第四章 記憶
貴方のお名前は?
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その後の結果から言えば、特異点修復は紆余曲折あったのちに完了した。
バビロニアが終わった後にソロモンを名乗る輩が出てきて……なんて、ボスの二段階進化のような芸当はあったけれども。それでも、魔神柱ともども倒したのだ。
ドクターを犠牲にして。
否、犠牲という言葉は彼に失礼だ。彼は気高く、信念を持って人理修復の背を押した。藤丸立香とマシュ・キリエライトはそれはもう酷い有様で帰ってきたが、生きているだけ儲けものだろう。
雪の止んだカルデアの外を見ながら、 私にとってのドクターロマンを考える。彼はカルデアで最初に顔を合わせた人物であり、定期検診などでは何度もお世話になった人物でもある。
そんな恩人のような人が亡くなったというのに、涙ひとつ流さない私は心が凍っているのではないかと自嘲する。そしてこれは、いつしかの感覚とよく似ていた。
——そう、シャルル=アンリ・サンソンの次男が断頭台から落ちた時だ。
あの時は確か、サンソン家と距離を置いて狩猟小屋で震えていたはず。ならば今回は、あの二人に合わせる顔がないとでも言って、自室に引きこもれば良いのだろうか。
いつ誰と会うかわからない廊下でぼやぼや外なんか見てないで、自室で一人寂しく待機の準備でもしていればいいのか。そもそも自分の処遇も決まっていないのに、引きこもる余裕があるとも思えない。
小さな小さな歪みはまだ全国各地に残り、魔神柱もまだ散らばっているらしいが、それもレイシフトに同行できない自分がどうにかできる問題でもない。
「こんなとこで何してんだ、お嬢さん」
「……ロビン?」
「空調が効いているとはいえ、窓にべったりじゃ冷えますぜ」
「別にいいの……あ、そうそう。言いそびれてたけど、熱でうなされてた時に運んでくれてありがとうね」
「まあ、あんた見てると思い出すやつがいるんでね」
「思い出す……?」
思わずといった風に聞き返すと、特に慌てた様子もなく緑衣のアーチャーははにかむ。それは見たことがないほど幼い笑みで、慈愛に満ちていた。
「それって、生前の知り合い?」
「いいや。いつかの聖杯戦争でね、俺に進んで殺された馬鹿なマスターがいたのさ」
「貴方の?」
「いいや、敵だよ。なのにそいつは言ったんだよ“その弓で心臓を貫いてほしい”って」
そう吐き捨てた彼の顔は、ひどく歪んでいる。
けれど、それは。私に似ていると解釈するなら、その人はきっと、このアーチャーのことが——。
「これからどうする」
緑衣の彼は思考を遮るように口を開いた。その声音はあまりにも軽く、まるで思いつきで外出先を決めてしまうような、そんな温度。
表情もいつの間にか、通常のニヒルな彼らしいものに戻っている。
「私は……願ったから。聖杯に、彼と一緒に居たいって、願ったから。聖杯の効力が永続するかはわからないけど、私は多分、また彼に巡り逢える希望にかけるかな」
「確証はないのに?」
「パリでも結構待ったんだよ、百年経ったかは覚えてないけど。まあ、本当は彼の手で裁かれたかったんだ」
罪の証を預けても、左耳を切り落としても、私は何も変わらない。いっそ右耳も切り落として、最後に首が落ちてしまえば私は何かを終わらせられると思っていた。それでも、きっと何も変わらないことはわかってしまう。
それなら、生きて生きて生きぬいて、彼にまた巡り逢いたい。
「ま、それはいいんですけどね。またあの坊ちゃんに、アンタの記憶が無かったら?」
「それでも構わない。英霊には記憶が残らないってのが普通なんだから、そばで見てるだけとか、まあ、そんな感じで過ごすよ」
「……もし、その記憶が、英霊のシステムとは別に消えていたら?」
「……え?」
彼は今、何と言っただろう。英霊のシステムとして、あらゆる矛盾を排除するために、その時代時代で英霊の記憶が保持されることはない。稀に記憶を保持したまま召喚される英霊もいるが、カルデアの召喚システムや、時空の揺らぎなんかが原因だ。
それが、シャルル=アンリ・サンソンの記憶が無い理由が、また別にあると?
