ラーゼ/フェリン
ラーゼ/フェリン
「あ」
「おー」
今日はオレと犬のオフが重なった日。服買いに行ったりカフェ行ったりすることもあるけど、今日は部屋でゴロゴロしながら動画見たりお菓子食べたりするだけの一日。ゲーム実況、美容チャンネル、踊ってみたと流していると、おすすめに上がっていたニュースチャンネルに目が移る。
「添! も、もしかしてこれ、海が光ってるのか?!」
「あー……そうですね……」
犬が目を輝かせているのは、夜の海でネオンのように青白く光る夜光虫が大量発生しているというご当地ニュースだった。
夜光虫は綺麗だが、一応寿司屋の息子としてはあまり有難くない存在。奴らのキレイな光ってのは海の富栄養化による赤潮とほぼニコイチみたいなもので、その海にいる魚等の発育にモロに影響が出る。虫と同等の大きさのエビ等の幼生は食い荒らされる時も多くて、漁業に携わる方々は気が気じゃないだろうね。
……なんてことを言ったところで犬が眉を下げるだけだ。今は別に眉下げた犬の顔見たい訳じゃないし、聞かれたら答えるくらいでいいかなーと目を輝かせているだろう犬の顔を覗き込むと、
「すごいな……、すごく、きれい……」
まるでどこか遠くを見てるみたいに心ここに在らずって感じで、目を細めてて。
――これを見たい。
そう言ってる訳じゃない。ただ、いつもみたいにすごいな! とかどんな風なんだ? と落ち着きなく大はしゃぎするでもなく、ただただ画面越しの夜の海を眺めて、綺麗だと呟くだけ。
――それが、ムカついた。
「意外と近いみたいだし、見に行きません? クルマ出しますよ」
ただの動画からその目をひっぺがしてやろうと思って、声をかけた。
「え! い、いいのか!?」
そしたらとりあえずいつもみたいに耳をピンと立ててしっぽ振ってはしゃいでる。
そう、それでいい。アンタなんか、そうやって能天気にピカピカキラキラうざったく光ってればいいんだから。
「もちろん。オレも見てみたいなーって思ってたんで、ぜひ」
犬が喜びそうな耳障りのいい適当な言葉を羅列してやりながら、オレは一緒に見ていた動画チャンネルを目の前でスワイプしてふっとばし、レンタルカーの予約を取り始めた。
◇
添が光ってる海に連れていってくれるらしい。なんで行きたいって分かったんだろう……そんなにオレ顔に出てるのか?!
でも夜の海ってちょっと怖い。まっくろで冷たく光ってて、オレが全部飲み込まれてしまいそうで。
「オレ 」の部分なんて「西園練牙」にない、あっちゃいけないはずなのに、きちんと怖い、って思えるのは……少しだけ、オレをホッとさせる。「西園練牙 」は夜の海なんて怖くないだろうけど、「オレ 」は怖がってもいいって、自分の中にあるナニカが、冷たい手でそうっと頭を撫でてくれる気がして。
もちろん、「西園練牙 」がキバの場所っていうのは変わらないけれど、したいことはしたい、ほしいものは欲しいって素直に思えるようになってきた。いつか全部返す時が来たとしても、うれしいも、かなしいも、こわいも、イヤも、たのしいも、オレが皆と一緒にいて感じたそれは、オレがいつかいなくなる時にもって帰るおみやげだ。それくらいなら、きっとキバも許してくれるよな?
