みじかいおはなし
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王都エルプシャフトの中心に、高い塔で飾られた壮麗な王宮がある。宴を終え、静まりかえった王宮は眠りにつく大きな竜のようだった。そのずっと奥の奥に、次代の『シバの女王』となる、アミーラ王女の眠る部屋がある。
誕生一ヶ月のお祝いと、新たな王女の各国の首脳らへのお披露目の儀を終えたが、まだ俺たち近衛兵の仕事は終わっていない。厳重に守られた王女の部屋に通じる廊下にて、寝ずの番の当直の日だった。
――あくびをかみ殺しながら、まわりを見回す。異常なし。
華麗な大きな扉も、ここを職場に働くあいだにずいぶん慣れてしまった。働き始めた当初は細工の緻密さ、荘厳な雰囲気に圧倒されていたが、今は『ああ、開けるのが大変なとこですね』ぐらいの印象だ。
シバの女王、つまり歴代の王家の血となにやらすごいらしい指輪を受け継ぐ女性は、『ハルマ』という、いわゆる人知を越えた力をもつ存在と契約し、その力をもって有事の際の抑止力となり、この世界を統治している……つまり直接攻め込んでくる無法者はそうそういない。
平和なのはいいことだが、あまりに静かすぎて動きがないのは兵士としてはつらい。
隣に座るアイゴ隊長は、昼間から働き通しだというのに疲れた様子もみじんもなく、眉間の皺を片時もゆるめない仏頂面で、岩のように姿勢をキープしている。
隊長は経験豊富なベテランで、口は悪いが、仕事ぶりは誰よりも熱心だ。上からも下からも信頼が厚く、無理な命令も黙ってこなす姿が多くの兵士たちからの憧れだった。手に携えた槍斧も手入れが行き届いているのだろう、ぴかぴかに磨き上げられて淡く光っていた。
「眠いのか」
「い、いえそのようなことは」図星だ。「隊長はすごいですね」
「このくらいは平気だ。お前は新入りだったな」
「はっ、来月で丸一年になります」
「そうか」
気まずい。会話が続かないため、かねてから気になっていた話題を振ってみることにした。自分のことを語っているのはあまり見たことがないから、興味があったのだ。
「隊長はどうして近衛兵になったんですか? 辺境の出身だと聞きましたが」
「どうして、か」
隊長は、少し驚いたような顔をして、「クソウゼェよ……」という言葉とは裏腹に懐かしそうに笑った。遠い昔の思い出を慈しむように目を細めている。
やがて、記憶の糸を少しずつたぐりつつ、静かな廊下に響かぬよう、ぼそぼそと語り出した。
何十年前の冬だったか。俺がガキの頃のことだ。
少し離れた街へ薪を売りに行って、森の奥の小屋へ戻る帰り道だった。
――真っ白な雪の森に、血の跡が点々と散っている。
不審に思ってそれを追っていくと、一つの大樹の根元に、銀色の獣が伏していた。腹をかばうようにうつぶせに倒れている。
いや――それは見間違いで、そいつは獣ではなかった。真昼の光にキラキラと反射する、雪よりも煌々とした銀糸をもつ生き物が、まさか俺と同じヴィータだとは思われなかったが、それは四つ足の獣ではなく、確かに二本の手、二本の足を持っていた。
「……お、おい、あんた、大丈夫か!?」
しばし目を奪われていたが、よく見ると、大変な怪我をしていることに間違いはない。パックリ開いた傷からまだ血がしみ出している。生命力が強いのかまだ脈はあるようだが、このまま放置しておけば、翌朝には生きてはいないだろう。
ともかく、自分よりもいくぶん重たいそいつを背負った。
かたわらには、おそらくそいつの持ち物なのだろう、大きな槍斧が落ちている。森に棲む熊か猪とでも遭遇したのか、派手に血にまみれている。
持って行こうか、とも考えたが、怪我人を連れて一刻も早く家に戻るべきだろう。仕方なく置いていくことにした。