「それって、どういうこと」
「今までアンタは疑問に思わなかったのか、ってことだよ。アンタとあいつは共に聖杯を手に入れた。アンタは願いを叶えている。じゃあ、あいつは? あいつの願いはどこだ?」
「……記憶を消すことが願いだって?」
「もしくは、結果的に記憶が消えてしまうような願いだな」
「でも、オルレアンの彼は、最後には思い出してくれたよ」
「そこなんだよ。お嬢さん」
そこで彼は、一度言葉を区切ってこちらを見る。その表情は先ほどまでの飄々とした感じではなく、いたって真剣そのものだ。尚も首をかしげる私に、彼は一つ溜息をこぼし、頭を掻いた。
「オルレアンのあいつがお嬢さんと会話をしているところを、俺たちカルデアの面子はただの一度も目にしていない」
シャルル=アンリ・サンソンの記憶について、私は誰にも言えずにいた。理由としては小さな特異点が見つかったり、藤丸立香が夢の中に閉じ込められたり、とても世界が救われた感覚はなかったからだ。
正確には、平和な世の中が戻っていたとしても、私は誰にもこのことを言えずに墓まで持って言ったのだろうが。
久々に、記憶の海に身体を投げる。
冷たい海の底は私の体温を奪うけれど、同時に大切な記憶を掘り起こさせてくれる。オルレアンの記憶、パリの記憶、聖杯戦争の記憶。
聖杯戦争では、彼の中の私は小さなマスターだった。何もできない、運だけで勝ち残ったマスター。けれど、勝ち残ることは知っていた。それは彼が生前に私という人間の成れの果てに会ったことがあるから。
パリでは、彼の中の私は成長しない女性だった。身体的にも精神的にも、幼い彼には年上の女性に、壮年の彼には幼い少女に見えていただろう。
オルレアンでは、彼は必ず私が声をかけなければ振り向かなかった。こちらが見えてはいなかった。記憶の有無なんて、私には知り得ないことだった。
だって見て欲しかったから。
だって認知して欲しかったから。
なんて傲慢で、身勝手な願いだろう。相手の気持ちも考えず、ただ自分の快楽のみを追求した結果がこれだ。
ただそれに後悔があるわけじゃあない。罪悪感があるわけじゃあない。彼は優しくて、記憶が無い今でも私のことを気にかけてくれている。それだけでいい、それだけじゃ嫌だ、あの人に逢いたい話したい好かれたい!
なんたる傲慢! なんたる身勝手! 誰かが笑う。海の中に嗤い声が響く。
血で固められた水底に寝そべる私に、非難する声が投げられる。
そんなものに私は揺るがない。
そんなことはどうでもいい。
問題なのは、彼の記憶が無かったとして、トリガーがどこにあったかだ。それが聖杯による願いだとすれば、オルレアンで出逢った彼は誰だ。
緑衣のアーチャーは私と彼の会話を見ていないと言った。それはおかしい。確かに私は彼と会話し、目の前で彼は消えていった。会話を見ていないだけならいい。けれど、見ていないのではなく、会話をしていないように見えていたのなら大問題だ。
バビロニアが終わった後にソロモンを名乗る輩が出てきて……なんて、ボスの二段階進化のような芸当はあったけれども。それでも、魔神柱ともども倒したのだ。
ドクターを犠牲にして。
否、犠牲という言葉は彼に失礼だ。彼は気高く、信念を持って人理修復の背を押した。藤丸立香とマシュ・キリエライトはそれはもう酷い有様で帰ってきたが、生きているだけ儲けものだろう。
雪の止んだカルデアの外を見ながら、 私にとってのドクターロマンを考える。彼はカルデアで最初に顔を合わせた人物であり、定期検診などでは何度もお世話になった人物でもある。
そんな恩人のような人が亡くなったというのに、涙ひとつ流さない私は心が凍っているのではないかと自嘲する。そしてこれは、いつしかの感覚とよく似ていた。
——そう、シャルル=アンリ・サンソンの次男が断頭台から落ちた時だ。
あの時は確か、サンソン家と距離を置いて狩猟小屋で震えていたはず。ならば今回は、あの二人に合わせる顔がないとでも言って、自室に引きこもれば良いのだろうか。
いつ誰と会うかわからない廊下でぼやぼや外なんか見てないで、自室で一人寂しく待機の準備でもしていればいいのか。そもそも自分の処遇も決まっていないのに、引きこもる余裕があるとも思えない。
小さな小さな歪みはまだ全国各地に残り、魔神柱もまだ散らばっているらしいが、それもレイシフトに同行できない自分がどうにかできる問題でもない。
「こんなとこで何してんだ、お嬢さん」
「……ロビン?」
「空調が効いているとはいえ、窓にべったりじゃ冷えますぜ」
「別にいいの……あ、そうそう。言いそびれてたけど、熱でうなされてた時に運んでくれてありがとうね」
「まあ、あんた見てると思い出すやつがいるんでね」
「思い出す……?」
思わずといった風に聞き返すと、特に慌てた様子もなく緑衣のアーチャーははにかむ。それは見たことがないほど幼い笑みで、慈愛に満ちていた。
