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人間の細胞は、三ヶ月ほどで入れ替わるらしい。
その原理でいけば、おそらく半分程度はカルデアの環境によって細胞が入れ替わった頃。つまり、この環境にも疲弊しながら慣れてきた頃、彼を召喚していたらしい。
らしい、と伝聞調なのは、自分自身人理修復を初めて三ヶ月はそれこそ英霊の数を揃えることに執着し——加えて所謂レア度の高いと言われる、ポテンシャルの高い英霊ばかりにかまける節があったことから、オルレアンで出会っていたはずの彼のことは数ある英霊のうちの一人程度にしか思っていなかったのだ。我ながら酷いマスターだろう。
それが変わったのは人理修復も佳境に入り、戦力にも余裕が出てきてからだ。元々歴史小説や文献を漁ることが大好きだった自分は、召喚した英霊の過去を調べるべく書庫に足を運んでいた。そこには無駄にいい声のする少年英霊や、かつて自分も読破した悲劇たちを書き連ねた劇作家英霊なんかがたむろしていたが、私が大人しくしていれば本を読む邪魔はしてこなかった。
本を読む、といっても特に読みたい本が無い時もある。そんな時は本棚の周りをウロウロと動き回り、ずらりと並んだ背表紙を見て読む本を決めるのだ。けれども今日は違う。ちゃんと借りようと決めた本に向かって、一直線に本棚の間を抜けて行く。
書庫と名の通り、本を収納するだけに特化した鉄の本棚は独特の匂いがする。本来は綺麗に削られた木目の本棚が好きなのだが、贅沢も言っていられまい。高い本棚に立てかけられていた梯子に足をかけて、目的の本に手を伸ばせば、カチャンという音だけがそこに響いた。
「……あった」
手に取った本の表紙に書いてある文字は——死刑執行人。数多の英霊が集うこのカルデアにも、死刑執行人という肩書きを持つ人間は一人しかいない。そう、彼こそが自分がカルデアに来てから二ヶ月ほどで召喚し、特異点もあと一つという今の今まで、霊基増強もでず放っておいたシャルル=アンリ・サンソンその人である。
うちにはオルレアン攻略の頃から主力として動いていたジャンヌが皆の世話役を買って出ている。彼女とサンソンは特に仲が良い。同郷というのもさることながら、同じ神に祈るもの同士、カルデアの隅にある礼拝堂で出会ってからというもののよく一緒に礼拝をしているようだった。
史実では文盲であった彼女も、英霊として召喚されればそれなりに本は読める。しかし慣れというものは必要で、度々サンソンに聖書を読んでもらっているらしい。そんな距離感なのだと、彼女から話には聞いていた。
その程度の認識だった彼に興味を持ったのは、先日の食堂での出来事。一緒に食前の祈りを捧げている二人を見かけ、彼らの周りの席がぽっかりと空いていたのでジャンヌの隣に腰かけた。そして手を合わせ「いただきます」と小さく呟いて、箸を取ったその時、四つの瞳がこちらを向いているのに気がついた。
「……おはよ?」
「おはようございます、朝に食堂にいるなんて珍しいですね」
「珍しくお腹が空いただけだよ」
私は寝起きがすこぶる悪く、目が覚めても中々食事が喉を通らない。それでもごく稀に意識がはっきりしている時があって、そんな時はこうして食堂に足を運ぶのだ。
世間話もそこそこに親子丼を一口放り込むと、薄氷の瞳がまだこちらを向いていた。彼は小さく口を開閉させると、こくんと空気をひとのみする。それから小さな小さな口で、小さな小さな声が聞こえてきた。
「……オハヨウゴザイマス、マスター」
片言の日本語。そこまで勇気のいる言葉ではないが、彼の耳はこちらから見ても可哀想なほどに真っ赤だった。どういうわけかとジャンヌの方に顔を向けると、彼女は忽然と姿を消してしまっていた。これは、このまま彼と会話を続けろということだろうか。
もう一度向き合った彼は背丈や肩幅はそこそこあるものの、とても幼い顔立ちをしている。そのままじいっと薄氷の瞳を見ていると、心臓がとくとくと早くなった気がした。思わず胸のあたりを抑えると、確かに早い心音があるのに苦しくは無い。
「……大丈夫ですか?」
「うん、なんか心音が早いような気がしたけど、稀にあることだから気にしないで」
「運動をした直後というわけでも無いですし……考えられるのは水分不足ですね。毎日何リットル飲んでますか?」
「え、と、昼にレイシフトで持っていく水筒一本を……飲みきるかどうかくらい?」
