なまえをいれてね
氷の島と柘榴の実
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こんな状況に立つのは生まれて初めてだ。
足が痺れた。呼吸が苦しい。額には汗がにじみ、心臓はサイレンみたいにうるさく高鳴っている。極度の緊張で今にも倒れてしまいそうだった。
僕は先程から不調を訴え続ける身体の声を無視し続け、畳に正座し鷹のように鋭い視線を受けている。
(痛い……)
なぜ僕はこんなにも人間と同じ身体を持って生まれてきてしまったのだろう。雪の女王のような、決して溶けない氷でできた完全に違う存在であればいっそよかったのかもしれない。そうであれば、こんなに苦しむことも、そもそも人間を愛することもなかっただろう。
なぜ僕は――人間には決してなれないのに――人間と同じ身体を持ち、そして人間の真似事をしようとしているのか。
――決まっている。それはざくろのためにそうすべきだと思ったからだ。そのためなら、このくらいの痛みには耐えなければならない。
『国』と人間が結婚しようだなんて、前代未聞だろうけど。
話は一ヶ月ほど前に遡る。「お見合いの相手、選んでおいたから」という実家からの電話が、ざくろに届いた。僕たちが交際していることは彼女の両親にはずっと隠し続けてきたから、両親も愛娘に結婚相手がいるのか心配になって余計なお世話を焼いたというところだろう。
ざくろにとっても僕にとってもこの知らせは青天の霹靂で、お互いにどうしようかと大いに悩み、この家に来る前に何度も話し合った。
人並みの結婚をする方が幸せなのか。それとも、全て捨てて僕の元へ来る方がいいのか。もし僕の元に来るとして、両親と関係を保つことは本当に不可能なのか。
年末の忙しい時期ではあったが僕は休暇を取って、上司に背を押されて日本へ発ち、ざくろに直接に会いに来た。そしてまた、何度も議論を重ねる。
明け方の淡い光が窓から差し込む中で、ざくろの意思は決まったみたいだった。
「……国と人の間に子供はできない。それでもいいの?」
「いいよ。二人でずっと一緒にいようね」
「アーサーの奴から聞いた話だけど、人間が国と長いこと一緒にいると狂うこともあるってさ。時間の感覚が」
「それでもいい」
「……きみが狂ってしまったらって思うと、僕は怖い」
「アイスくんに忘れ去られてしまうことと比べたら、狂うことなんて大したことじゃないよ」
僕の本心は、たとえ狂ったとしても彼女に一緒にいてほしいと渇望していた。
ざくろはもちろんそんなことはお見通しなんだ。結局、僕もざくろも、お互いを諦めることは到底できなかった。
「……離れたくない」
愛おしさが押し寄せてきてざくろの身体を引き寄せると、ほんのりと温かい。僕の背になめらかな手が寄り添い、お互いがお互いを抱きしめると、重なりあった肌と肌に熱が通い循環しているのを感じる。人間と同じ身体を持っていることの喜びを、彼女と出会ってから知った。国と人とは絶対的に違う存在ではあっても、こうして抱き合っている時だけはそれを忘れることができる。
ぴったりと形の合わさる二枚の貝殻の組み合わせは、もとから対になるものしかないように、今更ざくろが他の誰かと沿うなどとは考えられなかった。だけど、その組み合わせがなぜ僕と彼女だと分かるのか、明確な根拠も目に見えるしるしもない。抱擁を解いたら不安が吹き込んでくるかもしれない、と恐れてざくろを抱く腕に力を込める。
「ざくろ、なぜ僕を愛したの」
「アイスくんこそ。……でもたぶん同じ理由だと思う」
ざくろは僕の頬にキスをして、「出会っちゃったんだから、仕方ないよ」と耳をくすぐるような声で笑った。
僕と同じ理由だ。出会ってしまったのだから、愛するほかはなかった。
目に見えなくても、きっとそういう繋がりってあるんだよ、とざくろは言った。
彼女が言うには両親に認められようが認められまいが、たとえ絶縁されようとも僕のもとへ来るつもり――らしいけれど、僕は許可が取れるなら取っておいた方がいいと思った。だからこうして慣れない正座に耐えて、机を挟んで彼女の父親に向かい合って直談判に来ているのだ。父親は僕を睥睨して、ずいぶん若い相手がいたもんだ、と訝しんでいる様子が見て取れる。たぶん、僕の外見年齢は多めに見積もっても成人しているようには見えないし、頼りなく見えているに違いない。
隣にはざくろが座っている。彼女もまた緊張と不安の入り混じった表情をしていた。
「単刀直入に言います。……お嬢さんを僕の国にください」
トロールよりも頑強に見える父親に対して、はっきりと告げた。
何年もの交際を経て、僕たち二人の間にはたしかな絆があること。僕の国……アイスランドは日本に劣らないほど治安がいいこと。何より彼女を養っていくだけの稼ぎがあることなど、並べ立て説得を試みる。
「お父さん、お願い。結婚を認めてほしいの」
彼女の父親は腕組みをして目を閉じたまま、頷くこともせず何か思案しているようだった。
顔に刻まれた深い皺をまじまじと見つめながら、息をつめて言葉を待つ。
(考えてきた説得材料は、うまく言えたはずだけれど)
「……まずは名乗りなさい、どこの誰とも知れぬ者に娘はやれん」
「あ」
「あ……」
僕とざくろは顔を見合わせる。二人して、重大なことを忘れていた。
国には――というか僕には――人間のような名前がないということ! スヴィーやフィンのように、国の上司から貰った名前でもあればよかったのだけれど、僕にはそれもない。
(ど、どうしよう!?)