だから。
「練牙さーん、早く行きましょうよ」
「ご、ごめん! 今行く!」
こうやって、添とクルマに乗って急に夜の海を見に行くのは、すごく嬉しい。
こうやってどんどん思い出増やして、心のカバンをぱんぱんにして。
――いつか、かえるんだ。
◇
車に載せてからも犬はどこかうわの空で、窓の外を飛ぶように流れていく遮音壁をぼうっと眺めてた。幾らこの世のもの全てに目を輝かせそうな犬でも数分続いている灰色時々緑な壁に光は見出さない。
「練牙さーん」
「……」
「練牙さん」
「んー……」
声をかけてもこれ。こんなに返事が上の空なのはできもしないクロスワードを解こうとしている時や台本の読み込みしてる時くらいだけど、それはなにかに真剣に、夢中になっているからであって、こんなにぼうっとしているのはやっぱりオカシイ。
仮に大鹿なら馬鹿犬は返事もできねえのか何とか言えるんだろうけど、オレは「イイヤツ」らしいのでそんなヒドいこと絶対言えない。
「練牙さーん、PA入ります?」
「うん……」
ちなみに返事があってもなくても入るつもりだった。オレは車線変更しながら続ける。
「練牙さん、オレお腹すいちゃった。奢ってくださいよー」
「ん……」
こうも暖簾に腕押しだと、逆にどこまで行けるか試してみたくなる。
「練牙さん、今日夜遅くなりそうですし泊まりません?」
「ん……」
「やったー。お風呂も一緒に入りましょーね」
「……ん」
「せっかくふたりっきりのオフだし、背中も流してあげますよ。夜は冷えるだろうし、二人っきりでじっくり、ゆっくり。芯まで温まって……」
「ん……うんっ?」
はい、ここでストップ。もうちょっとだったのに、なんて。
「え? え? おふろ……ふたり……??」
「はは、やっと気づいた。PA入るって言ったのに全然気づかないから」
「ゔ……ご、ごめん。連れてきて貰ってんのに」
「いえいえ大丈夫ですよ。ところで練牙さん、奢ってくれるって返事してましたよね?」
「ぁえ……??」
眉を下げて困惑顔。ほんと健康に良いなー。
「今日はお泊まりもしますもんねー」
「え? あっうん、泊まるのは全然……」
「一緒にお風呂入りましょうねー」
「?? おう? う、うん!」
本当に何も聞こえてなかったっぽい。まあでも、ちゃーんと言質は取ってるからね。
◇
「意外と泊まってるお客さま多いんだな」
「ニュースで取り上げられたのもあるかもしれませんねー。ダズルでも動画や写真がバズってたし」
選んだのは海が見えるビジホ。海や観光スポットからうっすら離れてるからか、閑散期価格で泊まれた。ラッキー。研修旅行で使うようなクラスではないけど、ツインが取れただけでも僥倖。
「何か軽く食べてから行きます?」
「いや、さっき休んだ時食べたのがまだ残ってるから大丈夫だ。添こそ少し休まなくて大丈夫か? 運転で疲れてるだろ」
このくらいの疲れ、疲れにも入らないけど犬は眉を下げて気を遣ってくる。ありがたい限りだね。
「全然大丈夫ですよ。てかそろそろ夜光虫見やすくなりそうだし、早く行きましょ」
「おう!」
運転中のあの様子はどこへやら、犬は尻尾振ってはしゃぎ出した。まあ一安心かな。
◇
夕方から夜になっていく。マジックアワーっていうらしい、どこか神秘的な空の下。このきれいな空の下で撮って貰うこともある、結構好きな時間だ。
少し赤みがかった海のそばを、添と二人で歩く。
「海が赤っぽいな、潮の匂いもHAMAとは違って……」
「赤潮っていって、海の中の……小さい生き物がたくさんいる状態なんですって。それが波とかに反応して光るらしいです」
「そうか……じゃあ、あの青いキラキラって、命が『ここにいる』っていって光ってるんだな」
「ええ」
海の中の小さな命。波にもまれてキラキラ光る、たくさんの生き物。
見えなくても、あそこにはいっぱいの生きものがひかってる。
「すごいな……」
夜が近づいて、少しずつ、青いいのちのひかりがあらわになっていく。
ぱしゃぱしゃと、気持ちのいい波の音に合わせて、夜の海のなかでゆらゆらといのちがゆらいで、ひかって。
――ああ、きれいだ。
◇
「練牙さん?」
犬から返事がなくなった。また呆けて遠くを見てる。ついさっきまで夜光虫の話をしていたのに。
「(なんなんだよ、今日は)」
元気がないとか、何か悩んでるみたいな様子では全くなかったし、むしろ元気な位だったってのに、今日の犬は本当にわからない。
「練牙さーん」
「うみ……きれい……」
「練牙さん?」
ふらり、と浜辺へ降りる階段に足を向ける。オレはついて行く。
「きらきらだ、すごい……」
「練牙さん、危ないですよ」
日が落ちるのが遅くなってきたとはいえ、そろそろ夕暮れ。足元ふらふらで降りたら本当に危ない。犬にリードが付いてたら間違いなくひっぱってる。放し飼いってやっぱ危険だね。
犬はクルマの中と同じ状態みたいで、こっちの声が聞こえてないらしくどんどん砂浜を歩いていく。
「練牙さん」
そのままふらふらと波打ち際まで行ったところで、犬は立ち止まった。さすがに濡れるのは嫌なんだね。
「練牙さん、靴濡れちゃいますよ」
