第三章 オルレアン
貴方のお名前は?
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黒い聖女と交戦し、かの王妃と会うことになるなんて、誰が思っただろうか。
そもそも私は、女性の偉人が好きだ。卑弥呼から始まり、ナイチンゲール、ヘレン・ケラー、勿論目の前にいるジャンヌ・ダルクやマリー・アントワネットだって例外ではない。
夜の森で木に横たわりながら、必死に寝付こうとする。少し離れた場所では藤丸くんが寝ているはずだ。沢山の情報のせいで理解は追いついてない分、感情の方が動くのが早かった。
「なんで口元抑えて震えてんだアンタ。野宿は初めてか?」
煙草の香りに上を向けば、キャスターが私を見下ろしていた。彼は確か、クー・フーリン。神代のサーヴァントにしては、落ち着いているのはマスターの技量か、本人の性質か。はたまた私の勝手なイメージか。
「……ああ、いや。ずっと狩猟小屋で寝泊まりしてたから、それは別に」
「だったら早く寝ときな。人間の身体じゃ徹夜明けで旅は無理だろ」
「いや、英雄に囲まれて寝られるほど神経図太くなくて」
「その辺坊主とは違うよな……前のサーヴァントとはどうしてたんだ」
その言葉に、少しだけ呼吸が止まる。そういえば、アサシンと居た時はすぐに寝付けていた。いつもは布団で何十分もしないと寝付けなかったというのにだ。
「……あの人は、寝かしつけるのが上手かったというか」
「確かに足冷えきってんなあ」
「うわっ」
こちらの話を聞いているのかいないのか、いきなり毛布を剥ぎ取られて足に触られる。
「末端冷え性なんだよ。寝付きが悪いのもそのせいだから気にしないで」
触れたままの手を叩いても、彼はビクともしない。それどころか、何やら足元に小枝を集めて文字を刻んでいる。曲線ではなく直線で書かれたSのような文字だ。
刻み終わると、小さく音を立てて小枝が燃えた。
「こういうのは、外から温めるだけで効果あるもんだぞ」
「魔術か……」
ケルトの英雄であるドルイドの賢人が、なぜゲルマン系のルーン魔術を使うのかは突っ込まない方がいいのだろう。それは単純に私の知識不足である他ない。
こちらの毛布に燃え移らない程度に離された火は、段々私の爪先を温めていく。アサシンも医者だ。私の症状もわかっていたに違いない。結局愛されて、甘やかされて、成長のないままに此処に来てしまった。
溶け始めた脳内で、かつての彼の姿を浮かべる。しかし輪郭がぼやけ、うまく思い出せない。黒い人影が、立っているだけだ。
——柔らかかったあの人の髪の色は、何だっけ?
——綺麗だったあの人の瞳の色は、何だっけ?
