序章 ムッシュ・ド・パリの子ども
貴方のお名前は?
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思えば長い時間を、この国で過ごした気がする。
フランス民衆の貴族への不満は小出しに爆発され、あと一押しすれば引火からの大爆発は免れまい。ルイ十六世からは、ついに危ないから来るなとのお達しを受けた。そんな国王と死刑執行人の彼は、ついこの間面会したらしい。
なんでも人道的な処刑のために、装置による斬首方法が提案されたということだ。平民も貴族もなく、苦しませずに平等に処刑する。そんな話。
「まあ、せんせの負担が減るのならいいんで……すかね?」
「僕ではなく、死刑囚の話なのだけれど」
「けれど処刑方法が斬首のみになって、その難しさと問題点の意見書を出したのせんせでしょうよ」
そもそも論として、そんな物騒な話を食事中にしないでほしい。私の手に握られたケーキは、マリーさん特製のものなのだから。
そう言いながら半目で睨んでやれば、彼はすまないと眉を下げて返してきた。
「せんせは敬虔なキリスト教徒らしく、人間愛に満ち溢れてご立派ですけど、元々宗教観の薄い私にはよくわからんのですよ」
「けれど教会には行くし、聖書だって読むだろう?」
「それは貴方達に付き合っているだけで、私自身は別に……」
椅子の上で膝を抱え、片手でケーキを掴みながら俯く。行儀が悪いと膝を叩かれ、渋々足だけを下ろした。
教会という空間は好きだ。物静かで、読書に向いていて、あそこではあらゆる人間が平等である。キリスト教徒のサンソン家に着いて行ってミサに参加したこともあるが、やはり洗礼を受けようとは思えなかった。
「僕もそんな、できた人間ではないよ」
「そうですかねえ……」
ぼんやりと彼を見れば、顔中皺だらけで疲れているようだった。既に五十を超えた彼は、未だにムッシュ・ド・パリの称号を持っている。
「引退しないんです?」
「何をいきなり、まだまだしないさ」
彼は気がついているのだろうか。囚人が苦しまずに死ねるということは、こちらの負担も小さくなること。そして負担が小さいということは、手早く済んでしまうということ。
——手早く済んでしまうということは、最悪一日に何人でも首を斬ってしまえるということ。
しかし未だ娯楽として根強い処刑があっさりと終わるということは、ショーとしてはつまらなくなるだろう。これが浸透して、娯楽という概念がなくなってくれれば一番良い。そうすれば、本当の意味で彼の負担が減る。
冷めた紅茶を飲みながら、黙々とそんなことを考えていた。
しかし、事実は小説よりも奇なり。という言葉がある。
罪人を苦しめずに処刑できる道具——ギロチンが導入されたその年。恐れていた大量処刑よりも先に、処刑人が命を落とす結果となった。亡くなったのはアンリの弟、ガブリエル。つまりシャルル=アンリとマリーの次男坊だ。死因は処刑台からの転落死、処刑台の下にいた私の目の前に落ちてきた。
一瞬だった。一瞬で若いその命が散った。家族は全員取り乱し、その場は一時騒然となった。
私はそれを、無感動に見ていた。心が壊れていたらしい。泣くこともなく「ああまた、自分より先に死んでしまったのか」という感想だけが浮かんで消えた。
それからというものの、私は何だか怖くなりサンソン家に近づかなくなった。彼らがもし寿命で亡くなったとして、また無感動になってしまうのだろうか? そんなことばかりが頭をよぎった。
狩猟小屋の中で膝を抱え、毛布に包まって眠る。思考の海に流されるのは何年振りだろう。
——夢を見た。
冷たい水の中で、彼の声が聞こえる。
けれども意識の水底では、自分以外の影はない。寂しいと、思った。
「シャルロ……」
久しく呼ばなくなった愛称を呟く。
彼の声は聞こえども、何を言っているかまでは聞き取れない。
——「どうか」
「シャルロ……?」
暗い海の中。はっきりと意志を持った声で祈りの声が捧げられる。反射的に彼の名を返したが、これは彼の声にしては若い。けれども声の響きだけは、ずっと年上に感じた。まるで、人生を謳歌した後のような。
——「どうか、貴女は生きて。僕のことは忘れて」
「あ、あぁ……」
そうだ、この声を私はよく知っている。
服が水を吸ってうまく動けない私を置いて、声はどんどん遠くなっていった。
——「いけない人だ。——にそんなものを願わな——ば、人として——の輪に乗れ——うに」
ノイズが走っているかのように、声が急速に聞こえにくくなる。私は必死で手を伸ばして、彼を引き止めようとした。
「待って、“アサシン”……!」
叫び声をあげて身体を起こすと、そこは狩猟小屋。全身汗だくで、目から涙がとめどなく溢れてくる。呼吸がうまくできない。今の夢は、私の記憶。ずっと忘れていたけれど、懐かしい、愛しい彼との別れの記憶。
——今日は何日だ?