肩を揺すっても反応がない。赤潮特有の鼻につくにおいを乗せた波がオレと犬の足元を濡らし、薄ぼんやりと光っては薄れていく。
「うみ……」
「っちょっと!」
そのまま海の方に足を進めようとしたのでさすがに肩を掴む。
「練牙さん!」
「……ぇ」
ようやく反応があったけど全然安心できない。引っぱたくか一瞬だけ考えて、頬を思いっきり引っ張る。
「むぇ!? ひひゃい!」
「……」
まだまだ引っ張る。ほら、ちゃんと戻ってきてるかトモダチとして心配だからさ。
「ひ、ひひゃい! ひぇん! ひぇん~!!」
「あーちょっと何言ってるかわかんないな~」
「ひぇ~~!!」
◇
しばらく情けない顔と声を満喫した後、半ば乱暴に手を引いて波が届かないところに腰を下ろす。
「ねえ、どうしたんですか本当に。確かに綺麗ですけど、だからって夜の海に突っ込んでいくとか正気です?」
「ご、ごめん……なんかぼーっとしちまって……」
出雲で砂取りに行った時も、帰ってきてもう一度海行った時もこんなじゃなかった。寝ぼけてんのかね? 夜だし。
「……練牙さんて、夜の海好きなんですか?」
「うーん、確かに海は好きだけど、こんなふうにぼーっとしたのははじめて、かも」
こんなの初めてか、別のタイミングで聞きたかったね、とかいうバカみたいな感想は今はしまい込んでトモダチの笑顔を貼り付ける。
「綺麗すぎたんですかね。それか初めて見てびっくりしたのかも」
「そうかな……でも添がいてくれて良かった。あのままだったらオレ、」
「本当ですよ。入水でもすんのかと思った」
「じゅ」
「海に入ってそのまま死んじゃうこと。特に夜の海は暗くて危ないんですから、あんなことしちゃ絶対ダメです」
「そう、だよな……心配かけて、ごめん……」
これだけしっかり躾けてやればもうおかしな事はしないだろう。本当に首輪とリード付けてやろうか。
「なあ、添。怒られた後に言うのもおかしいんだけど……もう少し見ないか」
「は?」
まさか効いてないの? このバカ、まさか死にたいのか? それならいくらでも手伝うけどね。
「あの、練牙さん?」
「ち、違う! 波打ち際は危ないから、あっち……ほら、あそこで見ないか? 添、オレのせいでゆっくり見れなかっただろうし……」
バカ犬が指さしたのは、海全体を見渡せるような位置にあるちょっとした展望台。まああそこなら確かにまかり間違っても海には飛び込めなさそうだし、悪くない。
「いーですよ。オレの方こそすみません、練牙さんのこと心配で、つい」
不安げな顔に、ぱあっと眩しい笑顔が瞬時に広がる。本当にチョロいね。
「じゃあ早速行きましょ」
オレは犬の手を引いて歩み出した。
いつもより強く握るそれから伝わる温かさに、どこか安堵を感じている自分を無視して。
「あ」
「おー」
今日はオレと犬のオフが重なった日。服買いに行ったりカフェ行ったりすることもあるけど、今日は部屋でゴロゴロしながら動画見たりお菓子食べたりするだけの一日。ゲーム実況、美容チャンネル、踊ってみたと流していると、おすすめに上がっていたニュースチャンネルに目が移る。
「添! も、もしかしてこれ、海が光ってるのか?!」
「あー……そうですね……」
犬が目を輝かせているのは、夜の海でネオンのように青白く光る夜光虫が大量発生しているというご当地ニュースだった。
夜光虫は綺麗だが、一応寿司屋の息子としてはあまり有難くない存在。奴らのキレイな光ってのは海の富栄養化による赤潮とほぼニコイチみたいなもので、その海にいる魚等の発育にモロに影響が出る。虫と同等の大きさのエビ等の幼生は食い荒らされる時も多くて、漁業に携わる方々は気が気じゃないだろうね。
……なんてことを言ったところで犬が眉を下げるだけだ。今は別に眉下げた犬の顔見たい訳じゃないし、聞かれたら答えるくらいでいいかなーと目を輝かせているだろう犬の顔を覗き込むと、
「すごいな……、すごく、きれい……」
まるでどこか遠くを見てるみたいに心ここに在らずって感じで、目を細めてて。
――これを見たい。
そう言ってる訳じゃない。ただ、いつもみたいにすごいな! とかどんな風なんだ? と落ち着きなく大はしゃぎするでもなく、ただただ画面越しの夜の海を眺めて、綺麗だと呟くだけ。
――それが、ムカついた。
「意外と近いみたいだし、見に行きません? クルマ出しますよ」
ただの動画からその目をひっぺがしてやろうと思って、声をかけた。
「え! い、いいのか!?」
そしたらとりあえずいつもみたいに耳をピンと立ててしっぽ振ってはしゃいでる。
そう、それでいい。アンタなんか、そうやって能天気にピカピカキラキラうざったく光ってればいいんだから。
「もちろん。オレも見てみたいなーって思ってたんで、ぜひ」
犬が喜びそうな耳障りのいい適当な言葉を羅列してやりながら、オレは一緒に見ていた動画チャンネルを目の前でスワイプしてふっとばし、レンタルカーの予約を取り始めた。
◇
添が光ってる海に連れていってくれるらしい。なんで行きたいって分かったんだろう……そんなにオレ顔に出てるのか?!
