聞こうと手を伸ばせば、少年はスルリと手を離して僕から三歩距離を取る。そんな僕らの様子を見て店員はまた爆笑するものだから、厳かだった室内は一気に宴会場になったようだった。あまりにも不釣り合いなその態度に、ため息を吐くしかない。
「君はもう少し客商売というものを勉強するべきだ」
「いやだよ、これでもそれなりに商売として成り立っているんだから」
「……わかった。では簡潔に僕が聞く質問だけにもらおうか。この少年は観用少女で間違いないのか?」
「Ja、正確には世にも珍しい少年型だけどね。若干成長してるし中古だから安くしとくぜ」
最後に付け足された無粋な単語は無視することにして、話の間にまた数歩下がってしまった人形に向き直る。また怯えたように肩を揺らす人形を安心させるために、なるべく笑顔を作って膝を折った。しかしこちらの視点が下がるごとに、人形の目線は下へ下へと下がっていく。
「君は、僕の家に来てくれるのかい?」
差し出した手のひらに、たっぷりと間を空けて細い指先が重なった。それは了承の合図だと僕は受け取ったが、何故か人形は俯いたままで目が合うことはなく、軽いモヤモヤを抱えたまま人形を引き取ることとなった。
実家が医者の家系であったからか、それなりに裕福な暮らしをしていた幼少期。何もわからないまま連れてこられた格式高いパーティなどでは、そういった世界が広がっていたものだ。雨のように降ってくるシャンデリアの光の粒は丁寧に磨かれた床に反射され、この日のためにと着飾った紳士淑女を映し出す。大人の間にはたしかに下世話な話も存在するが、子どもであった自分や弟妹たちには関係ない話だった。
自分と弟は黒のタキシードを、妹は白いビーズが散りばめられた水色のドレスを着込んでいる。妹いつもよりめかしこんで気分が高揚しているのか、踊るように走り回っていた。それが十分ほど続いて気がおさまらないのを察し、流石に周りにぶつかっては申し訳ないと、妹をコテージに誘い出す。施設を取り囲むようにして植えられた木々の匂いが鼻をくすぐった。景色を楽しみながら、高いヒールで転ばないようにと手を繋いだ妹があっと声を上げた。
妹の目線の先に居たのは、妹と同じくらいの歳の少女。青いビーズが散りばめられた白いシフォンドレスを身にまとい、量の多そうなプラチナブロンドを高い位置で二つに纏めている。少女はこちらに気がつくと、花の咲くような笑顔を向けてくれた。とても、愛らしいと思った。ぼんやりと彼女に見惚れているうちにスルリと僕の手から抜け出した妹が、石造りの床に蹴つまずきながらも彼女に近寄る。社交性の高い妹の勢いに最初は呆気にとられていたものの、二人はすぐに顔を綻ばせて会話に興じていた。
ドレスの生地と装飾の色がそれぞれ反対なので、銀髪の妹が並ぶのを遠目で見るとまるで二卵性の双子のようだ。中々元気のありすぎる妹は、ああいったお淑やかな少女相手には持て余すと思っていたのだが、どうやら杞憂だったらしい。
「貴方の名前は何ておっしゃるの?」
「え……?」
完全に女性で盛り上がっているものだと視線を逸らしていたせいで、いつのまにか目の前まで来ていた少女に気がつかなかった。逃すまいと僕の腕にしがみついた妹は、意地の悪い顔で笑っている。
「私、マリアっていうの。マリア・アントーニアよ。ドイツからきたの」
「僕、僕は……シャルル=アンリ・サンソン」
ギクリと身体を強張らせた自分を心配した彼女のフランス語は、覚えたばかりなのか少しばかりたどたどしい。差し出された手は白雪のようで、けれどもとても暖かかった。
その後マリアと名乗った少女と妹は友人になり、自分も多少の交流を持ちながら二十年あまりの時が過ぎた。僕自身は妹の友人程度の距離感だったものの、稀にフランスに遊びに来た彼女と出かけたりもした。
最初の印象より随分とおてんばだった彼女は、周囲を自分に惹きつけるのが得意だ。やがて何人もの人が言い寄ってくるほど美しく成長した頃、彼女は結婚してフランス国籍となった。妹の交流の間に随分とフランスが気に入ったらしいマリアは、マリーと呼ばれることを好むようになった。