(いいから何か適当な名前、出して!)
ざくろからの目配せを受けて瞬時に思考を巡らせる。とにかく何か答えなくては。
「えっと……エイリーク。エイリーク・シグルズソン」
適当に思いついた名前と建国の父の名前を組み合わせたものが思わず口から出たけれど、これでよかったのだろうか。
僕の答えに、彼女の父親が目を開く。透徹した、こちらの思惑をすべて見透かすような真っ黒な目に、思わず気圧されそうになる。
「エイリークくん、二人だけで話をしようか。きみの気概を知りたい」
お前はお母さんのところへ行っていなさい、と彼はざくろを隣の部屋へやり、畳の間には男二人だけが残される。いっそう張り詰めた空気に、全身の産毛が逆立ちそうになった。
「きみは木花咲耶姫と磐長姫の神話を知っているかな」
聞いたことはない、と素直に答える。なぜいきなり神話などを持ち出してくるのか、意図がよくわからなくて混乱する。
――その昔、ニニギノミコトは木花咲耶姫と磐長姫の二人を嫁に貰ったが、彼は醜い磐長姫を嫌って実家に返してしまった。しかし木花咲耶姫は花の咲くような栄華を、磐長姫は岩のように長い命をもたらす神であったから、それ以降、ニニギノミコトやその子孫は短い栄華しか得られなくなった……要約すると、そういう内容だった。
「……なぜ、そんな話を?」
「きみは先程、『お嬢さんを僕の国にください』と言ったね。それで気づいたんだ」
確かにそう言った。え、何かまずいことを言ってしまっただろうか……。
「それを聞いて、きみはもしかしたら『人ならぬもの』なんじゃないかと思ったのだが」
「……!!」
「図星のようだね。私の直感もなかなか冴えている」
国民には僕が人間と違うことはなんとなく分かるというが、それとざくろ以外に初対面で見抜かれたのは初めてだった。たぶん、ざくろの勘の良さは父親譲りなのだろう。――人間ではないことを見抜かれたことで、この交渉が成功する見込みはもとからないようなものだがさらに低くなった。
「……確かに、名前を偽っていたことは確かです。エイリークではなく、僕は『アイスランド』……それが僕の名前」
「ではアイスランドくん。さっきの話は、きみが娘の美しさのみに惹かれて求婚しているのなら、渡せないということだよ」
「……何だって?」
「例えば娘が年老いて醜くなったら、磐長姫のように捨てて実家に送り返してしまう……などということも、考えられなくはないだろう? きみは老いないのだから」
捨てる? 僕が?
ざくろが老いて醜くなってしまったら、だって?
