みじかいおはなし
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静まりかえった森の小屋の中だった。窓からは満月がのぞいており、灯りがなくとも明るい。一日を終え、あとは眠るばかりだがその月があまりにも綺麗でしばらく眠らずに眺めていた。
「綺麗だけど、ちょっと眠るには眩しすぎるな。明日あたり、街にカーテンを買いに行こうか」
「……ええ、そうね。とても明るいわ」
「ねえ、クーは何色がいい? おまえが街に出るのが嫌なら、私、買ってくるけど」
隣に座る彼女が少し首をかしげて、腕を引き寄せ、何も言わないまま少し背伸びして左の頬に唇で触れてくる。
「あのさ、こういうのは先に、『キスしてもいい?』って聞いてからするものじゃないかな」私はそう言ったが、不快感というよりは照れくささの方が強かった。この明るい中、枕元で寝こけているピーターが起きないか心配で、小声でささやく。
長い髪の乙女――私が『クー』と呼んでいる彼女は、どきりとするほど深刻そうな顔をしてごめんなさい、と謝るので、いやそこまで嫌なわけじゃない、と伝えるのに手を焼いた。
「友達にキスをしては駄目、ってわけじゃないんだ。ただいきなりだとびっくりするだろ?」
「じゃあ、レラジェ。キスしてもいい? 今度は右の頬に」
「嫌じゃないよ。おまえは甘えん坊だなあ」
「おいで、クー」と呼ぶと、彼女はおずおずと私の腕に収まって頰に柔らかな唇をおとす。小動物に甘えられているようで可愛らしい。
「それで、明日街に行くから、他に買いたいものとかはない?」
「大丈夫よ。……レラジェ、本当にごめんなさい。わたし、あなたに迷惑を」
「そんなに申し訳なさそうにしないでよ。前から言ってるけどさ、私も新しい家が大事なんだ。ぜんぜん迷惑なんかじゃないよ」
これは本当だった。以前に暮らしていた岩山のねぐらは、弓の弟子入りを志願する男がおしかけてうるさかったので荷物をまとめてしばらく近寄らないことにしたのだ。新しい住居を快適にするのは私にとってもやらなくてはならないことであり、それにクーも年頃の乙女なのだし、めったに森に近付く者もいないとはいえカーテンがなくては着替えにも困るだろう。
「そうじゃなくて。先に謝っておきたくて」とクーは眉を寄せる。
どういう意味だろうか。
満月が不気味なほど明るく、彼女の顔に影をつくっている。私の手を握る彼女の細い指に力がこもった。
彼女と出会ったのは新月の日だった。前のすみかをいったん捨てて、どこか暮らすのにいい場所がないかと、弓の修行も兼ねてヴァイガルドを放浪している旅の途中だった。
いつも一緒の相棒、ピーターが何かを察知したらしく、警戒するように尻尾をせわしなく動かしている。何か獰猛な生物の存在を知らせる合図だ。森の奥の方からかすかに誰かの声がする。地面を蹴り、急いで気配のする方へ向かう。
「……ないで、来ないで!」
そこにいたのは猛禽類のような頭部を持つ幻獣だった。襲われているのは非武装のヴィータ、それも女性。まさに食われかけようとしている。私は息を殺して相手の体格を観察し、どこを射抜けばいいか計算する。さいわいあまり大型ではない。これなら、三本あれば十分だ。
――まっすぐに放った矢が背中に命中する。こちらを振り向いた隙に、続けざまにもう一矢。今度は目に命中する。三本目の矢を喉に受けたところで崩れ落ち、やがて完全に動かなくなった。
「大丈夫か?」
「え、ええ……ありがとうございます」
その女性は動きにくい長い丈の重たそうなドレス姿をしていた。どう見ても一人で夜間に森に入るような格好ではない。まだ幻獣に襲われた恐怖が抜けきっていないようで腰を抜かして震えていた。
「なあ、この森は獰猛な獣が出るって聞いたから、私はそいつを退治するためにここに来たんだ。おまえは死にたいのか?」
彼女は化け物に襲われたうえ、いきなり現れた私にも戸惑っているに違いないのだが、思ったよりもしっかりした口調で、「そうよ」と返してくる。
「そうよ、わたしは死にたかったの。ここには死にに来たの。……だから、『来ないで』って言ったのに」
これは参ったな。面倒なことに首を突っ込んでしまったかもしれない。
街には戻りたくない、という彼女の強い意向のため、先ほど見つけた、廃棄されたとおぼしき狩猟小屋にお邪魔する。