——苦しい。苦しい。くるしい。
「——まあ、なんて奇遇なんでしょう。貴方の顔は忘れたことがないわ、気怠い職人さん?」
「それは嬉しいな。僕も忘れたことなどなかったからね。懐かしい御方。白雪の如き“白いうなじ”の君」
なぜ彼が此処にいる。——否、何故彼が此処にいないと思い込んだ。
此処は狂っていてもフランスだ。時代が違ってもマリー・アントワネットは召喚された。なら、彼がいない可能性の方が低いに決まっている。
かの王妃の首を斬ったシャルル=アンリ・サンソンは、彼女相手に恍惚とした表情で狂愛を囁いている。こちらには気がついていないのか、一瞥もくれやしない。
——彼の髪の色は白銀だった。
——しかし血に塗れて斑模様が付いていた。
——彼の瞳の色は薄氷だった。
——しかしかつてのように澄んではいなかった。
「アレは誰だ……」
思ったよりも低い声が出る。アレはあの人ではない。あの人と認めていい訳がない。ルイ十六世が亡くなった後のあの子を、私は知らない。けれど。
あの人はかつて言った「自分は人間を殺せない 」と。
あの子はかつて苦悩した「死刑さえ無くなれば 」と。
あのこはかつて泣いていた「人を殺したくない 」と。
何よりずっと、彼らを処刑したことを悔やんでいたではないか。
彼らが話を続けるたびに、ぶわりと殺意が湧き上がる。彼に対してではない。彼を狂わせた竜の魔女に対してだ。
激情のままに唇を開くと、間髪入れずに後ろから大きな手が塞いできた。そのまま引かれれば、背中に当たるのは大きな身体。視界の端には緑の外套。
「気持ちはわかるが、落ち着け」
拘束される身を捩り、抵抗してもビクともしない。革鎧を手の甲で叩けば、更に力が強められる。
「その辺の兵士ならともかく、サーヴァント相手は無謀だっての」
耳元で囁かれ、目の奥がカッと熱くなる。自分が冷静でない自覚はあった。でも。
「それでも、あの子の思想を汚すことは許せない……!」
「あっ馬鹿!」
どうにか絞り出した声が存外響き、一斉に視線がこちらに集まる。すると、ドロリとした感覚が身を襲った。
「ああ、懐かしいな」
狂気の瞳が、こちらを見ている。
その視線は、かつてのマスターと対峙してのものではない。私を生前の知己として認識している。
「僕の処刑を見続けた貴女。それでもマリーを処刑するところは、見ていなかったね」
だから今度こそ見ていてほしい。と彼は笑った。しかし結果としてはあっけないもので、激しい戦闘の末に彼は帰っていった。去り際に「今回は駄目だったけれど、また処刑を見においで」なんて言葉を残して。
「知り合いだったの?」
藤丸くんの言葉に反応して、周りの人間が私に視線を投げる。
「……知らない。あんな人、私が知ってる彼じゃない」
私は唇をグッと噛んで、拳を膝の前で握りしめる。少なくとも私の知っている彼は、あんな殺人者などではない。
「そうね……あの人は狂ってしまった」
王妃が私の言葉に同調する。その表情はとても悲しそうで、同時に哀れみと慈しみを持っていた。
先程の会話がどうであれ、自分の命を奪った張本人だというのにだ。この人の中での彼はどんな存在なのだろうか。
「私のことはいいよ。早く進もう。いつまでも立ち止まっていられない」
まだ敵のサーヴァントは残っている。彼らをなんとかしなければ、文字通り私たちに未来はない。
私の目的はこれで固定されたようなものだが、だからといって単独行動は許されない。許されたとして、一人では何も出来ない。
再び歩き出すカルデアの面々の背中を見て、無性に哀しくなった。それでも重い足を動かす。
「貴方……恋をしているのね」
「え……?」
不意に、隣にいた王妃がそんなことを言った。隣の音楽家は呆れ顔だ。
「貴方は、あの処刑人さんに恋をしているのね」
「……違いますよ」
頬を赤らめ、至極楽しそうにそんなことを言う王妃に、思わず苦笑いが溢れる。恋多き王妃様は、全くもって平民との感覚が違う。確かに彼女は大勢の人間に愛される人であり、大勢の人を愛すべき立場だ。けれど自分は違う。愛してくれる人がいるかどうかもわからず、愛したい人も見つかるかどうか微妙な立場。
「私があの人に感じているのは、もっとドロドロとした愛です。惚れた腫れたなんてものは、とっくに通り過ぎてる」