「……よっと。これでいいか……」
灯した暖炉の火はあたたかいが、依然としてそいつに熱は戻らないままだった。
木こりの父さんがこのあいだ腕を怪我した時のことを思い出しながら、薬草を塗って最低限の治療はした。だいぶ容態は安定したようだから、医者を呼びに行くのは明日にでもしようと思いつつ、あらためてそいつを観察する。
(それにしても、不思議なやつだなあ……)
性別は男。ひげはなく見た目は若い。二十代後半か、三十代。外套の下にある身体は引き締まってよく鍛えられているが、父さんみたいな肉体労働者というよりはよく鍛錬した兵士のようだ。ただ、大小さまざまな古傷がある。
血の気のない顔はひどく白く、意識はないのに痛みに耐えているのか、眉間のしわがすごいことになっている。それさえなければ女の人みたいだなあ、と思うぐらい、整った顔をしていた。
このあたりではあまり見ない、変わった服装をしている。分厚い外套や、それについているエンブレムやら、仕立ての良いブーツを見るかぎり、とても上等な身分の方のように思われたが、そういうお貴族サマは、こんな雪の中を一人で出かけるものなのか疑問だった。
鷹狩りや何かで、仲間とはぐれて獣に襲われたとか。仮説を立ててみるも、目の前のそいつは何も応えない。
素性が知れない。俺はいったい『何』を助けてしまったのか恐ろしかったが、あのまま見捨てておけるはずもなく、これでよかったのだ、と思うことにした。
「なあ、あんた、なんて呼べばいいのかな」
名前や住所がわかるような持ち物はなく、どこへ連絡すればいいかもわからず途方に暮れる。どことなく、むかし飼っていた白いフクロウのことを思い出す。怪我をしているところを拾ったが、結局野生には戻せないまま、鳥かごの中で死んでしまった。
俺は部屋の窓枠に掛けたままの、からっぽの鳥かごを見やる。白樺の枝で編んだそれは、今はもう死んでしまった母親の作ったものだった。
夜になり、吹雪は激しさを増している。
父さんが戻ってきた。「よう、ただいま」ごとり、と斧が床に落ちる音がした。
「アイゴ、そそ、その方はいったい……」眠っている銀色の見知らぬ男を警戒してか、声が震えている。
「ああ、街から帰る途中に助けたんだ。まだ意識は戻らないけど……」
「け、結婚してくれっ――!!」
「おいおいおいおい父さん!? この人、男だよ!」
「な、なんだそうか……あまりに美しいから眠り姫かと……」
「母さんがいなくなって淋しいのはわかるけどさ、暴走しすぎだろ」
もぞ、と布団が動く。今の馬鹿でかい声で意識が戻ったのか、銀色の彼は不機嫌そうに目を覚ます。
「チッ…… なんだテメェらは……」
地を這うようなめちゃくちゃ低い声だった。俺も父さんも凍りついて、暖かいはずの家の中に吹雪が吹き荒れているように感じた。
「俺はウァプラ。××領を治めている」貴族には違いないらしいが、どこだそこは。当惑する俺と父さんにかまわずつらつらとしゃべる。「まあそれはオマエらには関係ない。もう一つの仕事が俺の本当の仕事だ。ヴァイガルド中の幻獣を退治して回っている」
「雪原でめっちゃ行き倒れてましたけど……」
「チッ……不覚を取っただけだ、次はこうはいかん。……おい、俺の武器はどこだ」
運べなかったから森に放置してきた、と正直に話すと、ものすごい舌打ちをされた。睨みつけてくる碧色の視線は冷え冷えとして、身を竦ませる。
そして腹の傷もかまわず立ち上がろうとするので慌てて止めた。
「いやいや、無理だって! 死んじまうよ」
「クソッ…… じゃあ今から取ってきやがれ」
「いや、今外に出るのは危険だ。せめて明日、吹雪が止んでから探しに行かせてくれ」
まったく、お貴族サマってのはみんなこうなのか。そして妙に口が悪すぎるのもなんなんだ。大変なものを拾ってしまったなあ、と後悔しながら、その日は疲れきって眠りに落ちた。