私が妙な顔つきをしただけで、すっかり医者の顔になるのが面白い。こういった人間は変に事実をぼかすと更に更に質問を重ねる傾向にあるので、表情だけ曖昧に崩して指折り数えていく。
しかし、水分をいつ取ったかが思い出せないレベルでは、普段から水を飲んでいないような気がする。せいぜい食事の時にコップ一杯の水を飲むだとか、外に持っていく水筒を稀に口をつけるだとか、その程度だ。その水筒も持っていることすら忘れることが多く、半分以上残った中身を晩御飯の時に消費するのが殆どである。
そんなことをつらつらと説明してみせれば、彼は目をパチクリと瞬かせた後、眉間にしわを寄せた。それと同時に口に運んだ親子丼は、なんだかゴムのような食感だ。
「水分を取らなければ、急な運動で足がつったり、脱水症状を起こす可能性があります。なので、なるべく意識をして水分を取った方がいいですよ」
「気をつける……」
でも、と言いかけて、そんな言い訳は聞きたくないと突っぱねられる気がしてやめた。忘れてしまうのなら、忘れ無いように手の甲にでも書いておけばいい。とりあえず水筒の水さえ飲みきることを意識すれば、さほど難しいことではないはずだ。
味のしなくなった親子丼をコップの水で流し込んで、手を合わせて「ごちそうさまでした」と呟く。
彼は他にも何か言いかけていたが、生憎と説教をつらつら聞けるほどの精神的余裕はない。寝ぼけた頭でサーヴァントに八つ当たりをしたくないのだ。逃げるような自分の行動は逆に不興を買うような気がしたものの、自分の足は自然と冷蔵庫に向いていた。
先程カラにしたコップに半分ほどの水を注いで、一気に呷る。この一杯で何か変わるわけではないだろうけど、思いついた時に飲んでおかなければまた忘れてしまう。
サーヴァント強化用の素材には限りがある。故に育てる順番は性能の差であったり、個人的な趣味に委ねられているのが現状だ。どんな英霊に力を入れていたかは前述の通りだがそれについてサーヴァントから文句が出たことはないし、限られた資源の中でマスターがどう動くかを見定めている人たちもいるので自分なりに思考を働かせている。
それでも後に回しがちなのが、所謂低レアと呼ばれる比較的手に入りやすいサーヴァントたち。由緒ある英霊にランク付けなど烏滸がましいが、召喚をするたびにぽこぽこ出てこられると、確かにありがたみは半減する。そんな中、一向に高レアが来なかったのがアサシンクラス。縁が無いのか相性が悪いのか、人理修復もあともう少しだというのに火力不足は否めなかった。
しかし逆に縁があったのがルーラーである。ジャンヌとホームズが早々に来たこともあって、有利はとれずとも負けることはほぼ無かった。そして唯一アタッカーとして育てたのがジキルとハイドというわけである。多少癖はあるものの、耐久サーヴァントのお供としては申し分ない。
閑話休題。
人理修復も間近となれば、マスターのあずかり知らぬところでコミュニティが発達するのは当然である。シャルル=アンリ・サンソンとヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが何やら言い争いをしているのはいつものことだが、そこにエドワード・ティーチが混ざっているのを見るのは初めてだった。人目につかないとはいえ廊下の真ん中で、百八十に近いかそれ以上の大男たちが並んでいるのはとても目立つ。それに加え、幼女にしか興味を示さない黒ひげにしては珍しくサンソンに敬意を払っているような素振りがあるのも気になった。
特にやましいことはない、とそちらに足を向ける。二人を何やら揶揄うアマデウス、その隣で畏まったように話す黒ひげと照れ顔のサンソン。彼らの会話が耳に入る前に、アマデウスが私の足音に気がついた。こちらをちらりと一瞥すると、二人に気づかれないように笑顔で近づいてくる。仕方なしにその場で足を止め、アマデウスが私に話しかけてくるのを待った。
「面白い組み合わせだろう? マスター」
「面白い……というか、意外な組み合わせだな。下品なスラングを多用する黒ひげはサンソンと相性が悪いと思っていたけど」
「ま、あの二人はね。ちょっと特別なのさ」
「特別……?」
曰く、こちらが思っていた通り、彼ら——特にサンソンは黒ひげに対してあまり良い印象を持っていなかったらしい。特に息子のいたサンソンは、子どもの姿をしたナーサリーと交流を持っていた。幼女となれば見境なくベタベタと近づこうとする黒ひげは、それはそれは目の敵にされていたそうだ。当たり前である。そんな中、黒ひげ興味が急にサンソンに向いた。誰に何を吹き込まれたのか、かつて首を斬られ晒されて、手酷い屈辱を受けた彼はその死を悼むサンソンに思うところがあったという。サンソン自身も初めは不審がっていたものの、その事情を知るやいなや真摯に受け止めた。
