序章 ムッシュ・ド・パリの子ども
貴方のお名前は?
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——夢を見ていました。
北国のような海の中で、指先が凍るほど冷たい水に身体を預けていた。そこは意識の水底で、自分以外の影も形もない。寂しいとは思わないけれど、ただ冷たいと感じる。そういう場所だと、私は知っていた。
——そんな時、彼の声が聞こえたのです。
長い人生の中でたった一人、この身を焦がすほどの愛を私に教えてくれた彼の声。ただ一言、名前を呼ばれるだけで心拍数は上がり、頬は熱を持ち、喉笛は感嘆を漏らす。そういう声が、私には届いていた。
海の中から顔を出せば、私がいたのは古い山小屋。もうすぐ冬を迎えるために使われなくなった狩猟小屋を、身寄りのない私は少しの間拝借していたのだ。
ギイ、と音を立てて扉を開ける。冬の風が服をすり抜け、寝起きで暖かかった身体を冷やした。ふもとに降りれば、人の住む地域があるだろう。
——夢の中の人間を求めて歩くだなんて、なんて滑稽なことか。
人の精神は、目的を持たないまま何十年も生きていけるほど頑丈ではない。けれど、必要最低限の食料を摂取して生き延びるくらいには、私は生き汚かった。
そう長くもない距離を歩いて人里に降りると、煌びやかな街があった。貴族は馬車で道を走り、物乞いがそこら中に這いつくばっている。まさに格差社会、豊かな国はどこもこういう形なのだ。
ここはフランス、美と愛の国。国王陛下が絶対王権を持ち、第三身分なんて制度のある国。
私はここで、彼を探すのだ。
最初は黄色人に奇異の目を向けていた人々も、何ヶ月か経つと慣れてくれた。彼らは食料を提供してくれて、私は適当な仕事を見つけて小銭を稼ぐ。
何年か経つと、人々は私の奇妙さに気がついた。歳をとらず、若々しいままだと。それでも東洋人はそういう人種だと納得していた。何十年も経つと、魔女と呼ばれるようになった。石を投げられ、虐げられた。仕事と食料は貰えた。更に何十年かたち、魔女の名前が浸透した頃。やっと私は彼に会うことができた。
白銀の髪に、薄氷の瞳。透き通るような白い肌に浮いた青い痣。何故かこの子どもこそが、夢で見た彼だと確信できた。
怯えた表情の彼にゆっくり近づき、笑顔を浮かべたまましゃがむ。彼と目線を合わせ、口を開いた。
「初めまして、貴方の名前は何と言うのでしょう?」
なるだけ優しい声色で、握手を求めるために手を差し出した。丸い幼子の瞳が、じいっと私を見つめている。そのままパチパチと瞬きをした後、首を傾げてこう言った。
「僕は、シャルル=アンリ・サンソン」
子ども特有の、舌足らずな高い声。
運命の人間を見つけた喜びで、私は思わず彼に跪いた。
北国のような海の中で、指先が凍るほど冷たい水に身体を預けていた。そこは意識の水底で、自分以外の影も形もない。寂しいとは思わないけれど、ただ冷たいと感じる。そういう場所だと、私は知っていた。
——そんな時、彼の声が聞こえたのです。
長い人生の中でたった一人、この身を焦がすほどの愛を私に教えてくれた彼の声。ただ一言、名前を呼ばれるだけで心拍数は上がり、頬は熱を持ち、喉笛は感嘆を漏らす。そういう声が、私には届いていた。
海の中から顔を出せば、私がいたのは古い山小屋。もうすぐ冬を迎えるために使われなくなった狩猟小屋を、身寄りのない私は少しの間拝借していたのだ。
ギイ、と音を立てて扉を開ける。冬の風が服をすり抜け、寝起きで暖かかった身体を冷やした。ふもとに降りれば、人の住む地域があるだろう。
——夢の中の人間を求めて歩くだなんて、なんて滑稽なことか。
人の精神は、目的を持たないまま何十年も生きていけるほど頑丈ではない。けれど、必要最低限の食料を摂取して生き延びるくらいには、私は生き汚かった。
そう長くもない距離を歩いて人里に降りると、煌びやかな街があった。貴族は馬車で道を走り、物乞いがそこら中に這いつくばっている。まさに格差社会、豊かな国はどこもこういう形なのだ。
ここはフランス、美と愛の国。国王陛下が絶対王権を持ち、第三身分なんて制度のある国。
私はここで、彼を探すのだ。
最初は黄色人に奇異の目を向けていた人々も、何ヶ月か経つと慣れてくれた。彼らは食料を提供してくれて、私は適当な仕事を見つけて小銭を稼ぐ。
何年か経つと、人々は私の奇妙さに気がついた。歳をとらず、若々しいままだと。それでも東洋人はそういう人種だと納得していた。何十年も経つと、魔女と呼ばれるようになった。石を投げられ、虐げられた。仕事と食料は貰えた。更に何十年かたち、魔女の名前が浸透した頃。やっと私は彼に会うことができた。
白銀の髪に、薄氷の瞳。透き通るような白い肌に浮いた青い痣。何故かこの子どもこそが、夢で見た彼だと確信できた。
怯えた表情の彼にゆっくり近づき、笑顔を浮かべたまましゃがむ。彼と目線を合わせ、口を開いた。
「初めまして、貴方の名前は何と言うのでしょう?」
なるだけ優しい声色で、握手を求めるために手を差し出した。丸い幼子の瞳が、じいっと私を見つめている。そのままパチパチと瞬きをした後、首を傾げてこう言った。
「僕は、シャルル=アンリ・サンソン」
子ども特有の、舌足らずな高い声。
運命の人間を見つけた喜びで、私は思わず彼に跪いた。
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