キョカラ



 今日も、オレはカラスバさんが帰ってくるのを待っている。
 いつもの時間、扉が開くのを玄関でただ待っている。
 そうして少しして、がちゃりと扉が開いて、彼がにこやかに微笑みながら帰ってくるのだ。
「ただいま、キョウヤ。いいこにしとった?」
「はい、それはもう」
 そこにはオレとカラスバさん以外誰もいなくて、たった二人だけの空間だ。それが嬉しくて仕方なくって、足を踏み出せばがしゃりと足元の鎖が音を立てる。それも気にせず立ち上がると、仕事で疲れたであろうカラスバさんを抱き締めた。
「お帰りなさい」
「おん」
 カラスバさんが微笑む。つられてオレも笑う。そこには世界の全てがあった。それ以外はもうどうでもよくって、何がなんだか思い出せない。
 でも、それでよかったんだ。
 オレは今、カラスバさんに監禁されている。
 足には鎖が付けられていて、ギリギリ玄関の扉に届かない長さになっている。それ以外は基本的に自由で、何をしていても許されている。
 ああ、勿論スマホの類いは持たされていない。そりゃあそうだ。そんなことしたら外にいる誰かと連絡が取れてしまうから、監禁の意味がなくなる。
 でも、オレはそれでよかった。彼のする全てを受け入れているし、愛であるとすら思う。
 本当に?本当に本当だとも。
「今日は晩御飯を作ろうとしたんですけど、失敗しちゃって。一緒に作りませんか?」
「そうなん?キョウヤは不器用さんやもんね。ほな一緒に作ろか」
「はい!」
 そう言ってカラスバさんはキッチンへ向かうと、鍵のかかった戸棚に手を掛ける。
 中には包丁が入っていて、カラスバさんがいない間オレが何かしないようになっていた。そう、勝手に死なれたら困るもんね。
「何が食べたい?」
「貴方が食べたい物がいいです」
 自分が好きな物なんて忘れてしまった。いや、カラスバさんが好きな物がオレの好きな物だ。それでいい。
「ほな、今日は簡単な物にしよか」
 カラスバさんはパスタを取り出すと、鍋に水を張った。最近いつもそうだ、とは決して口にしない。彼もきっと疲れているのだろう。
「なんでもいいですよ」
「さっさと食べてゆっくりしよな」
「はい」
 本当にこれでいいのだろうか。そんな思いを投げ捨てて、行儀良く料理が出来上がるのを待つ。
 これでいいんだ。こうするしかないのだから、仕方がない。



 オレはキョウヤを監禁している。理由は簡単、そうしないと生きていけないからだ。
「カラスバさん」
 キョウヤは暴れることもなくただそこにいる。それでいい。そうでなくては困る。
「キョウヤはええこやね」
 甘えるようにすり寄ってくるキョウヤの黒髪を撫でながら、目を細める。オレの大事な大事なキョウヤ。二度とあんなことが起こらないように、オレが全部管理してやらんといけん。
 ゆっくりすぎる時間。それが嬉しくて嬉しくて、キョウヤの身体を抱き寄せ、触れるだけのキスをした。
 そこには二人しかいない。他の何も要らない。なくていい。そう言い聞かせながら、ソファに深く座る。
「カラスバさん、抱きたいです」
「ふふ、ええよ」
 熱い視線に答えるように再びキスをすれば、薄く開かれた唇に舌が差し込まれる。冷たい身体を寄せあって暖めるように身体を重ねて、脱力した。
 そのまま押し倒されて、服の中をキョウヤの手がはい回る。甘い痺れに、全てがどうでもよくなっていく。
 熱い息を吐きながら好き勝手にさせていると、不意にキョウヤの手が止まった。
「やっぱり、やめましょう?」
「なんでや」
「だってカラスバさん、疲れてるでしょ?今にも寝そうだよ?」
「そんなことあらへんよ」
 乱れた着衣を整えて、キョウヤが言う。スイッチを入れておきながら何を、とも思うが、ぎゅっと抱き締められて、身体がぽかぽかしてきて、心地よくて目蓋が重くなってくる。
「ちゃんと寝れてないのだから、ダメだよ」
 キョウヤはそう言うと、オレの頭を撫でた。ああ、心地よい。幸せだ。そう思いながら、眠りに落ちる。
「明日は、夢から覚めようね」
 意識が落ちる瞬間、寂しそうなそんな声がして。夢から覚めようとはなんのことだろうか。わからないが、キョウヤが言うなら覚めなくてはいけないのかもしれない。
 でも、もう少しくらい許されるのではないか。
 そう思ったところで、視界は黒に飲まれた。
 ふと目が覚める。立ち上がって、皺になったジャケットを脱ぎ捨てて、替えの物をクローゼットから出すと、袖を通した。
 あのまま深い眠りに落ちてしまったようで、気がつけば朝になっていた。テーブルの上の冷たくなったパスタをゴミ箱に捨てて、食器をシンクに置く。
「キョウヤ、カラスバさんはお仕事やから、いってくるわ。今日もええこにしとるんやよ」
「はい、わかりました」
 キョウヤは昨日と変わらずそこにいる。微笑みを湛えながらそこに。だから大丈夫。今日もやっていける。準備を終えて、扉に手をかけると外へ出る。下にはジプソが来とるやろから、早く降りんと心配かけてまう。いつも通りにやればバレへん、絶対大丈夫や。そう言い聞かせて、エレベーターのボタンを押した。
 そうして今日も始まるのだ。キョウヤのいない世界が。