嫉妬深く、気狂い。それは人間であった時からそうなのだ。あの人のことを本当に想うなら、あのまま解放してあげればよかったのに。自分勝手な約束を取り付け、あまつさえ一方的に逃げてしまった。
目線が段々と下げていく私を見て、音楽家はカラカラと笑う。
「あのイカレ首斬りマニアにそんな愛情を向けるなんて、君も大概だねえ」
「もう、アマデウス!」
「いや、私が大概なのは認めるけれど。あの人はずっと苦しがっていたから、その評価は取り消してほしいな」
「嫌だね、僕はあいつ嫌いなんだ」
吐き捨てるように言われてしまえば、私に修正出来る力はない。嫌いなら嫌いでもいいだろう。
「怒らないんだね、君」
「あの人は生前から嫌われ者だったし……あとは打算」
「……君絶対、根っこは僕と同じクズだろう」
「随分わかりきったことを聞くね」
そうでなければ、聖杯に生き続けたいなんて願わないだろう、と自嘲気味に笑った。
その後は二手に分かれて行動することになり。私は王妃と聖女について行くことになった。目的は勿論、シャルル=アンリ・サンソン。
至彼が異常な執着を見せる王妃と、知己である私が居れば確実に釣れる。という、私個人の要望からだ。カルデアの面々も何かあると察してか、私に激励を送ってくれた。
そして、竜の魔女を倒すためにジークフリートの傷を癒す必要があり、傷を癒すにはあともう一人聖人が必要。そこで出会った聖ゲオルギオスとの会話の中で、竜の魔女の気配。彼女は二人を見送った。
「貴方も、やっぱり残ってしまうのね」
「私の存在意義は、それなので」
「……一度でいいから、貴方の口からマリーさんって聞きたかった」
「ごめんなさい。私にとってのマリーさんは、たった一人なんです」
寂しそうな王妃の言葉に答えれば、またドロリとした感覚が身を襲った。彼女はすぐに臨戦態勢を取る。
「サンソン、来たのね」
「来たとも。処刑には資格がある。する側にも、される側にもだ」
相変わらず狂った瞳。薄氷の瞳はどこか遠くを見ていて、こんなに近くにいるのに、また私が目に入っていないようだ。
狂愛を囁く彼の唇をじっと見つめ、後ろにいる竜の魔女に斬りかかろうかと構えた時、言葉が耳に入った。
「つまり——快楽だ。その瞬間、まさに“死ぬほど気持ちいい”」
こればっかりは私の中で、何かがキレた。
これが、彼にとっての解答だと? 民衆の娯楽として意思なきギロチンとなり、神経を磨り減らし、行き着いた先がコレなのか?
彼のかんばせが上手く見えない。黒いマーカーで塗り潰されたように、表情も、瞳の色も、髪の色も認識不能だ。彼はやはりあの人ではない。例えあの人の奥底に、死刑囚に対して苦しみを与えないようにという意思はあっても。これはあの人が最も嫌った、死者への冒涜に他ならない。
「君にもう一度、最期の恍惚を与えよう……!」
「——Un bouclier!」
王妃に彼が斬りかかった瞬間、私は咄嗟に防御を張る。そこでまた、彼はようやく私を見たような気がした。
「駄目だ。処刑の邪魔はしてはならないと、貴女はよく知っているだろう?」
「でも、貴方は願っていた。民衆が国王を連れ去り、ギロチンを壊すことを——Les lances tombent!」
私が腕を振るたびに、魔力を込めた針が彼を襲う。けれど一瞬で切り伏せられ、彼の刃は王妃に向けられた。そこで確信する。彼には、私が見えていないのだ。見えていなければ、言葉が届くはずもない。
「援護します」
戦闘態勢を取った王妃の隣で、私は再び腕を構えた。まだ竜の魔女がやって来ない分、決着は早い。二対一だからではない。きっと私の援護なぞ無くとも、王妃は負けなかった。
彼が王妃に切り掛かり、私が発動した盾で攻撃を阻む。強度の弱いそれが破られる一瞬の隙を狙って、今度は王妃が彼に一撃を叩き込んでいく。
「そんな、バカな……? どうして僕が打ち負ける……!? あの時から何人も殺して、何倍も強くなったのに、どうして……!?」
相変わらず彼の表情は見えない。けれど声は悲痛に歪んでいることはわかった。
——殺してしまったのか。
