なまえをいれてね
氷の島と柘榴の実
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「好きです、付き合ってください」急に、フィンが妙なことを言い出した。
「は? 意味分かんないんだけど」
「……って、アイスくんに伝えて、と女の子が言ってましたよ。さっき」
教室移動をしている中、フィンがこっそりと僕に耳打ちをした。隣を歩くノーレに聞こえたら面倒だから、僕も声を潜める。「本当に? 誰?」
「あー……アジアクラスの……忘れちゃいました」
「忘れないでよ」
「だってアジアの子って見分けがつきづらいんですもん……」
メッセンジャーにフィンを選んだのは、北欧の中で一番人当たりがよくて話しかけやすいからだろうけど、案外大雑把なところがあるからやめといた方がよかったはずだ。スヴィーはあの通り話しかけづらいし、ノーレやダンだと保護者ぶって、僕にうまく伝えてくれないどころか情報を歪めて教えてくれる可能性すらあるから、仕方ないと言えば仕方ないけれど。
「別に彼女が欲しいわけじゃないから、いいんだけど」
クリスマスは例年のように北欧部のメンバーと過ごすつもりだし、一人暮らしに淋しさも感じていない。自分のことを考えている時間と意識のうちいくらかでも、誰か異質なものに割くことはまだ考えられなかった。もっと率直に言えば面倒だというのもある。よくドラマで見る恋愛のごたごたなんてまっぴらだ。
だいたい、直接言いに来る勇気もない女の子に好意を返してあげる必要もないだろうから、無視していても問題はない。少なくとも僕の運命の相手じゃない。
――運命の相手だって。そう思ってしまってから、自嘲する。「運命なんてばかげてるよね」
「そうですか?」 フィンがいたずらっぽく笑って、教科書で口元を隠す。
「そうだよ。運命なんて」僕はなんとなく恥ずかしくて、視線から逃れるようにうつむいてしまう。「あるわけない」
運命があるとすれば、人は生まれて死ぬというそれだけだ。運命の女神の鋏がもたらすのは素敵な恋人ではなくて、人間にとって避けられない死だけ。それだけのはずだ。
フィンは意味ありげな表情で、「アイスくん、きっといつか出会えますよ」と笑った。
次の倫理学の授業は退屈で、席が一番後ろなのをいいことに話を聞き流す。開け放たれた窓からさわやかな風が感じられた。暖かな日差しが窓際の席を照らして、僕は満たされた気分になる。
何の話をしているのか、ドイツの小説家の言ったとかいう「愛されることは幸福ではなく、愛することこそ幸福だ」――という言葉が、それだけが耳に残った。
そんな相手に出会える日が本当に来るって、フィンは言ったけど、僕にはまだよくわからない。
(でも、想像するくらいは別に悪くないかな)
ルーズリーフを折って、紙飛行機を作る。窓から飛ばすと、まるで意思を持った白い伝書鳩が誰かに届けようとするかのように、風に乗って驚くほど遠くまで飛んでいった。
……それから数日後。
「この窓の向こうに、あなたは何を見ているの?」
不機嫌そうな顔の女子生徒が、僕にそう訊いた。ええと、名前はなんだったか。アジアクラスの女子で、フィンを介して僕に告白してきたけど完全にすっぽかされた例の彼女だ。
窓の外にはいつもの光景が広がっていた。黄色く染まったイチョウの木がざわりざわりと音を立てて、その向こうにグラウンドが広がり、そのさらに奥にはこれまたイチョウの林に隔てられてなだらかな坂道が続いていた。
「きみには見えないだろうね」とだけ答えて、まだ何か言いたげな女子生徒を無視してまた窓の外を見る作業に戻る。ちょっと前の僕にも見えていなかったから、彼女に見えなくても仕方のないことだ。
「あ、」
たぶん運命としか言いようがないものが世の中にはあって、引き寄せられるように出会ってしまったのだと思う。あの子と初めて会ったのは、夏真っ盛りの頃だった。
僕の生まれ故郷の地と違ってこの学園がある場所の夏は、大変に暑い。下校している途中で気分が悪くなって、イチョウの木にもたれかかるように座り込んでいた。
「……どうしたの?」
逆光で姿はあまり確認できないけど、誰かが僕に声をかけ、駆け寄ってくる影が見えた。
「大丈夫? 氷とか水、持ってくるね」
心配する声はどこか懐かしい感じがして、会ったこともない母親を感じさせる。たっぷりの氷とスポーツドリンクを買ってきてくれて、その子はすぐに戻ってきた。
「おおげさだよ……熱中症ってほどじゃないし」
「ううん、油断しちゃだめだよ! 家の人とかに連絡して、迎えに来てもらおう?」
「……そうしとく」
ノーレに電話をかけて場所を教え、迎えに来てほしい旨を伝えた。ちょっと気分が悪くなって、と言うと露骨に心配し始めてうざったかったので、通話を切る。
木陰でノーレが来るのを待つ間に、気になっていたことを切り出した。
「……どこかで、会ったことなかった?」
「うーん……? はじめましてだと思うけど」