「……へえ」
「んー、前から思ってたんだけどマスターってさ。僕らのことあまり興味ない?」
「そんなことないよ。歴史を調べるのは好き。でも、うん、人が多すぎて私の頭じゃ追いつかないだけ」
興味がないわけではない。人物のエピソードなど歴史の中でも最も楽しい部類であるし、今の話を聞いてあの二人の逸話に興味が湧いた。特に、サンソンは。
ただの処刑人だと思っていた。マリー・アントワネットをはじめとした著名人を、ただ処刑しただけ。そこに彼の意識があることは微塵も考えなかった。目の前で黒ひげと話すサンソンは、血が通い、表情もくるくると動くただの人。そして、人の死を悼む人。そんな人は一体どんな人生を歩み、何十年生きていられたのだろう。
心音が早い。自分が興奮しているのがわかる。そして拳三つ分空いたこの距離でも、アマデウスにはそれが聞こえているのだろうから恐ろしい。
「……アマデウスは、サンソンに詳しい?」
「君よりはね。でも偏見も強いし何よりあいつ嫌いだから教えないよ」
「だと思った。うん、次はサンソンを調べようかな」
「なるほどねえ……」
私の言い方に何か恵心がいったのか、彼は顎に手を当ててうんうんと唸っている。そして話題に上っていた二人はといえば、ようやくアマデウスが側に居ないことと、いつの間にか立ち聞きをしていた私に気がついたようだった。
書庫は二人が遮っていた廊下の先にある。これ幸いとばかりに彼らの間を小さく会釈だけをして通り抜けた。
そして話は冒頭へ戻る。
見つけた小説は、そこまで分厚いわけでも、文字が小さいわけでもなかった。しかし内容は濃いの一言に尽きる。彼の先祖がどうして処刑人になったのか、彼の思春期から晩年の想い、そして孫の行い。それらが史実として肯定されているのなら、近代の人間としてはかなり壮絶な人生を歩んできた人だと言えるだろう。
読んでいる間に息でも止めていたのか、本を閉じた瞬間深いため息が思わず漏れた。本を机に置いて眉間を揉む。
「……あまり」
「うぇっ!?」
肩が跳ねた。静かな書庫に響いた自分の声にも驚いた。寄りかかっていた椅子は木の床とぶつかって、危うく椅子ごと倒れてしまうところだった。勢いよく振り向いた先には、眉を下げてこちらを見るサンソンの姿。こちらはドクドクと心臓が鳴り止まないというのの、目の前の顔は涼しかった。
「あまり、気分の良いものではないでしょう」
薄い氷のような瞳を真っ直ぐ向けられたまま、優しい雪のような声が降る。ともすれば悲観的とも取れる言葉でも、彼の放つ空気のお陰で深刻な気分にはならなかった。
「情報量はあったから疲れたけど、それ以外は別に……?」
「そうですか。随分と深いため息を吐いていたようでしたので、気分が優れないのかと……マスターは肌も白いですし」
「顔色に関して言ってるなら、君には言われたくないなあ」
俯き顔でため息を吐いた色白の人間がいれば、それはもう病人のように見えるだろう。勿論そんなものは杞憂だったわけだが。
「ああ、でも丁度良かった。今から君を探そうと思ってたんだ」
「僕を……?」
そう、小説を読み終わった瞬間から決めていた。ゆったりとした足取りで素材保管庫に赴き、なんとなく余っていた金色に輝く種火を全て彼に押し付けた。
案の定彼は目をパチクリとさせてそれを受け取ろうとはしなかったが、グイグイとそれらを押し付けて再臨用の素材も重ねて手渡していく。低レアというサーヴァントを進んで育てたことはなかったが、なるほど高レアの彼らより遥かに育てるのが容易だ。
暫くすると、そこそこあったはずの種火も尽きた。しかし素材は足りなくなったら集めに行くタイプであったので、そこまで気にすることはない。サンソンに明日もここに来るように伝え、今日のところは部屋に帰す。それから管制室に行って、ロマニに種火を集めたい旨を相談してアサシンの種火を狩りに行った。付き合ってくれたナーサリーには頭が上がらない。
それが、十二月二十日のこと。少し早めに予定されたクリスマスミサの三日前の出来事であった。
大事に大事に温めていた聖杯。サーヴァントの力が今より強化されると教えられつつも、ずうっと放っておいた杯。捧げるとすれば新しいサーヴァントで、自分の趣味に合ったロリショタであろうと思っていた。それが何のバグか、目の前の雪を被ったような頭の彼に捧げている。身長も体重も、まごうことなき成人男性の彼に。