女性は、名前を『クルナ』と言った。人懐っこいピーターにじゃれつかれてやっと少し笑顔を見せる。薄暗い中、幻獣のくちばしにえぐられた彼女の腕の傷を手当てしてやりながら、事情を聞いてやることにした。
「私は、ここから少し離れたところにある街の、××家の娘です。今日は、妹の結婚式でした」
相手の男は、もとは彼女の婚約者だったのだという。恋人を妹に取られて失恋したのか、と思ったが、話はそう単純なわけではないらしい。
彼女と同じく貴族の男性と婚礼の初顔合わせを済ませた日、彼女の人生は暗転した。
相手の男は家柄も良く、一般的に見ればたしかに美男子であった。物腰柔らかでまさに貴族の跡取りとしてふさわしい態度、それにこちらを慮る優しげな物言い。だが、手に挨拶のキスをされた途端、頭の中が真っ白になっていた。続けて、男の言葉が降ってくる。
「なあ、君はボクの妻になるんだ。君のことをもっと知りたいな」
優しげな声、甘い微笑、年頃の娘であれば胸をときめかすような彼の、それら全てが彼女には気持ち悪かった。テリトリーに入った自分より大きな生き物を威嚇するように、気づけば、「来ないで」と叫んでいた。
「どうしたんだい、クルナ?」
「いや、来ないで、気持ち悪い……!」
男が落ち着かせようと肩を抱き寄せてきたのがさらによくなかった。全身の力をこめて彼の大きな手をどうにか振り払って逃げ出すことには成功した。が、逃げた先の自分の家もすでに彼女の味方ではなかった。
彼女の行動は男の家、彼女の家双方からなんということをしてくれたのだ、と非難を受けることになった。今まで優しく育ててくれた両親、教育係たちも目を剥いて叱責し、生きる価値などないのだと言わんばかりに冷淡になるのが目に見えてわかった。
頭がおかしくなったのだと思われて物置の中に閉じ込められ、冷たい石の床に寝ていると涙が床にこぼれた。閉じ込められているうち、たしかに自分は頭がおかしいのかもしれないと思い始めてくる。だってあんなに素敵な人なのに、家の期待を一心に背負った結婚だというのに、期待に応えられない自分が愚かに思えて仕方がなかった。
「そのことの方がわたしにはつらかったの。じゃあ今まで生きてきたのはなんなんだろうって。空っぽになった気分」
――結局、その男はクルナのまだ幼い妹と結婚することになり、妹も強くは拒否しなかった。大事なきょうだいを自分のために生贄にしたようでいたたまれなくて、二人の結婚式が終わったあと、誰に見咎められることもなく、死ぬつもりでこの森へ来たという。
「大変だったんだな。でも、だからって死ぬことないだろ。空っぽならこれから中身を詰めればいいわけだし、どこでだって生きていけるさ」
「でも……ほかの生き方なんてできないわ。親の言う通りにしかしてこなかったから」
「できるさ。難しく考えすぎだよ」
追放メギドであり、俗世間から離れて自然と共に暮らし、弓の修行ばかりしてきた私にはヴィータのことなどよくわからない。自分の食べる分も自分で獲ってこない貴族たちの事情なんて知ったことではないが、家を存続させられれば組み合わせはなんでもいいらしい、という。彼女は自分の衝動にしたがって、そのシステムが嫌で逃げ出してきただけのことだ。自分の身体のセンサーが拒否することに従っていてもいいことなど何もない。
「それならさ、」
それなら、きっと私とだって仲良くできるかもしれない。ここで見放して勝手に死なれても困るという理由もあるが、何より話す相手がいるのは素敵なことだ。
「――ねえ、友達になろうよ。それならいいだろ?」
「わたし、友達の作り方なんて知らないわ」
「なら、私が初めての友達だな。私はレラジェ、こっちは相棒のピーター。よろしくな」
「じゃあ……わたしのことは『クー』と呼んでちょうだい。よろしくね、レラジェ、ピーター」
そうして、このボロ小屋を綺麗に片付けて、三人で暮らすことになった。
実際、私たちはうまくやっていたと思う。料理や洗濯の仕方を何も知らないクーにひとつひとつ教えていって、彼女もだんだんと新しい暮らしになじんできた。ピーターもユーモラスなダンスで彼女をよく笑わせてくれた。彼女の家の人は誰も探しには来なかったけど、別に気にもならなかった。――のだけれど。