急いで地面を蹴って街に出ると、そこは人で溢れかえっている。
コンコルド広場の処刑台の上には、ギロチンの縄を持つ真っ青な彼と、優しい顔で天を仰ぐ国王がいた。
処刑の様子を見届けた後サンソン家に行くと、マリーさんは優しい顔で迎えてくれた。革命が始まったのだ。王党派の彼らは、さぞショックだったろう。
時代の変化を求めていた彼も、革命などではなく王族を中心とした平等を望んでいた。しかしそれは夢物語だったという現実が突きつけられた。
「今日、ここにいていいですか?」
「もちろん。あの子が亡くなってから暫く顔を見せなかったでしょう? あの人だいぶ落ち込んでいたのよ」
彼女は青い顔をしながら、紅茶を出してくれた。そのまま気分が優れないから、と奥の部屋に籠ってしまう。
彼が帰ってきたのは、陽が沈んだ後だった。
彼もまた、酷い顔をしている。ここ十年は年を食ったような顔だ。
「来ていたのか」
「うん」
「見てたか?」
「うん」
「そうか……」
彼は深い溜息を吐いて、椅子に凭れかかる。
ぼんやりと空を見つめている薄氷の瞳からは、一筋の涙が伝って落ちた。声を上げることもなく、震える唇で流す綺麗な涙だ。それはとても人間らしい。
その様子をぼんやり眺めながら、ゆっくり腰を上げる。これに追い打ちをかけるような言葉しか言えない私を、どうか恨んで。
「せんせ」
「……どうした?」
「あと何日かしたら、私が死んじゃうって言ったらどうします?」
私の言葉に、彼は凍りついた。薄氷の瞳がこちらをじっと見据え、荒々しく肩を掴んでくる。力の加減なんてなかった、パキッと肩が嫌な音を立てる。
「死ぬ……? まさか、何か病気でも?」
「ううん、病気じゃないんです。病気じゃないんだけどね、もう限界っぽくて」
限界。事情の知らない彼はきっと、身体に何か支障があると思うだろう。けれど違う。身体は無駄に丈夫であり、このままであれば彼よりずっと長生きできる。
けれども、もう駄目だった。
革命は始まり、民衆は貴族を処刑せよと彼に命じる。彼は短期間で何百人もの首を刎ねることになるだろう。
そうして人が処刑されることの異常性がわからなくなった彼らは、きっと魔女の私も殺しにくる。今まで散々石を投げられ、傷をつけられてきたのだ。最近まで魔女裁判があったこの地域では、きっと私は赦されない。
陰ながら護ってくれた国王はもういない。後ろ盾が無くなった今、絶対に“殺される”。
「酷い傷を負っているなら治療する。体調が優れないのなら診てあげられる」
「うん、怪我や病気なら、迷いなくせんせに相談したと思う」
「だったら」
「でも駄目。私は近いうち民衆に殺されるから」
彼の目が、ゆっくりと見開かれた。
そんな馬鹿な話があるかとでも言いたげだ。
「ころ……まさか、何のために」
「私はね、貴方が思っている以上に怨まれているの」
「だったら早く逃げるんだ。何日かってことは猶予があるんだろう? 早くこの街から逃げればそんなことには」
「シャルロ」
早口にまくし立てる彼の名前を呼ぶ。
——ああ、愛されているなあ。
普段、誰よりも冷静沈着な彼が慌てている。それはつまり、彼が私を死なせたくないと思ってくれているのだ。
肩にあった腕に手を重ね、ゆっくり解いて彼を抱きしめる。身長の届かない私では、抱きしめるというより首筋に腕をかけるだけだったけれど。出会った時はあんなに小さかったのに、随分大きくなったものだ。
「愛しいシャルロ。私は、貴方と離れたくない。私は貴方に会うために、ここに来たのだから」
……何度も離れようと思った。彼が私の身長を抜いた時。彼が私の肉体年齢に達した時。彼が愛人を作った時。彼が結婚した時。彼が子どもを授かった時。
彼にとって大切な者ができるたびに、離れようとして、できなかった。
このまま彼の人生を見守りたい。
そして他人に殺されるくらいなら、彼の手によって裁かれたい。
「何を、言って」
「シャルロ。国王という後ろ盾が無くなった今、私は国民によって魔女と糾弾されるでしょう。私は生きているだけで罪だから」