 ミアレの英雄が死んだ。
 なんでも車のクラクションに驚いて暴走状態に陥ったポケモンから子供を守って、頭を強く打ち付けたらしい。
 一週間の昏睡の後、ついぞ目覚めることなく、そのまま眠るように亡くなってしまった。
 彼らしい最期だと思う。それと同時に、深い悲しみが胸を支配する。
 失うには惜しい人材だった。その人懐っこさに、幾度も救われたように思う。事故はボスと別れたすぐ後に起こってしまったらしく、彼がショックを受けないか心配したが、ボスは意外にも変わりなく忙しい日々を過ごしている。
 ただひとつ変わったことがあるとするなら、絶対に部屋に人を招かなくなったことくらいか。
 彼なりにショックは受けただろうから、一人になりたいのかもしれない。こればかりは仕方のないことだと思う。
 端から見て二人は、お互いを想いあっていた。後は時間をかけて寄り添っていくのだろう。そんな風に思っていた矢先の事故だったのだ。気丈に振る舞ってはいるが、その心に受けた傷は、想像すら出来ない。
「ボス」
「なんや?」
「ちゃんと休めていますか?」
「そない寝とらんように見えるん?大丈夫やで、昨日も帰ってぐっすりやったさかい」
「それならいいのですが……」
 確かに、今日は昨日より顔色が良いように思う。立ち直るには時間が必要だ。この街で彼を知る人間は、誰しもがそうだろう。
 皆の心が平穏でありますように。そう願わずにはいられなかった。



 がちゃりと扉が開く。
「お帰りなさい」
 いつも通りの時間に彼は帰ってきた。誰もいない空間に、声が響く。
「ただいま、キョウヤ」
 俺の名前を彼が呼ぶ。そこには誰もいないのに、だ。
「今日はええこにしてた?」
「はい」
 一人で会話を続ける彼を、俺はただ見ていることしか出来ない。
 痛々しいと思う。それと同時に、それだけ愛が深かったんだとも思う。
 出来れば死ぬ前に知りたかったな。そうしたらすぐにでも告白をしたのに。ありもしない未来を想像して、何もない胸が痛んだ。
 彼は壊れてしまったのだろうか。いや、きっと、これは正常な行動なのだろう。今ここだけが、彼を慰めてくれる場所なのだから。
「キョウヤ、今日もご飯一緒に作ろか」
 鎖を手で持ちながら彼は言う。じゃらじゃらと音を立てて引き摺られていくそれを、ただ眺める。
 いつか心の傷が癒えて、彼がここに縛られなくても良くなるように祈る。今の俺にはそれしか出来ないから、歯痒いけど、そればかりはどうにもならないことだった。
「カラスバさん」
 名前を呼ぶ。溶けるように消えていくそれに、どうか彼が夢から覚められるようにと願いを込めて微笑んだ。
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