「まあ、そうだよね」
「だけど」その子は微笑んで、僕の頭を撫でる。指先と手の平で慈しむような感触には確かに覚えがあった。「ここではないどこかで、会ってるのかもしれないね」
「前世?」
「別の世界とか」
「……意味わかんない」
そうだったらいいなとか、一瞬、本気で思った。実際は、菊と似たアジア系の顔立ちをしているから会ったことがあるように感じるだけかもしれないけど。
長い髪をポニーテールにして、まだ幼さの残った顔をしたその子は、とても綺麗だと思った。こんなこと思うなんて、と自分がよく分からなくなる。熱で頭が暴走でもしているのか。
そういえば、と思い出したように、その子は話し始める。
「前に、ここで紙飛行機を拾ったよ」
「ここで?」 紙飛行機にも覚えがあった。
「ドイツ語が書いてあった」
「『愛されることは幸福ではなく、愛することこそ幸福だ』って?」
「そうそう、そんな感じの」
それ僕が書いたやつじゃないか。「意味はよく分からなかったけど、綺麗な字だなと思った」なんて言われたら、身体がむずがゆくなる。……嬉しい。
「わたし、ざくろっていうの。貴方は?」
「……アイス」
ざくろという名前。どこかで聞いたことがあるはずなのに思い出せない。ざくろの方も、同じように感じてくれていたらいいなんて、馬鹿みたいなことを思った。
「アイスくん」と、そう呼ばれるとなぜか胸が跳ねる。氷で冷やされているはずなのに、熱っぽさはおさまらない。
「……アイス!」
遠くでノーレが自転車を止めてこっちに来るのが見えた。
ここでお別れかと思うと名残惜しくて仕方がなくて、また会いたい、と思った。電話番号を急いでメモして渡そうかと思ったけど、書くものがない。
「ここのイチョウの木の下で、また」
「……うん、また」
耳に囁いて、後ろ髪を引かれる思いでそのまま別れた。
それで、今でも誰かに見つからないようにイチョウの木の陰に隠れて会うのを続けている。ざくろの通う女子高も不純異性交遊(なんて古い言葉だ!)を禁じているので、大っぴらには会えないし電話もなかなかかけられない。制限されればされるほど、胸の炎が強くなっていくのを感じていた。
「葉っぱが全部落ちたらどうしようか、アイスくん」
「文通しようよ、また紙飛行機飛ばすから」
「あはは、それもいいかもね」
イチョウが風に乗せて花粉を運ぶような風まかせの恋だけど、そういうのも悪くないんじゃないかと思う。
運命の糸のまきついたイチョウの木が、窓の外に見える。
今日も会えたらいいな、と思って、授業のチャイムをぼんやり聞いていた。
「は? 意味分かんないんだけど」
「……って、アイスくんに伝えて、と女の子が言ってましたよ。さっき」
教室移動をしている中、フィンがこっそりと僕に耳打ちをした。隣を歩くノーレに聞こえたら面倒だから、僕も声を潜める。「本当に? 誰?」
「あー……アジアクラスの……忘れちゃいました」
「忘れないでよ」
「だってアジアの子って見分けがつきづらいんですもん……」
メッセンジャーにフィンを選んだのは、北欧の中で一番人当たりがよくて話しかけやすいからだろうけど、案外大雑把なところがあるからやめといた方がよかったはずだ。スヴィーはあの通り話しかけづらいし、ノーレやダンだと保護者ぶって、僕にうまく伝えてくれないどころか情報を歪めて教えてくれる可能性すらあるから、仕方ないと言えば仕方ないけれど。
「別に彼女が欲しいわけじゃないから、いいんだけど」
クリスマスは例年のように北欧部のメンバーと過ごすつもりだし、一人暮らしに淋しさも感じていない。自分のことを考えている時間と意識のうちいくらかでも、誰か異質なものに割くことはまだ考えられなかった。もっと率直に言えば面倒だというのもある。よくドラマで見る恋愛のごたごたなんてまっぴらだ。
だいたい、直接言いに来る勇気もない女の子に好意を返してあげる必要もないだろうから、無視していても問題はない。少なくとも僕の運命の相手じゃない。
――運命の相手だって。そう思ってしまってから、自嘲する。「運命なんてばかげてるよね」
「そうですか?」 フィンがいたずらっぽく笑って、教科書で口元を隠す。
「そうだよ。運命なんて」僕はなんとなく恥ずかしくて、視線から逃れるようにうつむいてしまう。「あるわけない」
運命があるとすれば、人は生まれて死ぬというそれだけだ。運命の女神の鋏がもたらすのは素敵な恋人ではなくて、人間にとって避けられない死だけ。それだけのはずだ。
フィンは意味ありげな表情で、「アイスくん、きっといつか出会えますよ」と笑った。
次の倫理学の授業は退屈で、席が一番後ろなのをいいことに話を聞き流す。開け放たれた窓からさわやかな風が感じられた。暖かな日差しが窓際の席を照らして、僕は満たされた気分になる。
何の話をしているのか、ドイツの小説家の言ったとかいう「愛されることは幸福ではなく、愛することこそ幸福だ」――という言葉が、それだけが耳に残った。
