第四章 記憶
貴方のお名前は?
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
——『Salut Enchantée』
聞き過ぎたアラーム音というものは、実際に鳴らずとも目覚める瞬間に頭に響くものだ。
因みにこの曲でフランス語なのは最初と部分部分だけで、放っておけば日本語の歌が流れ始める。両方の言葉が混ざるこの感覚は、日本の曲ならではなのだろうか。洋楽を聴かない私にはわからない。
怠い頭をなんとか働かせ、ゆっくりと目蓋を上げる。呼吸を意識的に行えば、消毒液や薬品の匂いが充満しているのがわかった。いつもは三十分以上かけて覚醒するこの頭も、一気に情報把握のために働き出す。
重い身体をなんとか起こそうとして、腕に力を込める。しかし力は上手く入らず、ベッドから起き上がることが出来ない。仕方なしに視線を周囲に巡らせて、ここが何処かに医療部屋なのを察した。傍に置かれた点滴の管は、私の腕に付いている。
「ど……」
何処だここ。と言おうとして声が出ないことを知った。そんなに長い間寝ていたのか、私は。そもそも寝る前は何をしていたんだったか。
医療機関なら、ナースコールくらいあるだろう。辛うじて動く腕を持ち上げて、それらしい機械を探す。
その時、壁だと思っていた場所がスライドし、一人の男が入ってきた。サーモンピンクの癖毛をポニーテールに纏め、近未来的な白衣を身に纏っている。
彼は私を一瞥すると優しく微笑んで、枕側にあった椅子に座った。
「Did you wake up?」
彼の口から出たのは、流暢な英語。おそらく起きたかどうか聞いているのだろうが、フランス語はできても英語のできない私にとってはどう返せば良いのかわからない。
首を傾げていると、彼はポンと手を叩いて再び口を開いた。
「Dois-je parler en français?」
飛び出てきたフランス語に頷く。声が上手く出ないのは不便だ。そして口の形だけで「Merci.」と言ってみる。彼は嬉しそうだった。
「とりあえず、身体起こせるかい? そう、ゆっくり。そのあとこの水をちょっとずつ飲んでね」
背中に腕が回され、上半身だけをゆっくり起こす。渡されたキャップの無いペットボトルを両手で持って、そうっと口をつける。一気に傾けると噎せてしまうので、ゆっくり飲み下して、三分の一ほど減ったあたりでもう一度彼を見た。
「あ、ありがと……ざいます」
「いいや、こちらこそ巻き込んだ形になってしまってすまないね。ここに来るまでのことは覚えているかい?」
少しだけ真剣な顔をした彼の問いに、私はコクリと頷いた。それから数時間、声の調子も戻ってきたことで情報交換をした。時折甘いものを摘みながら語る目の前の彼は、とてもではないが人類最後の砦を担うドクターとは思えない。
とにかく彼と私の話を擦り合わせると、私はレイシフトの衝撃に耐えられず眠ってしまったということだった。そしてそのまま、三つほどの特異点を突破したという。
あまりの情けなさに沈んでしまいたくて、上半身を思いっきり後ろに倒す。ベットのスプリングが、ギシっと鳴った。
「え、大丈夫かい!?」
「大丈夫ですよ……ちょっともう、恥ずかしくて死んでしまいたくて」
「え、え、大丈夫だよ。生身の身体で転送したんだから、負担がかかるのは当たり前なんだ」
マスターである藤丸くんも、最初は眠気に襲われて大変だったらしい。一度深呼吸して頭を戻し、落ち着いたところで入口の扉が開いた。
そちらに視線を向けると、そこには一人の青年。白銀の髪に薄氷の瞳、白いシャツに臙脂色のタイ。ベルトに括られた黒いブーツを履いたその姿は、紛れもなくあの人で。
「え……」