「それって、生前の知り合い?」
「いいや。いつかの聖杯戦争でね、俺に進んで殺された馬鹿なマスターがいたのさ」
「貴方の?」
「いいや、敵だよ。なのにそいつは言ったんだよ“その弓で心臓を貫いてほしい”って」
そう吐き捨てた彼の顔は、ひどく歪んでいる。
けれど、それは。私に似ていると解釈するなら、その人はきっと、このアーチャーのことが——。
「これからどうする」
緑衣の彼は思考を遮るように口を開いた。その声音はあまりにも軽く、まるで思いつきで外出先を決めてしまうような、そんな温度。
表情もいつの間にか、通常のニヒルな彼らしいものに戻っている。
「私は……願ったから。聖杯に、彼と一緒に居たいって、願ったから。聖杯の効力が永続するかはわからないけど、私は多分、また彼に巡り逢える希望にかけるかな」
「確証はないのに?」
「パリでも結構待ったんだよ、百年経ったかは覚えてないけど。まあ、本当は彼の手で裁かれたかったんだ」
罪の証を預けても、左耳を切り落としても、私は何も変わらない。いっそ右耳も切り落として、最後に首が落ちてしまえば私は何かを終わらせられると思っていた。それでも、きっと何も変わらないことはわかってしまう。
それなら、生きて生きて生きぬいて、彼にまた巡り逢いたい。
「ま、それはいいんですけどね。またあの坊ちゃんに、アンタの記憶が無かったら?」
「それでも構わない。英霊には記憶が残らないってのが普通なんだから、そばで見てるだけとか、まあ、そんな感じで過ごすよ」
「……もし、その記憶が、英霊のシステムとは別に消えていたら?」
「……え?」
彼は今、何と言っただろう。英霊のシステムとして、あらゆる矛盾を排除するために、その時代時代で英霊の記憶が保持されることはない。稀に記憶を保持したまま召喚される英霊もいるが、カルデアの召喚システムや、時空の揺らぎなんかが原因だ。
それが、シャルル=アンリ・サンソンの記憶が無い理由が、また別にあると?
「それって、どういうこと」
「今までアンタは疑問に思わなかったのか、ってことだよ。アンタとあいつは共に聖杯を手に入れた。アンタは願いを叶えている。じゃあ、あいつは? あいつの願いはどこだ?」
「……記憶を消すことが願いだって?」
「もしくは、結果的に記憶が消えてしまうような願いだな」
「でも、オルレアンの彼は、最後には思い出してくれたよ」
「そこなんだよ。お嬢さん」
そこで彼は、一度言葉を区切ってこちらを見る。その表情は先ほどまでの飄々とした感じではなく、いたって真剣そのものだ。尚も首をかしげる私に、彼は一つ溜息をこぼし、頭を掻いた。
「オルレアンのあいつがお嬢さんと会話をしているところを、俺たちカルデアの面子はただの一度も目にしていない」
シャルル=アンリ・サンソンの記憶について、私は誰にも言えずにいた。理由としては小さな特異点が見つかったり、藤丸立香が夢の中に閉じ込められたり、とても世界が救われた感覚はなかったからだ。
正確には、平和な世の中が戻っていたとしても、私は誰にもこのことを言えずに墓まで持って言ったのだろうが。
久々に、記憶の海に身体を投げる。
冷たい海の底は私の体温を奪うけれど、同時に大切な記憶を掘り起こさせてくれる。オルレアンの記憶、パリの記憶、聖杯戦争の記憶。
聖杯戦争では、彼の中の私は小さなマスターだった。何もできない、運だけで勝ち残ったマスター。けれど、勝ち残ることは知っていた。それは彼が生前に私という人間の成れの果てに会ったことがあるから。
パリでは、彼の中の私は成長しない女性だった。身体的にも精神的にも、幼い彼には年上の女性に、壮年の彼には幼い少女に見えていただろう。
オルレアンでは、彼は必ず私が声をかけなければ振り向かなかった。こちらが見えてはいなかった。記憶の有無なんて、私には知り得ないことだった。
だって見て欲しかったから。
だって認知して欲しかったから。
なんて傲慢で、身勝手な願いだろう。相手の気持ちも考えず、ただ自分の快楽のみを追求した結果がこれだ。
ただそれに後悔があるわけじゃあない。罪悪感があるわけじゃあない。彼は優しくて、記憶が無い今でも私のことを気にかけてくれている。それだけでいい、それだけじゃ嫌だ、あの人に逢いたい話したい好かれたい!
なんたる傲慢! なんたる身勝手! 誰かが笑う。海の中に嗤い声が響く。
血で固められた水底に寝そべる私に、非難する声が投げられる。
そんなものに私は揺るがない。
そんなことはどうでもいい。
問題なのは、彼の記憶が無かったとして、トリガーがどこにあったかだ。それが聖杯による願いだとすれば、オルレアンで出逢った彼は誰だ。
緑衣のアーチャーは私と彼の会話を見ていないと言った。それはおかしい。確かに私は彼と会話し、目の前で彼は消えていった。会話を見ていないだけならいい。けれど、見ていないのではなく、会話をしていないように見えていたのなら大問題だ。