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短編集

この世界にはヒーローというものが存在する。
しかも、それは唯一無二の存在ではなく、一つの国……もっと言えば、一つの町に一人は存在しているのだ。
私たちの世界ではありふれた存在とも言える。
しかし、そんなヒーローたちは、やはり多くの人の特別な存在だった。
なにしろ、ヒーローというのはそもそも一般人にはないものを持っている。
人々を守ったり助けたりする強大な力や、曲がったことや間違ったことを許さない正義の心。
どんな時でも素早く移動できるように、空を飛ぶことだってできる。
そして、誰か一人を愛することなく、博愛主義を貫くところ。
それらは、私たち一般人には存在しないものだ。
正義や博愛の心などは、比較的多くの人が持っているかもしれないが、ヒーローたちのそれは通常よりもはるかに強い。
そんな彼らを、人々は愛している。
悪人を除いてほとんどの人間が、だ。
そう、私もその一人。

しかし、私はその大人数の人間の中で、おそらく唯一異質な感情を抱いている。
ヒーローに、恋をしてしまったのだ。

ヒーローに恋をするのは、一般的にあり得ないことだった。
もちろん、少なからずヒーローに恋をした人はいるのかもしれないが、そんな情報を耳にすることはまずない。
なので、私はマイノリティな存在なわけで、もしかしたら世界でも唯一の存在かもしれないわけだった。

ヒーローは、優しかった。
それはヒーローなのだから当然なわけで、優しくなければヒーローとは呼べない。
もちろん、それは私に対しても同じで。
私は非常にネガティブでマイナス思考が酷く、さらには家庭環境や学校環境も悪いという、もはや八方塞がりのような状況にいた。
ヒーローは、私が泣いているといつも現れる。
そして、話を聞いて慰めたり励ましてくれるのだ。
心の拠り所がない私にとって、ヒーローは唯一の私の心の拠り所だった。

だけど、こんな感情を抱いてはいけない。
分かっていた。
こんな私が抱くものでもないし、一般人がヒーローに恋をするのもタブーのようなものだからだ。

だから、私はこの気持ちに「さよなら」をするのだ。
この世界とともに。
先述した通り、私の生きている環境はまともなものじゃない。
しかも、最近はそれらが悪化してきている。
もう、生きていることに疲れたのだ。

どこかのビルの何階とも分からない高い層。
そこのちょっとしたコンクリートの広場のようなところに、私は一人で立っていた。
ここは屋上というわけではないが、小さな憩いの場なのかもしれない。
そんなことを考えながら、フェンスに向かう。
このビルには無断で侵入したのだが、死ぬ予定なので怒られる心配はない。
今は深夜で、このビルに人はいないので、見つかることもないだろう。
まあ、すぐに飛び降りて死ぬつもりだから、見つかったところでどうにもならないだろうが。

そこまで高くもないフェンスを乗り越えて、私はわずかしかないコンクリートの地面に降り立つ。
結構な高さで、下は真っ暗で何も見えない。
こんな時間に通行人はいないだろう。
……いたら、地獄でいくらでも詫びるつもりだ。
しかし、私の事前調査によると、この時間帯はビルの人もいなければ、その下に通行人もいなかった。
おそらく大丈夫だろう。
ヒーローだってやってくるはずがない。
こんな時にやってくるのがヒーローだと思われそうだが、自殺が多かったのはヒーローが生まれる前の世界の話で、ヒーローが存在する今の世界に自殺者なんてほとんど、いや、全くいないに等しい。
なので、私はやはり異質な存在なのだ。
そんな自分に嫌気がさした。

(……いっぱい優しくしてくれたのに、ごめんね)

愛してやまないヒーローに心の中で謝る。
まるでドラマのようにヒーローが助けてくれたら、なんて考えたが、そんなことはありえない。
こんな時間にヒーローは活動しないし、ヒーローは博愛主義者なので活動時間外に人を助けるなんてことはしないのだ。
それは、”ヒーローとして”ではなく、”個人”として助けることになってしまう。
無慈悲なようだが、それを利用して私は今ここにいるわけだ。
それに、今となってはその活動方針でほとんどの人が助けられているのだから、問題はない(ヒーローが生まれた当初は、昼も夜も関係なく活動していたらしい)。
そう、私のように裏をかく人でもない限り。

「……」

静かに息を吐き出す。
この世界に未練はない。
それよりも、早く楽になりたかった。
ただ、やはり、ヒーローのことだけが少し頭によぎる。
けれど、彼のことを考えてもどうしようもない。
誰からも愛されない私が、ヒーローに愛されるはずがないのだ。
瞼を下ろして視界を遮ると、私は重力にしたがって前のめりに倒れた。

――風が頬を撫でる。
確か、飛び降り自殺は地面に打ち付けられる前にショック死するんだったっけ。
そんなことを考えていると、突如、体が重力に逆らった。
グイッと体が上に引っ張られる。
私は何が起きたか分からず、目を見開いた。
それと同時に、自分が今、温かい腕の中にいることに気づいたのだ。

…………。
ここは、上空。
町の上を、私は飛んでいた。
空はまだ暗く、星が浮かんでいる。
なんて、そんなことはどうでもいい。

「……ええと、あの…………」

もごもごと口を動かすと、私を抱きかかえている本人――抱きかかえ方はお姫様抱っこなことは言及しないでおこう――は私の顔を覗き込んでにっこりと微笑む。

「はい。どうしました?」

そして、何事もないかのようにそんなことを言うのだ。
いや、どうしましたも何も。

「なんで……私を、助けたんですか?」

この時間は彼の――ヒーローの活動時間外。
人を助けるはずがないのだ。
そして、私もそれを見計らって飛び降りた。
それだというのに、私は易々と助けられて、今はこうして抱えられて空を飛んでいる。
私の問いかけに、ヒーローはさらっと「ヒーローですから」と答えた。
違う、そうじゃない。
だって、こんなタイミングで助けが来るはずがないのだ。
私は全てを計算していた。
それなのに、どうして。