それを聞いて、胸の内で突如として沸騰するような怒りを感じた。もしかしたら、両親と縁を切ってでも、というざくろの決意に甘えることになってしまうかもしれないけれど――ここまで言われて何の反論もしないわけにはいかない。
「黙って聞いてればずいぶんなことを言ってくれるね。は、木花咲耶姫だって? 見せかけの美しさが何になるのさ」
「……ほう?」
だいたい、正座で我慢し続けていた痛みももう限界に達する頃だ。僕は立ち上がり、真っ向から頑固親父を睨み返す。
「僕はざくろと出会わなければ永遠に孤独の中だった。……ずっと捨てられて置いていかれるんじゃないかと思ってたのは僕の方だ! ざくろはその孤独から僕を救ってくれた…… 美しさによってじゃなく、魂によって」
「アイスランドくん……何を……」
「たとえ老いても、病気になり容貌が醜くなろうと魂は変わらない」
啖呵を切り、隣の部屋に通じる襖を開け放った。驚いた顔のざくろと母親の視線が、僕に集まる。
「アイスくん……!?」
「岩のように長い命も、花のように咲き誇る栄華も僕は要らない! むしろ僕が望むのはその二つをざくろに与えて一生不自由しないように暮らしてもらうことだよ……! 僕の全てを懸けて愛し尽くすって誓う!」
……言ってから、こんなに熱い感情に突き動かされたのは初めてだと気付く。だけど後悔はなかった。ざくろを見ると、真っ赤になった頬を押さえて目を潤ませている。思いは、通じただろうか。
突然のことにあっけに取られていた父親は、やがて大声で笑いだした。
「ふふ、はははっ!! なかなか情熱的な若者だな、母さん」
「……あなた、結婚をお認めになるの? 決定には従いますけど、人間ではない男と……」
「人間だろうとそうでなかろうと、こうまで言える男は、そうはいないよ」
父親のその言葉を聞いて、我慢しきれなくなったみたいにざくろは一直線に僕のところに走ってくる。
「……アイスくん!!」
「ざくろ……!」
飛びついてきた僕のお嫁さんを抱きとめた。雪の女王の冷たさも瞬時に溶け去るほどの熱量が、この小さな身体に宿っている。ざくろの燃えるような魂に触れてから、僕はどれだけ返しても返しきれないほどのものを貰ってきた。そのほとんどは目には見えないものだ。
愛してる、とつぶやいて髪を撫でると、花の咲くような笑顔と頬ずりが返ってくる。ほら、今だって、愛し返せばそれ以上に返しきれない愛が返ってくる。全部返し終わる日が来ることは、たぶんない。行ったり来たりのこの幸せはまるで穏やかな浅瀬の波に揺蕩っている感覚で、心地よくて目を閉じる。
――これから何が起こっても、ずっとこの手は離さないでいよう。
「やれやれ、愛する二人を引き離すことはできんな」
「……そうね、あなた」
彼女の両親が苦笑い混じりのため息をついているのを遠くで聞きながら、もう少しだけこのまま、二人で歓喜の海に浸っていた。
(僕達、結婚します)
足が痺れた。呼吸が苦しい。額には汗がにじみ、心臓はサイレンみたいにうるさく高鳴っている。極度の緊張で今にも倒れてしまいそうだった。
僕は先程から不調を訴え続ける身体の声を無視し続け、畳に正座し鷹のように鋭い視線を受けている。
(痛い……)
なぜ僕はこんなにも人間と同じ身体を持って生まれてきてしまったのだろう。雪の女王のような、決して溶けない氷でできた完全に違う存在であればいっそよかったのかもしれない。そうであれば、こんなに苦しむことも、そもそも人間を愛することもなかっただろう。
なぜ僕は――人間には決してなれないのに――人間と同じ身体を持ち、そして人間の真似事をしようとしているのか。
――決まっている。それはざくろのためにそうすべきだと思ったからだ。そのためなら、このくらいの痛みには耐えなければならない。
『国』と人間が結婚しようだなんて、前代未聞だろうけど。
話は一ヶ月ほど前に遡る。「お見合いの相手、選んでおいたから」という実家からの電話が、ざくろに届いた。僕たちが交際していることは彼女の両親にはずっと隠し続けてきたから、両親も愛娘に結婚相手がいるのか心配になって余計なお世話を焼いたというところだろう。