何人も何人も、彼はこのフランスで“殺して”しまったのだろう。それは駄目だ。彼の刃は、あくまで処刑でなければならない。いいや、殺せと彼の同居人は言っていたかもしれない。けれど、虐殺はいけないとも言っていた。その教えを破った時点で、彼は彼として歩けない。
彼は今まで見たことのないほど取り乱し、王妃は至って冷静だった。そうして会話を続けていくたび、彼の声は子どものようになっていく。
とても聞いていられなくて、一歩、また一歩と彼に近づいてみた。腕を伸ばせば届く距離でも、やはり彼は気がつかない。
「そうすればきっと、きっと君に許してもらえると思ったから……!」
ルイ十六世が亡くなった後の処刑を、私は知らない。恐怖政治が始まり、ギロチンで二千七百もの首を落とした彼を、私は知らない。知った気になっていた。生前の彼を見て、処刑を見て、本を読んで、彼のことを誰よりも知った気でいた。
けれど、彼の奥底にあるものは。サーヴァントとして彼を形成しているのは、晩年のあの人だ。
「はじめからあなたは、わたしに許される必要なんてなかったのに」
「ぁ……ああ、あ——」
「シャルロ……」
意味がないとわかっていても、小さく彼の名を呼んだ。あの人の印象が幼い時のままの私では、彼に言葉は届かない。そう私は考えた。
けれども彼は、ゆっくりとかんばせをこちらに向けた。そのまま数秒固まると、緩慢な動きで腕がこちらに伸ばされる。
「シャルロ……?」
様子がおかしい。いや、最初からおかしかったが。とにかく迂闊に間合いに入るべきではなかった。
袖をキュッと摘んだ彼の表情が、少しだけ見える。彼は笑っていた。おかしなことに、サーヴァントとして一緒にいた時と全く同じ表情で、笑っていた。この表情は確か、聖杯を使った時の——。
「——逃げて!」
「え……」
王妃の鋭い声を最後に、私の首筋に何かが当たる。視界はブラックアウトし、力の抜けた身体を支えたのは、懐かしい黒の人間だった。
そもそも私は、女性の偉人が好きだ。卑弥呼から始まり、ナイチンゲール、ヘレン・ケラー、勿論目の前にいるジャンヌ・ダルクやマリー・アントワネットだって例外ではない。
夜の森で木に横たわりながら、必死に寝付こうとする。少し離れた場所では藤丸くんが寝ているはずだ。沢山の情報のせいで理解は追いついてない分、感情の方が動くのが早かった。
「なんで口元抑えて震えてんだアンタ。野宿は初めてか?」
煙草の香りに上を向けば、キャスターが私を見下ろしていた。彼は確か、クー・フーリン。神代のサーヴァントにしては、落ち着いているのはマスターの技量か、本人の性質か。はたまた私の勝手なイメージか。
「……ああ、いや。ずっと狩猟小屋で寝泊まりしてたから、それは別に」
「だったら早く寝ときな。人間の身体じゃ徹夜明けで旅は無理だろ」
「いや、英雄に囲まれて寝られるほど神経図太くなくて」
「その辺坊主とは違うよな……前のサーヴァントとはどうしてたんだ」
その言葉に、少しだけ呼吸が止まる。そういえば、アサシンと居た時はすぐに寝付けていた。いつもは布団で何十分もしないと寝付けなかったというのにだ。
「……あの人は、寝かしつけるのが上手かったというか」
「確かに足冷えきってんなあ」
「うわっ」
こちらの話を聞いているのかいないのか、いきなり毛布を剥ぎ取られて足に触られる。
「末端冷え性なんだよ。寝付きが悪いのもそのせいだから気にしないで」
触れたままの手を叩いても、彼はビクともしない。それどころか、何やら足元に小枝を集めて文字を刻んでいる。曲線ではなく直線で書かれたSのような文字だ。
刻み終わると、小さく音を立てて小枝が燃えた。
「こういうのは、外から温めるだけで効果あるもんだぞ」
「魔術か……」
ケルトの英雄であるドルイドの賢人が、なぜゲルマン系のルーン魔術を使うのかは突っ込まない方がいいのだろう。それは単純に私の知識不足である他ない。
こちらの毛布に燃え移らない程度に離された火は、段々私の爪先を温めていく。アサシンも医者だ。私の症状もわかっていたに違いない。結局愛されて、甘やかされて、成長のないままに此処に来てしまった。
溶け始めた脳内で、かつての彼の姿を浮かべる。しかし輪郭がぼやけ、うまく思い出せない。黒い人影が、立っているだけだ。
——柔らかかったあの人の髪の色は、何だっけ?