ピーターが短く鳴きながら尻尾で地面を叩いている。幻獣を見つけた時と同じ反応だ。
いま私の目の前にいるのは、新月の晩に退治したはずのものと寸分違わぬ姿の幻獣――これを幻獣とは呼びたくなかった。
これは『彼女』だ。
彼女は私の頰に口づけを落としたあと、とつぜん苦しみはじめ、肌をかきむしり、全身を震わせて翼のある姿へと変貌したのだ。私にはそのさまを見ていることしかできなかった。全身が作り変えられる恐怖と苦痛は、私には想像しようがない。
煌々とした満月が中天に輝いている。おそらく月の光に反応して、すでに死したる幻獣の残した忌々しい呪いが活性化したのだろう。そういう呪いを持つ幻獣がいる、とは耳にしたことがあった。
おそらくは、あの口づけはただの戯れではなく別れの合図だったのだろう。「ごめんなさい」という小さな謝罪も、化け物のくちばしからは言葉のかけらも発することができない。なるほどね、だから先にってことか。心の中で小さく舌打ちをする。
変じてのち、小屋を翼のひと羽ばたきだけで粉砕して、彼女は悲痛な叫びにも似た咆哮を森の中に響かせていた。おそらく、来ないで、と言っているのではないかと思うが、実際のところはわからない。カーテンを掛けるべき窓枠も、もうすでにない。
ソロモン王の配下のメギドとして、幻獣は倒さなければならない。それが呪いの性質をもつものならなおさらだ。ここで殺すしかない。それが彼女を救う唯一の手段だ。そうわかっているのに、思い浮かぶ彼女の笑顔が弓を引く手を止めようとする。
駄目だ、ためらうな。……。
「レラジェは本当に弓がうまいのね、女の子なのに」
「あのさ、練習すれば誰だってうまくなるんだよ。女の子とか男の子とかじゃなくて、そういうのはつまんないよ」
「じゃあ、わたしもレラジェみたいに弓が引けるようになる?」
「毎日練習していればね。教えてあげるから、音を上げるんじゃないぞ? コツはまっすぐ見ること。そして、ためらわないこと」
そんなやりとりをしたっけ。そうだ、まっすぐ。そしてためらわないことだ。私がそれを忘れてどうする。
矢をつがえる。涙で少しだけ視界が歪むが、弓を射るのに邪魔になる程度ではない。ただまっすぐに飛んでいく。
矢は三本で十分だ。
「――さよなら、私の友達」
「綺麗だけど、ちょっと眠るには眩しすぎるな。明日あたり、街にカーテンを買いに行こうか」
「……ええ、そうね。とても明るいわ」
「ねえ、クーは何色がいい? おまえが街に出るのが嫌なら、私、買ってくるけど」
隣に座る彼女が少し首をかしげて、腕を引き寄せ、何も言わないまま少し背伸びして左の頬に唇で触れてくる。
「あのさ、こういうのは先に、『キスしてもいい?』って聞いてからするものじゃないかな」私はそう言ったが、不快感というよりは照れくささの方が強かった。この明るい中、枕元で寝こけているピーターが起きないか心配で、小声でささやく。
長い髪の乙女――私が『クー』と呼んでいる彼女は、どきりとするほど深刻そうな顔をしてごめんなさい、と謝るので、いやそこまで嫌なわけじゃない、と伝えるのに手を焼いた。
「友達にキスをしては駄目、ってわけじゃないんだ。ただいきなりだとびっくりするだろ?」
「じゃあ、レラジェ。キスしてもいい? 今度は右の頬に」
「嫌じゃないよ。おまえは甘えん坊だなあ」
「おいで、クー」と呼ぶと、彼女はおずおずと私の腕に収まって頰に柔らかな唇をおとす。小動物に甘えられているようで可愛らしい。
「それで、明日街に行くから、他に買いたいものとかはない?」
「大丈夫よ。……レラジェ、本当にごめんなさい。わたし、あなたに迷惑を」
「そんなに申し訳なさそうにしないでよ。前から言ってるけどさ、私も新しい家が大事なんだ。ぜんぜん迷惑なんかじゃないよ」
これは本当だった。以前に暮らしていた岩山のねぐらは、弓の弟子入りを志願する男がおしかけてうるさかったので荷物をまとめてしばらく近寄らないことにしたのだ。新しい住居を快適にするのは私にとってもやらなくてはならないことであり、それにクーも年頃の乙女なのだし、めったに森に近付く者もいないとはいえカーテンがなくては着替えにも困るだろう。
「そうじゃなくて。先に謝っておきたくて」とクーは眉を寄せる。
どういう意味だろうか。