ざくろにとっても僕にとってもこの知らせは青天の霹靂で、お互いにどうしようかと大いに悩み、この家に来る前に何度も話し合った。
人並みの結婚をする方が幸せなのか。それとも、全て捨てて僕の元へ来る方がいいのか。もし僕の元に来るとして、両親と関係を保つことは本当に不可能なのか。
年末の忙しい時期ではあったが僕は休暇を取って、上司に背を押されて日本へ発ち、ざくろに直接に会いに来た。そしてまた、何度も議論を重ねる。
明け方の淡い光が窓から差し込む中で、ざくろの意思は決まったみたいだった。
「……国と人の間に子供はできない。それでもいいの?」
「いいよ。二人でずっと一緒にいようね」
「アーサーの奴から聞いた話だけど、人間が国と長いこと一緒にいると狂うこともあるってさ。時間の感覚が」
「それでもいい」
「……きみが狂ってしまったらって思うと、僕は怖い」
「アイスくんに忘れ去られてしまうことと比べたら、狂うことなんて大したことじゃないよ」
僕の本心は、たとえ狂ったとしても彼女に一緒にいてほしいと渇望していた。
ざくろはもちろんそんなことはお見通しなんだ。結局、僕もざくろも、お互いを諦めることは到底できなかった。
「……離れたくない」
愛おしさが押し寄せてきてざくろの身体を引き寄せると、ほんのりと温かい。僕の背になめらかな手が寄り添い、お互いがお互いを抱きしめると、重なりあった肌と肌に熱が通い循環しているのを感じる。人間と同じ身体を持っていることの喜びを、彼女と出会ってから知った。国と人とは絶対的に違う存在ではあっても、こうして抱き合っている時だけはそれを忘れることができる。
ぴったりと形の合わさる二枚の貝殻の組み合わせは、もとから対になるものしかないように、今更ざくろが他の誰かと沿うなどとは考えられなかった。だけど、その組み合わせがなぜ僕と彼女だと分かるのか、明確な根拠も目に見えるしるしもない。抱擁を解いたら不安が吹き込んでくるかもしれない、と恐れてざくろを抱く腕に力を込める。
「ざくろ、なぜ僕を愛したの」
「アイスくんこそ。……でもたぶん同じ理由だと思う」
ざくろは僕の頬にキスをして、「出会っちゃったんだから、仕方ないよ」と耳をくすぐるような声で笑った。
僕と同じ理由だ。出会ってしまったのだから、愛するほかはなかった。
目に見えなくても、きっとそういう繋がりってあるんだよ、とざくろは言った。
彼女が言うには両親に認められようが認められまいが、たとえ絶縁されようとも僕のもとへ来るつもり――らしいけれど、僕は許可が取れるなら取っておいた方がいいと思った。だからこうして慣れない正座に耐えて、机を挟んで彼女の父親に向かい合って直談判に来ているのだ。父親は僕を睥睨して、ずいぶん若い相手がいたもんだ、と訝しんでいる様子が見て取れる。たぶん、僕の外見年齢は多めに見積もっても成人しているようには見えないし、頼りなく見えているに違いない。
隣にはざくろが座っている。彼女もまた緊張と不安の入り混じった表情をしていた。
「単刀直入に言います。……お嬢さんを僕の国にください」
トロールよりも頑強に見える父親に対して、はっきりと告げた。
何年もの交際を経て、僕たち二人の間にはたしかな絆があること。僕の国……アイスランドは日本に劣らないほど治安がいいこと。何より彼女を養っていくだけの稼ぎがあることなど、並べ立て説得を試みる。
「お父さん、お願い。結婚を認めてほしいの」
彼女の父親は腕組みをして目を閉じたまま、頷くこともせず何か思案しているようだった。
顔に刻まれた深い皺をまじまじと見つめながら、息をつめて言葉を待つ。
(考えてきた説得材料は、うまく言えたはずだけれど)
「……まずは名乗りなさい、どこの誰とも知れぬ者に娘はやれん」
「あ」
「あ……」
僕とざくろは顔を見合わせる。二人して、重大なことを忘れていた。
国には――というか僕には――人間のような名前がないということ! スヴィーやフィンのように、国の上司から貰った名前でもあればよかったのだけれど、僕にはそれもない。
(ど、どうしよう!?)
(いいから何か適当な名前、出して!)