——綺麗だったあの人の瞳の色は、何だっけ?
——苦しい。苦しい。くるしい。
「——まあ、なんて奇遇なんでしょう。貴方の顔は忘れたことがないわ、気怠い職人さん?」
「それは嬉しいな。僕も忘れたことなどなかったからね。懐かしい御方。白雪の如き“白いうなじ”の君」
なぜ彼が此処にいる。——否、何故彼が此処にいないと思い込んだ。
此処は狂っていてもフランスだ。時代が違ってもマリー・アントワネットは召喚された。なら、彼がいない可能性の方が低いに決まっている。
かの王妃の首を斬ったシャルル=アンリ・サンソンは、彼女相手に恍惚とした表情で狂愛を囁いている。こちらには気がついていないのか、一瞥もくれやしない。
——彼の髪の色は白銀だった。
——しかし血に塗れて斑模様が付いていた。
——彼の瞳の色は薄氷だった。
——しかしかつてのように澄んではいなかった。
「アレは誰だ……」
思ったよりも低い声が出る。アレはあの人ではない。あの人と認めていい訳がない。ルイ十六世が亡くなった後のあの子を、私は知らない。けれど。
あの人はかつて言った「
あの子はかつて苦悩した「
あのこはかつて泣いていた「
何よりずっと、彼らを処刑したことを悔やんでいたではないか。
彼らが話を続けるたびに、ぶわりと殺意が湧き上がる。彼に対してではない。彼を狂わせた竜の魔女に対してだ。
激情のままに唇を開くと、間髪入れずに後ろから大きな手が塞いできた。そのまま引かれれば、背中に当たるのは大きな身体。視界の端には緑の外套。
「気持ちはわかるが、落ち着け」
拘束される身を捩り、抵抗してもビクともしない。革鎧を手の甲で叩けば、更に力が強められる。
「その辺の兵士ならともかく、サーヴァント相手は無謀だっての」
耳元で囁かれ、目の奥がカッと熱くなる。自分が冷静でない自覚はあった。でも。
「それでも、あの子の思想を汚すことは許せない……!」
「あっ馬鹿!」
どうにか絞り出した声が存外響き、一斉に視線がこちらに集まる。すると、ドロリとした感覚が身を襲った。
「ああ、懐かしいな」
狂気の瞳が、こちらを見ている。
その視線は、かつてのマスターと対峙してのものではない。私を生前の知己として認識している。
「僕の処刑を見続けた貴女。それでもマリーを処刑するところは、見ていなかったね」
だから今度こそ見ていてほしい。と彼は笑った。しかし結果としてはあっけないもので、激しい戦闘の末に彼は帰っていった。去り際に「今回は駄目だったけれど、また処刑を見においで」なんて言葉を残して。
「知り合いだったの?」
藤丸くんの言葉に反応して、周りの人間が私に視線を投げる。
「……知らない。あんな人、私が知ってる彼じゃない」
私は唇をグッと噛んで、拳を膝の前で握りしめる。少なくとも私の知っている彼は、あんな殺人者などではない。
「そうね……あの人は狂ってしまった」
王妃が私の言葉に同調する。その表情はとても悲しそうで、同時に哀れみと慈しみを持っていた。
先程の会話がどうであれ、自分の命を奪った張本人だというのにだ。この人の中での彼はどんな存在なのだろうか。
「私のことはいいよ。早く進もう。いつまでも立ち止まっていられない」
まだ敵のサーヴァントは残っている。彼らをなんとかしなければ、文字通り私たちに未来はない。