「ああ、起きたんだね。身体の方は大丈夫かい?」
「……はい」
カツカツと足音を鳴らしながら近づいてきた彼は、確かに私の知るシャルル=アンリ・サンソンである。狂化がかかっているようにも見えず、至って正常な対応だ。
おそらく、カルデアのサーヴァントとして召喚されたのだろう。近代の医療に精通している彼ならば、人手不足だと言っていた医療チームに加わっていても何ら不思議はない。
しかし違和感があるのはその表情。私の知る生前のシャルロとも、せんせとも違う。それではサーヴァントアサシンとして知る姿かといえば、それもまた違うようだ。
目を瞬かせる私の隣で、ドクターが何故かオロオロと慌てている。
「起きたのであれば、食事を摂るといい。ああ、申し遅れた。僕はシャルル=アンリ・サンソン。サーヴァントですが、ここで医療の手伝いをしています」
存じ上げております、とは言えなかった。
——ああ、記憶が無いのか。
サーヴァントは聖杯の調整で、記憶は無いが記録はあると言った具合になるのは知っていた。それ故に、記録の量には個体差があることも。
しかし彼は、おそらく私がパリの魔女という記憶もない。それはきっと、彼の霊基が恐怖政治あたりのものだから。
引きつる顔を何とか戻し、笑顔は作れる気がしないので、無表情で手だけを差し出した。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
当然のごとく、身体が動くようになってからも、私は彼に会いに行けなかった。廊下ですれ違い、言葉を二、三言交わすことはあっても、それ以上はない。
かつての聖杯戦争で見たことのあるセイバー、オルレアンでの知識を持たない音楽家。軍医の格好をした看護婦。常に彼の側には誰かがいた。
サーヴァントが増えつつある今、大した技能を持たない私に何ができるのか。専門職ばかりのスタッフたちの手伝いのため、掃除や洗濯など引き受けた。
そして家事が終わり、訓練から戻ってきたサーヴァントが部屋に戻る時間。私はある場所に行くのが日課になっていた。
「また来たんですか、お嬢さん」
「……うん」
このカルデアの中では割と気心の知れた仲である、緑衣のアーチャーの部屋だ。彼はノックをした私を招き入れ、ベッドに座るように促してくる。
煙草の臭いが充満しているせいか、少し咳き込んだ。
「おっと、換気してなかったな。しっかし、お嬢さんがこんなに臆病だったとはね」
「あの人の周りには誰かしらいるし、知らない人間が側にいたら落ち着かないでしょ」
「ほんと、無表情だな……辛気臭い」
軽口を叩きながらも、その言葉尻は私の身を案じている。けれどそれ以上は踏み込まず、一定の距離を保ってくれるこの人が、実は結構楽だった。
ベッドに上半身を預け、青い駒鳥と遊ぶ。その間彼は武器をいじる。それは無音とも言い難い。それでも彼は私を追い出さなかった。
草木の香りに包まれた微睡みの中で、私はゆっくり目を閉じる。
パッとその目を開くと、駒鳥はいなかった。体には毛布がかけられ、家主も不在。いつものことだ。
廊下に出て少し歩けば、青い長髪を束ねた青年と話しているアーチャーを見つけた。確か、クー・フーリンのランサー時の姿だったか。
「アーチャー」
「お、起きたかお嬢さん」
「うん」
「おー、相変わらずだなあ雛鳥」
話の途中だったろうに、外套の裾を掴んだ私に二人は笑いかけてくれた。
ここのサーヴァントは、私のことを雛鳥と呼ぶ。なんでもロビン について行く様が雛鳥のようだから、らしい。
「お嬢ちゃんも一緒にメシ食いに行くか?」
「お邪魔でないのなら」
「おう、邪魔なもんか。そら行くぞ」
外套は握ったまま、青い彼について行く。友好的なサーヴァントたちは、こうして偶に話しかけてくれる。ご飯に誘ったり、遊んでくれる。本を読んでと、せがんでくれる。