クリスマスミサは午後一時から。任意参加ではあるがおそらく彼は参加すると思ったので、朝早くから呼び出したわけだが。再三言っている通り、私は朝に弱い。睡眠中に叩き起こされようものなら、三十分は顰めっ面で空を見ているタイプだ。
そんな人間が慣れていない早起きをし、渡した物をやんわりとでも断る雰囲気を出されればどうなるか。当然、八つ当たりにも等しいほどにガラが悪くなる。
「ですから。こような大層なものは、僕では受け取れないというか……」
「知らん! お前、うちにいるアサシンで金演出で来たサーヴァントが何人か言ってみろ!」
「ぜ、ゼロです……」
「だろう!? アサシンの火力は足りないと思ってたし、お前が金になるんだよ!!」
「それでしたら! 初めて最終再臨まで持っていったジキルの方が」
「ジキルは気に入ってるけど、聖杯をあげてどうこうって感じじゃない! ダ・ヴィンチちゃんも数に限りがあるから無闇に使うなって言ってたし」
「それこそ近代の英霊でポテンシャルも低い、強化もしてもらって伸び代もこれ以上無い僕に聖杯を与えたところで」
「うるせえ、問答無用だ!」
なんて不毛な押し問答だろう。所詮は筋トレもスポーツもしない非力な女子一人と、細身とはいえサーヴァントで尚且つ体重のある男性では力業では敵わない。だったらと舌戦に持ち込んでみたものの、弁護人もつけずに一人で不利な裁判に打ち勝った逸話を持つ彼に勝てるはずもない。
聖杯がいくらマスターに触れられない代物だとしても、扱うのはマスターだ。その仕組みは聖杯戦争でなくとも変わらない。例えコソコソ何か実験に使うサーヴァントが出て来たとしてもだ。
隔離された強化部屋で、持ち込んだ聖杯と種火を一気に彼の霊基へと注ぎ込む。最初に懸念されていた魔力酔いなんてものも気遣う余裕もなかった。
「伸び代なんてものは私が作る。いいから君は黙って私の隣に立っていればいい」
ダン、と二十センチ以上差のある彼の頭を見上げ、立ち尽くす脚の間にこちらの足を滑り込ませる。彼が壁側に立っていた以上、私の足も壁につくことになるわけだ。
確かに彼はアタッカーとしても回復役としても使いにくい部類に入るだろう。しかしそもそも戦術なんてものを気にせずに打撃で敵を打倒してきた私にとって、そんなことは些細なことだった。
私に必要だったのは熱量。人理を修復するという大役に押し潰されるわけでもなく、サーヴァントを何となく使ってここまで来てしまったことにより低下していたモチベーションの上げ方。
だから彼を選んだ。暴君だと言われようとも、マスターとしてなっていなくても、私が隣で戦ってほしいと思ったのはこのサーヴァントだ。
「私は、君の生き方に惚れた。君が疎んで否定した、夥しい屍を積み上げ続けるその仕事を投げなかったこと。その足で立ち続けた生き方を! 君がその仕事を誇らなくとも、私はその生き方に救われた!」
私は強いものに寄りかかる。声の大きいものに流される。右向け右が得意な典型的な日本人。反骨精神も持ち合わせず、崇高な宗教観など微塵もない。
だからこそ人としての彼の強さと弱さに触れて、それをもっと感じたいと思った。
小心者は小さな自分を隠すために段々と声が大きくなるという。元々声の通る方であった私はなるべく声がひっくり返らないように、彼のネクタイを引っ掴んで叫ぶ。
「君は誰のサーヴァントだ!」
「……マスターのです」
「よし! だったら付いてきな。人理修復はもう少しだ。“僕なんか”なんて言う暇は与えないから」
少しだけ尻すぼみになってしまった言葉も、彼にはしっかり届いたらしい。パチリと一つ瞬きをして、僅かながらに口角が上がった。いつの間にか頭の後ろに伸ばされた手は、暫く彷徨って私の頭頂部に置かれた。
今度は、私が惚ける番だ。確か彼は、自分の手に触れられることを嫌がっていたのではなかっただろうか。それとも、触れるのは大丈夫という思考なのだろうか。そんなわけはない、現に彼は躊躇したではないか。
「はい」
少しでも身じろぎすれば、自分の胸が彼の身体に当たる位置。そんな距離で彼の小さな小さな口による、小さな小さな返事が聞こえた。そっと、ネクタイから手を離す。
顔に熱が集まる。心音が早すぎて、それが彼に聞こえてしまいそうで、私はガバリと身を反らせる。そのまま誤魔化すように種火を渡していけば、今度はすんなり受け取ってくれた。
——これは人理修復する少し前の話。