でも夜の海ってちょっと怖い。まっくろで冷たく光ってて、オレが全部飲み込まれてしまいそうで。
「
もちろん、「
だから。
「練牙さーん、早く行きましょうよ」
「ご、ごめん! 今行く!」
こうやって、添とクルマに乗って急に夜の海を見に行くのは、すごく嬉しい。
こうやってどんどん思い出増やして、心のカバンをぱんぱんにして。
――いつか、かえるんだ。
◇
車に載せてからも犬はどこかうわの空で、窓の外を飛ぶように流れていく遮音壁をぼうっと眺めてた。幾らこの世のもの全てに目を輝かせそうな犬でも数分続いている灰色時々緑な壁に光は見出さない。
「練牙さーん」
「……」
「練牙さん」
「んー……」
声をかけてもこれ。こんなに返事が上の空なのはできもしないクロスワードを解こうとしている時や台本の読み込みしてる時くらいだけど、それはなにかに真剣に、夢中になっているからであって、こんなにぼうっとしているのはやっぱりオカシイ。
仮に大鹿なら馬鹿犬は返事もできねえのか何とか言えるんだろうけど、オレは「イイヤツ」らしいのでそんなヒドいこと絶対言えない。
「練牙さーん、PA入ります?」
「うん……」
ちなみに返事があってもなくても入るつもりだった。オレは車線変更しながら続ける。
「練牙さん、オレお腹すいちゃった。奢ってくださいよー」
「ん……」
こうも暖簾に腕押しだと、逆にどこまで行けるか試してみたくなる。
「練牙さん、今日夜遅くなりそうですし泊まりません?」
「ん……」
「やったー。お風呂も一緒に入りましょーね」
「……ん」
「せっかくふたりっきりのオフだし、背中も流してあげますよ。夜は冷えるだろうし、二人っきりでじっくり、ゆっくり。芯まで温まって……」
「ん……うんっ?」
はい、ここでストップ。もうちょっとだったのに、なんて。
「え? え? おふろ……ふたり……??」
「はは、やっと気づいた。PA入るって言ったのに全然気づかないから」
「ゔ……ご、ごめん。連れてきて貰ってんのに」
「いえいえ大丈夫ですよ。ところで練牙さん、奢ってくれるって返事してましたよね?」
「ぁえ……??」
眉を下げて困惑顔。ほんと健康に良いなー。
「今日はお泊まりもしますもんねー」
「え? あっうん、泊まるのは全然……」
「一緒にお風呂入りましょうねー」
「?? おう? う、うん!」
本当に何も聞こえてなかったっぽい。まあでも、ちゃーんと言質は取ってるからね。
◇
「意外と泊まってるお客さま多いんだな」
「ニュースで取り上げられたのもあるかもしれませんねー。ダズルでも動画や写真がバズってたし」
選んだのは海が見えるビジホ。海や観光スポットからうっすら離れてるからか、閑散期価格で泊まれた。ラッキー。研修旅行で使うようなクラスではないけど、ツインが取れただけでも僥倖。
「何か軽く食べてから行きます?」
「いや、さっき休んだ時食べたのがまだ残ってるから大丈夫だ。添こそ少し休まなくて大丈夫か? 運転で疲れてるだろ」
このくらいの疲れ、疲れにも入らないけど犬は眉を下げて気を遣ってくる。ありがたい限りだね。
「全然大丈夫ですよ。てかそろそろ夜光虫見やすくなりそうだし、早く行きましょ」
「おう!」
運転中のあの様子はどこへやら、犬は尻尾振ってはしゃぎ出した。まあ一安心かな。
◇
夕方から夜になっていく。マジックアワーっていうらしい、どこか神秘的な空の下。このきれいな空の下で撮って貰うこともある、結構好きな時間だ。
少し赤みがかった海のそばを、添と二人で歩く。
「海が赤っぽいな、潮の匂いもHAMAとは違って……」
「赤潮っていって、海の中の……小さい生き物がたくさんいる状態なんですって。それが波とかに反応して光るらしいです」
「そうか……じゃあ、あの青いキラキラって、命が『ここにいる』っていって光ってるんだな」
「ええ」
海の中の小さな命。波にもまれてキラキラ光る、たくさんの生き物。
見えなくても、あそこにはいっぱいの生きものがひかってる。
「すごいな……」
夜が近づいて、少しずつ、青いいのちのひかりがあらわになっていく。
