紅葉の残響
お盆に来た時と比べて、随分と過ごしやすい季節になった。
昔ながらの日本家屋は秋風を優しく受け入れ、縁側に座る私の髪を包み込むように撫でた。
都会から離れた閑静な住宅街の一角は、雑音がほとんどなく、草木の揺れる音しか耳に入ってこない。大通りに面していても、車がほとんど通らないので、耳障りなエンジンの音がしないのだ。午後になって、日差しも落ち着いてきた。ここは、時間が穏やかに流れている。
祖母の命日があるこの時期に母方の実家へ帰省するようになってから、夕飯の時間までこの縁側に腰掛けて庭を眺めるのが、私の恒例となった。
家にゲームも漫画もない、近所に娯楽施設もない。そんな何もない田舎で見つけた、ささやかで優雅な時間の過ごし方である。
この時間は特に何かをするわけでもなく、ただ庭を眺めて過ごすのだ。何時間も。夏ではないので熱中症になることはなく、冬ではないので風邪をひくこともない。まさに、この時期限定の利点だ。
観光地で美しい景色や珍しい現象を見ても十分もしないうちに興味を失ってしまう飽き性の私が、何故かこの庭だけはどれだけ眺めても縁側から立ち去ろうという気にならないのだ。何が面白いのかと問われても説明できない。ただ、こうしているだけで、幸せで、満ち足りた気分になれる。普段ゆとりのない環境で忙殺されている毎日を送っているからだろうか、この感覚がどうにも手放しがたい。要するに、広大でも豪華でもないこの庭が、たまらなく好きなのだ。
なかでも特に好きなのは、庭の中央に鎮座する楓の木だ。
そういう種類なのか、二、三メートル程度の低木なのだが、毎年秋になると、それはそれは美しく紅葉するのだ。心なしか、夏よりも秋の方が背丈が大きく感じた。まるで胸を張っているかのように、堂々と背筋を伸ばして佇むのだ。きっと、この期間だけは自分が主役だと、きちんと理解していたのだろう。
その姿が、私は好きなのだ。
だから今年も、楓の木を眺めて過ごす。
――楓の木の、切り株を。
「病気に罹ってね、去年枯れちゃったんだよ」
背後から祖父が近付いてきて、そう言った。そして、そのまま流れるように私の隣に腰を下ろす。
ここに祖父がいるということは、台所を母一人に任せてきたのだろう。慣れない勝手に右往左往する母の姿が目に浮かんだ。
そんな私達の心中に構わず、祖父はマイペースに「もう少し早く気づけば良かったんだけどね」と独りごちた。
『桃栗三年柿八年』という有名な言葉があるように、樹木が実を結ぶには相応の年月がかかる。だから、てっきり寿命も相応に長いのだと思っていた。人間より長寿なのだと、思い込んでいた。実際に、木の種類によるが、大抵は人間より長く存在できる。ものによっては、何百年も生き続ける種類だってある。ただ、人間がそうであるように、樹木も病気に罹り、天寿を全うできない場合があるということだ。
言われてみれば当たり前の話だ。そんな当然の事実を、この家の者達は、知らぬ振りをしていた。『もっと早く気づいていれば』というのは、祖父だけの台詞でも、病気のことだけでもない。
永遠に存在するものなどただの一つもない。
終わりを迎えるのはいつも突然だ。
もっと根本的な、そんな事実(あたりまえ)だ。
視線を庭から外し、祖父を見る。哀しみより、申し訳なさそうな顔だ。当然、祖父は私が楓を気に入っていたことを知っている。
そんな祖父を励ますように、自分を慰めるように、努めて明るい声を出した。
「なら、しょうがないよね」
ちゃんと理解している、何も気にしていないというような表情を作る。すると、祖父は少しだけ安堵したように見えた。私にはそう見えた。
しかし、言ってから、妙な既視感に襲われて、こっそりと首を傾げる。記憶の糸を手繰ると、原因はすぐに思い至った。
あれは、祖母の葬式の時だ。
号泣する私の傍で、それまで涙ひとつなかった母がこう言ったのだ。
――もう歳だったし、持病もあったから。
――しょうがないわよ。
私より祖母と付き合いの長い母が、何故諦念交じりにそんな台詞を言えたのか、幼い私にとっては疑問でならなかった。
何故祖母の死を嘆かないのだろうかと。
何故祖母との別れを惜しまないのだろうと。
そうしないのは、冷酷で非道なことだと思っていた。今まで良くしてくれた祖母に対する裏切りのように感じた。
今ならわかる。よく理解できる。
あの時、母が悲しみを表に出さなかったのは、きっと――
私の隣には、寂しげな目で庭を見つめる祖父がいる。
ふと私の視線に気づいた祖父が、訝しげにこちらを見た。
「どうした?」
「ううん。何でも」
正しさや誤りを決められず、善や悪で割り切れず、白と黒で塗り分けられない。
喜怒哀楽のどれも当てはまらず、異聞奇譚でも何でもない。
何でもない。
強いて言うなら、そう。
ただ、しょうがないことなのだ。
紅葉の残響
今年の秋は、色づかない。
(了)