翌日、医者を街から呼んでくるも、深い傷を昨日受けたばかりにしては治りが早い、と不思議そうに言われる。
「じゃあ森に生えてたこの薬草がよっぽど身体によかったってことなのかな?」
「たしかに、俺が事故で腕を切り落としそうになったときも綺麗に繋がったしな」
葉っぱの裏が白い特徴的な植物だから、珍しく思って持って帰って、試してみたら傷の治りが早いことに気づいたのはつい最近のことだ。昔から生えている植物ではない。
何もしていないのに自然と傷が塞がった痕があったので、痛み止めを処方してもらい、縫うことはしなかった。医者が帰ったあと、黙り込んでいたウァプラが口を開く。
「この薬草の効能……。それはおそらく森のフォトンのおかげだな。この植物は特にフォトンを吸い上げて集める力が強いらしい。俺も初めて見る植物だ」
「ふぉとん?」
「ヴィータどもには、大地の恵みと呼んだ方がわかりやすいか? 今の医者もこのことは知らん様子だったが、ということは……」
ウァプラは考え込む様子を見せる。俺は何かよくない予感がして、「俺、もう一度ウァプラの武器を探してくる!」と家を飛び出した。
昨晩の雪ですっかり覆いつくされてしまったのか、いくら見渡してもあの特徴的な武器は見つからなかった。これ以上森の奥まで進もうかどうしようか、と思った瞬間、獣の唸り声が聞こえてくる。
這い出してきたのは狼の頭に人間のような身体をした化け物だった。それも五体。それぞれが鋭い武器をかまえ、突進してくる。――避けられない、と思った瞬間、一陣の風が舞う。何が起きたのかわからなかったが、ウァプラが俺をかばうように立っていた。手には父さんのごつい斧を持っていて、両手用の斧を片手で軽々と振り回し、あっという間に屠ってしまった。
「フン、いかにもメギドラルのバカどもが考えそうなことだ。原始的な手段だな」
「ウァプラ! 傷が開くんじゃ……」
「このくらいものの数にも入らん。俺は脆いヴィータどもとは違うからな」
顔をしかめているからおそらく痩せ我慢だろうが、平気だと言われれば俺には何も言えない。ウァプラに従って森の奥まで進んでいく。
「なあ、さっきの獣頭の怪物はなんなんだ?」
「あれは幻獣といってメギドラルから送られてきた刺客だ。知能はねえが、徒党を組みやがる」
「ええと、じゃあウァプラはあいつらと戦って怪我をしたのか?」
「正確にはあの群れのリーダーとだ。……静かにしろ。襲われても次は助けんぞ」
怪我をして、使い慣れた武器も失くした状態で、それじゃあ勝算があるとは言えないのではないか? なぜ今わざわざ危険な森に挑むのか、といぶかしく思っていたら、その答えは目の前にあった。森の最深部、俺が薬草を初めて見つけたところだ。そこにいたのは、先ほどの医者だった。持っている籠に葉っぱをちぎって入れるのに夢中になっている。
咆哮と地響きが響く。医者が驚いて尻もちをつくと、木々の間から三つの頭をもつ巨大な獣が現れた。
「効能の高い薬草があれば、金目当てのヴィータが群がる。そこをああして幻獣に襲わせて、より多くのフォトンを回収する……という目論見だろう。キサマも運が悪けりゃ、とっくにエサになってただろうよ」
「何を冷静に解説してるんだよ! 助けなくていいのか!?」
「フン、植物を踏みにじるヴィータなど知らん」
嘘だ。もしどうでもいいなら追いかけずに放っておくはずだ。ウァプラは言葉とは裏腹に、強欲な医者まで助けようとしている。それも不利な戦いとわかった上で。
「こっちだ、幻獣!」
医者に襲いかかろうとした化け物の後ろをつき、斧を振るう。牙を受け止めて一時後退する。三つの首を相手取っている間、俺は腰を抜かした医者を引っ張って、戦いの邪魔にならないよう距離を取った。