——その後セイレムにて新たな人間関係を発見するのは、また別の話。
その原理でいけば、おそらく半分程度はカルデアの環境によって細胞が入れ替わった頃。つまり、この環境にも疲弊しながら慣れてきた頃、彼を召喚していたらしい。
らしい、と伝聞調なのは、自分自身人理修復を初めて三ヶ月はそれこそ英霊の数を揃えることに執着し——加えて所謂レア度の高いと言われる、ポテンシャルの高い英霊ばかりにかまける節があったことから、オルレアンで出会っていたはずの彼のことは数ある英霊のうちの一人程度にしか思っていなかったのだ。我ながら酷いマスターだろう。
それが変わったのは人理修復も佳境に入り、戦力にも余裕が出てきてからだ。元々歴史小説や文献を漁ることが大好きだった自分は、召喚した英霊の過去を調べるべく書庫に足を運んでいた。そこには無駄にいい声のする少年英霊や、かつて自分も読破した悲劇たちを書き連ねた劇作家英霊なんかがたむろしていたが、私が大人しくしていれば本を読む邪魔はしてこなかった。
本を読む、といっても特に読みたい本が無い時もある。そんな時は本棚の周りをウロウロと動き回り、ずらりと並んだ背表紙を見て読む本を決めるのだ。けれども今日は違う。ちゃんと借りようと決めた本に向かって、一直線に本棚の間を抜けて行く。
書庫と名の通り、本を収納するだけに特化した鉄の本棚は独特の匂いがする。本来は綺麗に削られた木目の本棚が好きなのだが、贅沢も言っていられまい。高い本棚に立てかけられていた梯子に足をかけて、目的の本に手を伸ばせば、カチャンという音だけがそこに響いた。
「……あった」
手に取った本の表紙に書いてある文字は——死刑執行人。数多の英霊が集うこのカルデアにも、死刑執行人という肩書きを持つ人間は一人しかいない。そう、彼こそが自分がカルデアに来てから二ヶ月ほどで召喚し、特異点もあと一つという今の今まで、霊基増強もでず放っておいたシャルル=アンリ・サンソンその人である。
うちにはオルレアン攻略の頃から主力として動いていたジャンヌが皆の世話役を買って出ている。彼女とサンソンは特に仲が良い。同郷というのもさることながら、同じ神に祈るもの同士、カルデアの隅にある礼拝堂で出会ってからというもののよく一緒に礼拝をしているようだった。
史実では文盲であった彼女も、英霊として召喚されればそれなりに本は読める。しかし慣れというものは必要で、度々サンソンに聖書を読んでもらっているらしい。そんな距離感なのだと、彼女から話には聞いていた。
その程度の認識だった彼に興味を持ったのは、先日の食堂での出来事。一緒に食前の祈りを捧げている二人を見かけ、彼らの周りの席がぽっかりと空いていたのでジャンヌの隣に腰かけた。そして手を合わせ「いただきます」と小さく呟いて、箸を取ったその時、四つの瞳がこちらを向いているのに気がついた。
「……おはよ?」
「おはようございます、朝に食堂にいるなんて珍しいですね」
「珍しくお腹が空いただけだよ」
私は寝起きがすこぶる悪く、目が覚めても中々食事が喉を通らない。それでもごく稀に意識がはっきりしている時があって、そんな時はこうして食堂に足を運ぶのだ。
世間話もそこそこに親子丼を一口放り込むと、薄氷の瞳がまだこちらを向いていた。彼は小さく口を開閉させると、こくんと空気をひとのみする。それから小さな小さな口で、小さな小さな声が聞こえてきた。
「……オハヨウゴザイマス、マスター」
片言の日本語。そこまで勇気のいる言葉ではないが、彼の耳はこちらから見ても可哀想なほどに真っ赤だった。どういうわけかとジャンヌの方に顔を向けると、彼女は忽然と姿を消してしまっていた。これは、このまま彼と会話を続けろということだろうか。
もう一度向き合った彼は背丈や肩幅はそこそこあるものの、とても幼い顔立ちをしている。そのままじいっと薄氷の瞳を見ていると、心臓がとくとくと早くなった気がした。思わず胸のあたりを抑えると、確かに早い心音があるのに苦しくは無い。
「……大丈夫ですか?」
「うん、なんか心音が早いような気がしたけど、稀にあることだから気にしないで」
「運動をした直後というわけでも無いですし……考えられるのは水分不足ですね。毎日何リットル飲んでますか?」
「え、と、昼にレイシフトで持っていく水筒一本を……飲みきるかどうかくらい?」
私が妙な顔つきをしただけで、すっかり医者の顔になるのが面白い。こういった人間は変に事実をぼかすと更に更に質問を重ねる傾向にあるので、表情だけ曖昧に崩して指折り数えていく。