満月が不気味なほど明るく、彼女の顔に影をつくっている。私の手を握る彼女の細い指に力がこもった。
彼女と出会ったのは新月の日だった。前のすみかをいったん捨てて、どこか暮らすのにいい場所がないかと、弓の修行も兼ねてヴァイガルドを放浪している旅の途中だった。
いつも一緒の相棒、ピーターが何かを察知したらしく、警戒するように尻尾をせわしなく動かしている。何か獰猛な生物の存在を知らせる合図だ。森の奥の方からかすかに誰かの声がする。地面を蹴り、急いで気配のする方へ向かう。
「……ないで、来ないで!」
そこにいたのは猛禽類のような頭部を持つ幻獣だった。襲われているのは非武装のヴィータ、それも女性。まさに食われかけようとしている。私は息を殺して相手の体格を観察し、どこを射抜けばいいか計算する。さいわいあまり大型ではない。これなら、三本あれば十分だ。
――まっすぐに放った矢が背中に命中する。こちらを振り向いた隙に、続けざまにもう一矢。今度は目に命中する。三本目の矢を喉に受けたところで崩れ落ち、やがて完全に動かなくなった。
「大丈夫か?」
「え、ええ……ありがとうございます」
その女性は動きにくい長い丈の重たそうなドレス姿をしていた。どう見ても一人で夜間に森に入るような格好ではない。まだ幻獣に襲われた恐怖が抜けきっていないようで腰を抜かして震えていた。
「なあ、この森は獰猛な獣が出るって聞いたから、私はそいつを退治するためにここに来たんだ。おまえは死にたいのか?」
彼女は化け物に襲われたうえ、いきなり現れた私にも戸惑っているに違いないのだが、思ったよりもしっかりした口調で、「そうよ」と返してくる。
「そうよ、わたしは死にたかったの。ここには死にに来たの。……だから、『来ないで』って言ったのに」
これは参ったな。面倒なことに首を突っ込んでしまったかもしれない。
街には戻りたくない、という彼女の強い意向のため、先ほど見つけた、廃棄されたとおぼしき狩猟小屋にお邪魔する。
女性は、名前を『クルナ』と言った。人懐っこいピーターにじゃれつかれてやっと少し笑顔を見せる。薄暗い中、幻獣のくちばしにえぐられた彼女の腕の傷を手当てしてやりながら、事情を聞いてやることにした。
「私は、ここから少し離れたところにある街の、××家の娘です。今日は、妹の結婚式でした」
相手の男は、もとは彼女の婚約者だったのだという。恋人を妹に取られて失恋したのか、と思ったが、話はそう単純なわけではないらしい。
彼女と同じく貴族の男性と婚礼の初顔合わせを済ませた日、彼女の人生は暗転した。
相手の男は家柄も良く、一般的に見ればたしかに美男子であった。物腰柔らかでまさに貴族の跡取りとしてふさわしい態度、それにこちらを慮る優しげな物言い。だが、手に挨拶のキスをされた途端、頭の中が真っ白になっていた。続けて、男の言葉が降ってくる。
「なあ、君はボクの妻になるんだ。君のことをもっと知りたいな」
優しげな声、甘い微笑、年頃の娘であれば胸をときめかすような彼の、それら全てが彼女には気持ち悪かった。テリトリーに入った自分より大きな生き物を威嚇するように、気づけば、「来ないで」と叫んでいた。
「どうしたんだい、クルナ?」
「いや、来ないで、気持ち悪い……!」
男が落ち着かせようと肩を抱き寄せてきたのがさらによくなかった。全身の力をこめて彼の大きな手をどうにか振り払って逃げ出すことには成功した。が、逃げた先の自分の家もすでに彼女の味方ではなかった。
彼女の行動は男の家、彼女の家双方からなんということをしてくれたのだ、と非難を受けることになった。今まで優しく育ててくれた両親、教育係たちも目を剥いて叱責し、生きる価値などないのだと言わんばかりに冷淡になるのが目に見えてわかった。
頭がおかしくなったのだと思われて物置の中に閉じ込められ、冷たい石の床に寝ていると涙が床にこぼれた。閉じ込められているうち、たしかに自分は頭がおかしいのかもしれないと思い始めてくる。だってあんなに素敵な人なのに、家の期待を一心に背負った結婚だというのに、期待に応えられない自分が愚かに思えて仕方がなかった。
「そのことの方がわたしにはつらかったの。じゃあ今まで生きてきたのはなんなんだろうって。空っぽになった気分」