それは堪らなく、嬉しいこと。
けれど私は、笑えなかった。
聞き過ぎたアラーム音というものは、実際に鳴らずとも目覚める瞬間に頭に響くものだ。
因みにこの曲でフランス語なのは最初と部分部分だけで、放っておけば日本語の歌が流れ始める。両方の言葉が混ざるこの感覚は、日本の曲ならではなのだろうか。洋楽を聴かない私にはわからない。
怠い頭をなんとか働かせ、ゆっくりと目蓋を上げる。呼吸を意識的に行えば、消毒液や薬品の匂いが充満しているのがわかった。いつもは三十分以上かけて覚醒するこの頭も、一気に情報把握のために働き出す。
重い身体をなんとか起こそうとして、腕に力を込める。しかし力は上手く入らず、ベッドから起き上がることが出来ない。仕方なしに視線を周囲に巡らせて、ここが何処かに医療部屋なのを察した。傍に置かれた点滴の管は、私の腕に付いている。
「ど……」
何処だここ。と言おうとして声が出ないことを知った。そんなに長い間寝ていたのか、私は。そもそも寝る前は何をしていたんだったか。
医療機関なら、ナースコールくらいあるだろう。辛うじて動く腕を持ち上げて、それらしい機械を探す。
その時、壁だと思っていた場所がスライドし、一人の男が入ってきた。サーモンピンクの癖毛をポニーテールに纏め、近未来的な白衣を身に纏っている。
彼は私を一瞥すると優しく微笑んで、枕側にあった椅子に座った。
「Did you wake up?」
彼の口から出たのは、流暢な英語。おそらく起きたかどうか聞いているのだろうが、フランス語はできても英語のできない私にとってはどう返せば良いのかわからない。
首を傾げていると、彼はポンと手を叩いて再び口を開いた。
「Dois-je parler en français?」
飛び出てきたフランス語に頷く。声が上手く出ないのは不便だ。そして口の形だけで「Merci.」と言ってみる。彼は嬉しそうだった。
「とりあえず、身体起こせるかい? そう、ゆっくり。そのあとこの水をちょっとずつ飲んでね」
背中に腕が回され、上半身だけをゆっくり起こす。渡されたキャップの無いペットボトルを両手で持って、そうっと口をつける。一気に傾けると噎せてしまうので、ゆっくり飲み下して、三分の一ほど減ったあたりでもう一度彼を見た。
「あ、ありがと……ざいます」
「いいや、こちらこそ巻き込んだ形になってしまってすまないね。ここに来るまでのことは覚えているかい?」
少しだけ真剣な顔をした彼の問いに、私はコクリと頷いた。それから数時間、声の調子も戻ってきたことで情報交換をした。時折甘いものを摘みながら語る目の前の彼は、とてもではないが人類最後の砦を担うドクターとは思えない。
とにかく彼と私の話を擦り合わせると、私はレイシフトの衝撃に耐えられず眠ってしまったということだった。そしてそのまま、三つほどの特異点を突破したという。
あまりの情けなさに沈んでしまいたくて、上半身を思いっきり後ろに倒す。ベットのスプリングが、ギシっと鳴った。
「え、大丈夫かい!?」
「大丈夫ですよ……ちょっともう、恥ずかしくて死んでしまいたくて」
「え、え、大丈夫だよ。生身の身体で転送したんだから、負担がかかるのは当たり前なんだ」
マスターである藤丸くんも、最初は眠気に襲われて大変だったらしい。一度深呼吸して頭を戻し、落ち着いたところで入口の扉が開いた。
そちらに視線を向けると、そこには一人の青年。白銀の髪に薄氷の瞳、白いシャツに臙脂色のタイ。ベルトに括られた黒いブーツを履いたその姿は、紛れもなくあの人で。
「え……」
「ああ、起きたんだね。身体の方は大丈夫かい?」
「……はい」