しかし、水分をいつ取ったかが思い出せないレベルでは、普段から水を飲んでいないような気がする。せいぜい食事の時にコップ一杯の水を飲むだとか、外に持っていく水筒を稀に口をつけるだとか、その程度だ。その水筒も持っていることすら忘れることが多く、半分以上残った中身を晩御飯の時に消費するのが殆どである。
そんなことをつらつらと説明してみせれば、彼は目をパチクリと瞬かせた後、眉間にしわを寄せた。それと同時に口に運んだ親子丼は、なんだかゴムのような食感だ。
「水分を取らなければ、急な運動で足がつったり、脱水症状を起こす可能性があります。なので、なるべく意識をして水分を取った方がいいですよ」
「気をつける……」
でも、と言いかけて、そんな言い訳は聞きたくないと突っぱねられる気がしてやめた。忘れてしまうのなら、忘れ無いように手の甲にでも書いておけばいい。とりあえず水筒の水さえ飲みきることを意識すれば、さほど難しいことではないはずだ。
味のしなくなった親子丼をコップの水で流し込んで、手を合わせて「ごちそうさまでした」と呟く。
彼は他にも何か言いかけていたが、生憎と説教をつらつら聞けるほどの精神的余裕はない。寝ぼけた頭でサーヴァントに八つ当たりをしたくないのだ。逃げるような自分の行動は逆に不興を買うような気がしたものの、自分の足は自然と冷蔵庫に向いていた。
先程カラにしたコップに半分ほどの水を注いで、一気に呷る。この一杯で何か変わるわけではないだろうけど、思いついた時に飲んでおかなければまた忘れてしまう。
サーヴァント強化用の素材には限りがある。故に育てる順番は性能の差であったり、個人的な趣味に委ねられているのが現状だ。どんな英霊に力を入れていたかは前述の通りだがそれについてサーヴァントから文句が出たことはないし、限られた資源の中でマスターがどう動くかを見定めている人たちもいるので自分なりに思考を働かせている。
それでも後に回しがちなのが、所謂低レアと呼ばれる比較的手に入りやすいサーヴァントたち。由緒ある英霊にランク付けなど烏滸がましいが、召喚をするたびにぽこぽこ出てこられると、確かにありがたみは半減する。そんな中、一向に高レアが来なかったのがアサシンクラス。縁が無いのか相性が悪いのか、人理修復もあともう少しだというのに火力不足は否めなかった。
しかし逆に縁があったのがルーラーである。ジャンヌとホームズが早々に来たこともあって、有利はとれずとも負けることはほぼ無かった。そして唯一アタッカーとして育てたのがジキルとハイドというわけである。多少癖はあるものの、耐久サーヴァントのお供としては申し分ない。
閑話休題。
人理修復も間近となれば、マスターのあずかり知らぬところでコミュニティが発達するのは当然である。シャルル=アンリ・サンソンとヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが何やら言い争いをしているのはいつものことだが、そこにエドワード・ティーチが混ざっているのを見るのは初めてだった。人目につかないとはいえ廊下の真ん中で、百八十に近いかそれ以上の大男たちが並んでいるのはとても目立つ。それに加え、幼女にしか興味を示さない黒ひげにしては珍しくサンソンに敬意を払っているような素振りがあるのも気になった。
特にやましいことはない、とそちらに足を向ける。二人を何やら揶揄うアマデウス、その隣で畏まったように話す黒ひげと照れ顔のサンソン。彼らの会話が耳に入る前に、アマデウスが私の足音に気がついた。こちらをちらりと一瞥すると、二人に気づかれないように笑顔で近づいてくる。仕方なしにその場で足を止め、アマデウスが私に話しかけてくるのを待った。
「面白い組み合わせだろう? マスター」
「面白い……というか、意外な組み合わせだな。下品なスラングを多用する黒ひげはサンソンと相性が悪いと思っていたけど」
「ま、あの二人はね。ちょっと特別なのさ」
「特別……?」
曰く、こちらが思っていた通り、彼ら——特にサンソンは黒ひげに対してあまり良い印象を持っていなかったらしい。特に息子のいたサンソンは、子どもの姿をしたナーサリーと交流を持っていた。幼女となれば見境なくベタベタと近づこうとする黒ひげは、それはそれは目の敵にされていたそうだ。当たり前である。そんな中、黒ひげ興味が急にサンソンに向いた。誰に何を吹き込まれたのか、かつて首を斬られ晒されて、手酷い屈辱を受けた彼はその死を悼むサンソンに思うところがあったという。サンソン自身も初めは不審がっていたものの、その事情を知るやいなや真摯に受け止めた。