ヒーローは、私の顔を見て察したのだろう。
ぽつりと言葉をこぼす。

「これは、僕の個人的活動ですよ。ヒーロー活動とは違います」
「……え…………?」

その言葉を聞いて、私はますます混乱した。
どういう意味なのだろう。
きょとんとしているであろう私の顔を見たヒーローは笑みを浮かべながら、照れくさそうに言葉を続けた。

「僕個人が、貴女を助けたかったから、僕は今こうしているんです」

――頭の中が真っ白になる。
それは、つまり。

「あ、の……それって……」
「おそらく、貴女の考えているとおりじゃないかと思います。僕は、貴女を特別に思っている。だから、助けたんです」

そんな、まさか。
だって、ヒーローは、博愛主義で、誰か一人を特別視することなんて、あるわけが。
頭の中でたくさんの言葉がぐるぐると駆け巡る。
ヒーローはそんな私を見て、少しだけ困った顔をした。
その中に、どこか悲しみも見えるような――

「……なん、で……」

一言。
絞り出せたのはそれだけだった。
問いかけに対して、ヒーローはゆっくりと言葉を紡ぐ。

「どうしても、貴女を放っておけなくて。どうしても、貴女が気になって。……どうしても、貴女を愛おしく思ってしまって。こんなの、ヒーロー失格だとわかっていながら、貴女のことを好きになってしまったのです」

悲しそうに、しかし頬を染めてどこか幸せを噛みしめているような表情を浮かべて、彼は答えてくれた。
私は、何も言葉を発さない。
発せなかった。
私の、誰よりも愛した人が、私一人を見てくれるはずもなかった人が、私のことを「好き」だと言っている。
そんなこと、あり得るのか。
これは、私が死んだ後の都合のいい夢じゃないか。
何も言わない私を、ヒーローはただただ愛おしそうに見つめていた。

そのまましばらく空を飛んでいたが、やがて私が自殺しようとした場所からは程遠い、綺麗な公園にヒーローは降り立つ。
空はほんのりと表情を変え始め、朝が来ることを知らせていた。
朝が来るのか、なんて考えながら地面に降り立とうとすると、私は上手く立てずに座り込んでしまう。
ヒーローが「大丈夫ですか?」と声をかけるが、私は茫然と地面に座り込んでいた。
いろんなことが起こりすぎて、頭が追い付かない。

だって、私は、新しい朝を迎えるはずがなかったのに。
好きな人に「好き」だと言われるはずもなかったのに。
……生きていることに喜びを感じることなんてなかったはずなのに。

いろいろと自覚した瞬間、涙が溢れてきた。
その様子を見たヒーローが、慌てて私の目の前に膝をついて座り込み、もう一度「大丈夫ですか?」と声をかけてくれる。
その声を聞いて、私は今まで抱え込んでいたものを吐き出すように話し始めた。

「私……ずっと、貴方のことが好きで、でも、私は一般人だし、貴方はヒーローだし、叶うはずないって思って……しかも、私は親からも友達からも、誰からも愛されない、嫌われてばかりの存在で、誰かに愛されるわけないって思ってたから……、好きな人に、好きって言われて、嬉しくて、嬉しくて……!死にたかったのに、生きていることが嬉しくなっちゃって……!」

話していると、せきを切ったように涙がとめどなく溢れる。
ぼろぼろと涙を流す私を、ヒーローは優しく見つめながら、相槌を打って話を聞いてくれていた。
そして、私は最後まで話すと、彼は優しく私を抱きしめる。

「今までつらかったこと、私はよく知っています。そんな貴女を守りたいと思ったのです」

その言葉を聞いて、私は赤子のように泣き出してしまった。
今まで我慢していたつらい思いを、すべて洗い流すかのように。

しばらく抱きしめられながら泣いた後、私はもう一度口を開く。

「でも、私、もう、今からどうやって生きればいいか分かりません……」

家にも遺書を置いてきた。
そもそも、死ぬはずの命だったのだ。
今後、生きることを考えていない。
私の暗い表情とは裏腹に、ヒーローは明るい表情で私に驚くことを告げた。

「僕と一緒に住めばいいじゃないですか」
「……えっ」

ぽかんとした私を見ながら、ヒーローは楽しそうに話を続ける。

「行く当てがないなら、僕と一緒に暮らしましょう。ご両親や世間は、貴女を死んだ者のように扱うかもしれませんが、そんなこと気にせず、僕と一緒に生活しましょう。何があってもあなたを守ってみせますよ」

にこにこと笑いながら、しかし、声には冗談の感じを含んでいなかった。

「い……いいんですか……?」

戸惑いながらおずおずと声を発すると、ヒーローは相変わらず明るく優しい表情で「もちろん」と口にする。

「僕と貴女はお互いにお互いのことが好きで、貴女には帰る場所がない。そして、僕は貴女を守りたい。それなら、一緒に住めば全部解決しますよね!」

言ってしまえばこんなの極論だ。
しかし、私にはそれがとても素晴らしいことのように思える。
もはやプロポーズともいえるような彼の発言に、少しだけおかしさを覚えながら、私はYESの答えを返した。
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