カツカツと足音を鳴らしながら近づいてきた彼は、確かに私の知るシャルル=アンリ・サンソンである。狂化がかかっているようにも見えず、至って正常な対応だ。
おそらく、カルデアのサーヴァントとして召喚されたのだろう。近代の医療に精通している彼ならば、人手不足だと言っていた医療チームに加わっていても何ら不思議はない。
しかし違和感があるのはその表情。私の知る生前のシャルロとも、せんせとも違う。それではサーヴァントアサシンとして知る姿かといえば、それもまた違うようだ。
目を瞬かせる私の隣で、ドクターが何故かオロオロと慌てている。
「起きたのであれば、食事を摂るといい。ああ、申し遅れた。僕はシャルル=アンリ・サンソン。サーヴァントですが、ここで医療の手伝いをしています」
存じ上げております、とは言えなかった。
——ああ、記憶が無いのか。
サーヴァントは聖杯の調整で、記憶は無いが記録はあると言った具合になるのは知っていた。それ故に、記録の量には個体差があることも。
しかし彼は、おそらく私がパリの魔女という記憶もない。それはきっと、彼の霊基が恐怖政治あたりのものだから。
引きつる顔を何とか戻し、笑顔は作れる気がしないので、無表情で手だけを差し出した。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
当然のごとく、身体が動くようになってからも、私は彼に会いに行けなかった。廊下ですれ違い、言葉を二、三言交わすことはあっても、それ以上はない。
かつての聖杯戦争で見たことのあるセイバー、オルレアンでの知識を持たない音楽家。軍医の格好をした看護婦。常に彼の側には誰かがいた。
サーヴァントが増えつつある今、大した技能を持たない私に何ができるのか。専門職ばかりのスタッフたちの手伝いのため、掃除や洗濯など引き受けた。
そして家事が終わり、訓練から戻ってきたサーヴァントが部屋に戻る時間。私はある場所に行くのが日課になっていた。
「また来たんですか、お嬢さん」
「……うん」
このカルデアの中では割と気心の知れた仲である、緑衣のアーチャーの部屋だ。彼はノックをした私を招き入れ、ベッドに座るように促してくる。
煙草の臭いが充満しているせいか、少し咳き込んだ。
「おっと、換気してなかったな。しっかし、お嬢さんがこんなに臆病だったとはね」
「あの人の周りには誰かしらいるし、知らない人間が側にいたら落ち着かないでしょ」
「ほんと、無表情だな……辛気臭い」
軽口を叩きながらも、その言葉尻は私の身を案じている。けれどそれ以上は踏み込まず、一定の距離を保ってくれるこの人が、実は結構楽だった。
ベッドに上半身を預け、青い駒鳥と遊ぶ。その間彼は武器をいじる。それは無音とも言い難い。それでも彼は私を追い出さなかった。
草木の香りに包まれた微睡みの中で、私はゆっくり目を閉じる。
パッとその目を開くと、駒鳥はいなかった。体には毛布がかけられ、家主も不在。いつものことだ。
廊下に出て少し歩けば、青い長髪を束ねた青年と話しているアーチャーを見つけた。確か、クー・フーリンのランサー時の姿だったか。
「アーチャー」
「お、起きたかお嬢さん」
「うん」
「おー、相変わらずだなあ雛鳥」
話の途中だったろうに、外套の裾を掴んだ私に二人は笑いかけてくれた。
ここのサーヴァントは、私のことを雛鳥と呼ぶ。なんでも
「お嬢ちゃんも一緒にメシ食いに行くか?」
「お邪魔でないのなら」
「おう、邪魔なもんか。そら行くぞ」
外套は握ったまま、青い彼について行く。友好的なサーヴァントたちは、こうして偶に話しかけてくれる。ご飯に誘ったり、遊んでくれる。本を読んでと、せがんでくれる。
それは堪らなく、嬉しいこと。
けれど私は、笑えなかった。