「……へえ」
「んー、前から思ってたんだけどマスターってさ。僕らのことあまり興味ない?」
「そんなことないよ。歴史を調べるのは好き。でも、うん、人が多すぎて私の頭じゃ追いつかないだけ」
興味がないわけではない。人物のエピソードなど歴史の中でも最も楽しい部類であるし、今の話を聞いてあの二人の逸話に興味が湧いた。特に、サンソンは。
ただの処刑人だと思っていた。マリー・アントワネットをはじめとした著名人を、ただ処刑しただけ。そこに彼の意識があることは微塵も考えなかった。目の前で黒ひげと話すサンソンは、血が通い、表情もくるくると動くただの人。そして、人の死を悼む人。そんな人は一体どんな人生を歩み、何十年生きていられたのだろう。
心音が早い。自分が興奮しているのがわかる。そして拳三つ分空いたこの距離でも、アマデウスにはそれが聞こえているのだろうから恐ろしい。
「……アマデウスは、サンソンに詳しい?」
「君よりはね。でも偏見も強いし何よりあいつ嫌いだから教えないよ」
「だと思った。うん、次はサンソンを調べようかな」
「なるほどねえ……」
私の言い方に何か恵心がいったのか、彼は顎に手を当ててうんうんと唸っている。そして話題に上っていた二人はといえば、ようやくアマデウスが側に居ないことと、いつの間にか立ち聞きをしていた私に気がついたようだった。
書庫は二人が遮っていた廊下の先にある。これ幸いとばかりに彼らの間を小さく会釈だけをして通り抜けた。
そして話は冒頭へ戻る。
見つけた小説は、そこまで分厚いわけでも、文字が小さいわけでもなかった。しかし内容は濃いの一言に尽きる。彼の先祖がどうして処刑人になったのか、彼の思春期から晩年の想い、そして孫の行い。それらが史実として肯定されているのなら、近代の人間としてはかなり壮絶な人生を歩んできた人だと言えるだろう。
読んでいる間に息でも止めていたのか、本を閉じた瞬間深いため息が思わず漏れた。本を机に置いて眉間を揉む。
「……あまり」
「うぇっ!?」
肩が跳ねた。静かな書庫に響いた自分の声にも驚いた。寄りかかっていた椅子は木の床とぶつかって、危うく椅子ごと倒れてしまうところだった。勢いよく振り向いた先には、眉を下げてこちらを見るサンソンの姿。こちらはドクドクと心臓が鳴り止まないというのの、目の前の顔は涼しかった。
「あまり、気分の良いものではないでしょう」
薄い氷のような瞳を真っ直ぐ向けられたまま、優しい雪のような声が降る。ともすれば悲観的とも取れる言葉でも、彼の放つ空気のお陰で深刻な気分にはならなかった。
「情報量はあったから疲れたけど、それ以外は別に……?」
「そうですか。随分と深いため息を吐いていたようでしたので、気分が優れないのかと……マスターは肌も白いですし」
「顔色に関して言ってるなら、君には言われたくないなあ」
俯き顔でため息を吐いた色白の人間がいれば、それはもう病人のように見えるだろう。勿論そんなものは杞憂だったわけだが。
「ああ、でも丁度良かった。今から君を探そうと思ってたんだ」
「僕を……?」
そう、小説を読み終わった瞬間から決めていた。ゆったりとした足取りで素材保管庫に赴き、なんとなく余っていた金色に輝く種火を全て彼に押し付けた。
案の定彼は目をパチクリとさせてそれを受け取ろうとはしなかったが、グイグイとそれらを押し付けて再臨用の素材も重ねて手渡していく。低レアというサーヴァントを進んで育てたことはなかったが、なるほど高レアの彼らより遥かに育てるのが容易だ。
暫くすると、そこそこあったはずの種火も尽きた。しかし素材は足りなくなったら集めに行くタイプであったので、そこまで気にすることはない。サンソンに明日もここに来るように伝え、今日のところは部屋に帰す。それから管制室に行って、ロマニに種火を集めたい旨を相談してアサシンの種火を狩りに行った。付き合ってくれたナーサリーには頭が上がらない。
それが、十二月二十日のこと。少し早めに予定されたクリスマスミサの三日前の出来事であった。
大事に大事に温めていた聖杯。サーヴァントの力が今より強化されると教えられつつも、ずうっと放っておいた杯。捧げるとすれば新しいサーヴァントで、自分の趣味に合ったロリショタであろうと思っていた。それが何のバグか、目の前の雪を被ったような頭の彼に捧げている。身長も体重も、まごうことなき成人男性の彼に。