そんな相手に出会える日が本当に来るって、フィンは言ったけど、僕にはまだよくわからない。
(でも、想像するくらいは別に悪くないかな)
ルーズリーフを折って、紙飛行機を作る。窓から飛ばすと、まるで意思を持った白い伝書鳩が誰かに届けようとするかのように、風に乗って驚くほど遠くまで飛んでいった。
……それから数日後。
「この窓の向こうに、あなたは何を見ているの?」
不機嫌そうな顔の女子生徒が、僕にそう訊いた。ええと、名前はなんだったか。アジアクラスの女子で、フィンを介して僕に告白してきたけど完全にすっぽかされた例の彼女だ。
窓の外にはいつもの光景が広がっていた。黄色く染まったイチョウの木がざわりざわりと音を立てて、その向こうにグラウンドが広がり、そのさらに奥にはこれまたイチョウの林に隔てられてなだらかな坂道が続いていた。
「きみには見えないだろうね」とだけ答えて、まだ何か言いたげな女子生徒を無視してまた窓の外を見る作業に戻る。ちょっと前の僕にも見えていなかったから、彼女に見えなくても仕方のないことだ。
「あ、」
たぶん運命としか言いようがないものが世の中にはあって、引き寄せられるように出会ってしまったのだと思う。あの子と初めて会ったのは、夏真っ盛りの頃だった。
僕の生まれ故郷の地と違ってこの学園がある場所の夏は、大変に暑い。下校している途中で気分が悪くなって、イチョウの木にもたれかかるように座り込んでいた。
「……どうしたの?」
逆光で姿はあまり確認できないけど、誰かが僕に声をかけ、駆け寄ってくる影が見えた。
「大丈夫? 氷とか水、持ってくるね」
心配する声はどこか懐かしい感じがして、会ったこともない母親を感じさせる。たっぷりの氷とスポーツドリンクを買ってきてくれて、その子はすぐに戻ってきた。
「おおげさだよ……熱中症ってほどじゃないし」
「ううん、油断しちゃだめだよ! 家の人とかに連絡して、迎えに来てもらおう?」
「……そうしとく」
ノーレに電話をかけて場所を教え、迎えに来てほしい旨を伝えた。ちょっと気分が悪くなって、と言うと露骨に心配し始めてうざったかったので、通話を切る。
木陰でノーレが来るのを待つ間に、気になっていたことを切り出した。
「……どこかで、会ったことなかった?」
「うーん……? はじめましてだと思うけど」
「まあ、そうだよね」
「だけど」その子は微笑んで、僕の頭を撫でる。指先と手の平で慈しむような感触には確かに覚えがあった。「ここではないどこかで、会ってるのかもしれないね」
「前世?」
「別の世界とか」
「……意味わかんない」
そうだったらいいなとか、一瞬、本気で思った。実際は、菊と似たアジア系の顔立ちをしているから会ったことがあるように感じるだけかもしれないけど。
長い髪をポニーテールにして、まだ幼さの残った顔をしたその子は、とても綺麗だと思った。こんなこと思うなんて、と自分がよく分からなくなる。熱で頭が暴走でもしているのか。
そういえば、と思い出したように、その子は話し始める。
「前に、ここで紙飛行機を拾ったよ」
「ここで?」 紙飛行機にも覚えがあった。
「ドイツ語が書いてあった」
「『愛されることは幸福ではなく、愛することこそ幸福だ』って?」
「そうそう、そんな感じの」
それ僕が書いたやつじゃないか。「意味はよく分からなかったけど、綺麗な字だなと思った」なんて言われたら、身体がむずがゆくなる。……嬉しい。
「わたし、ざくろっていうの。貴方は?」
「……アイス」
ざくろという名前。どこかで聞いたことがあるはずなのに思い出せない。ざくろの方も、同じように感じてくれていたらいいなんて、馬鹿みたいなことを思った。
「アイスくん」と、そう呼ばれるとなぜか胸が跳ねる。氷で冷やされているはずなのに、熱っぽさはおさまらない。
「……アイス!」
遠くでノーレが自転車を止めてこっちに来るのが見えた。
ここでお別れかと思うと名残惜しくて仕方がなくて、また会いたい、と思った。電話番号を急いでメモして渡そうかと思ったけど、書くものがない。
「ここのイチョウの木の下で、また」
「……うん、また」
耳に囁いて、後ろ髪を引かれる思いでそのまま別れた。
それで、今でも誰かに見つからないようにイチョウの木の陰に隠れて会うのを続けている。ざくろの通う女子高も不純異性交遊(なんて古い言葉だ!)を禁じているので、大っぴらには会えないし電話もなかなかかけられない。制限されればされるほど、胸の炎が強くなっていくのを感じていた。
「葉っぱが全部落ちたらどうしようか、アイスくん」
「文通しようよ、また紙飛行機飛ばすから」
「あはは、それもいいかもね」
イチョウが風に乗せて花粉を運ぶような風まかせの恋だけど、そういうのも悪くないんじゃないかと思う。
運命の糸のまきついたイチョウの木が、窓の外に見える。
今日も会えたらいいな、と思って、授業のチャイムをぼんやり聞いていた。