「アイゴ! ウァプラの旦那っ! 無事か!?」父さんの声だ。急に出て行った俺たちを心配して追いかけてきたのだ。手にはあの槍斧を抱えている。
「すまん、旦那! 受け取ってくれ、あんたの武器だ。それからこの薬草も!」
「――ありがたい。行くぞ!」
父さんは化け物に石をぶつけ、注意をひく。
ウァプラが薬草を口にした瞬間、込められたフォトンが、彼の力を何倍にも増幅させる。風が吹いた、と思えば、もうすでに全部終わっていた。
まばたきをした次の瞬間には、怪物の三つ首はすべて、すっぱり綺麗に切り落とされていた。
結局、そのあともウァプラは春まで俺の家にとどまり、動植物の調査を隅から隅まで終えて、膨大なメモを抱えて帰って行った。
帰り際に、「宿代だ、受け取れ」と何か放り投げてよこす。彼の目と同じ色の宝石が嵌った、高そうな指輪だった。
槍斧が光り輝き、新緑のマントをはためかせて去っていくその姿はとても格好良く映った。多くは語らず、やるべきことをやって、人々を守ろうとする姿に俺は感銘を受けて、辺境を出て王都に向かった。
「――この槍斧も、まあ、元から木こりの仕事で斧が手に慣れてたってのもあるが。あの彼の真似事みたいなものだな。あんなに格好良くはなれねぇってのに。クソウゼェ……」
「隊長、思ってたんですけど、その口癖はやめた方がいいですよ」本当は優しい人なのに、勘違いされそうだ。
「ばーか、こういうのは、わかるやつだけわかればいいんだよ」
そういうものなのか。俺にはわからない。わかることがあるとすれば、隊長はきっとそのウァプラとかいう男にとても憧れているのだろう、ということだけだ。そういう尊敬できる相手と出会えることはきっと、めったにない幸運に違いない。
そんな隊長は遠くを見ながら、不思議そうにつぶやいた。
「――ああ、しかし、昼の式典の時に見たんだがな。銀髪で碧い目をした――えらく目つきの悪い貴族がいたが、あれはいったい誰だったんだろうな?」
誕生一ヶ月のお祝いと、新たな王女の各国の首脳らへのお披露目の儀を終えたが、まだ俺たち近衛兵の仕事は終わっていない。厳重に守られた王女の部屋に通じる廊下にて、寝ずの番の当直の日だった。
――あくびをかみ殺しながら、まわりを見回す。異常なし。
華麗な大きな扉も、ここを職場に働くあいだにずいぶん慣れてしまった。働き始めた当初は細工の緻密さ、荘厳な雰囲気に圧倒されていたが、今は『ああ、開けるのが大変なとこですね』ぐらいの印象だ。
シバの女王、つまり歴代の王家の血となにやらすごいらしい指輪を受け継ぐ女性は、『ハルマ』という、いわゆる人知を越えた力をもつ存在と契約し、その力をもって有事の際の抑止力となり、この世界を統治している……つまり直接攻め込んでくる無法者はそうそういない。
平和なのはいいことだが、あまりに静かすぎて動きがないのは兵士としてはつらい。
隣に座るアイゴ隊長は、昼間から働き通しだというのに疲れた様子もみじんもなく、眉間の皺を片時もゆるめない仏頂面で、岩のように姿勢をキープしている。
隊長は経験豊富なベテランで、口は悪いが、仕事ぶりは誰よりも熱心だ。上からも下からも信頼が厚く、無理な命令も黙ってこなす姿が多くの兵士たちからの憧れだった。手に携えた槍斧も手入れが行き届いているのだろう、ぴかぴかに磨き上げられて淡く光っていた。
「眠いのか」
「い、いえそのようなことは」図星だ。「隊長はすごいですね」
「このくらいは平気だ。お前は新入りだったな」
「はっ、来月で丸一年になります」
「そうか」
気まずい。会話が続かないため、かねてから気になっていた話題を振ってみることにした。自分のことを語っているのはあまり見たことがないから、興味があったのだ。