昔ながらの日本家屋は秋風を優しく受け入れ、縁側に座る私の髪を包み込むように撫でた。
都会から離れた閑静な住宅街の一角は、雑音がほとんどなく、草木の揺れる音しか耳に入ってこない。大通りに面していても、車がほとんど通らないので、耳障りなエンジンの音がしないのだ。午後になって、日差しも落ち着いてきた。ここは、時間が穏やかに流れている。
祖母の命日があるこの時期に母方の実家へ帰省するようになってから、夕飯の時間までこの縁側に腰掛けて庭を眺めるのが、私の恒例となった。
家にゲームも漫画もない、近所に娯楽施設もない。そんな何もない田舎で見つけた、ささやかで優雅な時間の過ごし方である。
この時間は特に何かをするわけでもなく、ただ庭を眺めて過ごすのだ。何時間も。夏ではないので熱中症になることはなく、冬ではないので風邪をひくこともない。まさに、この時期限定の利点だ。
観光地で美しい景色や珍しい現象を見ても十分もしないうちに興味を失ってしまう飽き性の私が、何故かこの庭だけはどれだけ眺めても縁側から立ち去ろうという気にならないのだ。何が面白いのかと問われても説明できない。ただ、こうしているだけで、幸せで、満ち足りた気分になれる。普段ゆとりのない環境で忙殺されている毎日を送っているからだろうか、この感覚がどうにも手放しがたい。要するに、広大でも豪華でもないこの庭が、たまらなく好きなのだ。
なかでも特に好きなのは、庭の中央に鎮座する楓の木だ。
そういう種類なのか、二、三メートル程度の低木なのだが、毎年秋になると、それはそれは美しく紅葉するのだ。心なしか、夏よりも秋の方が背丈が大きく感じた。まるで胸を張っているかのように、堂々と背筋を伸ばして佇むのだ。きっと、この期間だけは自分が主役だと、きちんと理解していたのだろう。
その姿が、私は好きなのだ。
だから今年も、楓の木を眺めて過ごす。
――楓の木の、切り株を。
「病気に罹ってね、去年枯れちゃったんだよ」
背後から祖父が近付いてきて、そう言った。そして、そのまま流れるように私の隣に腰を下ろす。
ここに祖父がいるということは、台所を母一人に任せてきたのだろう。慣れない勝手に右往左往する母の姿が目に浮かんだ。
そんな私達の心中に構わず、祖父はマイペースに「もう少し早く気づけば良かったんだけどね」と独りごちた。
『桃栗三年柿八年』という有名な言葉があるように、樹木が実を結ぶには相応の年月がかかる。だから、てっきり寿命も相応に長いのだと思っていた。人間より長寿なのだと、思い込んでいた。実際に、木の種類によるが、大抵は人間より長く存在できる。ものによっては、何百年も生き続ける種類だってある。ただ、人間がそうであるように、樹木も病気に罹り、天寿を全うできない場合があるということだ。
言われてみれば当たり前の話だ。そんな当然の事実を、この家の者達は、知らぬ振りをしていた。『もっと早く気づいていれば』というのは、祖父だけの台詞でも、病気のことだけでもない。
永遠に存在するものなどただの一つもない。
終わりを迎えるのはいつも突然だ。
もっと根本的な、そんな事実(あたりまえ)だ。
視線を庭から外し、祖父を見る。哀しみより、申し訳なさそうな顔だ。当然、祖父は私が楓を気に入っていたことを知っている。
そんな祖父を励ますように、自分を慰めるように、努めて明るい声を出した。
「なら、しょうがないよね」
ちゃんと理解している、何も気にしていないというような表情を作る。すると、祖父は少しだけ安堵したように見えた。私にはそう見えた。
しかし、言ってから、妙な既視感に襲われて、こっそりと首を傾げる。記憶の糸を手繰ると、原因はすぐに思い至った。
あれは、祖母の葬式の時だ。
号泣する私の傍で、それまで涙ひとつなかった母がこう言ったのだ。
――もう歳だったし、持病もあったから。
――しょうがないわよ。
私より祖母と付き合いの長い母が、何故諦念交じりにそんな台詞を言えたのか、幼い私にとっては疑問でならなかった。
何故祖母の死を嘆かないのだろうかと。
何故祖母との別れを惜しまないのだろうと。
そうしないのは、冷酷で非道なことだと思っていた。今まで良くしてくれた祖母に対する裏切りのように感じた。
今ならわかる。よく理解できる。
あの時、母が悲しみを表に出さなかったのは、きっと――
私の隣には、寂しげな目で庭を見つめる祖父がいる。
ふと私の視線に気づいた祖父が、訝しげにこちらを見た。
「どうした?」
「ううん。何でも」
正しさや誤りを決められず、善や悪で割り切れず、白と黒で塗り分けられない。
喜怒哀楽のどれも当てはまらず、異聞奇譚でも何でもない。
何でもない。
強いて言うなら、そう。
ただ、しょうがないことなのだ。
紅葉の残響
今年の秋は、色づかない。
(了)
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