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みじかいおはなし


 死地へと向かうシャドウ・ボーダーの車中。
 あと少しばかり走れば、敵の首魁が待つモスクワ近郊にたどり着く。このひとときは、最後になるかもしれないつかの間の休息だった。
 死ぬかもしれないことに対してはそこまで恐れはない。もとよりサーヴァントとして召喚された身だ、何か成し遂げられればそれでいい。

 ――サーヴァント。使い魔。今の僕は魔術師に使われてこそ意味がある。基本的に魔術師というのは残酷なものだし、自分以外のことには無頓着だ。状況が逼迫しているならなおさらのこと。
 だから下された指示がいくら非人道的なものであっても魔術師を非難するいわれはない。だってそういうものだし。ダ・ヴィンチを名乗る小さな女の子が言うには――

「ビリー・ザ・キッド、きみは魔力を消耗している。少しの休息時間では足りないだろう。……魔力を余らせてる子がいる。分けてもらうがいい」

 どうやって、とは言われなかったが、やり方はなんとなくわかっている。それもここ雪と氷の大地に召喚された時にあらかじめインストールされた知識みたいだ。
 どう考えても倫理的じゃあないとは思うけど仕方ない。
 指示された部屋へ入る。ベッドと椅子があるだけでほぼスペースの占められたごく小さな部屋だ。女の子が寝ている。小さな胸が規則正しく上下しており、僕に気づいた様子はないようだ。

「そんな危機感の無さじゃいつか死ぬよ、かわいいお嬢さん」

 このロシアではとても生きていけまい。頬も腹も柔らかく、敵の爪から身を守るすべを何ももたない弱い獲物だ。
 おおいかぶさって顎を少し上向かせ、唇を奪う。やや強引に舌を絡ませれば、乾いた大地に水が染み込むように、みずみずしい魔力がこちら側へ流れてくるのがわかる。――甘い。召喚されてからこのかた、資源の乏しすぎる大地で取れる野獣の肉か、あるいはほんのちょっぴりの酒を頼りに生き延びてきたこの身には、過ぎた甘さだった。

「……わたしのアーチャーかと思った。あなたは違うビリーなのね」

 さすがに目が覚めたのか、眠そうな目をこすりながら身を起こす。『わたしのアーチャー』という言葉から察するに、どうもこの子は僕とは違うビリー・ザ・キッドと契約を結んでいたのだろう。

「残念、今の僕のマスターはとりあえず、藤丸立香ってことになるのかな。僕はきみのものじゃあない、きみが僕のものになるんだ」
「あらすてき、口説き文句かしら?」
「いいや、たださっさと魔力を貰うだけさ、すぐ済ませるよ」
「……じゃあ、早くしてちょうだい」

 誰かに言われて、事務的に済ませるのには慣れているのかもしれない。そっちのほうが僕にとっても都合がいいことは確かだった。
 再び唇と唇が触れる。そのとき――通路のほうからものすごい足音が駆けてきて、ロックの掛かった扉がぶち破られる。

「――お嬢さん!」

 マナーのなっていないお客さんだ。見知らぬ来客の手にしたその銃口は、確実に僕の眉間を狙っていた。

「ビリー!」
「おっといいのかい、こっちには人質がいるんだぜ、ビリー・ザ・キッド?」
「きゃ~たすけて~」
「危機感が無」

 面白くなくて、彼女の首元に手を這わせると、喉がひゅっと小さく息を吸い込んだ。
 とたん、銃弾が跳んでくる。髪の毛をかすめて壁にめり込む。僕も撃ち返せば銃弾をためらいなく手甲ではじき、間髪を入れずシーツを引っ掴んでベッドに飛び移り、距離を詰めてくる。僕は向こうの眉間に、向こうは僕の顎にそれぞれ銃を向けて――たっぷり十秒は息をつめていたが、お互い同時に銃を下ろす。

「……よく考えたら僕には争う理由も無いな。ここで死んじゃったら、言い訳が立たない」
「まあ、そうだね。だけどお嬢さんは放してもらおうか」
「了解。もう魔力は十分貰ったよ」口の中が甘すぎて痺れるぐらいには十分だ。というか、寝る前に何か甘いものでも食べたんだろうな、この女は。

「……なら安心した。マスターが――ダヴィンチちゃんの指示してたのを聞いてて、それはいけないだろ――って、僕を無理やり呼んだんだ。それで、ほんのちょっとだけ魔力貰って来た。あんまり長くはいられないけど」
「立香くんが? どうして……」
「ああ。世界を救えるか救えないかの瀬戸際でこんなお節介するだなんて、まったくあのマスターは、とことん魔術師らしくないね」

 カルデアのビリー・ザ・キッドはいとおしむように彼女の髪に触れ、肩を抱く。
 不思議な感じがする。鏡よりも僕と瓜二つにそっくりな男が、僕の見たことのない顔をしているのだ。
 そもそもサーヴァントというのはおおもとの英霊の座から召喚されるたびコピーされたもので、コピー先で変更を加えられることはままあることだ。僕の方がコピー元に近く、彼は召喚されてからの時間の中でなんらかの変質を経たのだろう。
 それが恋かどうかは知らないが。

「……ああ、もう消えちゃいそうだ。ごめんね」
「もう行っちゃうの?」
「戦闘のときに呼んでくれれば、また来るよ」

 僕ではないビリー・ザ・キッドが彼女の頭を撫でる。名残惜しそうに彼女が見つめるが、そのまま霊体化して、見えなくなってしまった。

「――恋をしていたのかい?」
「ビリーに?」
「さっきのアーチャーに」

 彼女は寸の間、答えに詰まって、だけどきっぱりと言った。

「……ええ、好きだったわ。好きよ」
「別れるって知ってても?」
「別れるって知ってても恋はするでしょうが~!?」
「そんないきなりガチギレしなくたっていいだろ……。っていうか、カルデアのビリー・ザ・キッド、まだそこにいるだろ。霊体化しただけで」

 ゆらりと気配が揺れて声がする。「バレた?」

「バレバレさ。気配がまだ残ってたからね」
「ぎゃー! 恥ずかしい! さっきの忘れて!」
「忘れないよ。――じゃあ、またね」

そう言って今度こそは消えていった。「……いいなぁ、愛されてて」思わず口からこぼれ出していたこれは本心だ。今回の召喚では、恋するような相手と出会うことは、もうないだろう。次に召喚されたビリー・ザ・キッドは、やはり僕ではないのだから。
僕の本心には気づいていたのかそれとも否か、彼女は何も返さなかった。

――そして、しばらくあって。シャドウ・ボーダーが停車した感覚がある。どうやら目的地に着いたようだ。

「じゃあね。僕も行ってくるよ、『お嬢さん』」


 部屋を出る。あたたかな車中を出て、凍りつく寒さの中に歩を進める。
 別れが来ると知っていても恋をするように、死ぬと分かっていてもやらなきゃいけないときもある。世界を救うためだなんて大層な理由じゃなくて、自分の決めたことは最後までやり通したいっていうだけの理由だ。
 
 サーヴァントとしてじゃなくて、これはビリー・ザ・キッドとしての意地なんだろう。

(……さあて、どこまで行けるのかな、僕は)

 決意は決まった。息を吐くと、きらきらと輝いて落ちる。
 
 口に残った甘さが、いつまでも消えないでいた。

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