「隊長はどうして近衛兵になったんですか? 辺境の出身だと聞きましたが」
「どうして、か」
隊長は、少し驚いたような顔をして、「クソウゼェよ……」という言葉とは裏腹に懐かしそうに笑った。遠い昔の思い出を慈しむように目を細めている。
やがて、記憶の糸を少しずつたぐりつつ、静かな廊下に響かぬよう、ぼそぼそと語り出した。
何十年前の冬だったか。俺がガキの頃のことだ。
少し離れた街へ薪を売りに行って、森の奥の小屋へ戻る帰り道だった。
――真っ白な雪の森に、血の跡が点々と散っている。
不審に思ってそれを追っていくと、一つの大樹の根元に、銀色の獣が伏していた。腹をかばうようにうつぶせに倒れている。
いや――それは見間違いで、そいつは獣ではなかった。真昼の光にキラキラと反射する、雪よりも煌々とした銀糸をもつ生き物が、まさか俺と同じヴィータだとは思われなかったが、それは四つ足の獣ではなく、確かに二本の手、二本の足を持っていた。
「……お、おい、あんた、大丈夫か!?」
しばし目を奪われていたが、よく見ると、大変な怪我をしていることに間違いはない。パックリ開いた傷からまだ血がしみ出している。生命力が強いのかまだ脈はあるようだが、このまま放置しておけば、翌朝には生きてはいないだろう。
ともかく、自分よりもいくぶん重たいそいつを背負った。
かたわらには、おそらくそいつの持ち物なのだろう、大きな槍斧が落ちている。森に棲む熊か猪とでも遭遇したのか、派手に血にまみれている。
持って行こうか、とも考えたが、怪我人を連れて一刻も早く家に戻るべきだろう。仕方なく置いていくことにした。
「……よっと。これでいいか……」
灯した暖炉の火はあたたかいが、依然としてそいつに熱は戻らないままだった。
木こりの父さんがこのあいだ腕を怪我した時のことを思い出しながら、薬草を塗って最低限の治療はした。だいぶ容態は安定したようだから、医者を呼びに行くのは明日にでもしようと思いつつ、あらためてそいつを観察する。
(それにしても、不思議なやつだなあ……)
性別は男。ひげはなく見た目は若い。二十代後半か、三十代。外套の下にある身体は引き締まってよく鍛えられているが、父さんみたいな肉体労働者というよりはよく鍛錬した兵士のようだ。ただ、大小さまざまな古傷がある。
血の気のない顔はひどく白く、意識はないのに痛みに耐えているのか、眉間のしわがすごいことになっている。それさえなければ女の人みたいだなあ、と思うぐらい、整った顔をしていた。
このあたりではあまり見ない、変わった服装をしている。分厚い外套や、それについているエンブレムやら、仕立ての良いブーツを見るかぎり、とても上等な身分の方のように思われたが、そういうお貴族サマは、こんな雪の中を一人で出かけるものなのか疑問だった。
鷹狩りや何かで、仲間とはぐれて獣に襲われたとか。仮説を立ててみるも、目の前のそいつは何も応えない。
素性が知れない。俺はいったい『何』を助けてしまったのか恐ろしかったが、あのまま見捨てておけるはずもなく、これでよかったのだ、と思うことにした。
「なあ、あんた、なんて呼べばいいのかな」
名前や住所がわかるような持ち物はなく、どこへ連絡すればいいかもわからず途方に暮れる。どことなく、むかし飼っていた白いフクロウのことを思い出す。怪我をしているところを拾ったが、結局野生には戻せないまま、鳥かごの中で死んでしまった。
俺は部屋の窓枠に掛けたままの、からっぽの鳥かごを見やる。白樺の枝で編んだそれは、今はもう死んでしまった母親の作ったものだった。
夜になり、吹雪は激しさを増している。
父さんが戻ってきた。「よう、ただいま」ごとり、と斧が床に落ちる音がした。
「アイゴ、そそ、その方はいったい……」眠っている銀色の見知らぬ男を警戒してか、声が震えている。
