なまえをいれてね
氷の島と柘榴の実
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「思い出さない方が幸せなこともあるんだよ、ざくろ」
アイスくんは悲しい目をしてわたしに言い聞かせる。「目覚めてくれただけでよかった」と、口癖のように言う。確かにそれは嘘じゃないけれど、本心を全て言っているわけではないことはわかった。
シェルターの冷凍睡眠から目覚めたわたしには、過去の記憶のほとんどがなくなっていた。覚えているのは基本的なものごとの知識、アイスくんが大事な人だったということ、わたしがアイスくんを大好きだということ、そして7124年前の、彼がわたしの田舎に来た夏の出来事だけ。
記憶のないわたしを慰めるためなのか、はたまた彼自身のためなのか――彼はわたしの失われた記憶のことを、思い出さない方が幸せなこと、と思わせようとしていた。
(気持ちはわかるけれど)
でもそれは本当に本当のことなのだろうか。もし思い出さない方が幸せなら、そんなに悲しい目をして惜しむ必要なんてないはずなのに。手に入らないからあれは不幸な記憶だったんだ、なんて思おうとするのは、まるで酸っぱい葡萄の話みたいだ。
7000年近くが経ってもなおわたしが彼を今でも大好きでいられるのは、その失われた記憶が本当はとても甘い葡萄で、わたしがまだその味を覚えているからじゃないのか。
「……じゃあ、僕は出てくるから。大人しくしてて」
「うん! いってらっしゃい」
大人しくしててとは言われたけど、記憶を探しちゃ駄目とは言われていないし、問題はないだろう。そう思って、アイスくんに内緒でこっそりとシェルターの中を探索している。外の世界では、着々と新しい国の建設が続いていた。アイスくんはその指揮を執りに出ているから、帰ってくるまでがチャンスだ。
『ホッドミーミルの森』は思ったよりもずっと広く、広場を中心に、わたしが長いこと寝かされていた冷凍睡眠室、温水を使った農場、何やら物々しいコンピュータの並ぶ部屋、医療センター、農場に温室の果樹園……さまざまな文明的な設備が備えられ、数は少ないながらもいずれの部屋にも人々の姿が見られた。
アイスくんは7000年ものあいだ完全に一人ぼっちだったわけではなく、国民とともに生きてきたのだとわかってほっとする。太陽の光も届かない穴の中で、話す人もいないなんて考えただけで気が狂いそうになるだろうから、本当によかった。
わたしがずっとそばにいて支えてあげられたらもっとよかったのだけれど、それができなかった理由も闇の中だ。
「……ここかしら」
最後に、かなりの広さがある蔵書室のような部屋を見つけた。ここに違いない! きっとアイスくんのことだから孤独を紛らわそうと日々のことを文字に残すし、その中にはわたしに関わる何らかの記述も残っているはずだ。(こんな直感を持てるのもわたしの中に記憶のかけらが残っている証拠じゃないかしら?)