それと時を同じくして、妹も一緒に結婚式を挙げた。式場での妹とマリーは、とても幸せそうに笑い合っていた。
「どう、お兄ちゃん?」
「綺麗だよ。とても、綺麗だ」
くるくると回りながら、ドレスを見せに来る彼女の性格は幼い時から何一つ変わっていない。あまりの眩しさに目を閉じると、咎めるように白玉の手が頬を撫でた。もう一度目を開いた時に見えた、白いドレスが教会のステンドグラスで色鮮やかに染まっていく様を、僕はきっと忘れないだろう。
「そういえばお兄ちゃん、最近ちゃんとご飯食べてる?」
「え、いや……最近は季節の変わり目のせいか患者さんが多くて……」
「駄目だよ! そんなんだから医者の不養生って言われちゃうんだから。マリーも心配してるし」
グイグイと距離を詰められて服の生地が擦れ合う。身長差が無ければ鼻先が触れ合っていただろう、ドレス姿でも強気な彼女はひと睨みしてすぐに離れてくれた。そして指先で眉間を抑え、一つため息をついて佇まいを直した。それでも距離は一歩半というところで、非常に近い。
わざとらしい咳払いを一つして、ようやく見た目だけはお淑やかに見えた瞬間。
「お兄ちゃん、私ね、子どもがいるの」
「……え」
片目を閉じながら茶目っ気たっぷりに放たれたその言葉に、一瞬周囲の音が止まる。囁き声だったために、それが錯覚だとはわかっていたけれど心臓には悪い。彼女は笑いながら、戸惑う僕の手を引いて式場内の別室に案内してくれた。
花嫁用の控え室で出迎えたのは、美しい天鵞絨(ヴルール)の生地で作られたドレスを着た人形。
人間かと見まごうほど精巧に作られていたそれは、妹を視界に入れると僕には目もくれずに一目散に彼女に抱きついた。
「この子は……」
「観用少女っていうの」
「観用、少女? この子が?」
観用少女とは、貴族の中で流行っているという生きた人形のこと。持ち主を選び、気に入った人間の前でしか目覚めず、ミルクと砂糖菓子で育つ高級な人形。しかし実際に目にしたものはほんの僅かで、眉唾物の品物だったはずだ。
訝しげな僕の視線に気がついたのか、彼女は眉を下げる。それから二秒ほど経ってから口を開いた。
「ほら、私って子どもを産めないでしょう? 人形屋さんはマリーの知り合いで、今回の祝いの品にって気を利かせてくれたの」
「それを、どうして僕に?」
「だって貴方は私の兄だもん。知る権利があるよ」
決して俯くことはせず、彼女は僕を見る。人形は未だ彼女にしがみついたままだったが、髪の毛も肌もとても手入れが行き届いていることがわかった。
何より、彼女の目がとても慈しみを持っている。それだけでこの子がどれだけ愛されているのかがわかるだろう。
「あぁ……美しいな。この子が僕の姪になるのか」
「そう。だからお兄ちゃん、ものは相談なのだけれど」
人形を抱きながら不敵な笑みを浮かべて、彼女はもう一度くるりと回った。
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結婚式から一週間後。妹とマリーに連行された先は、ブティックにも見える人形店だった。
香水と煙草の匂いが充満するこのネオン街は、確かに煌びやかではあるが自分の趣向には合っていない。加えて女性二人を連れていることもあって、妙な人間に絡まれないか気が気でなかった。過去にここで人形を買った際には、完全に二人だったというのだから更に頭が痛い。
どうして僕がここにいるかと聞かれれば、僕の不摂生を心配した二人が「同居人がいれば無茶な生活は送らないだろう」と結託したためである。その発言からとうの昔に口頭での注意は頭から抜いていることがわかってしまい、彼女たちの行為を無碍にしたことの罪悪感を覚えた。
慣れた手つきでマリーが扉を開ける。外とは違う、それこそサロンのような空間がそこにはあった。ガラス細工の調度品に、美しく磨かれたシャンデリア。ズラリと並んだ生き人形たちの白の中に、たった一つ黒いピアノが置かれている。傍らの椅子には、長身の男が一人座っていた。