ざくろからの目配せを受けて瞬時に思考を巡らせる。とにかく何か答えなくては。
「えっと……エイリーク。エイリーク・シグルズソン」
適当に思いついた名前と建国の父の名前を組み合わせたものが思わず口から出たけれど、これでよかったのだろうか。
僕の答えに、彼女の父親が目を開く。透徹した、こちらの思惑をすべて見透かすような真っ黒な目に、思わず気圧されそうになる。
「エイリークくん、二人だけで話をしようか。きみの気概を知りたい」
お前はお母さんのところへ行っていなさい、と彼はざくろを隣の部屋へやり、畳の間には男二人だけが残される。いっそう張り詰めた空気に、全身の産毛が逆立ちそうになった。
「きみは木花咲耶姫と磐長姫の神話を知っているかな」
聞いたことはない、と素直に答える。なぜいきなり神話などを持ち出してくるのか、意図がよくわからなくて混乱する。
――その昔、ニニギノミコトは木花咲耶姫と磐長姫の二人を嫁に貰ったが、彼は醜い磐長姫を嫌って実家に返してしまった。しかし木花咲耶姫は花の咲くような栄華を、磐長姫は岩のように長い命をもたらす神であったから、それ以降、ニニギノミコトやその子孫は短い栄華しか得られなくなった……要約すると、そういう内容だった。
「……なぜ、そんな話を?」
「きみは先程、『お嬢さんを僕の国にください』と言ったね。それで気づいたんだ」
確かにそう言った。え、何かまずいことを言ってしまっただろうか……。
「それを聞いて、きみはもしかしたら『人ならぬもの』なんじゃないかと思ったのだが」
「……!!」
「図星のようだね。私の直感もなかなか冴えている」
国民には僕が人間と違うことはなんとなく分かるというが、それとざくろ以外に初対面で見抜かれたのは初めてだった。たぶん、ざくろの勘の良さは父親譲りなのだろう。――人間ではないことを見抜かれたことで、この交渉が成功する見込みはもとからないようなものだがさらに低くなった。
「……確かに、名前を偽っていたことは確かです。エイリークではなく、僕は『アイスランド』……それが僕の名前」
「ではアイスランドくん。さっきの話は、きみが娘の美しさのみに惹かれて求婚しているのなら、渡せないということだよ」
「……何だって?」
「例えば娘が年老いて醜くなったら、磐長姫のように捨てて実家に送り返してしまう……などということも、考えられなくはないだろう? きみは老いないのだから」
捨てる? 僕が?
ざくろが老いて醜くなってしまったら、だって?
それを聞いて、胸の内で突如として沸騰するような怒りを感じた。もしかしたら、両親と縁を切ってでも、というざくろの決意に甘えることになってしまうかもしれないけれど――ここまで言われて何の反論もしないわけにはいかない。
「黙って聞いてればずいぶんなことを言ってくれるね。は、木花咲耶姫だって? 見せかけの美しさが何になるのさ」
「……ほう?」
だいたい、正座で我慢し続けていた痛みももう限界に達する頃だ。僕は立ち上がり、真っ向から頑固親父を睨み返す。
「僕はざくろと出会わなければ永遠に孤独の中だった。……ずっと捨てられて置いていかれるんじゃないかと思ってたのは僕の方だ! ざくろはその孤独から僕を救ってくれた…… 美しさによってじゃなく、魂によって」
「アイスランドくん……何を……」
「たとえ老いても、病気になり容貌が醜くなろうと魂は変わらない」
啖呵を切り、隣の部屋に通じる襖を開け放った。驚いた顔のざくろと母親の視線が、僕に集まる。
「アイスくん……!?」
「岩のように長い命も、花のように咲き誇る栄華も僕は要らない! むしろ僕が望むのはその二つをざくろに与えて一生不自由しないように暮らしてもらうことだよ……! 僕の全てを懸けて愛し尽くすって誓う!」
……言ってから、こんなに熱い感情に突き動かされたのは初めてだと気付く。だけど後悔はなかった。ざくろを見ると、真っ赤になった頬を押さえて目を潤ませている。思いは、通じただろうか。
突然のことにあっけに取られていた父親は、やがて大声で笑いだした。
「ふふ、はははっ!! なかなか情熱的な若者だな、母さん」
「……あなた、結婚をお認めになるの? 決定には従いますけど、人間ではない男と……」
「人間だろうとそうでなかろうと、こうまで言える男は、そうはいないよ」
父親のその言葉を聞いて、我慢しきれなくなったみたいにざくろは一直線に僕のところに走ってくる。
「……アイスくん!!」
「ざくろ……!」
飛びついてきた僕のお嫁さんを抱きとめた。雪の女王の冷たさも瞬時に溶け去るほどの熱量が、この小さな身体に宿っている。ざくろの燃えるような魂に触れてから、僕はどれだけ返しても返しきれないほどのものを貰ってきた。そのほとんどは目には見えないものだ。
愛してる、とつぶやいて髪を撫でると、花の咲くような笑顔と頬ずりが返ってくる。ほら、今だって、愛し返せばそれ以上に返しきれない愛が返ってくる。全部返し終わる日が来ることは、たぶんない。行ったり来たりのこの幸せはまるで穏やかな浅瀬の波に揺蕩っている感覚で、心地よくて目を閉じる。
――これから何が起こっても、ずっとこの手は離さないでいよう。
「やれやれ、愛する二人を引き離すことはできんな」
「……そうね、あなた」
彼女の両親が苦笑い混じりのため息をついているのを遠くで聞きながら、もう少しだけこのまま、二人で歓喜の海に浸っていた。
(僕達、結婚します)