よし、一つ一つ見ていこう。
で、喜び勇んで本の一冊を引き抜いた、その途端のこと。
「……うわっ!??」
本棚にパンパンに詰め込まれていた重たい本がわたしの頭上めがけて落ちてきて、思わず頭をかばう。間に合わずに本の角が当たり景気のいい音が鳴る。続けて、どさどさとたくさんの本が雪崩のように襲ってきた。埃っぽいにおいが辺りに立ち込める。
わたしはしりもちをついて、しばらくぼうっとしていた。星が頭の中でちかちか回って、意識を失いそうになる。そのままぼんやり座っていると、なぜかある冬の日の光景が浮かんできた。
「わ、晴れたね」
前日は大雪だったが今日は快晴で、澄み渡る空気が気持ちいい。束の間の太陽の光に照らされて雪が真っ白に輝いて眩しく、美しかった。雪がほとんど降らない地方で今まで暮らしてきたからこんな風に一面に積もるのを見ると胸が高鳴る。
ちょうどこの機会に買い物に行かないと億劫になるだろうと思って、家を出た。
戻ってくると、近所の人とアイスくんが協力して大きなシャベルで屋根の雪をどけていた。その様子を何とはなしに見ていると、いつのまにか頭上に雪の固まりが――
「……危ないっ!!」
真っ白な視界で「今行くから!!」と、駆け寄ってくるアイスくんの声だけが聞こえ、突然落ちてきた屋根の雪が直撃してきたのだと遅れて理解する。雪から掘り出してもらったかと思えば、急に強い力で抱きしめられたから息が止まりそうになった。
「骨とか折れてない!? ごめんね……! 僕、きみに何かあったらと思うと……」
「だ、大丈夫だよ、大げさだなぁ……」
「もう!! 雪かきで潰されて死ぬこともあるんだからね! 痛くない? 病院行かなきゃ……!」
「だから大丈夫だって……」
むしろアイスくんに締め付けられている今の方が痛い。
幸いそこまで重い固まりではなかったから怪我もないし、それより買い物かばんを押しつぶしたからせっかく買った卵が駄目になってしまったことの方が――と言うとさらに怒られて、ぎゅうぎゅうに抱きしめられながら雪かきの危険性について説教を受け、冬を舐めていたことを反省させられた。よっぽど心配したのか、アイスくんはしばらく放してくれなかった。
「もう、ばか」
「ごめん……」
「これからは雪かきはざくろが家にいるときしかしないからね」
「え、手伝うのに」
「それだけはやめて」
割れていませんように。そう祈ったおかげか一つだけ残った卵を割ると、黄身が二つ。全部アイスにあげようと思ったけど、「別に怒ってるわけじゃない」と言ってくれたから、目玉焼きにして半分ずつ分けて食べた。
「この卵、双子だったのかな」
「無精卵だから、双子も何もないよ」
「そっかぁ……おいしいから別にいっか」
そんな、どうということもない思い出だったけれど。とある冬の日のありふれた光景が、今のわたしには遠くひどく輝いて見えた。
それを皮切りに、頭の中でいろんな嬉しい思い出も悲しい思い出も、洪水のように溢れて止まらなくなった。百年の記憶が一気にフラッシュバックしてきて、思わずぎゅっと目を瞑る。
バレンタインの夢の甘い苦いキスのこと。今思い出しても、顔が赤くなる。
付き合いがばれないようにと気を揉んだ日々のこと。細い電話線だけを頼りに会話を重ねた日々。
アイスくんに絡む女の子にやきもちを妬いて、一人で泣いた夜のこと。心に黒い針が刺すたび彼のことが大好きで仕方ないのだとわかってたまらなかった。
アイスくんが結婚の申し込みにきたときのこと。両親の呆れたような見守るような苦笑いの顔。
その両親も老いて「孫の顔が見たかった」という言葉を残し旅立ってしまったときのこと。
そしてもちろん、わたしが冷凍睡眠に入らなければならなくなった日のことも。そうしなければならなかった理由は確かに『不幸』で、苦い思い出ではあったけれど、他の輝く思い出を一緒くたにして氷漬けにしているなんて間違ってる!
ずっと忘れられない大切な思い出の箱の蓋が開いて、涙が止まらない。これほどまでにあらゆる喜びを一身に受け続けてきたのに、思い出さない方が幸せだなんて思うわけがなかった。もちろん苦しいこともたくさんあったけれど、歩んできた道に後悔などしていない。
酸っぱい葡萄なんかじゃなくて、この世で一番甘い愛情の詰まった果実が、わたしの記憶……
「……ざくろ! 大人しくしててって言ったでしょ……!?」
蔵書室の異常を知り、駆けつけてきたアイスくんの大きな腕に抱きしめられた。「ああ、森に置いておかないでそばにいてあげればよかった」 あの時と同じように、わたしに何かあったらすぐ走ってきて助けてくれる。嗚咽が止まらなくなって、しゃくりあげながらも「ぜんぶ、思い出したよ」と告げる。アイスくんの肩に涙が落ちた。
「わたし、こんなにたくさんの思い出を忘れてたなんて」
「……思い出したって? 本当に!?」
甘い果実を分け合ったひとが、こんなに喜んでくれている。ほら、やっぱり思い出さない方が幸せだなんて嘘だったんじゃない。
「よかった…… ざくろ……」
「ん、アイスくん……苦しいよ」
きつく抱きしめられているのが苦しくて、力を緩めてもらう。息をつき、アイスくんの顔を見るとわたしと同じように涙でぐしゃぐしゃだった。
その顔がおかしくて、思わず笑おうとしたときだった。
(――うっ!?)