「やあ、マリア。どうしたんだい?」
「アマデウス!」
男の第一印象を述べるならば、“派手“の一言に尽きるだろう。痩躯を隠すようにして纏った布は金糸で刺繍され、アクセサリー類は多くはないものの全て光に反射している。しかしその派手なものを完璧に着こなすだけのセンスが、この男にはあった。
「お客かい?」
「そうなの、見て回ってもいいかしら?」
「マリアの頼みなら断らないさ。まあ……彼女たちが気にいるとは限らないけどね」
男はこちらを見ながら不敵な笑みを浮かべると「どうぞごゆっくり、彼女たちの目が覚めたら呼んでよ」と、店員とは思えない態度でピアノの椅子へと戻っていった。
「マリー、彼は大丈夫なのか?」
「ええ、少し下品ではあるけれど、ピアノがとっても上手なのよ!」
高級な人形屋の店員が下品でピアノ好きとはまた、脈略があるようで無いような人格評価だ。けれど彼女の知己だというのなら、おそらくそう悪い人間では無いのだろう。
背後から聴こえるクラシックの音色をBGMに、東洋の香が煙る店内を歩き回る。人形は皆一様に瞳を閉じた少女の形をしていたが、自分の足は自然と奥へと向かっていた。薄い紫色のカーテンを捲って、捲って、奥に居たのは一人の男の子。癖のある赤毛は肩につくことなく切り揃えられ、草色の瞳を片側だけ隠している。重そうな目蓋から覗く小さな瞳は、それはそれは綺麗だった。瞳と同じ色を基調とした衣装は周りの人形に比べればとても質素で、フリルの付いていない白シャツはカフスがしっかりと首元まで留められ腕は見えず、キュロットからは色白の膝がのぞいていた。
少年はしっかりとした足取りでこちらに向かって歩き、やがておずおずと僕の上着の裾を握ってきた。ここまで近づかれて初めて青白いとも言える頬に薄っすらとそばかすが見える。身長は自分の腰より下の高さで、試しに指を通してみた髪の毛は案外柔らかかった。
「君は……?」
問いかけてみるも返事は無い。この子も観用少女の一人なのだろうか。確かに人間離れした容姿をしているが、骨格からして彼はまごうことなき少年である。
お互い言葉を発することなく半歩という距離で見つめ合っていれば、衣摺れの音とともに店員の男がやってきた。後ろには女性二人も付いてきている。いつの間にか、BGMは止んでいた。
「ああ、なんだ。妙な音がすると思ったら起きたのか」
「あ、あの。彼は……」
「そいつは中古だよ、使い古しの人形……まあ、年寄り夫婦が亡くなったんで戻ってきたってだけで、特に貞操は問題ないんだけどね!」
「もう、アマデウス!」
あまりにも明け透けな物言いに、僕は一瞬言葉を失った。マリーが止めていなければ掴みかかっていたかもしれない。
何故こんな男とマリーが友人関係にあるのかは謎だったが、今問うべきはそこではない。未だ僕の上着を掴んで離さない少年について聞こうと手を伸ばせば、少年はスルリと手を離して僕から三歩距離を取る。そんな僕らの様子を見て店員はまた爆笑するものだから、厳かだった室内は一気に宴会場になったようだった。あまりにも不釣り合いなその態度に、ため息を吐くしかない。
「君はもう少し客商売というものを勉強するべきだ」
「いやだよ、これでもそれなりに商売として成り立っているんだから」
「……わかった。では簡潔に僕が聞く質問だけにもらおうか。この少年は観用少女で間違いないのか?」
「Ja、正確には世にも珍しい少年型だけどね。若干成長してるし中古だから安くしとくぜ」
最後に付け足された無粋な単語は無視することにして、話の間にまた数歩下がってしまった人形に向き直る。また怯えたように肩を揺らす人形を安心させるために、なるべく笑顔を作って膝を折った。しかしこちらの視点が下がるごとに、人形の目線は下へ下へと下がっていく。
「君は、僕の家に来てくれるのかい?」
差し出した手のひらに、たっぷりと間を空けて細い指先が重なった。それは了承の合図だと僕は受け取ったが、何故か人形は俯いたままで目が合うことはなく、軽いモヤモヤを抱えたまま人形を引き取ることとなった。