その他
貴方のお名前は?
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
——このパンは、私の肉である。
——このワインは、私の血である。
ぽうぽうと灯された蝋燭が、カルデアの小さな礼拝堂の壁を彩っていた。中心には、司祭役を買って出てくれた聖ゲオルギウスが黄金の杯を掲げ、聖書に書かれた口上を並べ、慈愛に満ちた表情で聖別を行っている。
自分がカルデアに来た頃から習慣付いているこの簡易的なミサは、人理修復が終わった後の今でも途切れることなく続いている。けれどそれももう、終わり。人理修復がなされた今、サーヴァントたちがこぞってカルデアに残る必要はないのだ。
瞳を閉じながら、自分のことを慕ってくれたマスターを思い浮かべる。日本人だったマスターはミサというものに縁があまりなかったらしく、時折姿を見せては一緒に椅子で祈ってくれていた。聖歌を歌う僕の姿が珍しいのか、最初の頃は目を丸くされていたものだ。そんな彼も今日は後始末で多忙なのか、小さな礼拝堂には僕ジャンヌ・ダルクといった信者の他に影はない。
ミサの最後。司祭がパンを持ち、聖体拝領を行う。司祭の前に立ち、手を合わせて一礼。
「キリスト卿の身体」
「アーメン」
頭を下げたまま手を差し出せば、パンの一欠片が与えられる。ご聖体と呼ばれるそれは、小さく手のひらの上で輝いて見えた。
キリスト教というのは告解や許しの秘跡と言われるものが数多くある。だからこそ口癖のように許しを請い、それをマスターに詰られたこともあるが、もう過去のことだ。
これが終われば、自分たちはここから居なくなる。だからこそ、自分の罪を告白しながら願うのだ。「ああどうか、優しいカルデアの人たちに幸あれ」と。
——このパンは、
口に含んだご聖体。
エーテル体の自分にとって、血肉になってくれることは永遠に無い。けれど小さな小さなマスターにとって、自分が血肉となることができたのなら、それは喜ばしいことだろう。
——このパンは、
「——主よ、罪深き我が業をお赦しあれ」
どうか幸せにと願った彼らの傍にいられない自分を、赦してほしい。
——このワインは、私の血である。
ぽうぽうと灯された蝋燭が、カルデアの小さな礼拝堂の壁を彩っていた。中心には、司祭役を買って出てくれた聖ゲオルギウスが黄金の杯を掲げ、聖書に書かれた口上を並べ、慈愛に満ちた表情で聖別を行っている。
自分がカルデアに来た頃から習慣付いているこの簡易的なミサは、人理修復が終わった後の今でも途切れることなく続いている。けれどそれももう、終わり。人理修復がなされた今、サーヴァントたちがこぞってカルデアに残る必要はないのだ。
瞳を閉じながら、自分のことを慕ってくれたマスターを思い浮かべる。日本人だったマスターはミサというものに縁があまりなかったらしく、時折姿を見せては一緒に椅子で祈ってくれていた。聖歌を歌う僕の姿が珍しいのか、最初の頃は目を丸くされていたものだ。そんな彼も今日は後始末で多忙なのか、小さな礼拝堂には僕ジャンヌ・ダルクといった信者の他に影はない。
ミサの最後。司祭がパンを持ち、聖体拝領を行う。司祭の前に立ち、手を合わせて一礼。
「キリスト卿の身体」
「アーメン」
頭を下げたまま手を差し出せば、パンの一欠片が与えられる。ご聖体と呼ばれるそれは、小さく手のひらの上で輝いて見えた。
キリスト教というのは告解や許しの秘跡と言われるものが数多くある。だからこそ口癖のように許しを請い、それをマスターに詰られたこともあるが、もう過去のことだ。
これが終われば、自分たちはここから居なくなる。だからこそ、自分の罪を告白しながら願うのだ。「ああどうか、優しいカルデアの人たちに幸あれ」と。
——このパンは、
口に含んだご聖体。
エーテル体の自分にとって、血肉になってくれることは永遠に無い。けれど小さな小さなマスターにとって、自分が血肉となることができたのなら、それは喜ばしいことだろう。
——このパンは、
「——主よ、罪深き我が業をお赦しあれ」
どうか幸せにと願った彼らの傍にいられない自分を、赦してほしい。
2/2ページ