喉からせり上がってくるものを感じて必死で抑え込んだ。アイスくんが心配そうにわたしの肩を掴む。「ざくろ、大丈夫?」
「……あんまり……」
「病院、行こう。何かあったら大変だから」
背中をゆっくりとさすってもらうと少し楽になった。脳が一気に記憶を思い出したからだろうかとも思ったけれど、わたしの直感はそれは違うと告げている。 全身の内臓がぞわぞわして、春が来て桜が今にも咲くかというときみたいにむず痒い。
……苦しいけれど、この感覚は、もしかしたら。
(……こども? まさか……)
今までわたしと彼との間に子供ができなかったのは何だったんだ、というのは置いておこう。わたしだって今のただならない状態がよく分かっていない。
――今まで、この世にあるあらゆる喜びのうちで唯一わたしが知らなかったものがある。もし今、それがわたしに与えられているのだとしたら、アイスくんはどんな顔をするだろう。新しい国がわたしの内に宿って胎動している、と言ったら。本当にそんなことがあるのだとしたら、どんなに嬉しいだろう。
「……双子かもしれない、なんて」
生まれてこなかった二つの黄身のことを思い返しながら、そうつぶやいた。アイスくんが不思議そうにどういう意味か尋ねてくる。あの冬の日のことを果たして彼は覚えているだろうか? 「なんでもないよ」と笑って彼の手を取る。身体中が気だるいながらも、心は浮き立って仕方がなかった。
双子のきみ。お医者さまのところに行ったら、きっとそう遠くないうちに分かるはずだ。
アイスくんは悲しい目をしてわたしに言い聞かせる。「目覚めてくれただけでよかった」と、口癖のように言う。確かにそれは嘘じゃないけれど、本心を全て言っているわけではないことはわかった。
シェルターの冷凍睡眠から目覚めたわたしには、過去の記憶のほとんどがなくなっていた。覚えているのは基本的なものごとの知識、アイスくんが大事な人だったということ、わたしがアイスくんを大好きだということ、そして7124年前の、彼がわたしの田舎に来た夏の出来事だけ。
記憶のないわたしを慰めるためなのか、はたまた彼自身のためなのか――彼はわたしの失われた記憶のことを、思い出さない方が幸せなこと、と思わせようとしていた。
(気持ちはわかるけれど)
でもそれは本当に本当のことなのだろうか。もし思い出さない方が幸せなら、そんなに悲しい目をして惜しむ必要なんてないはずなのに。手に入らないからあれは不幸な記憶だったんだ、なんて思おうとするのは、まるで酸っぱい葡萄の話みたいだ。
7000年近くが経ってもなおわたしが彼を今でも大好きでいられるのは、その失われた記憶が本当はとても甘い葡萄で、わたしがまだその味を覚えているからじゃないのか。
「……じゃあ、僕は出てくるから。大人しくしてて」
「うん! いってらっしゃい」
大人しくしててとは言われたけど、記憶を探しちゃ駄目とは言われていないし、問題はないだろう。そう思って、アイスくんに内緒でこっそりとシェルターの中を探索している。外の世界では、着々と新しい国の建設が続いていた。アイスくんはその指揮を執りに出ているから、帰ってくるまでがチャンスだ。
『ホッドミーミルの森』は思ったよりもずっと広く、広場を中心に、わたしが長いこと寝かされていた冷凍睡眠室、温水を使った農場、何やら物々しいコンピュータの並ぶ部屋、医療センター、農場に温室の果樹園……さまざまな文明的な設備が備えられ、数は少ないながらもいずれの部屋にも人々の姿が見られた。
アイスくんは7000年ものあいだ完全に一人ぼっちだったわけではなく、国民とともに生きてきたのだとわかってほっとする。太陽の光も届かない穴の中で、話す人もいないなんて考えただけで気が狂いそうになるだろうから、本当によかった。
わたしがずっとそばにいて支えてあげられたらもっとよかったのだけれど、それができなかった理由も闇の中だ。
「……ここかしら」
最後に、かなりの広さがある蔵書室のような部屋を見つけた。ここに違いない! きっとアイスくんのことだから孤独を紛らわそうと日々のことを文字に残すし、その中にはわたしに関わる何らかの記述も残っているはずだ。(こんな直感を持てるのもわたしの中に記憶のかけらが残っている証拠じゃないかしら?)