耳元で静かに、子守唄のように語りかける。必死に私の顔を見ようともがく彼を、腕に力を入れて止めた。
今までの魔女裁判がどれだけデタラメでも、この街の人間は私という異常性をよく知っている。何故なら私は死なないのだから。死なない人間などいるまい。
「だからねシャルロ。魔女として告発されたら、貴方が、貴方の手で私の首を刎ねて」
「そんなこと……できるわけ」
「時代錯誤だけど火炙りかもね。斬首は貴族の特権だもんね」
「ちがう、そうじゃなくて」
「その時は、民衆に嬲り殺される前に、正義の剣で裁いて」
彼はついに、だらりと腕を下げた。身体を離せば、顔面蒼白といった具合だ。
これ以上の無理強いはできない。
「さようならシャルロ。次に会う時は法廷か死体かな……。法廷だったら、私がどうして死なないのか教えてあげる」
柔らかな白銀の頭を撫でて、額に軽くキスをする。力の抜けたままの手を拝借し、小指を絡ませた。
〽︎指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ます
「指切った」
なんて自分勝手で一方的な約束だろう。小指がプツリと離れても、私がその場を立ち去ろうとも、彼が引き止めることはなかった。無防備に街を歩いていれば、殺気だった民衆がこちらを見てくる。処刑人の家から出てくる魔女、という評価を得ていたのは知っていた。
「ああ、魔女だ」
「国王が死んで、魔女が生き残るなんて変だ」
「あいつがヴェルサイユに出入りしているのを見たことがある」
「曽祖父も見たことがあると言っていた」
「あいつが国王を唆したんじゃないか?」
「財政難になったあたりから居るらしいじゃないか」
「化け物め」
向けられるのは純粋な悪意。王党派であった人間からも恨み言が投げつけられる。
さて、石を投げられるか、熱した火かき棒で殴られるか。痛みに備えて身を固めども、彼らは陰口を叩くだけで何もしてこない。やはり魔女と風聴されただけあって、いざ殺すとなると準備が必要になるのか。それはそれで好都合だと、そのまま森へ足を運んだ。
狩猟小屋の中に入り、壁から三番目と四番目の床板を外す。中には四角いトランクが入っていた。膝上ほどの大きさのソレ。綺麗だったはずのこげ茶色は煤で汚れ、縁と中央を金色の薔薇の装飾は塗装が剥げて鈍色になっている。
服の中に隠し持っていた、十字架型の赤い石をトランクの鍵穴に差し込む。時計回りに回転させれば、カチリと音がした。
埃を吸い込まないよう慎重にトランクを開くと、中に入っていたのは数種類の薬品。肩から肘あたりまでの長さの短剣。シルバーに輝く指輪。色鮮やかに撮られた数枚の写真。——そして黄金に輝く小さな器。
「……なんで、忘れてたんだろうな」
これは、かつて聖杯と呼ばれた魔術礼装。今の時代から何百年か後に、私が手に入れた幻の願望機だ。
その昔、私は本当に魔女だった。
正確には魔術師と呼ばれる類のもので、私以外にも世界中に何人もいたのだ。そこで偶然にも願いの叶う願望機である聖杯の情報を手に入れ、それを奪い合う戦争に参加した。
特に願いがあったわけでもなく、強いて言うなら魔術師の友人が欲しかった。戦争で殺しあったとして、最後まで残れば何かあると信じていた。
——その戦争の名は、聖杯戦争。
七人の魔術師が、七体の使い魔を使役し殺しあう小さな戦い。ここでの使い魔というのは、過去現在未来で英雄と呼ばれたモノだ。能力によって七つのクラスに振り分けられ、己が願いのために魔術師 と契約する。
そこで私が召喚した使い魔 こそ、アサシンクラスのシャルル=アンリ・サンソンだった。
フランス民衆の貴族への不満は小出しに爆発され、あと一押しすれば引火からの大爆発は免れまい。ルイ十六世からは、ついに危ないから来るなとのお達しを受けた。そんな国王と死刑執行人の彼は、ついこの間面会したらしい。
なんでも人道的な処刑のために、装置による斬首方法が提案されたということだ。平民も貴族もなく、苦しませずに平等に処刑する。そんな話。
「まあ、せんせの負担が減るのならいいんで……すかね?」
「僕ではなく、死刑囚の話なのだけれど」