私の目的はこれで固定されたようなものだが、だからといって単独行動は許されない。許されたとして、一人では何も出来ない。
再び歩き出すカルデアの面々の背中を見て、無性に哀しくなった。それでも重い足を動かす。
「貴方……恋をしているのね」
「え……?」
不意に、隣にいた王妃がそんなことを言った。隣の音楽家は呆れ顔だ。
「貴方は、あの処刑人さんに恋をしているのね」
「……違いますよ」
頬を赤らめ、至極楽しそうにそんなことを言う王妃に、思わず苦笑いが溢れる。恋多き王妃様は、全くもって平民との感覚が違う。確かに彼女は大勢の人間に愛される人であり、大勢の人を愛すべき立場だ。けれど自分は違う。愛してくれる人がいるかどうかもわからず、愛したい人も見つかるかどうか微妙な立場。
「私があの人に感じているのは、もっとドロドロとした愛です。惚れた腫れたなんてものは、とっくに通り過ぎてる」
嫉妬深く、気狂い。それは人間であった時からそうなのだ。あの人のことを本当に想うなら、あのまま解放してあげればよかったのに。自分勝手な約束を取り付け、あまつさえ一方的に逃げてしまった。
目線が段々と下げていく私を見て、音楽家はカラカラと笑う。
「あのイカレ首斬りマニアにそんな愛情を向けるなんて、君も大概だねえ」
「もう、アマデウス!」
「いや、私が大概なのは認めるけれど。あの人はずっと苦しがっていたから、その評価は取り消してほしいな」
「嫌だね、僕はあいつ嫌いなんだ」
吐き捨てるように言われてしまえば、私に修正出来る力はない。嫌いなら嫌いでもいいだろう。
「怒らないんだね、君」
「あの人は生前から嫌われ者だったし……あとは打算」
「……君絶対、根っこは僕と同じクズだろう」
「随分わかりきったことを聞くね」
そうでなければ、聖杯に生き続けたいなんて願わないだろう、と自嘲気味に笑った。
その後は二手に分かれて行動することになり。私は王妃と聖女について行くことになった。目的は勿論、シャルル=アンリ・サンソン。
至彼が異常な執着を見せる王妃と、知己である私が居れば確実に釣れる。という、私個人の要望からだ。カルデアの面々も何かあると察してか、私に激励を送ってくれた。
そして、竜の魔女を倒すためにジークフリートの傷を癒す必要があり、傷を癒すにはあともう一人聖人が必要。そこで出会った聖ゲオルギオスとの会話の中で、竜の魔女の気配。彼女は二人を見送った。
「貴方も、やっぱり残ってしまうのね」
「私の存在意義は、それなので」
「……一度でいいから、貴方の口からマリーさんって聞きたかった」
「ごめんなさい。私にとってのマリーさんは、たった一人なんです」
寂しそうな王妃の言葉に答えれば、またドロリとした感覚が身を襲った。彼女はすぐに臨戦態勢を取る。
「サンソン、来たのね」
「来たとも。処刑には資格がある。する側にも、される側にもだ」
相変わらず狂った瞳。薄氷の瞳はどこか遠くを見ていて、こんなに近くにいるのに、また私が目に入っていないようだ。
狂愛を囁く彼の唇をじっと見つめ、後ろにいる竜の魔女に斬りかかろうかと構えた時、言葉が耳に入った。
「つまり——快楽だ。その瞬間、まさに“死ぬほど気持ちいい”」
こればっかりは私の中で、何かがキレた。
これが、彼にとっての解答だと? 民衆の娯楽として意思なきギロチンとなり、神経を磨り減らし、行き着いた先がコレなのか?