よし、一つ一つ見ていこう。
で、喜び勇んで本の一冊を引き抜いた、その途端のこと。
「……うわっ!??」
本棚にパンパンに詰め込まれていた重たい本がわたしの頭上めがけて落ちてきて、思わず頭をかばう。間に合わずに本の角が当たり景気のいい音が鳴る。続けて、どさどさとたくさんの本が雪崩のように襲ってきた。埃っぽいにおいが辺りに立ち込める。
わたしはしりもちをついて、しばらくぼうっとしていた。星が頭の中でちかちか回って、意識を失いそうになる。そのままぼんやり座っていると、なぜかある冬の日の光景が浮かんできた。
「わ、晴れたね」
前日は大雪だったが今日は快晴で、澄み渡る空気が気持ちいい。束の間の太陽の光に照らされて雪が真っ白に輝いて眩しく、美しかった。雪がほとんど降らない地方で今まで暮らしてきたからこんな風に一面に積もるのを見ると胸が高鳴る。
ちょうどこの機会に買い物に行かないと億劫になるだろうと思って、家を出た。
戻ってくると、近所の人とアイスくんが協力して大きなシャベルで屋根の雪をどけていた。その様子を何とはなしに見ていると、いつのまにか頭上に雪の固まりが――
「……危ないっ!!」
真っ白な視界で「今行くから!!」と、駆け寄ってくるアイスくんの声だけが聞こえ、突然落ちてきた屋根の雪が直撃してきたのだと遅れて理解する。雪から掘り出してもらったかと思えば、急に強い力で抱きしめられたから息が止まりそうになった。
「骨とか折れてない!? ごめんね……! 僕、きみに何かあったらと思うと……」
「だ、大丈夫だよ、大げさだなぁ……」
「もう!! 雪かきで潰されて死ぬこともあるんだからね! 痛くない? 病院行かなきゃ……!」
「だから大丈夫だって……」
むしろアイスくんに締め付けられている今の方が痛い。
幸いそこまで重い固まりではなかったから怪我もないし、それより買い物かばんを押しつぶしたからせっかく買った卵が駄目になってしまったことの方が――と言うとさらに怒られて、ぎゅうぎゅうに抱きしめられながら雪かきの危険性について説教を受け、冬を舐めていたことを反省させられた。よっぽど心配したのか、アイスくんはしばらく放してくれなかった。
「もう、ばか」
「ごめん……」
「これからは雪かきはざくろが家にいるときしかしないからね」
「え、手伝うのに」
「それだけはやめて」
割れていませんように。そう祈ったおかげか一つだけ残った卵を割ると、黄身が二つ。全部アイスにあげようと思ったけど、「別に怒ってるわけじゃない」と言ってくれたから、目玉焼きにして半分ずつ分けて食べた。
「この卵、双子だったのかな」
「無精卵だから、双子も何もないよ」
「そっかぁ……おいしいから別にいっか」
そんな、どうということもない思い出だったけれど。とある冬の日のありふれた光景が、今のわたしには遠くひどく輝いて見えた。
それを皮切りに、頭の中でいろんな嬉しい思い出も悲しい思い出も、洪水のように溢れて止まらなくなった。百年の記憶が一気にフラッシュバックしてきて、思わずぎゅっと目を瞑る。
バレンタインの夢の甘い苦いキスのこと。今思い出しても、顔が赤くなる。
付き合いがばれないようにと気を揉んだ日々のこと。細い電話線だけを頼りに会話を重ねた日々。
アイスくんに絡む女の子にやきもちを妬いて、一人で泣いた夜のこと。心に黒い針が刺すたび彼のことが大好きで仕方ないのだとわかってたまらなかった。
アイスくんが結婚の申し込みにきたときのこと。両親の呆れたような見守るような苦笑いの顔。
その両親も老いて「孫の顔が見たかった」という言葉を残し旅立ってしまったときのこと。
そしてもちろん、わたしが冷凍睡眠に入らなければならなくなった日のことも。そうしなければならなかった理由は確かに『不幸』で、苦い思い出ではあったけれど、他の輝く思い出を一緒くたにして氷漬けにしているなんて間違ってる!