「けれど処刑方法が斬首のみになって、その難しさと問題点の意見書を出したのせんせでしょうよ」
そもそも論として、そんな物騒な話を食事中にしないでほしい。私の手に握られたケーキは、マリーさん特製のものなのだから。
そう言いながら半目で睨んでやれば、彼はすまないと眉を下げて返してきた。
「せんせは敬虔なキリスト教徒らしく、人間愛に満ち溢れてご立派ですけど、元々宗教観の薄い私にはよくわからんのですよ」
「けれど教会には行くし、聖書だって読むだろう?」
「それは貴方達に付き合っているだけで、私自身は別に……」
椅子の上で膝を抱え、片手でケーキを掴みながら俯く。行儀が悪いと膝を叩かれ、渋々足だけを下ろした。
教会という空間は好きだ。物静かで、読書に向いていて、あそこではあらゆる人間が平等である。キリスト教徒のサンソン家に着いて行ってミサに参加したこともあるが、やはり洗礼を受けようとは思えなかった。
「僕もそんな、できた人間ではないよ」
「そうですかねえ……」
ぼんやりと彼を見れば、顔中皺だらけで疲れているようだった。既に五十を超えた彼は、未だにムッシュ・ド・パリの称号を持っている。
「引退しないんです?」
「何をいきなり、まだまだしないさ」
彼は気がついているのだろうか。囚人が苦しまずに死ねるということは、こちらの負担も小さくなること。そして負担が小さいということは、手早く済んでしまうということ。
——手早く済んでしまうということは、最悪一日に何人でも首を斬ってしまえるということ。
しかし未だ娯楽として根強い処刑があっさりと終わるということは、ショーとしてはつまらなくなるだろう。これが浸透して、娯楽という概念がなくなってくれれば一番良い。そうすれば、本当の意味で彼の負担が減る。
冷めた紅茶を飲みながら、黙々とそんなことを考えていた。
しかし、事実は小説よりも奇なり。という言葉がある。
罪人を苦しめずに処刑できる道具——ギロチンが導入されたその年。恐れていた大量処刑よりも先に、処刑人が命を落とす結果となった。亡くなったのはアンリの弟、ガブリエル。つまりシャルル=アンリとマリーの次男坊だ。死因は処刑台からの転落死、処刑台の下にいた私の目の前に落ちてきた。
一瞬だった。一瞬で若いその命が散った。家族は全員取り乱し、その場は一時騒然となった。
私はそれを、無感動に見ていた。心が壊れていたらしい。泣くこともなく「ああまた、自分より先に死んでしまったのか」という感想だけが浮かんで消えた。
それからというものの、私は何だか怖くなりサンソン家に近づかなくなった。彼らがもし寿命で亡くなったとして、また無感動になってしまうのだろうか? そんなことばかりが頭をよぎった。
狩猟小屋の中で膝を抱え、毛布に包まって眠る。思考の海に流されるのは何年振りだろう。
——夢を見た。
冷たい水の中で、彼の声が聞こえる。
けれども意識の水底では、自分以外の影はない。寂しいと、思った。
「シャルロ……」
久しく呼ばなくなった愛称を呟く。
彼の声は聞こえども、何を言っているかまでは聞き取れない。
——「どうか」
「シャルロ……?」
暗い海の中。はっきりと意志を持った声で祈りの声が捧げられる。反射的に彼の名を返したが、これは彼の声にしては若い。けれども声の響きだけは、ずっと年上に感じた。まるで、人生を謳歌した後のような。
——「どうか、貴女は生きて。僕のことは忘れて」
「あ、あぁ……」
そうだ、この声を私はよく知っている。
服が水を吸ってうまく動けない私を置いて、声はどんどん遠くなっていった。
——「いけない人だ。——にそんなものを願わな——ば、人として——の輪に乗れ——うに」
ノイズが走っているかのように、声が急速に聞こえにくくなる。私は必死で手を伸ばして、彼を引き止めようとした。
「待って、“アサシン”……!」
叫び声をあげて身体を起こすと、そこは狩猟小屋。全身汗だくで、目から涙がとめどなく溢れてくる。呼吸がうまくできない。今の夢は、私の記憶。ずっと忘れていたけれど、懐かしい、愛しい彼との別れの記憶。
——今日は何日だ?