彼のかんばせが上手く見えない。黒いマーカーで塗り潰されたように、表情も、瞳の色も、髪の色も認識不能だ。彼はやはりあの人ではない。例えあの人の奥底に、死刑囚に対して苦しみを与えないようにという意思はあっても。これはあの人が最も嫌った、死者への冒涜に他ならない。
「君にもう一度、最期の恍惚を与えよう……!」
「——Un bouclier!」
王妃に彼が斬りかかった瞬間、私は咄嗟に防御を張る。そこでまた、彼はようやく私を見たような気がした。
「駄目だ。処刑の邪魔はしてはならないと、貴女はよく知っているだろう?」
「でも、貴方は願っていた。民衆が国王を連れ去り、ギロチンを壊すことを——Les lances tombent!」
私が腕を振るたびに、魔力を込めた針が彼を襲う。けれど一瞬で切り伏せられ、彼の刃は王妃に向けられた。そこで確信する。彼には、私が見えていないのだ。見えていなければ、言葉が届くはずもない。
「援護します」
戦闘態勢を取った王妃の隣で、私は再び腕を構えた。まだ竜の魔女がやって来ない分、決着は早い。二対一だからではない。きっと私の援護なぞ無くとも、王妃は負けなかった。
彼が王妃に切り掛かり、私が発動した盾で攻撃を阻む。強度の弱いそれが破られる一瞬の隙を狙って、今度は王妃が彼に一撃を叩き込んでいく。
「そんな、バカな……? どうして僕が打ち負ける……!? あの時から何人も殺して、何倍も強くなったのに、どうして……!?」
相変わらず彼の表情は見えない。けれど声は悲痛に歪んでいることはわかった。
——殺してしまったのか。
何人も何人も、彼はこのフランスで“殺して”しまったのだろう。それは駄目だ。彼の刃は、あくまで処刑でなければならない。いいや、殺せと彼の同居人は言っていたかもしれない。けれど、虐殺はいけないとも言っていた。その教えを破った時点で、彼は彼として歩けない。
彼は今まで見たことのないほど取り乱し、王妃は至って冷静だった。そうして会話を続けていくたび、彼の声は子どものようになっていく。
とても聞いていられなくて、一歩、また一歩と彼に近づいてみた。腕を伸ばせば届く距離でも、やはり彼は気がつかない。
「そうすればきっと、きっと君に許してもらえると思ったから……!」
ルイ十六世が亡くなった後の処刑を、私は知らない。恐怖政治が始まり、ギロチンで二千七百もの首を落とした彼を、私は知らない。知った気になっていた。生前の彼を見て、処刑を見て、本を読んで、彼のことを誰よりも知った気でいた。
けれど、彼の奥底にあるものは。サーヴァントとして彼を形成しているのは、晩年のあの人だ。
「はじめからあなたは、わたしに許される必要なんてなかったのに」
「ぁ……ああ、あ——」
「シャルロ……」
意味がないとわかっていても、小さく彼の名を呼んだ。あの人の印象が幼い時のままの私では、彼に言葉は届かない。そう私は考えた。
けれども彼は、ゆっくりとかんばせをこちらに向けた。そのまま数秒固まると、緩慢な動きで腕がこちらに伸ばされる。
「シャルロ……?」
様子がおかしい。いや、最初からおかしかったが。とにかく迂闊に間合いに入るべきではなかった。
袖をキュッと摘んだ彼の表情が、少しだけ見える。彼は笑っていた。おかしなことに、サーヴァントとして一緒にいた時と全く同じ表情で、笑っていた。この表情は確か、聖杯を使った時の——。
「——逃げて!」
「え……」
王妃の鋭い声を最後に、私の首筋に何かが当たる。視界はブラックアウトし、力の抜けた身体を支えたのは、懐かしい黒の人間だった。