ぱしゃぱしゃと、気持ちのいい波の音に合わせて、夜の海のなかでゆらゆらといのちがゆらいで、ひかって。
――ああ、きれいだ。
◇
「練牙さん?」
犬から返事がなくなった。また呆けて遠くを見てる。ついさっきまで夜光虫の話をしていたのに。
「(なんなんだよ、今日は)」
元気がないとか、何か悩んでるみたいな様子では全くなかったし、むしろ元気な位だったってのに、今日の犬は本当にわからない。
「練牙さーん」
「うみ……きれい……」
「練牙さん?」
ふらり、と浜辺へ降りる階段に足を向ける。オレはついて行く。
「きらきらだ、すごい……」
「練牙さん、危ないですよ」
日が落ちるのが遅くなってきたとはいえ、そろそろ夕暮れ。足元ふらふらで降りたら本当に危ない。犬にリードが付いてたら間違いなくひっぱってる。放し飼いってやっぱ危険だね。
犬はクルマの中と同じ状態みたいで、こっちの声が聞こえてないらしくどんどん砂浜を歩いていく。
「練牙さん」
そのままふらふらと波打ち際まで行ったところで、犬は立ち止まった。さすがに濡れるのは嫌なんだね。
「練牙さん、靴濡れちゃいますよ」
肩を揺すっても反応がない。赤潮特有の鼻につくにおいを乗せた波がオレと犬の足元を濡らし、薄ぼんやりと光っては薄れていく。
「うみ……」
「っちょっと!」
そのまま海の方に足を進めようとしたのでさすがに肩を掴む。
「練牙さん!」
「……ぇ」
ようやく反応があったけど全然安心できない。引っぱたくか一瞬だけ考えて、頬を思いっきり引っ張る。
「むぇ!? ひひゃい!」
「……」
まだまだ引っ張る。ほら、ちゃんと戻ってきてるかトモダチとして心配だからさ。
「ひ、ひひゃい! ひぇん! ひぇん~!!」
「あーちょっと何言ってるかわかんないな~」
「ひぇ~~!!」
◇
しばらく情けない顔と声を満喫した後、半ば乱暴に手を引いて波が届かないところに腰を下ろす。
「ねえ、どうしたんですか本当に。確かに綺麗ですけど、だからって夜の海に突っ込んでいくとか正気です?」
「ご、ごめん……なんかぼーっとしちまって……」
出雲で砂取りに行った時も、帰ってきてもう一度海行った時もこんなじゃなかった。寝ぼけてんのかね? 夜だし。
「……練牙さんて、夜の海好きなんですか?」
「うーん、確かに海は好きだけど、こんなふうにぼーっとしたのははじめて、かも」
こんなの初めてか、別のタイミングで聞きたかったね、とかいうバカみたいな感想は今はしまい込んでトモダチの笑顔を貼り付ける。
「綺麗すぎたんですかね。それか初めて見てびっくりしたのかも」
「そうかな……でも添がいてくれて良かった。あのままだったらオレ、」
「本当ですよ。入水でもすんのかと思った」
「じゅ」
「海に入ってそのまま死んじゃうこと。特に夜の海は暗くて危ないんですから、あんなことしちゃ絶対ダメです」
「そう、だよな……心配かけて、ごめん……」
これだけしっかり躾けてやればもうおかしな事はしないだろう。本当に首輪とリード付けてやろうか。
「なあ、添。怒られた後に言うのもおかしいんだけど……もう少し見ないか」
「は?」
まさか効いてないの? このバカ、まさか死にたいのか? それならいくらでも手伝うけどね。
「あの、練牙さん?」
「ち、違う! 波打ち際は危ないから、あっち……ほら、あそこで見ないか? 添、オレのせいでゆっくり見れなかっただろうし……」
バカ犬が指さしたのは、海全体を見渡せるような位置にあるちょっとした展望台。まああそこなら確かにまかり間違っても海には飛び込めなさそうだし、悪くない。
「いーですよ。オレの方こそすみません、練牙さんのこと心配で、つい」
不安げな顔に、ぱあっと眩しい笑顔が瞬時に広がる。本当にチョロいね。
「じゃあ早速行きましょ」
オレは犬の手を引いて歩み出した。
いつもより強く握るそれから伝わる温かさに、どこか安堵を感じている自分を無視して。
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