「ああ、街から帰る途中に助けたんだ。まだ意識は戻らないけど……」
「け、結婚してくれっ――!!」
「おいおいおいおい父さん!? この人、男だよ!」
「な、なんだそうか……あまりに美しいから眠り姫かと……」
「母さんがいなくなって淋しいのはわかるけどさ、暴走しすぎだろ」
もぞ、と布団が動く。今の馬鹿でかい声で意識が戻ったのか、銀色の彼は不機嫌そうに目を覚ます。
「チッ…… なんだテメェらは……」
地を這うようなめちゃくちゃ低い声だった。俺も父さんも凍りついて、暖かいはずの家の中に吹雪が吹き荒れているように感じた。
「俺はウァプラ。××領を治めている」貴族には違いないらしいが、どこだそこは。当惑する俺と父さんにかまわずつらつらとしゃべる。「まあそれはオマエらには関係ない。もう一つの仕事が俺の本当の仕事だ。ヴァイガルド中の幻獣を退治して回っている」
「雪原でめっちゃ行き倒れてましたけど……」
「チッ……不覚を取っただけだ、次はこうはいかん。……おい、俺の武器はどこだ」
運べなかったから森に放置してきた、と正直に話すと、ものすごい舌打ちをされた。睨みつけてくる碧色の視線は冷え冷えとして、身を竦ませる。
そして腹の傷もかまわず立ち上がろうとするので慌てて止めた。
「いやいや、無理だって! 死んじまうよ」
「クソッ…… じゃあ今から取ってきやがれ」
「いや、今外に出るのは危険だ。せめて明日、吹雪が止んでから探しに行かせてくれ」
まったく、お貴族サマってのはみんなこうなのか。そして妙に口が悪すぎるのもなんなんだ。大変なものを拾ってしまったなあ、と後悔しながら、その日は疲れきって眠りに落ちた。
翌日、医者を街から呼んでくるも、深い傷を昨日受けたばかりにしては治りが早い、と不思議そうに言われる。
「じゃあ森に生えてたこの薬草がよっぽど身体によかったってことなのかな?」
「たしかに、俺が事故で腕を切り落としそうになったときも綺麗に繋がったしな」
葉っぱの裏が白い特徴的な植物だから、珍しく思って持って帰って、試してみたら傷の治りが早いことに気づいたのはつい最近のことだ。昔から生えている植物ではない。
何もしていないのに自然と傷が塞がった痕があったので、痛み止めを処方してもらい、縫うことはしなかった。医者が帰ったあと、黙り込んでいたウァプラが口を開く。
「この薬草の効能……。それはおそらく森のフォトンのおかげだな。この植物は特にフォトンを吸い上げて集める力が強いらしい。俺も初めて見る植物だ」
「ふぉとん?」
「ヴィータどもには、大地の恵みと呼んだ方がわかりやすいか? 今の医者もこのことは知らん様子だったが、ということは……」
ウァプラは考え込む様子を見せる。俺は何かよくない予感がして、「俺、もう一度ウァプラの武器を探してくる!」と家を飛び出した。
昨晩の雪ですっかり覆いつくされてしまったのか、いくら見渡してもあの特徴的な武器は見つからなかった。これ以上森の奥まで進もうかどうしようか、と思った瞬間、獣の唸り声が聞こえてくる。
這い出してきたのは狼の頭に人間のような身体をした化け物だった。それも五体。それぞれが鋭い武器をかまえ、突進してくる。――避けられない、と思った瞬間、一陣の風が舞う。何が起きたのかわからなかったが、ウァプラが俺をかばうように立っていた。手には父さんのごつい斧を持っていて、両手用の斧を片手で軽々と振り回し、あっという間に屠ってしまった。
「フン、いかにもメギドラルのバカどもが考えそうなことだ。原始的な手段だな」
「ウァプラ! 傷が開くんじゃ……」
「このくらいものの数にも入らん。俺は脆いヴィータどもとは違うからな」