急いで地面を蹴って街に出ると、そこは人で溢れかえっている。
コンコルド広場の処刑台の上には、ギロチンの縄を持つ真っ青な彼と、優しい顔で天を仰ぐ国王がいた。
処刑の様子を見届けた後サンソン家に行くと、マリーさんは優しい顔で迎えてくれた。革命が始まったのだ。王党派の彼らは、さぞショックだったろう。
時代の変化を求めていた彼も、革命などではなく王族を中心とした平等を望んでいた。しかしそれは夢物語だったという現実が突きつけられた。
「今日、ここにいていいですか?」
「もちろん。あの子が亡くなってから暫く顔を見せなかったでしょう? あの人だいぶ落ち込んでいたのよ」
彼女は青い顔をしながら、紅茶を出してくれた。そのまま気分が優れないから、と奥の部屋に籠ってしまう。
彼が帰ってきたのは、陽が沈んだ後だった。
彼もまた、酷い顔をしている。ここ十年は年を食ったような顔だ。
「来ていたのか」
「うん」
「見てたか?」
「うん」
「そうか……」
彼は深い溜息を吐いて、椅子に凭れかかる。
ぼんやりと空を見つめている薄氷の瞳からは、一筋の涙が伝って落ちた。声を上げることもなく、震える唇で流す綺麗な涙だ。それはとても人間らしい。
その様子をぼんやり眺めながら、ゆっくり腰を上げる。これに追い打ちをかけるような言葉しか言えない私を、どうか恨んで。
「せんせ」
「……どうした?」
「あと何日かしたら、私が死んじゃうって言ったらどうします?」
私の言葉に、彼は凍りついた。薄氷の瞳がこちらをじっと見据え、荒々しく肩を掴んでくる。力の加減なんてなかった、パキッと肩が嫌な音を立てる。
「死ぬ……? まさか、何か病気でも?」
「ううん、病気じゃないんです。病気じゃないんだけどね、もう限界っぽくて」
限界。事情の知らない彼はきっと、身体に何か支障があると思うだろう。けれど違う。身体は無駄に丈夫であり、このままであれば彼よりずっと長生きできる。
けれども、もう駄目だった。
革命は始まり、民衆は貴族を処刑せよと彼に命じる。彼は短期間で何百人もの首を刎ねることになるだろう。
そうして人が処刑されることの異常性がわからなくなった彼らは、きっと魔女の私も殺しにくる。今まで散々石を投げられ、傷をつけられてきたのだ。最近まで魔女裁判があったこの地域では、きっと私は赦されない。
陰ながら護ってくれた国王はもういない。後ろ盾が無くなった今、絶対に“殺される”。
「酷い傷を負っているなら治療する。体調が優れないのなら診てあげられる」
「うん、怪我や病気なら、迷いなくせんせに相談したと思う」
「だったら」
「でも駄目。私は近いうち民衆に殺されるから」
彼の目が、ゆっくりと見開かれた。
そんな馬鹿な話があるかとでも言いたげだ。
「ころ……まさか、何のために」
「私はね、貴方が思っている以上に怨まれているの」
「だったら早く逃げるんだ。何日かってことは猶予があるんだろう? 早くこの街から逃げればそんなことには」
「シャルロ」
早口にまくし立てる彼の名前を呼ぶ。
——ああ、愛されているなあ。
普段、誰よりも冷静沈着な彼が慌てている。それはつまり、彼が私を死なせたくないと思ってくれているのだ。
肩にあった腕に手を重ね、ゆっくり解いて彼を抱きしめる。身長の届かない私では、抱きしめるというより首筋に腕をかけるだけだったけれど。出会った時はあんなに小さかったのに、随分大きくなったものだ。
「愛しいシャルロ。私は、貴方と離れたくない。私は貴方に会うために、ここに来たのだから」
……何度も離れようと思った。彼が私の身長を抜いた時。彼が私の肉体年齢に達した時。彼が愛人を作った時。彼が結婚した時。彼が子どもを授かった時。
彼にとって大切な者ができるたびに、離れようとして、できなかった。