ずっと忘れられない大切な思い出の箱の蓋が開いて、涙が止まらない。これほどまでにあらゆる喜びを一身に受け続けてきたのに、思い出さない方が幸せだなんて思うわけがなかった。もちろん苦しいこともたくさんあったけれど、歩んできた道に後悔などしていない。
酸っぱい葡萄なんかじゃなくて、この世で一番甘い愛情の詰まった果実が、わたしの記憶……
「……ざくろ! 大人しくしててって言ったでしょ……!?」
蔵書室の異常を知り、駆けつけてきたアイスくんの大きな腕に抱きしめられた。「ああ、森に置いておかないでそばにいてあげればよかった」 あの時と同じように、わたしに何かあったらすぐ走ってきて助けてくれる。嗚咽が止まらなくなって、しゃくりあげながらも「ぜんぶ、思い出したよ」と告げる。アイスくんの肩に涙が落ちた。
「わたし、こんなにたくさんの思い出を忘れてたなんて」
「……思い出したって? 本当に!?」
甘い果実を分け合ったひとが、こんなに喜んでくれている。ほら、やっぱり思い出さない方が幸せだなんて嘘だったんじゃない。
「よかった…… ざくろ……」
「ん、アイスくん……苦しいよ」
きつく抱きしめられているのが苦しくて、力を緩めてもらう。息をつき、アイスくんの顔を見るとわたしと同じように涙でぐしゃぐしゃだった。
その顔がおかしくて、思わず笑おうとしたときだった。
(――うっ!?)
喉からせり上がってくるものを感じて必死で抑え込んだ。アイスくんが心配そうにわたしの肩を掴む。「ざくろ、大丈夫?」
「……あんまり……」
「病院、行こう。何かあったら大変だから」
背中をゆっくりとさすってもらうと少し楽になった。脳が一気に記憶を思い出したからだろうかとも思ったけれど、わたしの直感はそれは違うと告げている。 全身の内臓がぞわぞわして、春が来て桜が今にも咲くかというときみたいにむず痒い。
……苦しいけれど、この感覚は、もしかしたら。
(……こども? まさか……)
今までわたしと彼との間に子供ができなかったのは何だったんだ、というのは置いておこう。わたしだって今のただならない状態がよく分かっていない。
――今まで、この世にあるあらゆる喜びのうちで唯一わたしが知らなかったものがある。もし今、それがわたしに与えられているのだとしたら、アイスくんはどんな顔をするだろう。新しい国がわたしの内に宿って胎動している、と言ったら。本当にそんなことがあるのだとしたら、どんなに嬉しいだろう。
「……双子かもしれない、なんて」
生まれてこなかった二つの黄身のことを思い返しながら、そうつぶやいた。アイスくんが不思議そうにどういう意味か尋ねてくる。あの冬の日のことを果たして彼は覚えているだろうか? 「なんでもないよ」と笑って彼の手を取る。身体中が気だるいながらも、心は浮き立って仕方がなかった。
双子のきみ。お医者さまのところに行ったら、きっとそう遠くないうちに分かるはずだ。
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