クリスマスミサは午後一時から。任意参加ではあるがおそらく彼は参加すると思ったので、朝早くから呼び出したわけだが。再三言っている通り、私は朝に弱い。睡眠中に叩き起こされようものなら、三十分は顰めっ面で空を見ているタイプだ。
そんな人間が慣れていない早起きをし、渡した物をやんわりとでも断る雰囲気を出されればどうなるか。当然、八つ当たりにも等しいほどにガラが悪くなる。
「ですから。こような大層なものは、僕では受け取れないというか……」
「知らん! お前、うちにいるアサシンで金演出で来たサーヴァントが何人か言ってみろ!」
「ぜ、ゼロです……」
「だろう!? アサシンの火力は足りないと思ってたし、お前が金になるんだよ!!」
「それでしたら! 初めて最終再臨まで持っていったジキルの方が」
「ジキルは気に入ってるけど、聖杯をあげてどうこうって感じじゃない! ダ・ヴィンチちゃんも数に限りがあるから無闇に使うなって言ってたし」
「それこそ近代の英霊でポテンシャルも低い、強化もしてもらって伸び代もこれ以上無い僕に聖杯を与えたところで」
「うるせえ、問答無用だ!」
なんて不毛な押し問答だろう。所詮は筋トレもスポーツもしない非力な女子一人と、細身とはいえサーヴァントで尚且つ体重のある男性では力業では敵わない。だったらと舌戦に持ち込んでみたものの、弁護人もつけずに一人で不利な裁判に打ち勝った逸話を持つ彼に勝てるはずもない。
聖杯がいくらマスターに触れられない代物だとしても、扱うのはマスターだ。その仕組みは聖杯戦争でなくとも変わらない。例えコソコソ何か実験に使うサーヴァントが出て来たとしてもだ。
隔離された強化部屋で、持ち込んだ聖杯と種火を一気に彼の霊基へと注ぎ込む。最初に懸念されていた魔力酔いなんてものも気遣う余裕もなかった。
「伸び代なんてものは私が作る。いいから君は黙って私の隣に立っていればいい」
ダン、と二十センチ以上差のある彼の頭を見上げ、立ち尽くす脚の間にこちらの足を滑り込ませる。彼が壁側に立っていた以上、私の足も壁につくことになるわけだ。
確かに彼はアタッカーとしても回復役としても使いにくい部類に入るだろう。しかしそもそも戦術なんてものを気にせずに打撃で敵を打倒してきた私にとって、そんなことは些細なことだった。
私に必要だったのは熱量。人理を修復するという大役に押し潰されるわけでもなく、サーヴァントを何となく使ってここまで来てしまったことにより低下していたモチベーションの上げ方。
だから彼を選んだ。暴君だと言われようとも、マスターとしてなっていなくても、私が隣で戦ってほしいと思ったのはこのサーヴァントだ。
「私は、君の生き方に惚れた。君が疎んで否定した、夥しい屍を積み上げ続けるその仕事を投げなかったこと。その足で立ち続けた生き方を! 君がその仕事を誇らなくとも、私はその生き方に救われた!」
私は強いものに寄りかかる。声の大きいものに流される。右向け右が得意な典型的な日本人。反骨精神も持ち合わせず、崇高な宗教観など微塵もない。
だからこそ人としての彼の強さと弱さに触れて、それをもっと感じたいと思った。
小心者は小さな自分を隠すために段々と声が大きくなるという。元々声の通る方であった私はなるべく声がひっくり返らないように、彼のネクタイを引っ掴んで叫ぶ。
「君は誰のサーヴァントだ!」
「……マスターのです」
「よし! だったら付いてきな。人理修復はもう少しだ。“僕なんか”なんて言う暇は与えないから」
少しだけ尻すぼみになってしまった言葉も、彼にはしっかり届いたらしい。パチリと一つ瞬きをして、僅かながらに口角が上がった。いつの間にか頭の後ろに伸ばされた手は、暫く彷徨って私の頭頂部に置かれた。
今度は、私が惚ける番だ。確か彼は、自分の手に触れられることを嫌がっていたのではなかっただろうか。それとも、触れるのは大丈夫という思考なのだろうか。そんなわけはない、現に彼は躊躇したではないか。
「はい」
少しでも身じろぎすれば、自分の胸が彼の身体に当たる位置。そんな距離で彼の小さな小さな口による、小さな小さな返事が聞こえた。そっと、ネクタイから手を離す。
顔に熱が集まる。心音が早すぎて、それが彼に聞こえてしまいそうで、私はガバリと身を反らせる。そのまま誤魔化すように種火を渡していけば、今度はすんなり受け取ってくれた。
——これは人理修復する少し前の話。
——その後セイレムにて新たな人間関係を発見するのは、また別の話。