このまま彼の人生を見守りたい。
そして他人に殺されるくらいなら、彼の手によって裁かれたい。
「何を、言って」
「シャルロ。国王という後ろ盾が無くなった今、私は国民によって魔女と糾弾されるでしょう。私は生きているだけで罪だから」
耳元で静かに、子守唄のように語りかける。必死に私の顔を見ようともがく彼を、腕に力を入れて止めた。
今までの魔女裁判がどれだけデタラメでも、この街の人間は私という異常性をよく知っている。何故なら私は死なないのだから。死なない人間などいるまい。
「だからねシャルロ。魔女として告発されたら、貴方が、貴方の手で私の首を刎ねて」
「そんなこと……できるわけ」
「時代錯誤だけど火炙りかもね。斬首は貴族の特権だもんね」
「ちがう、そうじゃなくて」
「その時は、民衆に嬲り殺される前に、正義の剣で裁いて」
彼はついに、だらりと腕を下げた。身体を離せば、顔面蒼白といった具合だ。
これ以上の無理強いはできない。
「さようならシャルロ。次に会う時は法廷か死体かな……。法廷だったら、私がどうして死なないのか教えてあげる」
柔らかな白銀の頭を撫でて、額に軽くキスをする。力の抜けたままの手を拝借し、小指を絡ませた。
〽︎指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ます
「指切った」
なんて自分勝手で一方的な約束だろう。小指がプツリと離れても、私がその場を立ち去ろうとも、彼が引き止めることはなかった。無防備に街を歩いていれば、殺気だった民衆がこちらを見てくる。処刑人の家から出てくる魔女、という評価を得ていたのは知っていた。
「ああ、魔女だ」
「国王が死んで、魔女が生き残るなんて変だ」
「あいつがヴェルサイユに出入りしているのを見たことがある」
「曽祖父も見たことがあると言っていた」
「あいつが国王を唆したんじゃないか?」
「財政難になったあたりから居るらしいじゃないか」
「化け物め」
向けられるのは純粋な悪意。王党派であった人間からも恨み言が投げつけられる。
さて、石を投げられるか、熱した火かき棒で殴られるか。痛みに備えて身を固めども、彼らは陰口を叩くだけで何もしてこない。やはり魔女と風聴されただけあって、いざ殺すとなると準備が必要になるのか。それはそれで好都合だと、そのまま森へ足を運んだ。
狩猟小屋の中に入り、壁から三番目と四番目の床板を外す。中には四角いトランクが入っていた。膝上ほどの大きさのソレ。綺麗だったはずのこげ茶色は煤で汚れ、縁と中央を金色の薔薇の装飾は塗装が剥げて鈍色になっている。
服の中に隠し持っていた、十字架型の赤い石をトランクの鍵穴に差し込む。時計回りに回転させれば、カチリと音がした。
埃を吸い込まないよう慎重にトランクを開くと、中に入っていたのは数種類の薬品。肩から肘あたりまでの長さの短剣。シルバーに輝く指輪。色鮮やかに撮られた数枚の写真。——そして黄金に輝く小さな器。
「……なんで、忘れてたんだろうな」
これは、かつて聖杯と呼ばれた魔術礼装。今の時代から何百年か後に、私が手に入れた幻の願望機だ。
その昔、私は本当に魔女だった。
正確には魔術師と呼ばれる類のもので、私以外にも世界中に何人もいたのだ。そこで偶然にも願いの叶う願望機である聖杯の情報を手に入れ、それを奪い合う戦争に参加した。
特に願いがあったわけでもなく、強いて言うなら魔術師の友人が欲しかった。戦争で殺しあったとして、最後まで残れば何かあると信じていた。
——その戦争の名は、聖杯戦争。
七人の魔術師が、七体の使い魔を使役し殺しあう小さな戦い。ここでの使い魔というのは、過去現在未来で英雄と呼ばれたモノだ。能力によって七つのクラスに振り分けられ、己が願いのために
そこで私が召喚した