顔をしかめているからおそらく痩せ我慢だろうが、平気だと言われれば俺には何も言えない。ウァプラに従って森の奥まで進んでいく。
「なあ、さっきの獣頭の怪物はなんなんだ?」
「あれは幻獣といってメギドラルから送られてきた刺客だ。知能はねえが、徒党を組みやがる」
「ええと、じゃあウァプラはあいつらと戦って怪我をしたのか?」
「正確にはあの群れのリーダーとだ。……静かにしろ。襲われても次は助けんぞ」
怪我をして、使い慣れた武器も失くした状態で、それじゃあ勝算があるとは言えないのではないか? なぜ今わざわざ危険な森に挑むのか、といぶかしく思っていたら、その答えは目の前にあった。森の最深部、俺が薬草を初めて見つけたところだ。そこにいたのは、先ほどの医者だった。持っている籠に葉っぱをちぎって入れるのに夢中になっている。
咆哮と地響きが響く。医者が驚いて尻もちをつくと、木々の間から三つの頭をもつ巨大な獣が現れた。
「効能の高い薬草があれば、金目当てのヴィータが群がる。そこをああして幻獣に襲わせて、より多くのフォトンを回収する……という目論見だろう。キサマも運が悪けりゃ、とっくにエサになってただろうよ」
「何を冷静に解説してるんだよ! 助けなくていいのか!?」
「フン、植物を踏みにじるヴィータなど知らん」
嘘だ。もしどうでもいいなら追いかけずに放っておくはずだ。ウァプラは言葉とは裏腹に、強欲な医者まで助けようとしている。それも不利な戦いとわかった上で。
「こっちだ、幻獣!」
医者に襲いかかろうとした化け物の後ろをつき、斧を振るう。牙を受け止めて一時後退する。三つの首を相手取っている間、俺は腰を抜かした医者を引っ張って、戦いの邪魔にならないよう距離を取った。
「アイゴ! ウァプラの旦那っ! 無事か!?」父さんの声だ。急に出て行った俺たちを心配して追いかけてきたのだ。手にはあの槍斧を抱えている。
「すまん、旦那! 受け取ってくれ、あんたの武器だ。それからこの薬草も!」
「――ありがたい。行くぞ!」
父さんは化け物に石をぶつけ、注意をひく。
ウァプラが薬草を口にした瞬間、込められたフォトンが、彼の力を何倍にも増幅させる。風が吹いた、と思えば、もうすでに全部終わっていた。
まばたきをした次の瞬間には、怪物の三つ首はすべて、すっぱり綺麗に切り落とされていた。
結局、そのあともウァプラは春まで俺の家にとどまり、動植物の調査を隅から隅まで終えて、膨大なメモを抱えて帰って行った。
帰り際に、「宿代だ、受け取れ」と何か放り投げてよこす。彼の目と同じ色の宝石が嵌った、高そうな指輪だった。
槍斧が光り輝き、新緑のマントをはためかせて去っていくその姿はとても格好良く映った。多くは語らず、やるべきことをやって、人々を守ろうとする姿に俺は感銘を受けて、辺境を出て王都に向かった。
「――この槍斧も、まあ、元から木こりの仕事で斧が手に慣れてたってのもあるが。あの彼の真似事みたいなものだな。あんなに格好良くはなれねぇってのに。クソウゼェ……」
「隊長、思ってたんですけど、その口癖はやめた方がいいですよ」本当は優しい人なのに、勘違いされそうだ。
「ばーか、こういうのは、わかるやつだけわかればいいんだよ」
そういうものなのか。俺にはわからない。わかることがあるとすれば、隊長はきっとそのウァプラとかいう男にとても憧れているのだろう、ということだけだ。そういう尊敬できる相手と出会えることはきっと、めったにない幸運に違いない。
そんな隊長は遠くを見ながら、不思議そうにつぶやいた。
「――ああ、しかし、昼の式典の時に見たんだがな。銀髪で碧い目をした――えらく目つきの悪い貴族がいたが、あれはいったい誰だったんだろうな?」
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