――結局、その男はクルナのまだ幼い妹と結婚することになり、妹も強くは拒否しなかった。大事なきょうだいを自分のために生贄にしたようでいたたまれなくて、二人の結婚式が終わったあと、誰に見咎められることもなく、死ぬつもりでこの森へ来たという。
「大変だったんだな。でも、だからって死ぬことないだろ。空っぽならこれから中身を詰めればいいわけだし、どこでだって生きていけるさ」
「でも……ほかの生き方なんてできないわ。親の言う通りにしかしてこなかったから」
「できるさ。難しく考えすぎだよ」
追放メギドであり、俗世間から離れて自然と共に暮らし、弓の修行ばかりしてきた私にはヴィータのことなどよくわからない。自分の食べる分も自分で獲ってこない貴族たちの事情なんて知ったことではないが、家を存続させられれば組み合わせはなんでもいいらしい、という。彼女は自分の衝動にしたがって、そのシステムが嫌で逃げ出してきただけのことだ。自分の身体のセンサーが拒否することに従っていてもいいことなど何もない。
「それならさ、」
それなら、きっと私とだって仲良くできるかもしれない。ここで見放して勝手に死なれても困るという理由もあるが、何より話す相手がいるのは素敵なことだ。
「――ねえ、友達になろうよ。それならいいだろ?」
「わたし、友達の作り方なんて知らないわ」
「なら、私が初めての友達だな。私はレラジェ、こっちは相棒のピーター。よろしくな」
「じゃあ……わたしのことは『クー』と呼んでちょうだい。よろしくね、レラジェ、ピーター」
そうして、このボロ小屋を綺麗に片付けて、三人で暮らすことになった。
実際、私たちはうまくやっていたと思う。料理や洗濯の仕方を何も知らないクーにひとつひとつ教えていって、彼女もだんだんと新しい暮らしになじんできた。ピーターもユーモラスなダンスで彼女をよく笑わせてくれた。彼女の家の人は誰も探しには来なかったけど、別に気にもならなかった。――のだけれど。
ピーターが短く鳴きながら尻尾で地面を叩いている。幻獣を見つけた時と同じ反応だ。
いま私の目の前にいるのは、新月の晩に退治したはずのものと寸分違わぬ姿の幻獣――これを幻獣とは呼びたくなかった。
これは『彼女』だ。
彼女は私の頰に口づけを落としたあと、とつぜん苦しみはじめ、肌をかきむしり、全身を震わせて翼のある姿へと変貌したのだ。私にはそのさまを見ていることしかできなかった。全身が作り変えられる恐怖と苦痛は、私には想像しようがない。
煌々とした満月が中天に輝いている。おそらく月の光に反応して、すでに死したる幻獣の残した忌々しい呪いが活性化したのだろう。そういう呪いを持つ幻獣がいる、とは耳にしたことがあった。
おそらくは、あの口づけはただの戯れではなく別れの合図だったのだろう。「ごめんなさい」という小さな謝罪も、化け物のくちばしからは言葉のかけらも発することができない。なるほどね、だから先にってことか。心の中で小さく舌打ちをする。
変じてのち、小屋を翼のひと羽ばたきだけで粉砕して、彼女は悲痛な叫びにも似た咆哮を森の中に響かせていた。おそらく、来ないで、と言っているのではないかと思うが、実際のところはわからない。カーテンを掛けるべき窓枠も、もうすでにない。
ソロモン王の配下のメギドとして、幻獣は倒さなければならない。それが呪いの性質をもつものならなおさらだ。ここで殺すしかない。それが彼女を救う唯一の手段だ。そうわかっているのに、思い浮かぶ彼女の笑顔が弓を引く手を止めようとする。
駄目だ、ためらうな。……。
「レラジェは本当に弓がうまいのね、女の子なのに」
「あのさ、練習すれば誰だってうまくなるんだよ。女の子とか男の子とかじゃなくて、そういうのはつまんないよ」
「じゃあ、わたしもレラジェみたいに弓が引けるようになる?」
「毎日練習していればね。教えてあげるから、音を上げるんじゃないぞ? コツはまっすぐ見ること。そして、ためらわないこと」
そんなやりとりをしたっけ。そうだ、まっすぐ。そしてためらわないことだ。私がそれを忘れてどうする。
矢をつがえる。涙で少しだけ視界が歪むが、弓を射るのに邪魔になる程度ではない。ただまっすぐに飛んでいく。
矢は三本で十分だ。
「――さよなら、私の友達」
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